2020/3/3改訂 目次へ 表紙へ |
Ehon kotobanohana [picture book] 喜多川歌麿画 宿屋飯盛序 和泉屋源七板 寛政九年(1797年) [初版天明七年(1787年)] 原データ 東北大学附属図書館狩野文庫 (繪本詞乃花) |
(1) 浮世絵ハ菱川を をなじからねと姿のおかしく、たハれ たるかたによれるハそのたがひめなし とやいふべき。そもそもよろつの道 ミな と、うき世絵のふたつはかりは |
*菱川師宣(ひしかわ‐もろのぶ) 江戸前期の浮世絵師。俗称、 |
(現代語訳) 序 浮世絵ハ菱川( この二つの その違いはないというべきものだ。そもそもすべての道は皆「 を師としているけれど、 |
(2) 水より すくれたる人ハいまの世に猶多 かり。ことし、えりたるふたつの巻ハ 眼鏡のゑらみにして、歌ハ か下に出す。絵ハひし川か上に 出へしこれやさかりの詞 のはな、四方につたへてにほハ さらめや。 天明ときこゆる七とせ むつき(睦月)のはしめ 宿屋飯盛書 |
○氷は水より出でて水よりも寒し[荀子勧学「氷水為之 |
水より出る氷の冷たきの如くで、優れた人は今の世にもなお多いことだ。 今年出版した二巻は当世随一の( 歌は これぞまさに盛りの「 ことだろう。 天明七年 睦月の初め |
(3) ほれもせす ほれられもせす よし原に 酔て くるわの 花の下かげ |
*挿絵は吉原待合い茶屋の二階からの花見。 |
*吉原 江戸の遊郭。元和三年(1617))市内各地に 散在していた遊女屋を日本橋葺屋町に集めたのに始 まる。明暦の大火に全焼し、千束日本堤下三谷(現 在の台東区浅草北部)に移し、新吉原と称した。 北里・北州・北郭などとも呼ばれた。 *廓 遊女屋の集まっている所。遊郭。遊里。 |
尻焼猿人(しりやけのさるんど) 酒井抱一(さかい‐ほういつ)江戸後期の画家。抱一派の祖。名は忠因(ただなお)。鶯村・雨華庵と号した。姫路城主酒井忠以(たださね)の弟。西本願寺で出家し権大僧都となったが、江戸に隠棲。絵画・俳諧に秀で、特に尾形光琳に私淑してその画風に一層の洒脱さを加え一家の風をなした。(1761~1828) |
(4) 浪の上に ふしたる 橋ハ 月の夜の 雲あらさるに 何のりょうごく 見わたせは 淡雪 花火 橋の月 一夜千両国の にぎハひ つふり光 |
*淡雪 両国橋の名物の一つ。泡雪豆腐の略。 |
*両国橋 隅田川に架かる橋で、東京都中央区 東日本橋二丁目と墨田区両国一丁目とを連絡す る。寛文一年(1661年))完成。隅田川が古くは 武蔵・下総両国の国界であったための称。 古来川開き花火の名所。 |
頭光(つむり‐の‐ひかる)江戸後期の狂歌師。本名、岸識之。別号、桑楊庵・二世巴人亭。江戸日本橋亀井町の町代(ちようだい)で、狂歌四天王の一人。その社中を伯楽連と称した。(1754~1796) 江戸の大川(隅田川)の橋 |
(5) あちこちと 空吹風の 出来心 雲の衣を はき寺の月 |
*雲の衣 (一説に「雲衣」の訓読という) 織女の衣を雲に、また雲を衣に見立てていう 語。 雲衣(うんい)→云為(うんい)言論と行動。 世間のようす。この意味もかけるものか。 *はき寺 萩寺・ 掃き寺・(雲の衣の)剥ぎ寺 はき(掃)手当たり次第に女と関係を結ぶこ と。 芸娼妓を買い散らしひとりに定めないこと。 *挿絵 萩寺情景。満開の萩の花をめで散策する 人々。 |
*萩寺 東京都隅田区亀戸三丁目 龍眼寺。 亀戸七福神の一つ布袋尊を祀る。 境内は萩の名所。 *そらふく(空嘯く)「そらうそぶく」に同じ。 |
