2020/4/26 改訂

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児童教訓(じどうきょうくん)  伊呂波歌絵鈔 (いろはうたえしょう)  一册

   (伊呂波歌繪鈔)

(別書名) 絵本 いろは歌絵抄
Irohauta eshou [picture book]
 
          
 下河辺(しもこうべ)拾水(しゅうすい)画  南勢(なんせい)野叟(やそう)著 
   天保七年(1836年)(補刻) 
 [初版本安永四年(1775年)刊

原データ 東北大学デジタルコレクション 狩野文庫データベース
 伊呂波歌繪鈔


 

  

  色は(にほへ)へど散りぬるを わが世(たれ)ぞ常ならむ
  
有為(うゐ)の奥山けふ越えて 浅き夢見じ()ひもせず


   
 鎌倉時代以降、末尾に「京」、あるいは「ん」がつけ加えられるようにもなった。
    いろは歌は涅槃経(ねはんきょう)()「諸行無常、
是生滅法(ぜしょうめっぽう)生滅滅已(しょうめつめつい)寂滅為楽(じゃくめついらく)の意を訳した
    ものという。弘法大師の作といわれてきたが、現在では否定されている。平安中期以後の作で、
    仮名文字を
    習得するための手習いの手本や字母表として使われた。
色葉歌。伊呂波喩。伊呂波短歌。

    江戸時代、手習いの「いろは歌」教訓本は各種、出版されたが、ここに紹介する児童教訓伊呂
    波歌絵鈔の初版は安永四年(1775年)である。「いろは」で始まる教訓歌がそれぞれ一字につき
    三首ずつ書かれ、四十七字に各三首ずつ百四十一首の歌。次に「京」「ん」「一」~「十」
   「百」「千」「万」は一首ずつ、末尾に「手習の始も梅のさきかけていろはにゆづる難波津の
    歌」の一首で終わる。合わせて百五十七首の歌が書かれている。墨摺絵本。

    挿絵は下河辺(しもこうべ)拾水(しゅうすい)は別称藤原行耿(ゆきあき)河原(かわはら)拾水(しゅうすい)別号に紙川軒ともいう。( ?-1798)
    江戸時代中期-後期の浮世絵師。京都の人。画風は西川祐信(すけのぶ)にちかく、安永4年(1775)刊「伊呂
    波歌」、8年刊「絵本満都鑑(まつかがみ)」など,絵本や絵入り教訓本の絵をえがく。当代風俗をうつした
    細見、地誌、滑稽(こっけい)本の挿絵を多数手がけた。

    著者南勢野叟(なんせいやそう
)については詳細不詳。

    翻刻と解説については椿太平氏・沙華茶庵定仁氏・松尾守也氏・wind氏各位に多大のご協力を頂きました。
    厚く御礼申上げます。         和泉屋 楓

 

                      

 (表紙)

じどうきょうくん  いろはうた えしょう

 児童教訓  伊呂波歌絵鈔

   
   
         

(1)児童(じどう)伊呂波(いろは)歌絵鈔(うたゑせう)
  教訓(けうくん)  全部一冊

 児童 伊呂波歌の序
 教訓
往古(いにしへ)子ををしへるに父ハ算数を教へ、
母はもろもろの和語(わご)女もじを教ゆ。(かるがゆへ)
父を
「かぞ」といひ母を伊呂(いろ)」といふ。伊呂(いろ)とハ
字母(じぼ)(いひ)なり。其むかし護命(ごミやう)空海の
作りたまへる歌の(ことバ)によりて今に手習
 (1)
かぞ (奈良時代はカソ) 父。

いろ(伊呂)
(同母)同腹であることを示す語。
いろは(母)(イロ)は接頭語) 継母や義母
でない、生みの母。
かぞいろ(父母)(古くは清音) 父母両親。
かぞいろは。

字母 仮名・梵字・ローマ字など、音を
表記する母体となる字。

空海 平安初期の僧。わが国真言宗の開祖。
諡号(しごう)は弘法大師。伊呂波歌は
空海が作ったとあるが、現在では否定されて
いる。
 
       (現代語訳)     伊呂波歌の序
遠い昔、子どもに父は算数を教え、母は我が国の色々な言葉や女文字(ひらがな)を教えたことから、父を「かぞ」といい、母を「伊呂」という。「伊呂」とは字母のことである。その昔、護命空海が作られた歌のことばによって、今日児童が手習う

 

  

(2)
ふ児童の伊呂波とて口に唱へ耳にふれ
て、さとしやすきを(もと)とし四十七字を題
として(おのおの)三首づゝのはいかい歌をつゞり、
或人袖にし来りて(あづさ)にちりばめん
事を求む。誠に瑞穂(みつほ)の国ゆたかに
常世(とこよ)
浪静(なミしづか)にして、()にうたひ
2腹を()

神恩(しんをん)に馴て、(いたづら)に日を送る(ともがら)の風俗
をしめす一(じよ)ともなりなんものか。其言葉
夷曲(ひなぶり)たるハいとはで、此歌の(こゝろ)をあま
なひしらば、作れる人の本意(ほい)ならめやも。
  神都書林 
 講古堂主書

 (2-2)
常世(とこよ)(1)常に変らないこと。
永久不変であること。(2)「常世の国」の略。

鼓腹撃壌(こふくげきじょう)
腹鼓を打ち、大地を叩いて歌うこと。
太平を楽しむさま。
〈故事〉帝堯(ぎょう)のとき、ひとりの
老人が太平無事を楽しんで、腹つづみを
うち、土くれを打ちながら、堯の徳を
たたえた歌をうたった故事。

夷曲(ひなぶり)(1)田舎風の歌。
         (2)狂歌。

講古堂主人(こうこどう/しゅじん)
(別称)[1] 加藤長兵衛(著作)
伊勢参宮按内記・ 神宮参拝記 ・世中百首絵鈔
           (現代語訳)
 
「伊呂波歌」であるが、口に唱え耳にすれば分かりやすいことを基本として、四十七字を題として各三首づゝの俳諧歌を綴ったところ、ある人が間近に来られ、版木に彫りつけて本を発行する事を求められた。誠に瑞穂の国の豊かに常世の浪静にして、野に歌を謡い、(満腹して)腹鼓を打ち喜び天下泰平を感じ、神のめぐみに馴れてしまったこの御代に、いたづらに日を送る(ともがら)の風潮を諭し示す助けに、この本がまさに成ろうとするものか。その歌の言葉が夷曲(ひなぶり)(洗練されてない)のは気にせず、此歌の(こゝろ)に賛同してくれたならば、作者の本意になることだろう。
    神都書林            講古堂主書

    
   
   

 

3)
祈る身ハよこしまならぬねがひこそ
 神もあハれとうけたまふらん

いたづらに送るまじきハ月と日の
 めぐりひまなき影にてもしれ

いましめの人の行べき道ならで
 胸
とゞろきのはしハあやうし

 (3)
○神は非礼を受けず 
神は礼儀にはずれた願い事をしても
決して聞き届けてはくれない。

○一寸の光陰軽んずべからず 
 ○歳月、人を待たず

轟 とどろき
 鼓動が激しくなること。
 轟の橋
 (1)奈良の東大寺の西にあった橋。
 (2)近江国にあったという橋。(歌枕)
 (3)陸前国にあったという橋。(歌枕)
○吾妹子にあふみなりせはさりとかは 
  ふみもみてまし轟の橋
     源兼昌 夫木抄 9411
○君子は危うきに近寄らず 対句
○虎穴に入らずんば虎子を得ず」
 い
祈る中身は邪悪でない願い事こそ、神もあわれと思し召して
お聞き下さるだろう。

(いたず)に無駄に暮らしてはならないことは月日の
めぐりが如何に早いことでも知れる。

(いまし)めに人の行くべき道ではないのは「轟(とゞろき)の橋」
という。胸の鼓動が激しくなる道は危険な道である。
 
 (挿絵)
 梅の咲いている新春初参り。神社の拝殿の前に額づく侍。
 後ろの子供は袴を佩いていないので侍の子ではなく、
 順番を待つ商家の小僧らしい。
 膝の上に風呂敷包みがある。
 狛犬は一般に参道の両側に、神社に向かって右側に口を
 開いた阿像が置かれているものだが、この絵では拝殿の
 回廊に置いてある。境内には参拝する人々が描かれる。

    
     
   

(4) 
(ろく)にせずかたふく(かふり)そのまゝも
 (すもゝ)の下に心をかれて

()を押バおもふ(ミなと)へ船ハよる
 よき道にこそ心ざすべき

論ずるハよからぬ事とおもへども
 書学(ふミまな)ぶ身ハゆるすべきかは

春立て空ものとけき(あした)より
 忘るまじきハ年のくれかな

恥かしと思ふ心のつきぬるハ
 徳に入べきはじめとやせん

浜荻の筆につきてもしのばるゝ
 今に(をと)する
小野の道風(ミちかぜ)
 (4)
1 直 なおす。まっすぐにする。
○李下の冠(かんむり)を正さず 
○瓜田(かでん)の履(くつ)納(い)れず 

浜荻 アシの異名。
「難波の蘆は伊勢の浜荻」同じ物でも、
所によって呼び名が違うことのたとえ。
筆軸が浜荻(葦・葦)で作られた筆。

 小野道風(おの‐の‐とうふう)
(名は正しくはミチカゼとよむ)
平安中期の書家。若くして書に秀で、
和様の基礎を築く。藤原佐理(すけまさ)・
藤原行成(ゆきなり)と共に三蹟と称。
(894~966)
 ろ
(ろく)(まっすぐ)にしないで、冠が傾いたままなのは
「李下に冠を正さず」という気持が
あるからなのだ。
他人に疑いを持たれるような行いは慎むべきだ。

