2021/10/28 改訂

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絵本明ぼの草(えほん あけぼのぐさ)三巻三冊 「下巻

禿帚子著  石川豊信画 
 
前川六左衞門板    明和七年(1770年)

原データ 東北大学付属図書館狩野文庫画像データベース
 繪本明不乃草

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(1)
 
絵本 明ほのくさ
        下


(2)
借ときの地蔵顔
かへす時の閻魔顔


此たとへハ不実千万なる
事と申ければ
こたへていわく

借ときの馳走顔
かへす時の円満顔


かやうに   もふさバ
めてたく   きこへ
 もふさんか

 
借ときの地蔵顔返す時の閻魔顔
用ある時の地蔵顔、用なき時の閻魔顔
 他人から金銭などを借りる時はにこにこした
 人が、それを返済するときは渋い顔をするということ。



(3)
薮にも(こう)の者

竹やぶの 中に功の者ハあるまじ
七賢人は 世を遁
(のがれ)
竹林あそぶ
功の者にハ あらずと 申ければ

こたへて

野夫(やふ)にも(こふ)の者

野夫とハ いやしきもの
剛ハたくま しきもの
 韓信 樊會(はんくわい)などハ
みな いやしき ものゝ中より
(いで)たり此事  なるらん

*韓信 漢初の武将。蕭何(しようか)・張良と共に
 漢の三傑。江蘇淮陰(わいいん)の人。
 高祖に従い、蕭何の知遇を得て大将軍に進み、趙・
 魏・燕・斉を滅ぼし、項羽を孤立させて天下を定め、
 楚王に封、後に淮陰侯におとされた。謀叛の嫌疑で
 誅殺。青年時代、辱しめられ股をくぐらせられたが、
 よく忍耐したことは「韓信の股くぐり」として有名。
 (?~前196)
*樊會(はん‐かい)漢初の武将。江蘇沛県の人。
 高祖劉邦に仕え
て戦功を立て、鴻門の会には劉邦の
 危急を救い、その即位後に舞陽侯に封。諡(おくりな)
 は武侯。(―~前189)

藪に剛の者 つまらない者の中にも立派な人物
 がいる。 また、藪医者の中にも功者がいる。

*七賢 (2)竹林の七賢 晋シン代、世俗をさけて
 竹林で音楽と酒とを楽しみ、清談にふけった七人
 の隠者。
 阮籍ゲンセキ・〔ケイ〕康ケイコウ・山濤サントウ・向秀ショウシュウ・
 劉伶リュウレイ・王戎オウジュウ・阮咸ゲンカンのこと。

 絵双紙屋 絵本譬喩節 上巻  
薮に剛のもの


(4)
 
色を見て灰汁(あく)をさす

そめいろの 事ならハ
あくにハかぎる べからず
水もさすべき
ものなりと 申ければ

 
(こたへて)いはく

 色を見て悪魔がさす

むかしより 身を
うしなふ
人おほし
 慎べき ことなり
色(いろ) 恋人。遊女。
○色は思案の外(ほか) 男女の恋は常識では判断
 できず、とかく分別をこえやすい。

○色を鬻(ひさ)ぐ売春する。色を売る。
色を作る 化粧をする。しなを作る。
大蛇を見るとも女を見るな 女は人を惑わして
 修道の妨げとなるから、大蛇より恐ろしいもの
 であるとの戒め。
色を見て灰汁をさす 染色で灰汁を加えるとき
 には色の具合いを見て加減をするところから、時
 と場合に応じて適当な手段を取ること。
 無闇に事を行なわないという戒め。

○水をさす
 (1)水を加えてうすめる。
 (2)うまくいっているのに邪魔をして不調にする。
 「二人の間に―」

挿絵右頁は太夫(花魁)二人と振袖
 新造。左頁は新吉原待合茶屋で飲食
 する客と太鼓持ち、茶屋の女。
 


(5)
立よらハ大()の影

此たとへハ 身を人に
よせる事にもちゆ
富貴(ふうき)
好ミ、むさぼる(こゝろざし)
さもしきたとへ 
なりと申 ければ

こたへていふハ
大事ならば扇子(あふき)(かけ)

かやうにおほへて よかるべし
大切なる事ハ 忘ぬが大切也
覚あしきと 人に
2さミせら
れんかと書留ず
忘なば 書留るより
なを
(猶) 恥なり
さみす(褊す) みさげる。卑しめる。
 軽んじる。

*束帯着用の際は右手に笏(しゃく)を持つが、笏
 はもとは裏に紙片を貼り、備忘のため儀式次第な
 どを書き記したことから笏を
扇に替えて、大切な
 ことは扇に書き留めておくべき。

 礼装に扇は必携品なのでいざというときに役立つ。
立ち寄らば大木の陰
 寄らば大樹の蔭 頼る相手を選ぶならば、力
 のある者がよい。
挿絵は大名家の奥向きに仕えた
 奥女中達か。


