2020/3/2 改訂


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絵本(えほん) 譬喩節(たとえのふし)
 三卷三冊  
Ehon tatoenofushi [picture book]

「上巻」

喜多川(きたがわ) 歌麿(うたまろ) 画  
頭 光
(つぶりのひかる)
 

 浪華 明石屋伊八板
寛政九年(1797年)

原データ 東北大学付属図書館狩野文庫画像データベース
繪本譬喩節
  
絵本譬喩節
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 解説
  初版は寛政元年(1789)刊で、この絵本は寛政九年(1797年)の再版。画は喜多川歌麿。
  序文は
頭光(つむりのひかる)。各巻に風俗画(全二十四画)と諺と狂歌(全四十四の諺と狂歌)が添え
  られている。諺は「氏なくして玉の輿」
「壁に耳あり」「百日説法屁一つ」「猪食った報い」
  「犬も歩けば棒にあたる」等。墨摺絵本。
   喜多川歌麿(1753~1806)は本姓北川。鳥山石燕に従い、初め豊章(とよあき)と称した。
  美人画の分野で大首絵(おおくびえ)と称される上半身像の形成を創案、浮世絵の黄金期を創った。
  代表作に「寛政三美人」。「画本虫撰(えほんむしえらみ)」他約百冊もの草紙の挿絵を制作。
   
頭光(つむりのひかる)(1754~1796)江戸後期の狂歌師。本名、岸誠之。別号、桑楊庵(そうようあん)・二世巴人亭(はじんてい)
  江戸日本橋亀井町の
町代(ちょうだい)で、狂歌四天王の一人。その社中を伯楽連(はくらくれん)と称した。
   題名
「譬喩節」の読み方については、東北大学図書館の解説は「たとえぶし」と表記さ
  れているが
「絵本譬喩節」の上巻序文に「たとへのふし」とあり、下巻末尾の永壽堂蔵
  板絵本目録に
も「たとへのふし」と振仮名されているところから「たとえのふし」としました。
 
   翻刻と注釈に関して古文書研究家椿太平氏と福岡県の松尾守也氏からご助言を戴き
   ました。ご協力厚く御礼申し上げます。




                   表紙



(1)
絵本譬喩節  上

聖賢(せいけん)人ををしゆるに、ちかくたとへ
をとり給ふとかや。されば
大液(たいゑき)芙蓉(ふよう)
未央(びわう)の柳といへば、美人の姿もおもハれ、
舂臼(たちうす)(こも)といはゝ、醜女(しこめ)の尻かと思ハる。
妖怪の(まなこ)ハ皿にたとへ、
蟒蛇(うハばミ)のかたちハ
醤油樽をもていふ。
前車のかへるを
大液の芙蓉(たいえき‐の‐ふよう)
 
[白居易、長恨歌] 太液池の蓮の花。美人の顔に
 たとえる。
未央の柳(びおう‐の‐やなぎ)
 [白居易、長恨歌] 未央宮の柳。美人の眉にたと
 える。

○立臼に菰(こも)
 背が低く太った女が帯をしめた不恰好
 なさま。

蟒蛇 大蛇。ニシキヘビ。大酒飲みの譬え
○前車の覆(くつがえ)るは後車の戒[漢書賈誼伝]
 前人の失敗は後人にとって戒めとなるの意。

     (現代語訳)     序
   聖人賢人は人を教えるには身近なたとえをお使いになるとか。
  それならば
「大液(たいゑき)芙蓉(ふよう)未央(びわう)の柳」といへば美人の姿も思われ、
  
立臼(たちうす)(こも)」とは醜い女の尻かと思われる。妖怪の
(まなこ)は皿にた
  とえ、
蟒蛇(うハばミ)(大蛇)のかたち醤油樽でたとえられる。前車の覆るを





(2)
見ては後車(ごしや)の車留をしり、鶴の
吸物に
麹町(かうじまち)の刀を用るなど、すべて
耳ちかきたとへことの、耳をとりて花
の春の新板にせんと、絵の事ハ
歌麿が筆にまかせ、しろき所に
狂歌をそへて、こゝに三巻の双
なしぬ。これがはじめにことはり

(2-2)
をのへよと、耕書堂の居膳(すへぜん)
辞義合(じきあひ)せず、
飯盛亭の杓子を
ゆづり得て硯の水のかげんもなく、
「たとへのふし」と、かいつくる事になん。
 5天明九のとし 己酉睦月
   
つふり光
       しるす

麹町ほど長い 麹町は江戸時代1丁目から13丁目
 までの長い通りがあり、長いことのたとえていう。
耕書堂 蔦屋重三郎 安永(1772~1781)頃、江戸
 日本橋大伝馬町二丁目にあった地本問屋。蔦屋の
 主
人。本名、喜多川柯理。号、耕書堂など。
 蜀山人(大田南畝)・山東京伝ら江戸の狂歌師・戯作
 者と親しく、喜多川歌麿・十返舎一九・滝沢馬琴ら
 も一時その家に寄寓した。通称、蔦重(つたじゆう)
 または蔦十。自らも狂歌・戯文を作り、狂名、
 蔦唐丸(つたのからまる)。(1750~1797)