()を漕げば船は思う湊へ寄るものだ。善き道にこそ心を
差し向けるべきだ。

論議することは良い事ではないと思うが、書物を学ぶ身ならば
許されるのだろうか。

 は

春になり空も穏やかな朝を喜ぶよりも、掛取りへの支払いを
やり繰りした、あの年暮れを忘れてはならない。
今から心して備えようではないか。

恥ずかしいと思う気持が芽生えたことは、徳への道の始めと
しよう。

浜荻(芦)の筆を見るにつけても今でも高名な能書家
小野道風の筆跡が偲ばれる。

 (右頁挿絵)
 塀の外に伸びているは李の木。笠の具合がおかしいのを子供達が
 囃し立てるが、手を上にあげて笠を直すのはやめておこう。

 (左頁挿絵)
 新春武家の座敷場景。裃姿の侍は左腰に刀を差している。
 三宝の上には鏡餅とお供え物。左の振袖姿は娘で、右は妻女か。
 侍は右手に「覚帳」を持っている。
 歳末のヤリクリに苦労したらしい。

     

     

(5) 
(にハとり)(つげ)にもおもひ立ずして
 日暮て道をいそぐ(くや)しさ

西といひ東にあそぶ其人を
 (はう)なしとこそいふべかりける

()よ似よと()の虫とりて
 養へる蜂も
子といふ物に迷ひて

佛さへ三度なづれハ立腹(たつはら)
 (ことわざ)もありまして凡夫は

程しりて(おご)る心のなかりせバ
 身をも家をも(たもつ)べきかな

星の夜の明行(あけゆく)のちの(あした)より
 文月(ふミづき)とこそ名づけ(そめ)けん

 (5)
○早起きは三文の徳 

○西を言えば東と言う 事ごとに人のいうことと反対する態度をいう。
方(ほう)なし 品行方正でないこと。

 じが‐ばち(似我蜂)ジガバチ科のハチの一種。7~8月頃地中に穴を掘り、しゃくとり虫等を捕え、貯えて幼虫の食物とする。獲物を穴に入れる時、翅をじいじい鳴らすので、古人が「じがじが(似我似我)」と言って青虫を埋めると蜂になって出てくるものと思い、この名がついたという。ここではジガバチの習性を「子故の闇」と見立てた。

○子ゆえの闇 親は子に対する愛情のために理性を失いがちであることにいう。

○仏の顔も三度 いかに温和な人、慈悲ぶかい人でもたびたび無法を加えられればしまいには怒り出す。

○奢る者は心嘗(こころつね)に貧し人の欲望には限りがないので、贅沢を好む者は常に心に不満が絶えない。
 
 最上段へ
 に
にわとりの鳴声にも思い立たないで日暮れて道を急ぐ悔しさ。
(朝早く鶏の鳴く頃には起きて
一日のつとめを励もう。)

西と言って東に遊ぶその人を、(ほう)なしと言うのは
もっともなことだ。

似よ、似よ、と言って、他の虫を捕って
飼育している似我蜂(じがばち)も、子ゆえの迷いか。
不思議な行動を取るものだ。まして人の親は子供可愛さ
に理性を失いがちだ。
 ほ
仏の顔も三度というが、まして凡夫はたびたび無法を
加えられれば、終いには怒り出してしまうものだ。

程を知り(足ることを知り)、(おご)る心をなくしたならば
身も家をも保持して行けるものだ。

(七夕の)星の夜、牽牛と織女が暁の別れに後朝の手紙を
書いた事から、文月(ふミづき)と名付けそうだ。
 (右頁挿絵)
 常夜灯に灯をともそうとしている。
 それを横目で見ながら提灯提げて先を急ぐ男。後悔先に立たずと。
 (左頁挿絵)
 本を読み飽きて眠っている坊主の鼻に紙縒りを差し入れる
 イタズラを仕掛ける子供。三度もやると怒り出す。
                            

  

(6)
へつらはぬ(ことは)ハ耳に(さかへ)ども
 心にいれば薬ともなる

隔していひたき事も心せよ
 いはぬハいふに増るともいふ

へだてなき春の恵に(さそ)ハれて
 花に出たつ(たか)きいやしき

年をへて(わが)(おろか)さハ忘れつゝ
 若きしわざの目に余りぬる

(とふ)事を(このミ)て人の()をかるハ
 恥しからぬものとこそきけ

(ともしび)をあだにもなさず世を渡る
 (わざ)にかしこき夕なべの音
 6)
○良薬は口に苦(にが)し 病気によくきく薬は苦くて飲みにくい。身のためになる忠言が聞きづらいことにいう。
 武玉川、川柳では道楽息子に意見をするのは「伯父」というのが決まりであった。
○伯父か来ていたいめをする大男
 (武玉川七篇)
○おじきめがちょっと来やれは又あぶら
 (柳樽明三梅)
○盃出して伯父をしつめる
 (武玉川初篇)

言わぬが花 口に出して言わない方が差し障りもなくて良い。又そういう奥床しさが粋である。言わぬは言うに勝る

○年寄りの物忘れ、若者の無分別

○聞くは一時(いつとき)の恥、聞かぬは末代の恥

○寸陰(すんいん)を惜しむ
どんなにささいな時間も大切にする事。
 へ
へつらわない詞は聞く人に不愉快な感じを与えるが、
心に入れば薬ともなる。

へだてして(打ち解けずに)言いたいことも言わない方
が言うことに増さることもある。

へだてなき春の恵みに誘われて花見に出立つ貴き賤しき人々。
(自然の恵みは貴賤を問わず訪れるものだ。)

 と
年を取って自分の愚かさは忘れても、若い人の所業には
だまって見ていられない。

問うことを好んで人の知恵を借りることは恥ずかしい
ことではない。(聞くは一時(いつとき)の恥じ)

灯火を無駄にしない賢い暮らし方は、日没までに一日
の仕事を終えることだ。
砧を打つ音が聞こえるが夕なべで済ませよう。

 (右頁挿絵)
 家業を疎かにして女のところに入り浸っている息子を迎えにきた
 伯父貴が意見をしているところ。
(左頁挿絵)
 夜なべ仕事をしている嫁や娘に意見している姑。
 きっと「油が勿体ない!夕なべで終わりにしなされ」と叱っているいる
 のであろう。年をとってくると若い連中の行動が目に余ってくる。

  
   

(7) 
忠孝(ちうこう)雀鴉(すゞめからす)の朝ごとに
 (つぐ)れハ人の身にも恥かし

近隣(ちかとなり)むつまじくせよ(ことわざ)
 遠き親類(おやこ)にむべまさるらん

ちかきより遠きに(ゆく)も一歩より
 
山となるのも(ちり)よりとしれ
 
()はありと
長き物にはまかれよと
 短き人にをしへなりけり

利に迷ひ道に背ける愚さハ
 賢き人に笑はれぬべし

利にわしる習ひハ常の人心
  さりながら義を忘るへきかは
 7)
○忠孝は家の宝

○遠くの親類より近くの他人
いざというときには遠く離れた親類よりも近くに住む他人の方が役立つ。疎遠な親類よりも親密な他人の方が頼りになる。

○千里の道も一歩から
 ○塵も積れば山となる

○長い物には巻かれよ

君子は義に喩(さと)り小人は利に喩る
君子は道理に合った正しい道に敏感だが、小人は利にばかりさといものだ。

 ○理に勝って非に落ちる
道理の上では勝ちながら、事実においては負けとなる。

6 
わしる(走る) はしる。
○利を見て義を忘れる
利欲に目がくらんで、道義を忘れる。儲けのためなら手段を選ばずにやる、あこぎな商売のやり方。

 ち
忠孝(ちゅうこう)」と(すゞめ)(からす)でさえ毎朝鳴いている。
それが出来ない人の身が恥ずかしい。
(忠孝は世のすべての根本である。)

近隣の人とも仲良くせよ。
諺の遠き親類より近くの他人ははるかに優って役に立つ。

近い所から遠くに行くのも始めの一歩から。
「塵も積もれば」より分かる。
 り
「理はお前にあり」とか、「長い物には巻かれよ」というのは、
考えの浅い愚かな人に教えるための言葉である。

利に目がくらんで、人の道に背ける凡人の愚かさは、
賢者には笑われるだろう。

利に走る癖は常に人の心にあるが、そうであっても義を
忘れてはけない。(君子は義に(さと)り、小人は利に喩る。)

 (右頁挿絵)
 杖をつき、焙烙頭巾を被った老人が池の端に立っている。
 お供に孫の娘と男の子。「(チュウ(忠)」と鳴きながら雀が飛び、
「カウ(孝)」と鳴く烏が枝に止まっている。
 (左頁挿絵)
 侍が刀の柄に手を伸ばしている。理不尽な言い掛かりをつけている
 のであろうか。(大刀を差し、武張った侍は「奴」かもしれない)。
 頭を下げる町人に後で仲間の二人が「お前に理がある」とか
 「長い物には巻かれろ」と慰めるのであろう。

    
           

(8 
ぬる事もうち忘れてやから衣
 更行(ふけゆく)空に(をと)ぞ聞ふる

盗名(ぬすむな)をいミて(かは)ける時だにも
 泉をよそに見しぞかしこき

ぬるまをもおしむ心になるならバ
 何れの道もとげざらめやハ

留守もりハ(たか)(いや)しきをしなへて
 心に弓をはるべかりける

(るい)をもて集る竹の中々に
 七の賢き名をぞ伝ふる

るてんして夏来にけらし白妙(しろたえ)
 衣も花の名残とやミん
 (8)
盗泉(とうせん)中国山東省泗水県にある泉。孔子はその名が悪いのでその水を飲まなかったという。
○渇すれども盗泉の水を飲まず
(孔子がどんなに喉が乾いても、盗泉という悪名の泉の水は飲まなかったという故事から) どのような困苦に出合っても、いかがわしいものの助けは借りない意。

○類を以て集まる
善悪にかかわらず、似かよった者同士が自然に集まる。京都いろはがるたの一つ。

○竹林七賢
中国晋代、世俗をさけて竹林で音楽と酒とを楽しみ、清談にふけった七人の隠者。


○春すきて夏きにけらし白妙の
     衣ほすてふ天の 香具山  
  新古今集 巻三:夏 175 持統天皇


 ぬ
()ることも忘れてしまったのであろうか。
夜が更けても砧で衣を打つ音がいつまでも聞こえていることだ。

盗名(ぬすむな)を嫌って、のどが渇いた時もその泉の水を決して
飲まなかったという話は大変に思慮深い話だ。
(どのような困苦に出合っても、いかがわしい者の助けは借りない
ことが大切だ。)

