1真乗院(しんじよういん)仁和寺の院家(いんげ)。
2芋頭 サトイモの、親いも。
*この盛親僧都の振る舞いは一見、変人のように見えるが、この僧都の話を寺田寅彦は「徒然草鑑賞」の中で、「自由風流の境に達した達人の逸話」と述べている。「徒然草諸抄大成」(貞享5
刊)の注には、「僧都が勤むべき学問に達し、徳の至る人なので、寺中で は重く思われ、人に嫌われないのである。兼好はこの僧の行跡を誉めているのではないが、徳(学徳)が至ればその外のことは世の人も許すのが慣いだ」ということを記し、「無徳の者がまねて放逸を行うことがあれば必ず狂人なるべし」とあり。
*「大隠(たいいん)は市(いち)に隠る」という故事がある。広辞苑には「非凡な隠者は、俗事に心を乱されないから山林に隠れる必要がなく、町の中に住んで超然としている。また「大隠は朝市に隠れ、小隠は巌藪(がんそう)に隠る。大隠朝市。」とある。
たとえ高僧と世間から敬われる人でも、僧侶として世間の尊敬を集めるようになると、もっと世の評価を受けたいという欲(名誉欲・出世欲)が心の隅に多少とも芽生えるものだ。この僧都は市井にあっても、無欲の暮らしをして、世間の評判も気にせず、名声名誉欲からも超越し、自由に淡々と生きて、しかも世の人に許され、かつ嫌われていない。この僧都はまさに市隠の中で至徳、自由風流の境に達した非凡な人と云えるのだろう。
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現代語訳 (第六十段)芋頭が大好物なある高僧の話
仁和寺の真乗院に盛親僧都という尊い高僧があった。芋頭というものを好んで多く食べていた。説教の座でも、大きな鉢にうづ高く盛って、膝もとに置いては、それを食べながら書物の講義をした
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3(第六十段)以下の文が続く。
病気するをことがあると、七日・二七日(ふたなぬか)など、療治と云って引き籠もって、よい芋頭を選んで、思うままに、ことに沢山食べて、病気も治してしまっていた。しかし芋頭を人に食べさせることはなく、ただひとりで食べていた。(中略)
(続き原文)この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・学匠・弁説、人にすぐれて、宗の法灯(ほっとう)なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を軽く思ひたる曲者にて、万(よろづ)自由にして、大かた人に隨ふといふ事なし。出仕して饗膳(きょうぜん)などにつく時も、皆人の前据えわたすを待たず、我が前に据えぬれば、やがて独り打ち食ひて、帰りたければ、ひとりつい立たちて行にけり。
齋(とき)・非時(ひじ)、人に等しく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも暁にも食ひて、睡(ねぶ)たければ、昼もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人のいふこと聞き入れず。目覚めぬれば、幾夜も寝(い)ねず。心を澄まし、うそぶき歩りきなど、世の常ならぬさまなれども、人にいとはれず、万(よろづ)許されけり。徳のいたれりけるにこそ。
絵本徒然草目次
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