飯盛亭 「宿屋飯盛」(やどや‐の‐めしもり) 
 石川雅望(まさもち)の狂歌師名。江戸後期の国学者・
 狂歌師。江戸馬喰町の宿屋の主人。狂名は宿屋飯盛
 (やどやのめしもり)。和漢の書に精通、狂歌師中の
 学者。著は狂歌・狂文に関するもののほか、「雅言
 集覧」「源註 余滴」「しみのすみか物語」など。
 (1753~1830)
つふり光 「頭光」江戸後期の狂歌師。本名、岸
 識之。別号、桑楊庵・二世巴人亭。江戸日本橋亀
 井町の町代で、狂歌四天王の一人。その社中を伯
 楽連と称した。つぶりのひかる。(1754~1796)

天明九のとし(1789年)
 (現代語訳)
 見て後車の車留まるを知り、鶴の吸物に麹町の刀を用いるなど、すべて
 耳近いたとえの耳を取って、
(たとえの節という名の本の由来)花の春に
 新版にしようと、
絵は歌麿に任せ、白いところに狂歌をそえて、ここに三巻
 の
双紙(そうし)とした。
  初めのことばを私に述べよと
云う耕書堂(蔦屋重三郎の書店据え膳に
 遠慮もせずに、
飯盛亭(宿屋飯盛(やどやのめしもり))の杓子(しゃくし)を譲ってもらい、硯の水かげんも
 なく、「たとえのふし」と書き記す事となった。
                      
頭 光(つむりのひかる) 
                        記す
   天明九年の睦月



(3)
氏なくて玉のこし
    笹葉鈴成
 連城の
 玉のこしかも
 氏なくて
 由来天下に
 はれし
うかれ
  
 江戸町

子を捨る薮ハあれと
    宿屋飯盛
川竹のしげり
 おふてふ
 よし原ハ
 うき世の人の
 子を捨る薮

子を棄つる藪はあれど身を棄つる藪はなし 
 困窮して最愛の子を棄てることはあっても自分
 の身を棄てることはできないものだ。

○川竹の流れの身
 浮き沈みの定めなき遊女の身の上。


氏無くして玉の輿(こし) 女は家柄が卑しくても、
 美貌で貴人の寵を得れば貴い地位になる。
*連城璧(れんじょうのたま)
 「卞和(べんか)」春秋時代の楚の人。荊山で得た、
 玉を含んだ石を楚のレイ王に献じたが、玉ではない
 として左足を断たれた。武王のときまたこれを献じ、
 同じく右足を斬られたが、文王のとき、これを磨か
 せると果して玉であったから、名づけて「和氏(かし)
 の
(たま)」といった(韓非子和氏)。
 のち戦国時代に趙の恵王がこの玉を得、秦の昭王が
 一五の城と交換しようとしたので、「連城の璧」と
 よばれた(史記 廉頗伝)。
「連城の玉」の『玉』と「玉の輿」の『玉』

*うかれ女(浮かれ女) 色を売る女。遊女。
*江戸町 新吉原遊郭の中にあった。
*挿絵右頁は吉原江戸町を歩く花魁
 と禿(かむろ)の二人を連れている。
 長柄の傘をかざす箱屋と遣り手の
 婆。横は見習いの新造か。左頁の
 観客は遊女達か。



(4)
網の目も風とまる
    紀短人
蜑人(あまひと)
  引網の目にとまれかし
 こちやいなさに
 木のはかれいも

水心あれば魚こゝろあり
      下毛駒朝早
 水に心
 魚にも こころ
 有礒海
  それに網する
  こころなき人
魚心あれば水心
 (魚に心あれば、水にもそれに応ずる心があるの意
 もと「魚、心あれば水、心あり」の形だったもの)
 相手が好意を持てば、こちらもそれに応ずる用意が
 あることにいう。

*有磯海(ありそうみ)
 富山県高岡市伏木港辺から新湊・氷見両市沿岸にか
 けての近海の古称。また、富山湾の別称。(歌枕)
 ありそ海と心ありをかける。
 わが恋は ありその海の 風をいたみ 頻りによする
 波のまもなし 伊勢 伊勢集 新古今集巻十一 
 