()る間も惜しむ気持ちになるならば、どの道でも
こころざしを遂げることが出来よう。
 る
留守もりは貴きも賤しきもすべて心に弓を張り、気持ちを
緊張させ決して油断してはならない。

類を以って集まるというが、故事に竹林に集まった七人の
賢人の名が伝えられている。

流転して季節が変り、いつの間にか夏が来たようだ。
白妙の衣も花の名残のように見えることだ。

(右頁挿絵)
 寝る間を惜しんで砧を打っている父と子(前髪立ち。
小僧かもしれない)。妻女は脇息に凭れて居眠りしている。
天井からぶら下がっているのは手元を照らす灯り。夜なべ仕事を
している。
(左頁挿絵)
 息子(前髪が立っている)を連れて旅立つ男が股立(ももだち)を
とっている。長旅に出るのであろう。「留守を頼む」と見送る妻
と二人の子供に言っている。竈の下には薪があり、米俵も積んで
ある。妻子が食うのには困らない様子。


    

(9)
(をしへ)とハ(いづ)れの道ぞ聞まほし
 名づけられたる
草に(とは)ばや

をのれより善悪ともに出ぬれハ
 戻るもおなじことハりとしれ

遅く寝て早ふ起るを薬とハ
 聞どもならぬものにぞありける

我もよく(ひと)もよかれとおもふ身の
 せまじきものハ勝負(かちまけ
)の事。

和歌の浦に遊びながらも身をおさめ
 家とゝのへよ敷島の人

忘れじな世に(すむ)人は天地(あめつち)
 (かぎり)しられぬふかきめぐミを

 (9)
 教え草 教える材料。教材。
○狩り暮す 鳥立(とだち)の鷹の 教え草
     あすもや同じ 跡をたづねむ 
          新千載集 冬
「ほつまつたゑ」は、ヲシテ(神代文字)によって五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)で構成された古文書であるが、その中でヒルコが行った穢虫(
ホオムシ・ハホムシ・ハフムシ・ホムシ )を祓う方法。下照姫の教え草。

○己より出ずるものは己に還る。
自分のしたことはよかれあしかれ自分に返ってくる。
 を
教えとは何れの道かと聞きたいものだ。
名付けられた「教え草」に問うてみよう。

(おのれ)のしたことは、よかれあしかれ自分から出たもの
なので、自分に返ってくるものだ。
「道を外れたならば道を戻る」も同じ理と知られる。

遅寝早起きすることは、薬と思って聞くけれどそれは出来ない
ことだ。

 わ
「我もよくて、人もよかれ」と思う人は、手を出しては
ならないことは勝負事。


和歌浦に遊びながらも、常に身を修め、家を整えよ。
敷島(大和の国)の人よ。

忘れてはならない。
この世に住む人は、天と地のこの上ない深い恵みのことを。
 
 (右頁挿絵)
 書見台に本を置き、読書中の公家(立烏帽子)に童子がお茶を
 運んでいる。「道」を教える学者らしい。
 (左頁挿絵)
 夜を徹した(燭台には蝋燭が煌々)博打で熱くなった(片肌脱いで
 いる)男二人が取っ組み合いの喧嘩を始めた様子。
 奥に坐る横縞の男が胴元らしい。

    


        

(10)
(かミ)の事かりにもいはぬ(いましめ)
 守て(しも)(わざ)にそむくな

垣はたゞよひ中にするならひぞや
 馴ても(うと)くならぬ(へだて)

かくれなくよき名取だにいとふべき
 あしきハことに恥さらめやは
 
()をたせハ短き秋の日も長し
 朝夕(あさゆうべ)の星のひかりに

欲は身を損ふものと心得て
  すくなふするをたしなミとせよ

世を渡る(わざ)にも(かぢ)を取得ずハ
 4覚束(おぼつか)(なミ)海路(うミぢ)なるらむ

 (10)
○親しき中にも礼儀あり  
 ○よい仲には垣 どんなに親しい間柄であっても節度を保つことは大切である。

○星を戴く 朝早く星の見える頃から出て働く。

○欲に目が眩(くら)む 
 ○欲の皮が張る
 ○欲の熊鷹(くまたか)股(また)を裂く
 熊鷹が両足に一頭ずつの猪をつかみ、
 猪が左右に逃げようとするのをはなさず、ついに股が裂けて死んだという。欲が深ければ禍を受けることのたとえ。


覚束無み はっきりしないで気がかりなこと。「なみ」を「波」にかけていう。


最上段へ
 
 か
(かみ)の事は仮にも言わないという誡めを守って、
下々の仕事を怠ってはならない。

垣はただ親しい仲にする習いである。
馴れて疎ましくならない隔てのために。
(親しき中にも礼儀あり。)

隠れなく知れ渡っている高名な名取りであるからこそ、
悪いことに手を染めて世間に恥をさらすことをしてはならない。
 よ
「秋は日が短い」と嘆くべきではない。
夜の時間も足せば短い秋の日も長くなる。
(朝夕の星を戴いて仕事をすればいいのだから。)

欲は身を損なうものと心得て、我欲を少なくすることを
嗜みとなさい。

世を渡る業も、巧く舵が取れなかったならば、覚束ないま
まの波路となろう

 (右頁挿絵)
 襖の左には身分ある女性。その女性が産んだ子の乳母と女中が
 噂話をしている。
(左頁挿絵)
 月(星も出ていよう)の光の下で、砧で藁打ち、縄を綯っている
 百姓の姿。即ち夜なべ仕事を灯火ではなく、星の光でやっている。
 お茶を運んでいる倅。
 瓦葺の屋根であるから、農家にしてはかなり裕福。
 不断の努力の成果だと教えている。

    
   

(11)
誰もみな知がほにしてしらぬかな
 (いのち)にかゝる養生のミち

たゞ()らず動くハ人の薬ぞや
 
(くろゝ)はむしの(くハ)ぬたとへに

尋ねずハ教る人もなからまし
 
(とふ)は一度の恥とこそきけ
 
例の無理(おひ)のひがミとおもひなバ
 忍ぶにたえぬ事ハあらじな

例といへバ世々に(たが)ハず行はる
 今日のあふひの祭のミかは

礼をいふ事としあらバ忘れずも
 その折々にこゝろがけなん
 (11)
○無常の風は時を選ばず
 ○老少不定(ろうしょうふじょう) 
人の死期は定まりないもので、老少とは無関係であること。

2 くろろ(枢) 戸を開閉するために装置した、くるる。
○柱に虫入るも鋤(すき)の柄には虫入らず
何もせずにじっとしている怠け者は心身を蝕まれやすいが、労働に精を出す者は心身共に健全であるというたとえ。

○聞くは一時(いつとき)の恥、聞かぬは末代
 の恥
 老いの僻耳(ひがみみ)年をとって聴力が衰え、聞き誤りやすいこと。
老いの僻目(ひがめ)
(1)年をとって視力が衰え、物を見誤りやすいこと。
(2)老人がひがみっぽい目で物を見ること。
 た
誰も皆知っているような顔して本当のことは知らないのだ。
命に掛かる養生の道は。

ただ何もしないで居るのではなく、動くことが人の薬という
ものだ。(くるる)は虫が付かない譬えに。

尋ねなかったならば教える人もないであろう。
問うは一ときの恥(問わぬは末代の恥)とこそ聞きなさい。
 れ
例の無理、老いのひがみと思うなら我慢に堪えられない事は
ないものだ。

例と言えば、世々昔と違わず続けられるは今日の葵祭だけ
だろうか。いや、他にもっとあるだろう。

礼を言うことは、その都度に忘れずに心掛けなさい。

 (右頁挿絵)
 寝込んでいた(奥の部屋には畳んだ寝具がある)遊女(三味線を
 脇に置いている)を往診に来た医者(総髪である)。
 養生の仕方を話しているらしい。滋養のある鍋料理を勧めているらしい。
 快気祝いに医者に酒が振舞われているようだ。
 (左頁挿絵)
 長煙管(キセル)を叩きながら、祖父(左側は嫁。
 その手には老人が被る大黒頭巾がある。繕っているのか)が孫を
 叱っている。孫は手をついて詫びている。それを見守る母親。
 子供への躾の良さが窺がわれる。奥の部屋には碁盤と碁笥。
 老人の趣味らしい。

  

(12) 
麁相にて巧にあらぬ誤あやまりハ
 料簡してぞ見るべかりける

其むかし人の恵にあづからバ
  身終るまでもわするべきかハ

それもこれも心得顔に見ゆれとも
  知ぬ事こそ世にハ多けれ
 
月花もめでゝ家をもおさめつゝ
 雪や蛍の学びをもせよ

常となるやうにつねつね勤なバ
 つとめる(わざ)も苦にハならまし

つらかりし嫁の昔はわすれつゝ
姑となりて顔のこはさよ
 (12)
○犬は三日飼えば三年恩を忘れず(まして人間は受けた恩を忘れるような恩知らずであってはならない。)

蛍雪 [蒙求「孫康映雪、車胤聚蛍」](晋の車胤は貧乏で灯油が買えず、袋に蛍を集めてその光で書を読み、孫康もやはり貧しかったため、雪明りで書を読んだという故事による) 辛苦して学問すること。
精励恪勤(せいれいかつきん)仕事に精出して真面目に勤めること。
○慣(ならい)、性(せい)と成る
[書経太甲上] 習慣はついには第二の性質となる。