柳原向( やなぎわら-むこう)?-? 江戸中期の狂歌師。 天明(1781-89)の頃の狂歌壇のひと り。江戸下谷三味線堀にすみ,伯楽 側の判者となった。 別号に楊柳亭,春風堂。 龍眼寺 萩寺 公式ページ |
(6) くさめにハ あらて臥龍の 梅のはな かほりと 名こそ 高うきこゆれ あまミつる にほひハ 遠く唐まても その名 たち枝の 梅の精神 |
*挿絵は亀戸梅屋敷の梅園。 | *くさめ(嚔) 「くしゃみ」に同じ。 *「梅屋舗」は亀戸天満宮の北東の裏手、亀戸三丁目 の一劃にあった梅園である。百姓喜右衛門の宅地内 にあり、清香庵といった。ここにあった臥龍梅で特に 有名。 臥竜梅(がりょう‐ばい)梅の一品種。花は淡紅色、 幹は地にわだかまり、枝は垂れて地につきそこから また根を生じる。 |
芦辺田鶴丸(あしべの たづまる)江戸後期の狂歌作者。名古屋生。名は致陳、通称は伝兵衛・次郎兵衛、別号を春秋亭可蘭・鶴雛人等。江戸へ出、唐衣橘州に狂歌を学び、尾張酔竹側判者となる。のち本居宣長・村田春門に学ぶ。天保6年(1835)歿、77才。
亀戸梅屋舗 歌川広重 版画 |
(7) しら露の ときどきわらふ 花ミれば 人も心に はづる 朝かほ 千枝鼻元 ふりもせず くもりも せねば 七夕の おあひ なさるに てうど よいの間 |
*わらう つぼみが開くこと。 *たなばた(棚機・七夕)五節句の一。 天の川の両岸にある牽牛星 |
*挿絵は二階物干し台の七夕飾りと二人の女性。牽牛 星と織女星とが年に一度相会するという、七月七日夜、 星を祭る年中行事。中国伝来の乞巧奠(きこうでん)の 風習とわが国の神を待つ「たなばたつめ」の信仰とが習 合したものであろう。奈良時代から行われ、江戸時代に は民間にも広がった。庭前に供物をし、葉竹を立て、五 色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上 達を祈る。七夕祭。銀河祭。星祭。 |
市中繁栄七夕祭 歌川広重 版画 千枝鼻元(ちえのはなもと) ? ー? 上州の狂歌作者「才蔵集」入 |
(8) 通り雨 ふる家よりも 藤棚 まつに をとらぬ やとり なるらめ 弁当もなくて なかむる 藤棚ハ わけて さひしき はなの 下かな |
*まつ 雨が止むのを待つとお行の松とを掛ける。 御行の松 根岸お里に江戸名所図絵や広重の 錦絵に描かれ、江戸名松の一つに数えられた御 行の松がある。(五行松)根岸の里あたりを時雨 岡(しぐれのおか)といっていたので、松の別名を 「時雨の松」ともいっていた。近くに藤の花が生い 茂った円光寺がある。 *はなの下 花の下 鼻の下は口→ 口寂しい。 |
*挿絵は藤棚の花見をする人々。 | 円光寺 藤寺 根岸の里 |
(9) しやうはり(浄玻璃)の 鏡ヵ池の 厚氷 うつしてもミん けいせい(傾城)の うそ ふみまよふ 道しら波の よるならは うかと 行来の 人やはき原 |
*白波の 枕詞「よる」「かへる」などにかかる。 道しらず。 *萩原と「掃」のはきをかける。 はき(掃)手当たり次第に女と関係を結ぶこと。 芸娼妓を買い散らしひとりに定めないこと。 *傾城 美人が色香で城や国を傾け滅ぼす意。 遊女。女郎。傾国。 *右頁挿絵遊女二人。左頁萩の花。 |
*浄玻璃の鏡 地獄の閻魔王庁で亡者の生前におけ る善悪の所業を映し出すという鏡。 *鏡ヵ池 浅茅原鏡池。東京都台東区橋場(江戸時 代当時は橋場町総泉寺)近辺に浅茅が原があり、 湿地帯で水鶏が多く棲む荒涼とした原野であっ た。その浅茅が原そばに鏡池があった。 鏡池には「釆女塚」「玉姫伝説」「妙亀塚・梅若 丸」の悲話が伝えられている。 |