網の目に風溜まらず  
 網は風の防ぎにはならないということから、その
 甲斐がないこと。無駄なこと。

*蜑人(あま‐びと)  漁夫
*こち(東風)
*いな‐さ (中国・四国以東で) 南東から吹く風。
 特に、台風の時期の強風。たつみかぜ。

*このは‐がれい(木の葉鰈)
 (1)メイタガレイの別称。
 (2)5センチぐらいの小さなカレイを重ね乾した
 もの。ささのはがれい。
 葦の葉鰈。イタガレイの別称。
挿絵は四つ手網で魚を捕る漁夫。



(5)
壁に耳あり
      根歩一調
 うつかりと
 ぬるも おそろし
 鼠壁
 ちときゝ かじる
 みゝの ありせは

歌人ハ居ながら名所をしる
       算木有政
 うた人は
 めしに おほして
 名ところを
 ゐなから しるの
 みそし一もし(三十一文字)
歌人は居ながらにして名所を知る歌人は旅行
 しなくても、古歌の研究や歌枕によって天下
 の名所を知る。

*みそじ‐ひと‐もじ(三十一文字)
 (一首が三一文字から成るところから) 短歌の
 異称。

壁に耳  密談などの洩れやすいたとえ。
  「壁に耳あり、障子に目あり」とも。
*ぬる 寝る
 ぬる 濡る 濡れる 男女が情交する。色事をする
 鼠壁 鼠色に塗った壁。
 「鼠が齧る」の『かじる』」と「聞きかじる」の
『かじる』をかけている。また、壁を塗れば鼠が齧る。
「壁に穴」。秘密がもれて「おそろし」
挿絵は十二単の姿の女性と壁の
 向うに衣冠姿の公達。


(6)
 月夜に釜をぬかるゝ
   奈良朝興
 あたゝむる
 手は鷹ならで
  ちん餅の
 つき夜に 釜を
  ぬくめ鳥哉

 鬼の目にもなミだ
    塒出多賀久
 現在に
 地ごくの
 ありて 
 貧やうき
 懸取る 
  鬼の
 目にも 
  泪は
鬼の目にも涙 無慈悲な人にも、時には慈悲の
 心が生ずることのたとえ。

かけとる(掛取る)掛売りの代金を取り立てる
 こと。

月夜に釜を抜かれる  明るい月夜に釜を盗まれる
 意から、ひどく油断することのたとえ。
 月夜に釜(。絵本明ほの草
 上巻 月夜に釜をぬかれた。絵双紙屋HP)
*賃餅 賃銭を取って餅をつくこと。 
*ぬくめ‐どり(温め鳥)冬の夜、鷹が小鳥を捕えて
 つかみ、その脚を温め、翌朝これを放してやるとい
 うこと。

翌日(あくるひ)ハ気のぬけて居るぬくめ鳥
           (武玉川 三篇)

ぬくめ鳥とハ老の言訳((武玉川 六篇)
(温める手は鷹のではないが)賃餅つきの月夜
 に釜を温め鳥(抜くめ取り)


挿絵は夜、賃餅搗を勝手口から招き
 入れる内儀、戸口に餅つきの臼。
 塀の内側にはもち米を蒸し上げる割
 木・薪が積んである。賃餅搗の二人
 は大きな釜を天秤棒で担いでいる。
 後ろに杵を担ぐ男
左隅ではもち米
 を洗っている男二人。



(7)
 河向の喧嘩
  下毛栃木
小袖裾長
 花に吹 
 風に 
 よしのゝ川向ひ
 喧嘩に
  しても
 ちらさセは
   せじ

 馬士にも衣装
    今田部屋住
 箱根
   路や
 花にかたちハ
  思ハねど
 馬士に
  衣装の
 雲そ
  かゝれる
馬子にも衣裳
 
誰でも外面を飾れば立派に見える。
*衣裳の雲 雲の衣 織女の衣を雲に、また雲を衣に
 見立てゝいう語。
川向うの火事 
 自分と何の関係もない事件のたとえ。
 対岸の火災。
挿絵は桜が満開のもと川向こうで取っ組み合いの喧嘩をする馬方衆三人と、対岸でそれを止めようとする馬方
右頁の馬のそばに米俵が山積み。




(8)
薮にもかうのもの
   條門

 館の内に
 いできし
 武者も
  土大根
(つちおほね)

 薮にも
  たけき
 かうの
  もの哉

実のなる木ハ
 花からしれる
 実に梅ハ
  花の兄とて
 おとなしく
 なるもならぬも
 つほミより見ゆ
   屋越聖丸
実の生る木は花から知れる 
 咲いた花の様子を見れば、果実が良く実るかどうか
 予測できる。大成する人物は、初めからどこか凡人
 とは違ったところがあるものだという喩え。
 栴檀(せんだん)は二葉より芳し
 蛇は一寸にして人を呑む