○姑の十七、見た者ない 
 ○姑は嫁の自分の意趣がえし(古川柳) 
  意趣返し 恨みをかえすこと。復讐。


 そ
そそっかしくて、わざとでない誤りは、許してあげるべきだ。

その昔、一度でも人に恩恵を戴いたなら、そのことは死ぬ
まで忘れてはいけない。

それもこれも、いかにも分かった様な顔付きに見えるけれど、
世の中は知らないことのほうが多いものだ。

 つ
月花も愛でながら、家をも治めつゝ、蛍雪の学びも心掛けなさい。

常となるように、常々勤めれば、勤める仕事も苦にはならないだろう。

辛かった嫁の頃のことは忘れて、姑になってその顔の恐いこと。

 (右頁挿絵)
 俎板の上には蛸。家中総出でそれを見守っていると、料理をする
 男(この家の主人)が誤って皿を落としてしまった(右手で頭を掻い
 ている)。わざとやった訳ではないのだから大目にみよう。
 (左頁挿絵)
 角隠しをつけた娘とその母(祖母かもしれない)。角隠しは真宗の
 女門徒がお寺参りの時に頭に被った飾り「絵本詞の花」12頁参照)。
 寺参りの道中、「自然を愛で、家を治め、勉強も忘れるな」と教えている。


              

                        
(13) 
寝る事も程に(すご)さぬ(いましめ)
 たしなむ中の其一つぞや

()(ふし)(とら)に起るをつねとせバ
 (まづし)き神も恐るへきかな

()を付て商変(しやうへん)するぞ見苦しき
 (はじめ
)に心あるへきものを
 
(なに)となくゑミをふくみて物いはぬ
 色こそよけれ山吹の花

なに事も始にふかく思ひなバ
 誰しも後の(くひ)ハあらじな

何事をなすともなしにをこたりの
 身にしミ(そむ)る秋のはつ風
 (13)
子 今の午後十二時頃及びその前後約二時間(午後十一時から午前一時ごろ)。
寅 今の午前四時頃、及びその前後約二時間(午前三時から午前五時ごろ)。
 ○早寝早起き病知らず 
○言わぬが花 口に出して言わない方が差し障りもなくて良い。また、そういう奥床(おくゆか)しさが粋(いき)である。この事と次の歌、俄雨に遭った大田道灌が蓑を求めて立ち寄った家の娘が、黙って山吹の花を差し出した故事に因む。
七重八重花は咲けとも山吹のみのひとつたになきそあやしき 
  (後拾遺集 巻十九:雑五1154兼明親王)

○後悔先に立たず 
 ○始めが大事

○なにもせずにいることは悪を為していることなり
 ね
寝ることも程を過ごさぬという誡めも、嗜みの中の一つだ。

子の刻に寝て、寅の刻に起きるを常とすれば、貧乏神も
恐れるでしょう。

値を付けて儲けだけの商いは大変見苦しい。
はじめに心あるべき。

 な
なんとなく微笑んで、物言わない気配が、山吹の花のようで
奥ゆかしくて(いき)である。

何事も始めに深く考えるならば、誰しも後悔はしないものだ。

何もしないで無駄に過ごしていると怠惰の身には秋の初風が
一層染みることだ。
 (右頁挿絵)
 朝飯の支度はすっかり整った様子。飯櫃から椀(茶碗ではない)に飯を
 よそおっている。そんな時刻まで眠りを貪っていた男。
 これでは貧乏神に憑り付かれるぞ。
(左頁挿絵)
 山吹の花を生けている。山吹は何となく笑みを含み、物言わぬ風情が
 いいものだ。



      

(14) 
楽に(いる)身を老の(のち)苦しむハ
 若ひむかしの(むく)ひとぞしれ

楽は苦の(はじめ)といへバ苦も楽の
 (はじめ)とおもひ後を(たの)しめ

臈次(らし)もなひ人とししらハ我もまた
 身を顧てそれに習ふな
  
むかしをも今ハしたハじ かくばかり
 (おさま)御代(ミよ)(むま
)れあふ()

虫ぼしになき世の人ぞしのばるゝ
 手にあかづきし(ふミ)を見るにも

むかし(たれ)星の(ちぎり)空言(そらごと)
 いひ流しけん天の川なミ
 (14)
○楽は苦の種(たね)苦は楽の種 

○臈次(らっし)も無い 
秩序がない。転じて「埒(らち)もない」を強めていう。だらしがない。


星の契り(ほしのちぎり)
 牽牛・織女の二星の契り。


そらごと(空言・虚言)真実でないことば。うそ。
 ら
「楽に過ごすと年老いてから苦しむ」とは、昔若い頃の
楽に暮らした報いと知れる。

楽は苦の始まりといえば、苦も楽の始めと思って後を楽しもう。

臈次(らっし)も無い、つまらない人と分かれば、自分自身も
また反省して、それを習ってはいけない。
(人のふり見て我がふり直せ)
 む
昔のことをもそれ程今は懐かしく思われない。
こんなにも平穏に治まる御代に生まれ合う身は。

虫干しに亡くなった人のことが偲ばれる。
手垢のついた書を見るにつけても。

昔、誰が天の川で牽牛・織女の二星が契るという空言を
言いふらしたのだろうか。
 右頁挿絵)
 縁台を出して商売している蝋燭(ろうそく)屋。その店先を通る
 薪行商の年寄り。若い頃の報いと言いたいらしい。
 看板の蝋燭の絵の横の字は「きがけ ろうそく」生掛はこよりに灯心
 をまきつけて芯とし、その上に油でねった蝋(ろう)を数回塗って乾かした
 ろうそくの意。和蝋燭。
 (左頁挿絵)
 ご開帳の賑わい。裃姿の男が「弁慶の鎧」「(鎮西八郎源)為朝の弓」
 「景□の(兜?)」の口上を述べている。
 竹柵の下には御賽銭が置かれている。

  

(15) 
(うと)からず(したし)しからぬもよかるべし
 
遠きハ花の香ともいふなり

うき世とハあだにもいはじ皆人の
 (あく)まてに(くひ)(あたゝか)に着て

(うへ)て見ん(ふミ)を好める名ぞゆかし
 
軒端(のきば)の梅のたね(めぐミ)てよ
 
井の(かわづ)をのが住家と思ふにぞ
 (ほか)にもとむるこゝろあらじな

()ながらに昔のあとをしのべとて
 月に
明石や須磨の巻々

()させじと鳶に引れしはり縄も
 (いはれ)を聞バたうとか
りけり
(15)
○遠きは花の香近きは糞の香 

 憂き世 古くは「憂き世」でつらい無常のこの世を意味する。後に「浮世」と意識されて(どうせはかない世)だから愉しく愉快に生きるべき世の中の意味で用いられている。

 軒端の梅 当時の人口に膾炙した能・謡曲の『東北』に由来。主人公・和泉式部にあやかり、歌が上手くなりたいというのであろう。

○井の中の蛙(かわず)大海を知らず
 井蛙(せいあ)見識が狭い者の喩え。


○歌人は居ながらにして名所を知る 
歌人は旅行しなくても、古歌の研究や歌枕によって天下の名所を知る。源氏物語の明石・須磨の巻
○見る程ぞしばし慰むめぐりあはむ
月の都ははるかなれども(源氏・須磨)

○秋の夜の月毛の駒よ わが恋ふる
雲居を駆けれ時の間も見む(源氏・明石)

徒然草十段に書かれている西行法師の話
    絵双紙屋HP)
 う
疎くもなく親しくもないという関係がよいものだ。
遠きは花の香のように芳しいというから。
(付合いは近からず遠からずという関係が好ましい。)
 
憂き世とは仮初(かりそめ)めにも言うまい。
皆飽きるまで食べて暖かな衣類を着て。

植えて見たいものよ。文を好める名に心ひかれる。
「軒端の梅」の種を恵み下さい。
 
井の中の蛙はそこを自分の住家と思うにも、せめて外に求める
心が
あったらなあ。もっと広い世界があるのに。

居ながらにして昔の跡を偲ぶには、月の名所を詠う源氏物語の
明石須磨の巻々を読むことだ。


(鳶が屋根に)居させないように張った縄も、理由を聞けば敬い重んずべきでことである。

 (右頁挿絵)
 来客をもてなしている女房。亭主が出先から帰ってきた。
 付き合いは適当な距離を置いていた方がいいものだ。
 疑われないように。
(左頁挿絵)
 水を汲みながら井戸を覗くと蛙がいる。
この蛙は、一生ここを住処とし、外のことを知ろうとしないだろう。
                                      最上段へ

    

(16) 
(のち)の世の闇をもしらず鵜飼舟
 照して遊ぶ篝火(かゞりび)のかげ

野に山に伏せし昔を今ハはや
 ()に見て遊ぶ御代(ミよ)ぞかしこき

のちの世もありと(をしゆ)(いましめ)
 (ぜん)にみちびく綱手(つなて)とぞきく


おそろしき思ひを胸に(つゝミ)なバ
 心の内ぞ苦しかるべき

老の身ハ見もせぬ恋に迷ふらん
 たゞ明暮(あけくれ)にのちの世の事

老の字に子のしたがふハ見てぞよき
 今日(けふ)(まなびの窓のあけそめ
 (16)
後の世 死後の世界。後世。未来。将来
○一寸先は闇 
「鵜舟に灯す篝火の後の闇路を如何にせん」(能鵜飼)を踏まえている。 鵜飼 喜多流大島能楽堂

○野に伏し山に伏す 
道中で艱難(かんなん)辛苦するたとえ。


老いらくの恋 不似合いであることのたとえ。

○老いては子に従え
年老いては何事も子にまかせてこれに従えとの意。
「大智度論九九「女人之体、幼則従父母 少則従夫、老則従子」
 の
後の世の闇も知らずに、篝火(かゞりび)を灯して
鵜飼い舟で遊ぶ。(一寸先は闇なのだ。)

野山に伏して生きた苦難の昔を偲び、今は日本書紀の本を
開いて遊ぶこの平穏の御代こそ有難い。

後の世(死後の世界)もあると教える誡めも、人を善に
導くための引き綱と聞いた。

 お
恐ろしい思いを胸に包み込むならば、心の内はさぞ苦しい
ことだろう。

老いの身はなぜ経験したこともない恋に迷うのだろうか。
後の世のことを考えて日々の明暮れを過ごすことだ。

老いの字の次ぎに子に従う(老則従子)と書いてあるが
見てもよい言葉だ。今日は学びの窓の開け始め。
 (右頁挿絵)
 鵜飼舟の図。こういう殺生をしていると、後の世は闇夜に迷うこと
 になるぞ。
 (左頁挿絵)
 恐ろしい思いを胸に秘めて、今から他人の家に押し入ろうとしている
 人相の悪い二人組み。床下から這い入り、畳を押し上げる作戦。
 刃物をもっているからかなり凶悪。