浅草市人(あさくさのいちひと)(1755~1821) 江戸時代の狂歌作者。大垣氏。通称は伊勢屋久右衛門,号は壺々陳人,都響園。江戸浅草田原町で質屋を営み,浅草寺境内伝法院裏の別荘で起居したといわれる。狂名はその職業にちなんだもの。天明4(1784)年ごろより狂歌界に参加。四方赤良(大田南畝)、三陀羅法師、頭光らと活動。初代浅草庵と号した。 條門橘丸 曹洞宗 妙亀山 総泉寺 鏡ヵ池 |
(10) 荷造早文 松明の あかりに よるのわさなれは ひるハ かたちも 水いろの魚 鎌倉防風 家根船の かりのやどりも 夢となる さめし枕の かへり さんばし |
*松明(たい‐まつ)松のやにの多い部分または |
*挿絵は突風で揺れる屋根船。吉原からの帰る 頭巾を被った客を桟橋の家根舟に案内する女。 向こう岸近くに松明を燃やして四ツ手網で魚を 捕る小舟が数艘見える。 |
荷造早文(にづくりはやふみ) 運送・飛脚問屋の島屋治兵衛 鎌倉防風 不明 |
(11) 刈しまふ 田にハかゝしの たゞひとり いねと いふもの かつて なければ 天秤まぢめ 京よりも心ほそさの わび住居 よる人もなし くる人もなし |
*苅り残す山田のそほつ心なき そてたに濡るる秋の夕暮れ 正治初度百首 1657 寂蓮 そおず(案山子)ソホヅ(ソホドの転)かかし (案山子)。そほど。 「所謂る久延毘古(くえ‐びこ)は、今には 山田のそほどぞ。此の神は足は行かねども尽 (ことごと)に天の下の事を知れる神ぞ」 古事記 いね(稲・寝ね・往ね・去ね)を掛ける。 |
*刈り終えた田に案山子がただひとり。 稲を苅ってなければ孤独ではなかった。 一本足の案山子はかつて一度も寝(い)ね (横になる)ということはなかったし、 往(い)ね(往ってしまう)とことも なかった。 |
土師掻安(はじのかきやす)初号菊泉亭。通称榎本治右衛門。天明年間の狂歌師。天明8年 (1788)歿、70余才。 天秤真地目(てんびんのまじめ)? ー? 狂歌「才蔵集」入 |
(12) 紀月兼 ひとかさね山も 霞の衣きて 青空いろの うらゝかな春 くささうな 葛西のばゞの おどる身ハ 左ねぢりに なるぞ おかしき |
*葛西踊 江戸時代、葛西の農夫が、笛・鉦・ 太鼓の囃子(はやし)につれて念仏を唱えなが ら踊り歩いたもの。 葛西念仏。 *左ねじり 肥桶を天秤棒で担ぐ時は右利きの人 は大体右肩に担ぐ。この時、右肩が前に出て、 左肩は後ろにあるので、左捩りになる。 *葛西の踊り 葛西舟 汚穢(おわい)舟 くさそう 言葉の連想。 |
*挿絵は葛西踊をする人、それを見る人々。右頁二人 の女性は角隠しを被っている。 角隠しは浄土真宗門徒の女性が寺参りの時に用いた かぶりもの。白絹(裏は紅絹もみ)を前髪にかぶせ、 後で二つ折にして回し、髷(まげ)の後上で留めてお くもの。現在では、婚礼の時に花嫁がかぶる頭飾り。 *江戸時代は農地の肥料として下肥即ち糞尿は貴 重なものであった。江戸の街には各地の農民が 汲み取り権をもち舟に積み込み農村に回漕して 利用した。江戸時代日本橋川は江戸橋、日本橋、 一石橋から真直ぐに江戸城の内濠まで道三濠を 掘削し舟が往来は可能であった。 葛西権四郎は江戸城御用下掃除人で大奥不浄物 を一手引き受け、堀を利用して屎尿を舟に積み 込み葛西の農村部に運び込んで産を成した人と して有名。汚穢(おわい)舟が百万都市江戸の水 路の奥まで入り込んていたので、いつの間にか 屎尿舟を葛西舟と総称され戦後まで定着していた。 江戸リサイクル事情 |