(6)
犬ころをまな板に(のせ)

下さまの いやしきものが
貴人のまへ にてハもちもぢと
する事にたとへたり
しかし犬ころが
まな板に(のる)ゆへんなしと
 申ければ こたへていわく

()ぬ事をなま得たに習ふた

しらぬ事ハしらぬ
にてよきことを
少ししりたる
人間おぼへて
しりたる顔にて
人まへ
出て
ゑもやらず、もぢもぢ
することの  たとへか
○知らずば人に問え
○聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥
○問うは一旦の恥 問わぬは末代の恥
犬ころまな板に乗せた
 犬の子を屋根に上げたよう

 どうしようもなくて手も足も出ないことの
 たとえ。
 またうろうろして落ち着かない様子にいう。

挿絵はへらで布にしるしをつけている
 裁縫中の若い娘。授乳中の内儀が指図
 している。
 まわりに物さしと布、針箱など裁縫具
 がみえる。



(7)
佛の顔も三度
見れば腹が(たつ
)

 なんの佛が腹を
 立給ふぞ 此たとへ
 がてんゆかすと
 申ければ
 答て(いはく)

おどけの顔も
三度みれバ腹か立


最明寺(さいめうじ)殿
百首狂歌に たはふれも
 一と二度こそ おかしけれ
 ()のミに  なれば
腹ぞ立
ける

最明寺殿  北条時頼 鎌倉幕府の執権。時氏
 の次子。母は松下禅尼。北条氏の独裁制は彼の
 時代にほぼ確立。出家して道崇、世に最明寺殿
 という。出家後はひそかに諸国を遍歴して、治
 政民情を視察したと伝える。「鉢の木」の伝説
 は有名。(1227~1263)
 最明寺殿教訓百首
 最明寺入道こと北条時頼が子息教訓のために
 作ったとされる歌集。『西明寺殿教訓百首』
 『西明寺殿百首』などの書名で中世から近世
 にかけて流布したが、その歌数は一定せず、後
 人による加筆が虜ると考えられている。 
  最明寺殿教訓百首の中の一首
 戯れは みないさかひの 基ぞと
   思ひて常にたしなめよかし

 
(久恒敏編輯「最明寺殿教訓百首」中近堂、
  1893)
 

仏の顔も三度  いかに温和な人、慈悲ぶか
  い人でも、たびたび無法を加えられれば、
  しまいには怒り出す。

  絵双紙屋 
児童教 伊呂波歌絵鈔 仏の
  顔も三度
おどけ(戯け)おどけること。
三のみ さのみ 三の意と、そうばかりの意。
挿絵は仏壇の不動明王にお経を唱
 える主人とそばで団扇をもったまま
 居眠りをする少年とその少年に悪戯
 する少年。廊下の前に屋根付き蹲い・
 蹲踞(つくばい)手水鉢がある。


(8)
土仏(つちぼとけ)の水遊

しだひしだひに
ものゝへる 事をたとへ
たりといとへども
土仏にハかきる べからずと
申ければ こたへていわく

(つち)ほどけて水浅

川筋(かわすじ)(つゝミ)など
(くゐ)(うち)土俵を入
心をもちひて
修理(しゆり)を加て
耕作のたすけを せざれば
 しだいに 物の減る
道理なるべし

土人形の水遊び
雪仏の湯好み
雪仏の湯嬲(なぶ)り  
雪仏の水遊び
土仏の水遊び[=水なぶり・水狂い] 土が水中
 で溶けて崩れてしまうところから、危険が身に迫る
 ことを知らないで、自分で自分の身を破滅に導くこ
 と。身の程知らずなことをして、自分を破滅させる
 こと。
挿絵は護岸工事のため人足が杭打ち
 をしている。岸には手斧、大鋸、人足
 の煙草入れが置いてある。川岸に工事
 監督。



(9)
(ひざ)とも談合

ひさがしらを
(かゝへ)て工夫 せよといふ
心なるべけれと
出ぬ思案は出ぬものなれバ
此たとへは がてん ゆかず

 答て曰

()じやとも談合

()とおもひし 事が()にて
()とおもひしが()にてよき事も
あるものなれば
()じや(あら)ふとまづ
談合 仲間へ 入れよといふ事

       ならん
 良寛漢詩 
  是非は始より己(おのれ)に在り
  道は固(もと)より斯くの若くならず
  竿を以て海底を極めんとすれば
  祗(た)だ疲れを覚ゆるのみ 