*花の兄 (四季の花の中で他の花にさきがけて咲く
 からいう)  梅の雅称。

☆(意訳)
筑紫のある押領使(令外官。警察官)が日頃万病の妙薬だと云って毎朝土大根を二つずつ焼いて食べていたが、ある時敵が押し寄せて来て、囲んで攻めたところ、屋敷の中から兵士二人が現れてきて敵を追い返してしまった。不思議に思って聞いてみると「毎朝召し上がっていらっしゃる土大根です。」と云って消えた。常々深く信心を遂げるとこのような功徳もあると見える。
(これ大根の致す所に非ず。信力の致すところとなり。まして仏神の感応はましてという心なり。『徒然草諸抄大成七 註』
藪に剛の者
 つまらない者の中にも立派な人物がいる。
 また、藪医者の中にも功者がいる。

 絵双紙屋 絵本明ほの草 上巻  薮に功の者

 土大根(つち‐おおね) ダイコンのこと。
 「武者も土大根」は徒然草中の土大根の化身に
 助けられた押領使の話に由来する。

 徒然草 六十八段
筑紫に、某の押領使などいふ様なる者のありけるが、土大根(つちおほね)を万にいみじき薬とて、朝ごとに二つづつ焼きて食ひける事、年久しくなりぬ。或時、館(たち)の内に人もなかりける隙をはかりて、敵襲ひ来りて、囲み攻めけるに、館の内に兵二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追い返してけり。いと不思議に覚えて、「日頃ここにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根(ら)に候う」と言ひて、失せにけり。深く信をいたしぬれば、かかる徳もありけるにこそ。
 ☆左意訳へ
挿絵は金太郎か。側にまさかり。
 樹の洞にいる熊を引摺り出そうとして
 いる。右頁山姥と男(頼光の家来?)が
 遠方に描かれている。



*坂田公時 (俗に金時とも書く)
 平安後期の武士。源頼光四天王の一。
 幼名、金太郎。相模国足柄山の山姥と
 赤竜との子と伝える。21歳の時、
 頼光に見出され、頼光の没後、行方不明。
 その童姿は強健と武勇の象徴。
 五月人形に作られ、歌舞伎では怪童丸
 の名で登場。
 




(9)
 君を思ふハ
  身を思ふ
 君を思ふ
  身ハなを
   おもき大鎧
  まこと義信の
   五條橋也
     浅草市人

 毒薬へんじて
   薬となる
     少々道頼
鉄砲の
 うつて
  かハりし
 
()ふぐこそ
 あたらで
  たまに
   薬ともなれ

毒薬変じて薬ともなる
毒薬変じて甘露ともなる 
 鉄砲
 (あたれば死ぬからいう) 河豚(ふぐ)の異称。

 
鉄砲汁 フグを調理した汁。
 ひふぐ ふぐの干物
挿絵は京都五条大橋で武蔵坊弁慶が牛若丸
(源義経)に出会い、牛若丸に打ち負かされ
 家来になる場面。
弁慶は七つ道具(鎌・鋸・
 槌・斧・熊手などの武器)を背負っている。

君を思ふは身を思ふ 
 主君のためと思うもの思うのも、結局は我が身が
 大切の故である。
 ひたすら主君のために仕えていると、結局は自分
 を大切にしえいることと同じ。
 身はなお思き 重き大鎧
 絵双紙屋 絵本明ほの草 中巻
 
君を思うも身を思 

浅草市人(あさくさのいちひと)
(1755~.1821) 狂歌作者。江戸浅草
 田原町で質屋を営み,浅草寺境内伝
 法院裏の別荘で起居したといわれる。
 狂名はその職業にちなんだもの。天明
 4(1784)年ごろより狂歌界に参加。はじ
 め四方赤良(大田南畝)と親しく,天明6
 年ごろより本格的活動を始める。
 寛政初年(1789年頃)より三陀羅法師
 らと共に頭光に従って伯楽連に属した。
  

 花廼屋道頼 (はなのや-みちより)
 別号に少々道頼。?-1810江戸時代
 後期の狂歌師。江戸神田に住む。
 初代花廼屋。本町側の判者。姓は森。
 通称は八十八。




(10)
 茶腹も一時
 湯のたぎる
 音ハ松風
 谷の水
 げにや
 茶腹も
 一時の閑
    銭屋金埒
挿絵は侘茶
「茶腹も一時」の「一」と「一服の茶」の「一」
 が掛かっている。

茶腹も一時(いつとき) 
 茶だけでも飲めば一時は空
 腹をしのぐことができる。わずかばかりのもの
 でも一時しのぎになる。
湯腹も一時(いつとき)

 

馬場金埒(ばば‐きんらち)
江戸後期の
狂歌師。通称、大坂屋甚兵衛。初め、
物事明輔(ものごとのあけすけ)と号し、
のち銭屋(ぜにや)金埒とも。江戸数寄
屋橋の両替屋。天明狂歌四天王の一。
著に「仙台百首」「金埒狂歌集」など。
 (1751~1807)



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絵本譬喩節下巻へ」

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