     
   

(17) 
草も木も花咲(はなさき)みのり薬とも
  成てふあだな人ぞ恥べき

苦になすを心狭(こゝろせバ)しと人やいふ
 広き芭蕉ハ破れやすきに

車のミ手にしたがひて(まハ)れとも
 思ひハ糸にのべられもせず
 
山といひ海にたとへし父母(ちゝはゝ)
  深き恵ハ(くめ)どしられぬ

家作(やつく)りハ雨風(あめかぜ)ふせぐのミにして
 3茅茨(ばうし)きらずの(おしへ)忘れそ

八重ひとへ恵嬉(めぐミうれ)しく取りそへて
 今日(けふ)九日の菊のさかづき

(17)
○花も実も有る 外観も美しく、内容も充実していること。「花」を情に、「実」を理に見立てて、情理ともにかね備えているたとえにも使う。

○父母の恩は山より高く海より深し
「童子教」に「父恩者高山 須弥山尚下 母徳者深海 滄溟海還浅」(父の恩は山より高し 須弥山尚(なを)
 下(ひく)し 母の徳は海よりも深く 滄溟(そうめい)の海還(かへ)つて 浅し)とある。
 

○茅茨(ぼう‐し)(き)らず采椽(さいてん)削らず。屋根を葺いた茅の端を切り揃えず、山から伐り出したままの椽(たるき)は削ることをしない。帝尭が自らの宮殿を質素に作り、倹約の範を示した故事より、賢王の善政をいう語。また、質素な生活のたとえ。

八重一重 九重
重陽(ちょう‐よう)(陽の数である九が重なる意) 五節句の一。陰暦九月九日で、わが国では奈良時代より宮中で観菊の宴が催された。菊の節句。九月の節句。重九

菊の盃 陰暦九月九日、菊の宴で、盃に菊の花を浮べて長寿を祝うこと。

 く
草や木でさえ花が咲き、実が実り、薬ともなるのだ。
あだ(空)な人間は恥ずかしいことだ。

(ささいなことにも)苦になる人を心狭いと人はいう。
芭蕉の葉は大きく広いが破れ易い。
小さなことを気にしなかったならば、心が広いように
見えても破綻がくるものだ。
心狭いといわれても気にしないことだ。

(糸)車は手に随って回るけれど、心の思いは糸を延べる
ようには語れない。
 
山とも海とも譬えられる父母の深い恵みは、汲めども尽きる
ことがない。

家造りは雨風を防ぐことが肝心で、茅茨(ぼうし)
きらずの教え(実用を重んじ体裁を省略して倹約する教え)
を忘れてはならない。

八重、一重の菊の花を取揃え、今日(九月)九日は重陽の
菊の盃を頂けるのはうれしいことである。
 (右頁挿絵)
 筵の上に干した穀類を手入れする母親。庭では子供達が長い竹棹で
 柿をもいでいる。もいだ柿は母の足元に持ってきている。
 渋柿なら干し柿にするのだろう。
 (左頁挿絵)
 二人目の子供をあやしている夫婦。それを物陰から見ている一番目の子供。
 誰でも親の深い愛を注がれて育つものだよ。

  

(18) 
(まこと)なき人とししらバかねてより
 心してこそ遠ざかるべき

2枕して昼の所作をも思ふべし
 身の(あやまり)ハありやなしやと

3学びなん蛍も雪もからずして
 油もたれり(ともしび)(もと)

 
4今朝(けさ)ハまたあさがほの花咲にけり
  (いかり)うつさぬ教とも見ん

けんけんと野鶏(きじ)ハ鳴ども人はたゞ
 (やは)らかにこそあるべかりける

5毛を吹て(きず)(もと)めしと思ふにぞ
 
すりこ木をもて洗ふ重箱
 (18)
誠なき人 傾城のこと。
○傾城に誠なし 遊女には実意がなく頼りにならない意。
○三省(さんせい) 毎日三たび反省すること。
○灯火親しむべし
[韓愈、符読書城南詩「灯火稍可親」] 秋になると涼しくなり夜も長くなって気分がすがすがしく、灯火の下で読書するのに適している。
*菜の花の栽培とその種子から菜種油を採ることは、近世初期から始まり、江戸時代に急速に広まった。江差(北海道)の鰊の絞粕を北前船で大坂に運び、鰊粕を肥料とし、菜種の収穫量が上がり、従来貴重品だった灯油(菜種油)を庶民でも使えるようになった。

4 怒り移さぬ教え 秀吉と千利休との朝顔にまつわる逸話。

○毛を吹いて疵(きず)を求む
 [[漢書中山靖王勝伝] 毛を吹き分けまでして、小さな疵を探し出す意で、人の欠点を強いて指摘して追及する。あらさがしをする。
 吹毛(すいもう)。人の弱点を指摘して、かえって自分の欠点をさらけ出すことのたとえにも使う。

○すりこ木で腹を切る 不可能なことのたとえ。
 ○すりこ木で芋を盛る 
 ま
(相手が)「誠がない人と分かったならばその人から
遠ざかるべきこと」と予め心しておくことこそ
大切なことだ。

枕して眠る前に昼の行動を反省すべきだ。
自分に間違いがあったかなかったか。

学ぼうではないか。蛍雪の明かりを借りないで、油は
足りているのなら。灯火の下で本を読もう。
 け
今朝もまた朝顔の花が咲いた。美しい花に人の怒りは
移さないという教えとも見える。

ケンケンとキジは鳴くけれど、人は喧喧(けんけん)でなく、
ただ穏和であることが大切だ。

毛を吹いて疵を求めようとする
(人のあらさがしをしようとする)のは、すりこ木で
重箱を洗うようなものだ。(やろうとしても無駄なことだ。

 (右頁挿絵)
 遊女屋に引きずり込まれそうな客。
「傾城に誠なし」というから、遠ざかっておくのがいい。
 (左頁挿絵)
 庭の朝顔が今朝も美しく咲いた。

   
        

(19) 
書学(ふミまなぶ名を伝へけり夕立に
 1流るゝ麦もしらぬ唐人(からひと)

不礼(ぶれい)ぞと心に思ひしるならバ
 (はゞ)からずして改めぬべし

古き筆の(なる)とし聞バきりぎりす
 猶かきくどけ長き夜すがら
 
子に迷ふ(やミ)をもしらず鹿の声
 つま()ふとのミおもひけるかな

心だに誠の道を忘れずハ
 迷ハで人のゆくゑよからん

こしかたの(おこたり)(くひ)ハゆくすゑの
 
分陰(ふんいん)なりとおしむべきかな

(19)
1
 流麦 むぎをながす〈故事〉
読書に夢中になること。後漢の高鳳(こうほう)が、庭にさらしてあった麦が強い雨にながされるのも知らずに読書していた故事から。〔後漢書〕


○過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿れ[論語学而] 過ちを犯した時は、躊躇(ちゆうちよ)することなく速やかに改めよ。
 ○君子は豹変す
 君子は過ちと知ればすぐにそれを改め、きっぱりと正しい道に戻るものだ。

○古き筆きりきりすとやなりぬらむ壁の中にぞふみはをさめし 続草庵集 第五:連歌 頓阿

○子ゆえの闇  親は子に対する愛情のために理性を失いがちであることにいう。
 ○つま恋ふる 鹿ぞ鳴くなる 女郎花
      おのがすむ野の 花と知らずや
         凡河内躬恒 古今集
○正直は一生の宝 正直は人から信頼され、その信頼によって幸福を手にすることが出来る。

○一寸の光陰軽んずべからず 
 ○光陰矢のごとし 
 ○光陰に関守なし

分陰(ふんいん)きわめて短い時間。「陰」は時間
 

 ふ
(ふみ)を学ぶ賢人の名が伝えられている。
庭に晒してあった麦が折からの雨で流されているのも
知らず、読書に夢中になっていた人の話である。
(流麦。)

無礼(礼儀をわきまえないこと)であると気が付いたら時・
場所・相手を選ばずこれを改めるべきだ。

古い筆で書かれたと歌と聞けば、なおさら口説けよ
キリギリス。夜通し唱えよ、つづれさせ(衣を綴り刺せ)。
 こ
「子ゆえの闇」というから、鹿も理性を忘れて鳴いている
かもしれないのに、鹿といえば妻を恋うて鳴いていると思う
ものだ。(ともすれば人は思い込みで物事を判断仕勝ちだ。)

心の中にだけでも誠の道を忘れずにいれば、その人の将来は
道に迷うことなく、幸せになるだろう。

来し方(過去)の怠惰や後悔は、自分の行く末の時間が
極めて短いを知れば実に惜しいことだ。

 (右頁挿絵)
 読書に夢中になって、庭に干した麦がやってきた夕立に流されている。
 中国の故事。

 (左頁挿絵)
 鼓の伴奏を得て、灯台の下で謡の稽古に励んでいる。
 それを聴いている妻女。その時奥山で鹿が鳴く。


    
      


(20)
えにしありて人の妻ともなりし身ハ
 内をおさむる道な忘れそ

(えん)なれバこそと思ひてうば玉の夜
  ならて()ぬ神のまにまに

えにしあらバ
鬼一口もいとはしな
 
安達か原にやどりなすとも

手してのミ(ひさご)も捨し人もあるに
 なくて事たる物は持じな

手に取し物も落すハ世の習ひ
 心に(あて)し事なたのミそ

5手に結ぶみたらし川の氷るにも
 はこぶあゆミの程ぞしらるゝ

 (20)
○運否天賦(うんぷてんふ)
 運を天にまかせること。


 鬼一口 (伊勢物語の「鬼はや女をば一口にくひてけり」から出た語)鬼に一口に食われるような危険なこと。

3 安達ヶ原
(1)福島県安達郡の安達太良(あだたら)山東麓の原野。鬼がこもったと伝えた。(歌枕)
「陸奥の安達の原の黒づかに鬼こもれりと聞くはまことか」拾遺雑
(2)能の一。安達ヶ原黒塚の鬼女の家に宿泊した山伏が、禁じられた寝室を覗いて殺されようとしたが、遂に祈り伏せる。黒塚。