  
膝とも談合 (窮した場合には自分の膝でも相談
 相手にするという意) 誰とでも相談すれば、それ
 だけの利益はある。〈毛吹草二〉

*今是昨非 コンゼサクヒ 過去のあやまちにはじめて気
 づくこと。

▽きょうは是(よい)であり、きのうは非(悪い)で
 あるの意。
 〔陶潜〕 帰去来辞
 ききょらいのじ
挿絵右頁二人の男(町人)はそれぞ
 れ煙管(きせる)と 腰差煙草入を手
 にしている。側に煙草盆。庭先に手水
 鉢。


 

(10)
(あきなひ)は牛の(よだれ)

心ながくせよと いふたとへとハ
いゝなから牛の よだれのやうに
だらだらしてハ あしかりなんと
   申けれバ

 答て曰
(あく)まいは浮世わたり

士農工商は もとより遊民(ゆうミん)
までもそれそれの
つとめに(おこた)

まじきとの たとへ ならん
*飽くまい 飽くまじ
 
憂き世(浮世)渡りのなりわい(生業)は決し
 て飽きてはいけない

商いは牛の涎(よだれ)  商売をするのなら、
 牛の涎が細く長く垂れるように気長に辛抱しな
 さいという教訓。儲けを急ぎ過ぎるなというこ
 と。
挿絵は三人の渡し守が舟を着岸させて
 いる。舟に貴賤別なく大勢の乗客。


(11)
東方朔(とうほうさく)は九千歳
浦島太郎ハ八千歳、千年
ちがひの友達


はなしも大がい あふはづ
鶴は千年 亀は万年
九千年ちがふてハ
はなしができまじと
いへば、いやその つゐで

三浦の大助ハ 
百六ッ、浦嶋とハ
七千八百九十四年


ちかふ人を 此
(れつ)
くわへしは いかゞと
いへば こたへて
三浦和田の一門
九十三家、
孫彦鶴(まごひこつる)
あまたの人のこらず
繁昌なりし事
  めてたきゆへとかや
三浦大助(みうらのおおすけ) 平安末期
 の武将・三浦義明(1092-1180)。相模の有
 力豪族・三浦氏の総帥で、治承2(1178)年、
 源頼朝の挙兵に応じたが、石橋山の合戦で
 頼朝が敗北後、居城の衣笠城に篭城。
 一族の主力を安房に落とし、自らは敵勢を
 引き受け、城を枕に壮絶な討死を遂げた。
 古来まれな長寿者として、誇張して伝承さ
 れ、「三浦大助」として登場する。
 歌舞伎「石切梶原」では106歳とされている
 が実際には88歳で没。

東方朔(とうほうさく・とうぼうさく)
 前漢、厭次エンジ(山東省北部)の人。漢の武帝
 に仕え、とんちがあり、巧みに武帝のあやまち
 を戒めた。また東方朔は西王母という仙人の仙
 桃を盗んで食べ、仙術を得て長寿を得たという。
 古来めでたい主題としてしばしば絵に描かれる。
*浦島太郎  雄略紀・丹後風土記・万葉集・浦島
 子伝などに見える伝説的人物で漁夫。亀に伴われ
 て竜宮で三年の月日を栄華の中に暮し、別れに臨
 んで乙姫(亀姫)から玉手箱をもらい、帰郷の後、
 戒を破って開くと、立ち上る白煙とともに老翁に
 なったという。
歌は大晦日や節分の夜などに唱え言をして米銭を
 乞うてまわった厄払い文句の一節。

挿絵は新年の蓬莱飾り。関西で新年の
 祝儀の飾り物の一。三方(さんぼう)
 盤の上に白米を盛り、熨斗鮑(のしあわ
 び)
・搗(か)ち栗・昆布・野老(ところ)
 
・馬尾藻(ほんだわら)・橙(だいだい)
 
・海老(えび)などを飾ったもの。
 江戸では食い積みと呼んだ。
 松竹梅・鶴亀・翁(おきな)と嫗(おうな)
 などを取り合わせて飾ることもある。



    古典落語ネタ帳」の中の『厄払い』にこの文章とよく似た「口上」が掲載されています。

 あら 目出度いな 目出度いな 今晩今宵のご祝儀に 目出度きことにて
払おうな  先ず一夜明ければ元朝の 門に松竹 〆飾 床に橙 鏡餅 
蓬莱山に舞い遊ぶ 
鶴は千年 亀は万年 東方朔は 八千歳 浦島太郎は
   三千年 三浦の大助百六つ
 この三長年が集まりて 酒盛りいたすおりからに 
 悪魔外道がとんで出で 妨げなさんと するところこの厄払いがかいつかみ
    西の海へと思えども 蓬莱山のことなれ ば 須弥山 のかたへ さらり
 さらー 

     出典:古典落語集2 文楽 (ちくま文庫) 厄払い とみくら まさや氏HP



(12)
明和七庚寅春 
   作者 浪華(なにわ)禿帚子(とくそうし)
     
 

東都書林
   日本橋南通三丁目
     前川六左衛門








   

  *明和七庚寅 (1770年)



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