○貧にして楽しむ
 ○巣林一枝(そうりんいっし)
鳥は林の中に巣をつくっても一本の枝に巣をつくるだけである。小さい家に満足することのたとえ。〔荘子〕


5 結ぶ 手のひらを組んで水をすくい飲む。『はこぶ歩みの数よりも。積る櫻の雪乃庭。』能「采女」世阿弥の謡

 え
縁あって人の妻となったその身は、家を治める道を決して
忘れてはならない。

縁なればこそと思って、真っ暗な夜と思わずに、来られた
神様の思し召しのままにお任せしよう。

縁あれば鬼一口に食われようと厭いはしない。
たとえ安達ヶ原に宿をとるとも。
 て
(昔許由という人が)水を飲むのも手ですくって飲んでいたが、ある人がこれを見て、瓢箪(ひょうたん)というものをくれたので、これを木の枝にかけていたが、風に吹れて鳴るのを、やかましいといって捨てて、又手ですくって水を飲んでいた。持たずに済む物は持たないことが肝心だ
 
(徒然草十八段 )絵双紙屋HP

手に取った物も、落とすことは世の常であるから、まして
他人の心を当てにするようなことはすまいぞ。

(正月に)手の掌で若水を掬ったあの御手洗川の水が凍っても、
待ちわびる春が一歩一歩やって来ているのが分かることよ。
 (右頁挿絵)
 縁あって嫁いだ先の「内」のことを任された嫁。
 「内」を治めるために思案している。

 (左頁挿絵)
 水を掬って飲むための「なりひさご」を枝にかけていたが、
 風に鳴るので「うるさい」とばかりに投げ捨てた許由。
 その後は水を手で掬って飲んだという中国の故事。

         最上段へ

                     


       
(21)
秋の夜をあだに明さずつゞりさし
 機織(はたをる)むしの名にも恥なん

朝な朝な神に願の度毎(たびごと)
 身にある癖を祈るべきかな

哀れなり旅のやどりの声々は
 心しらるゝゆふ(ぐれ)の空
 
さのミやハ夜のふすまもかさねじな
 野に(ふす)人を見るにつけても

酒はたゞ乱るゝをこそ(いましめ)
 一さし舞ハさかづきのうへ

さやけさハ秋にゆづりて春の夜の
 (おぼろ)ハ月の心ならまし

 (21)
 つづり‐させ (衣を綴り刺せの意に寄せて、冬の用意に衣服を作れとの意)
つづれさせ‐こおろぎ(綴れ刺せ蟋蟀)
コオロギ科の一種。鳴き声が、「針刺せ、糸刺せ、綴れ刺せ」と聞えるというところからこの名がある。


 機織る虫 キリギリスの異称。

○雨はれぬ旅のやかたに日数へて
    都こひしき夕暮れの空 
   (玉葉集 巻八:旅 1205 慈円)

○酒は三献に限る 酒は適量を飲むのがよく、酔いつぶれるほど飲むなということ。昔人をもてなす時、酒を三杯勧めることを一献(いっこん)と良い、それを三回繰り 返すこと。酒は三献程度が程よいの意から
 あ
秋の夜長をむだに過ごさず、つづれさしの歌に詠まれた
機織り虫(キリギリス)の名に恥じないように過ごそう。

朝ごとに神様にお願いするに、身にある悪い癖を祈っても
良いだろうか。

あわれなるかな。旅の宿りの声々はしみじみとした趣が7
知られることだ。特に夕暮れの空は。

さように(そんなに)夜具を重ねなさんな。
寒い夜空の下で野宿をする人を見てごらん。贅沢だよ。

酒は、乱れるほどに飲んではいけない。一回舞うのも
盃の上だけ。

爽やかさは秋に譲って、春の夜の朧は月の心になるらしい。
同じ月を愛でるにも、秋には秋の、春には春の趣がある
ことだ。)

 (右頁挿絵)
  秋の夜、着物を縫って冬支度をしている。

 (左頁挿絵)
  野に伏す人(=乞食)に施しをしている老婆。
 (貧しい人のことを思い)日頃から贅沢は慎むべきだ。

    
        

(22) 
聞たびに(をしへ)の道のたうときハ
 
(のり)(となふ)る鳥はものかは
君が代は濱の真砂(まさご)にとりそへて
 世に生ふ松の葉数(はかず)ともかな
気の違ふ人を笑ふぞ心なき
 乱れ(そめ)にしわけもしらずに
譲合(ゆづりあひ)て とるべき物もとらぬ人
 (とる)まじきをも(とら)んとすらん
雪ふりて時しもわかぬ竹の子も
  親に孝ある名にや(
)ふらん
夢ハもと思ふ事ゆへ見るといへど
 思はぬ事を見るもゆめなり
 (22)
「極楽浄土のめでたさは、一つも空(あだ)なることぞなき、吹く風 立つ波 鳥も皆、妙(たえ)なる法(のり)をぞ唱(とな)ふなる」梁塵秘抄

*法を唱ふる鳥 ぶっぽうそう(仏法僧)のこと。この鳥の鳴き声が森の中で夜間「ブッ・ポウ・ソウ」と聞こえ、仏・法・僧の三宝を象徴するとされた鳥で、その名を仏法僧と呼ばれたが、昭和になってコノハズクの鳴き声が「ブッ・ポウ・ソウ」で、仏法僧の鳴き声と混同されたことが確認された。以後仏法僧を「姿の仏法僧」といい、コノハズクは「声の仏法僧」と呼ぶ。

○君が代は限りもあらじ長浜の
  真砂(まさご)の数はよみつくすとも
            古今神遊歌


陸奥の忍ぶもぢずり誰ゆゑに
  みだれそめにし我ならなくに 
           (伊勢物語)


孟宗竹 孟宗 三国時代、呉の人。二十四孝のひとり。冬、母が竹の子をほしがったので、竹やぶの中で祈ると、たちまち
竹の子が生えたという。
 き
聞くたびに教えの道はまことに尊いものだ。
仏の道を唱えるという仏法僧(コノハズク)の鳴き声も
仏教の三宝を示してまことに尊いことだ。

君が代は、浜の真砂とこの世に生える松の葉数を足しても
限りなく、千代に八千代に栄えあれ。

気の違ってしまった人を笑うのは思いやりがないことだ。
心が不調になった理由も知らずに。
 ゆ
譲り合って取るべき物も取らない人は取ってはならない物を
取ろうとするだろう。

(故事に)雪降ったその時に、竹の子を探したというが、
親孝行の名のある孟宗竹にその名が由来するとか。

夢は元々思っている事を見ると言うけれど、思わぬ事も
見るのも夢である。
 (右頁挿絵)
 小姓が飼鳥を入れた鳥籠を主人の前に運んで来た。

 (左頁挿絵)
 物を取るのを譲り合っている二人。

   


(23) 
珍らしき 物ならずして嬉しきハ
 人の言葉の花にそありける

面目(めんぼく)もたびかさなりて失なハヽ
 人が人とハいふまじきかな

目にみなばまことゝすべき事なれど
  見る人にこそよるへかりけれ

水鳥ハ水にすミても世を渡る
  わたりかねたる人は恥べき

みちのくの忍ぶにたへバ何事も
  乱れに及ぶ事ハあらしな

ミのひとつなき身なりても人として
  よからぬ
(わざ)ハ山吹のはな
 (23)
○陸奥のしのふもちすり誰ゆゑに
   乱れむと思ふ我ならなくに
      (河原左大臣 古今集)

○七重八重花は咲けども山吹の
   実の(簑)一つだになきぞあやしき
    (後拾遺集1154 兼明親王)

*山吹 ②(山吹色であるからいう) 金貨。大判や小判。転じて、一般に金銭をいう。
○渇しても盗泉の水を飲まず 
たとえどんな困ろうとも断じて不正はおこなわないというたとえ
(8)注を参照
○鷹は餓えても穂をつまず 
節操のある人は、窮しても不義の財を貪らないことのたとえ。
 め
貰って嬉しいのは)珍しい物でなくて、人の言葉の花
である。

面目も度重なって失えば、世間はその人を名誉な人とは
言わないものだ。

目に見れば真事とすべき事だけれど、真偽の判断は見る
人によるべきかな。


 み
水鳥は水に住んでも世を渡る。
人の世を渡り兼ねる人は恥ずかしい。

陸奥(みちのく)の忍草のように堪え忍ぶならば、何事も
乱れることはないだろう。

(みの)一つなき身になっても、やってはいけない事は、
他人(ひと)様の物に手を出すことである。
 (右頁挿絵)
 雨の中を歩いてきて、足先と高下駄が汚れてしまった。
 軒先でやすんでいると、そこの女将が水を持ってきてくれ、替え下駄まで
 貸してくれた。

 (左頁挿絵)
 男の懐に手を伸ばした乞食の手を男が押さえている。
 物乞いはしてもいいが、他人様の懐には手を出してはならない。

   

(24) 
()するとも名をけがさじと思ふこそ
 人の人たる道とこそ(きけ)
)

敷島(しきしま)の道とし聞ハ田舎にも
 心のたねハのこる言の葉

諸悪莫作衆善奉行と云事の
 ならぬ所をなすよしもかな

ゑくぼにも見えしむかしも有ものと
 三平二満おかしかりけり

笑顔(えミ)(なか)(やいば)をとぐも世にハある
 人にもこゝろをくべかりける

絵にのこる昔の人ぞしのばるゝ
 くまなき名をも今につたへて
 (24)
○名を汚(けが)す
 名誉・名声に反する行いをして、評判をおとす。
 
 諸悪莫作(しょあく‐まくさ)
〔仏〕七仏通戒の偈(げ)の初句。諸悪をなしてはならないということ。衆善 沢山の善事をすべきこと。奉行 仏の行いを実行すること。

3 三平二満(さんぺいじまん)
 (サンペイニマンとも) おたふく。おかめ。

○笑中に刀あり(しょうちゅうにかたなあり)
 ○笑中に刃(やいば)を研ぐ。

 ○名を残す 名を後世にとどめる


 し
死んでも名を汚さないと思うことこそ、人の人たる
道と聞きなさい。

敷島の道( 和歌の道)と聞けば、田舎にも歌心に残る
言の葉が沢山あることよ。

諸悪(しよあく)莫作(まんさく)衆善奉行(しゆぜんぶぎよう)ということ言葉は、
人はしてはいけないことを為すからと言うのかな。
 ゑ
えくぼにも見えた昔もあるものだが、三平二満
(おたふく顔)の可笑しいこと。

笑顔の中に刃を研ぐことも世の中にはある。
表面では笑ったりしているが、心では密かに人を刃で傷つけ
ようと思っていることもあるのだ。人にも用心すべきだ。

絵に残る昔の人のことが偲ばれることだ。
名が隅々まで知れ渡り今に伝えられて。

 (右頁挿絵)
 鎧に身を固め、大刀を腰に、背中には箙(えびら)に収めた矢。
 手前には蹲踞して控える武者がいるので、高位の武将であろう。
 出陣に際し「死するとも名を汚すな」と元服前の息子に言い聞かせ、短刀を
 手渡している。(この絵は「太平記」の「桜井の別れ」の場面。
 湊川の戦いに出陣する楠正成が11歳の嫡子正行に、後醍醐帝から
 下賜された菊水の紋の入った短刀を手渡している。)

 (左頁挿絵)
 鏡に向かっているお多福を隣の部屋から覗いている二人。


(25)
人の身の(つミ)もうつさず月影ハ
 鏡に似てもたうとかりけり

()としらバ改むべきをかざりてハ
 いよいよ人に(そし)られやせん

人として鳥にしかずといはれなバ
 世の(すむ)かひハあらじとぞ思ふ

物忘れするともよしや世中に
 我身(わがミ)忘れし人といはれそ

()にすめる虫の中にも貝ハある
 人と生れしかひなからめや

2(もろ)ともにいざといはれぬ道ありて
 ぬけて(ゆく)こそ(あはれ)なりけれ
(25)
○過ちを文(かざ)る
 [論語子張] 小人は過ちを犯すと必ずよいようにつくろってごまかそうとする

○過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿れ[論語学而]
過ちを犯した時は、躊躇(ちゆうちよ)することなく速やかに改めよ。

○もろともにあはれと思へ山桜
     花よりほかに知る人もなし 
 (金葉集・二度本 巻九:雑上 521行尊) 
 
 
 ひ
人の身の罪も映さず月影は、鏡にも似て清らかで
尊いことだ。

非と分かれば改めるべきを、ごまかそうとしては、ますます
人に譏(そし)られることだ。

人として鳥にも及ばないと言われれば、世に住む甲斐が
ないと思う。
 
物忘れするとも、よもや世の中に我が身を忘れた人と
言われれるな。

藻に棲む生き物の中にも貝はいる。人と生まれたからには、
人としての甲斐がないはずがない。

「諸共にいざ」と言うべき時なのに、そうは言えないわけが
あって、皆と行動を共にできないことは哀れなることだ。
 (右頁挿絵)  
「月は鏡に似ているが、人の身の罪を映すわけではない」と女に説く墨染め姿。

 (左頁挿絵)
酔っ払って草履は脱げ懐の物を落として「わが身を忘れた人」と世の人に
笑われる男。

            最上段へ
  


             

(26) 
節季候(せきぞろ)ハ常に思ひて年も(こえ)
 万歳楽(まんざいらく)の春をむかへよ

(せい)ハ道によりてかしこき世話もあれバ
 (おろか)なりとていかに(すつ)べき

(せき
)すへて(こゝ)ぞ短気のいましめと
 さかだちのほる心とゞめよ

すり(はり)の峠といへる古跡(ふるあと)
 (がく)(すゝ)めるしるべともなる

(すぐ)ならぬ事とししらバかならずも
 悪しき(にほひ)(さる)ごとくせよ

煤払(すゝはら)ふ世の(ためし)こそ目出たけれ
 千代も古家(ふるや)によごれてしかな
 (26)
 節季候 「節季に候」の意)歳末から新年にかけて、二~三人一組となり、赤絹で顔をおおい、特異な扮装をして、「せきぞろござれや」とはやしながら歌い踊り、初春の祝言を述べて米銭を乞い歩いたもの。
 せっきぞろ。

 この絵双紙の「好色青梅」(2)にこの言葉が出てくる。
○性は道によって賢し 心の用い方は各自の専門によって、おのずから錬磨され向上する。各分野の専門家がそれぞれの道に熟達していること。芸は道によって賢し。商売は道によて賢し。

 磨針峠(すりはり‐とうげ)滋賀県彦根市東部、鳥居本にある峠。昔、中山道の難所。磨(摺)針峠という名は、その昔、諸国を修行して歩いていた青年僧が、挫折しそうになってこの峠を通りかかったとき、斧で石を摺って針にしようとしている老婆を見て、老婆の苦労に比べたら自分の修行はまだまだ甘かったことを悟り、心を入れ替えて修行したのちに弘法大師になった、という伝説。一方「福岡県筑紫野市に『針摺峠』があり、斧を摺って針を作る老人の話は『磨針峠』と同工異曲であるが、登場人物が若き日の弘法大師と大宰府に流された菅原道真と異なっている。」九州大学デジタルアーカイ
ブ 筑前名所図会 巻四50・51頁
 せ
節季候は、常に大切に思い、年越しも万歳楽で春を迎えよ。

性(心の使い方)はある方面については非常に望ましい
世話もあれば、愚かだと言ってそれを捨てることは
できないものだ。

関はすべてここに短気の誡めがあると思って、逆立つ
心を関に留めよ。

 す
すり針峠という古跡も、学問を勧めるしるべともなる。

直ぐでないこと、正しくないことと分かったならば、
必ず悪い臭いを取去るように、正しくないものを取り
除きなさい。

煤払いという習慣は結構なことだ。もしなかったならば
どんな家も長い年月に古屋の如く汚れてしまうだろう。


 (右頁挿絵)
 四人の賃餅搗きが餅を搗きあげ、家族が丸める。新年を迎える準備。

 (左頁挿絵)
 斧を石で研いでいる老婆。「何をしてる」と問えば「針を作る」という。
 その努力に比べれば、自分が学業に打ち込む努力はまだまだだ。

    
    

(27)
京といへハ便(たより)うれしくおもハるゝ
 難波(なには)の事の聞かまほしさに

 人とかく(むま)(いで)にしかひありや
 なしやと問はゞいかに答へん
 (27)
*京(1)皇居のある土地。みやこ。
  (2)京都の特称。
  (3)数の単位。(イ)億の一億倍。
  (4)いろは歌の最後につける語。
伊呂波かるたの江戸系では「京」は「
京の夢大阪の夢」、京系では「京に田舎あり」。
*難波の事 難波は秀吉が大坂城を築いた地。
「なにもかも」の意を掛けている。
露と落ち露と消えにし我が身かな
   難波のことも夢のまた夢

  (戦国時代和歌集)
秀吉
*无[音]ム(呉)/ブ(漢)
[訓]ない(なし)意味ない(なし)。
〈同義語〉⇒無  
平仮名「ん」は「无」の草体。

 
京といへば便り嬉しく思われる。難波のことも
(何はの事も)聞きたいから。

 ん(无)
「人」とかく、この世に生れ出た甲斐はあるやなしや、
と問われたらば如何に答え

 (右頁挿絵)
   京都から下ってきた旅人が京のたよりを届けてくれた。

(左頁挿絵)
   浮かれ歩く三人に盆を差し出す乞食。それを見ている童。

    

(28)
一にまづ忘れまじきハ(かう)のみち
 (よろづ)(ぜん)(もと)とこそ(きけ)

二はいかに御代(ミよ)(おきて)(そむ)くまじ
 (これ)を一ともいふべかり
 *二十四孝 中国で、古今の孝子二四人を選
 定したもの。
一に先ず忘れまじきは孝の道。全ての善のもとと
聞きなさい。

二に御代の掟・御法度に背いてはならない。
是を一に守るべきものと言う。

 (右頁挿絵)
 二十四孝。揚香(ようこう)の故事。楊香は父と二人山中に入り凶暴な
 虎に遭遇する。自分の命を虎に与え、父だけは助けて下さいと祈る孝心に
 虎が逃げ去る。

 (左頁挿絵)
 五人の男は羽織を羽織っている。何か大事な寄り合いであるらしい。
 その席上で巻物(折り畳まれた書状ではない)が開陳され、左端の男が
 読み聞かせているようである。

 
     

(29)
1三徳は たばこ入かと おもひしに
 いはれを聞ハ たうとかりけれ

2四徳とハ 仁義 礼智と
   心得て
     かな本にて□
    □□□□□□□
 三徳
(1)三つの徳目。(イ)[中庸] 智・仁・勇。
(2)〔仏〕
 (イ)仏に具わる三つの徳。衆生を救護する恩徳と、一切の煩悩を断った断徳と、平等の智慧を以て一切諸法を照らす智徳。
 (ロ)涅槃に具わる三つの徳。仏の悟りの本体たる法身と、悟りの智慧である般若と、煩悩の束縛を離れた解脱。
(3)(三つの徳用がある意) 鼻紙袋の一種。更紗または緞子(どんす)で作り、鼻紙を挟む口とは別に書付・楊枝(ようじ)を入れる口をも付けたもの。江戸時代に流行。

2 四徳 婦人が修養・実行すべき四つの徳目、婦徳(貞順)・婦言(言葉遣い)・婦容(身だしなみ)・婦功(家事)。四行。四教。
三徳はたばこ入かと思ったが、理由を聞けば尊いことだ。
三徳とは仏教の三徳。儒教の三徳(智・仁・勇)。
まことに有難いことだ。

四徳は仁義礼智と心得て、仮名本は読むべきだ。
(よむべかりけり)

 (右頁挿絵)
 儒者の家に学びに来た侍の子。御守役で付いて来た奴は上がり框で
煙草を吸いながら待っている。「五徳は火鉢の中にいれておくものだから、
三徳は煙草入れ」と思っていた無学な奴。

 (左頁挿絵)
 かな本を開いている姉妹。一人は立膝、一人は寝転んでいる。

   
 

(30) 
1□□□□□□□人の(とひ)しとき
 石と答て笑ハれやせん


2六ハ(ろく)またハ(ろく)ともよミなして
 (うし
)なはずして守るべき□□


30)
1 五輪〔仏〕 密教で、物質構成の要素である五大を円輪に擬していう語。地輪・水輪・火輪・風輪・空輪の総称。五輪塔の略。

 五倫[儒教] [孟子縢文公上] 人として守るべき五つの道。すなわち、君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信をいう。

2 守るべき□□は六徳(りくとく)か。
六種の徳目。
「周礼(しゆらい)」では知・仁・聖・義・忠・和、
「小学」では礼・仁・信・義・勇・知。
(五輪とは何かと)人に尋ねられた時、石と答えては笑われることだろう。(五輪とは地輪・水輪・火輪・風輪・空輪の総称)

は直(真直ぐ)または禄(天から授かる幸い)とも読んで、守るべきもの。(六徳は礼・仁・信・義・勇・知。)
  (右頁挿絵)
 杖をついた武士が元服後間もない孫を連れている。
 老武士が五輪塔を指差して「これは何?」と尋ねたら、孫が「石」と答えた。

  (左頁挿絵)
 竹林で遊ぶ子供。唐鍬(とうぐわ)で筍を掘っている子供。
 竹に登っている子供が二人。竹がまっすぐ伸びるように、心も曲がらず
 素直に正直に育つようにと願いをこめた絵。
                         最上段へ

   
       

(31)
1(七)□□其世(そのよ)を知て身をのがれ
 (のち)にかしこき名をぞ(つた
)ふる

2八の字は神の道にもたうとミぬ
 (ミち)ぬさきより(しめし)なるべし
 (31)
1 竹林七賢 中国の西晋代に、世塵を避けて竹林に会し清談を事としたといわれる隠士、
 
*蕎麦屋の挿絵から「腹八分目はに医者いらず」また八卦八象の八か。八卦(はつけ)のそれぞれが象徴するもの。
乾(けん)は天、坤(こん)は地、坎(かん)は水、離(り)は火、艮(ごん)は山、兌(だ)は沢、巽(そん)は風、震(しん)は雷を表す。
(七賢は)その世間を知って身を避け、後に賢い名が
 伝わっている。

八の字は神の道にも到ると見る。満ちる前のお示しである。
 (右頁挿絵)
   竹林の七賢人。

 (左頁挿絵)
   繁盛している二八蕎麦屋。

     

(32)
()といへハ(ミつ)るに()ゝそなかりけり
 恐れ(つゝすむ)所なるべし

十の字ハ紙衣(かミこ)の名にもありと(きく)
 これも(やぶ)れをいとふ成べし

 (32)
○世の中は九分が十分
世の中のことは、完全に自分の思い通りにはいかない。望んだことの九分かなえば満足すべきだということ。

かみ‐こ(紙子・紙衣) 紙製の衣服で保温用の衣服十文字紙子 美濃・紀伊から出る上製の紙子。

十徳は僧服の「直綴(じきとつ)」を由来する衣服。

九といへば満ちるに間がない。恐れ慎しむところとなるだろう。
十の字は紙衣の名にもあると聞いたが、九で満ちて十に
なったものにあやかり、破れることを嫌うから『十』の
字を用いているのだろう。
  (右頁挿絵)
 月は左下部分が欠けているが、満月を描いたものであろう。
 烏帽子・狩衣姿の男3人は公家か。「根結い垂れ髪」の女性は宮中の女官か。
 月見の宴を張っている。

 (左頁挿絵)草履の鼻緒を挿げ替えている職人。土の上に胡坐をかいて作業
 している。

 

(33)
(もゝ)(もの)(つミ)て名におふ1度会(わたらへ)
  河辺の里によする舟人

千早振神(ちはやふるかミ)(めぐミ)(くミ)てしる
 瑞穂(みづほ
)の国の(おさま)れる世に

 1 渡らい(わたらい)世を渡ること。
  なりわい。渡世。
  地名では三重県度会郡度会町がある。
(もゝ)の積み荷を運ぶことから度会(わたらい)
いう名があるが、舟人達はこの河辺の里で暮らしが
成り立っている。

 
千早振る神の恵みも推しはかれば分かることだ。
瑞穂の国が平穏に治まれる世であるので
 (右頁挿絵)
 荷物を満載した荷足舟が度会の里に着いた。「さあ、荷揚げだ」と舟板を
 渡そうとしている男。

 (左頁挿絵)
 稲を刈り取り、家路を急ぐ農民の家族。後ろについてくる女房は頭の上に
 昼の弁当を乗せ、右手に子供の手を引いている。治まれる世の幸せである。

  

(34)
万国を照す月日(つきひ)の光りにも
内外(うちと)の神の(めぐミ)くらべよ
 万国を照す月日の光りにも、わが国と外国の神の恵みを
 較べてご覧なさい。
 (挿絵)
 神社門前に坐る立烏帽子・狩衣の二人は神職。この神社修復のために寄進を
 募っている。
 膝をついて拝礼する男女二人。参拝客が続々と詰め掛けている。
 寄進の品は櫛・鏡・簪・笄
煙管など。

     


 
 (35-2)  跋
  右の
たはれ歌ハもとより、ものしる人の
  目にもふるべき物にあらず、たゞ(やつがれ)が子孫の

  教戒ともなして、
難波のよしあしをもしら
  しめ、
伊勢の浜荻のかた葉なるも(すぐ)なる
  御代に賞せられて、名におふ(たぐひ)のごとく、
  かくつたなき言の葉といへども、当世()
  道の(たくミ)いとかしこけれバ、それが筆して歌
  のこゝろを模写せしめハ、(かの)ちまたに飴を(あきな)
  ふものゝよび(ぶえ)に引れて、児童のもて遊び
 


(35)
いにしへ児童の手習ふ始ハ、王仁(わに)といへる博士百済(はくさい)より渡りて、書学(ふミまな)ぶ道を教へ和歌

をも学て、仁徳の帝の御位につかせ給ふ事を祝し奉りて、
難波津に咲やこのはな

冬ごもり今を春べと咲や此花、といへる言の葉をもて手を学びけるとなんよりて、其心を


 手習の始も(むめ)のさきかけで
   いろはにゆづる難波津(なにはづ)の歌

    
 (35)
 王仁(わに)古代、百済からの渡来人。漢の高祖の裔で、応神天皇の時に来朝し、「論語」十巻、「千字文」一巻をもたらしたという。和邇吉師。(日本書紀巻第十応神十六年) 王仁 ウィキペディア

難波津に咲くやこの花冬ごもり
    今は春べと咲くやこの花 
古今集仮名序に幼児の手習の初めに学ぶとある歌。すなわち王仁(わに)の詠んだという和歌。

3 たはれ‐うた(戯れ歌)ふざけた滑稽な歌。狂歌。

 「難波の蘆(あし)は伊勢の浜荻(はまおぎ)」ということわざ(同じ物でも、所によって呼び名が違うことのたとえ)を踏まえて、難波のよし(葦・善し)あし(蘆と悪し)を掛ける。

5 伊勢の浜荻 伊勢地方でアシのことを浜荻というの意。
 古来児童の手習い始めは、王仁(わに)という博士が、百済より渡来して、我が国に書学ぶ道を教えたことに起因するという。また王仁は和歌を学び、仁徳帝の御即位を慶賀奉り、「難波津に咲やこのはな 冬ごもり今を春べと咲や此花」と言う和歌を作った。幼児が手習いの初めに学ぶと歌としてこの歌が記されている。その心を手習のはじめも梅のさきかけて
       いろはにゆづる難波津の歌

         跋
 右の戯歌はもとより物知る人の目にふれるような物ではない。だゞ手前が子孫の教戒ともなり、難波の葦芦(善し悪し)をも知らしめ、 伊勢の浜荻のかた葉も真っ直ぐな御代に賞賛され、名前通りである様に。またこの様に下手な歌ではあるが、当世画工が大変に優れていれば、それが筆をして歌の心を絵に写し描けば、かの巷で飴を売る者の呼び笛に引かれて、児童の遊び

 (右頁挿絵)
   寺子屋手習いの場景。

    

(36)
とも(なり)女子(によし)(をろか)なるもおのづから其こゝろ
をあまなひ、善に勧ミ悪を(こら)さハ世の人の
笑ひ草となるとも、愚老が本意(ほい)に叶へる成
べしと、(あづさ)にちりばめる事とハなりけらし
          南勢野叟書
      画図 洛西住
          下河辺拾水
    
           
  天保七申年初冬補刻

     皇都   藤井文政堂
      寺町通五条上ル町
     書林  山城屋佐兵衛


   皇都    藤井文政堂
     寺町通五条上ル町
  書林    山城屋佐兵衛
ともなり、女子が愚かであるとも、自ら伊呂波歌の
心と同じく、善を勧め、悪を懲らしめれば、たとえ
世の人の笑い草ともなるとも、愚老の本意に叶う
ものだとして、出版することとなった。
            南勢野叟(なんせいやそう)書 
    画図 洛西住  下河辺拾水(しもこうべしゅうすい)
  天保七申年初冬補刻 (1836年)
             
  


故事 俗信 ことわざ大辞典 小学館
   
   広辞苑 
   
   漢和辞典 学研
   
   古語辞典  三省堂
  
      
 いろはガルタ ・いろは歌 (大辞林特別ページ)

侏儒の言葉 芥川龍之介
  
国際日本文化研究センター 和歌データベース




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