紀月兼 (きのつきかね) (? ー? ) 狂歌:才蔵集入;記のつかぬと 同一?、伊勢屋清左衛門) 門限面倒(もんげん-めんどう) (?-1804)江戸時代中期-後期の狂歌師。上野(こうずけ)(群馬県)館林(たてばやし)藩士。江戸日本橋にすむ。四方(よも)側の社中。享和3年12月死去。姓は高橋。通称は徳八。 |
(13) きぬぎぬを かさねがさねし 身なりしも 今ぬきすつる 里のあかつき |
*後朝を重ね重ねし身なりしも |
*挿絵は吉原からの帰り。駕篭に乗る人担ぐ人。 日の出。 |
*膝上胡糊 膝上胡椒(ひざのうえのこしょう)のこと。 膝上の狂歌は古今狂歌袋(17) 「をやまんとすれども雨の足しげ く又もふみこむ恋のぬかるみ」とあり、日本古典文学大系によれば蜀山人(太田南畝)・四方赤良(よものあから)の歌とある。 |
(14) 1 2きこしめせ あたるも ふしき あたらぬも ふしぎなりけり 易と 河豚汁 3 4鉄砲の こんや あたりの やくそくを はづすハ 君が 玉に きずあり |
○河豚食う無分別、河豚食わぬ無分別 河豚の毒のあるのをかまわずに食うのは無分別 であるが、中毒を恐れてそのおいしさを味わわ ないのも無分別である。 ○河豚は食いたし命は惜しし おいしい河豚料理は食いたいが、中毒の危険が あるので食うことをためらう。 転じて、やりたいことがあるのに、危険が伴う ので決行をためらう。 *鉄砲 屋台などの小風炉に装置する火・炭火を 焚く銅製の円筒。 *鉄砲汁 フグを調理した汁。河豚(ふぐ)汁。 あるいは鉄砲女郎 のことか。 「鉄砲見世」は最下級の遊女を置く店。 切見世(きりみせ)とも。 鉄砲店(てっぽうみせ)の玉という意味で、 鉄砲店の遊女。鉄砲女郎 は梅毒感染の危険 性が高く、「毒にあたる」ことからいう。 |
*きこし‐め・す(聞し召す) 鍋から湯気が盛んに騰がっている。 |
紀定丸 きの-さだまる 1760-1841江戸後期の狂歌師。幕臣。大田南畝(なんぽ)(四方赤良の甥。四方側に属して天明狂歌壇で活躍し,赤良の狂詩集「通詩選」を校訂。黄表紙「新田通戦記」などもある。 千枝鼻元(ちえのはなもと) ? ー? 上州の狂歌作者:1787 「才蔵集」; |
(15) 待人 過しよりミそめ くどきし ことのはを こんや うれしく ちきり(契り) かたらん 宇治橋か あつま橋なら たち花の 小島の雪ハ 牛島の寮 |
*宇治橋 京都府宇治市にある宇治川に架かる橋。 |
*この頁の狂歌二首は源氏物語「浮舟」を引用 している。 (匂宮の浮舟への贈歌) 年経とも変はらむものか橘の 小島のさきに契る心は (浮舟の返歌) 橘の小島の色は変はらじを この浮舟ぞ行方知られぬ |
待人 待人久留壽(まちびとのくるす) のことか。? ー? 狂歌作者「才蔵集」入;悠々館湖遊 ゆうゆうかん-こゆう ?-?江戸後期の狂歌師。江戸小石川にすむ。 便々館湖鯉鮒(べんべんかん-こりふ)の門人。山手側の社中。文化5年(1808)「狂歌いそ千鳥」「狂歌百千鳥」を刊行。別号に待人。 多羅井雨盛(たらいのあまもり、藤井孫十郎)?ー? 江中期小石川白山御殿跡の住人/狂歌作者、才蔵集入 |
(16) 炭とりを ぬすみとりしと うたかふに 顔のよこるゝ たねふくへ(種瓢)そや 萬棋堂蔵板繪本目録 絵本武将一覧(ぶしやういちらん)全三冊 同 吾妻抉(あづまからげ)全三冊 同 武将記録(ぶしやうきろく)全三冊 同 江戸爵(えどすゞめ) 全三冊 同 八十宇治川(やそうぢがわ)全三冊 同 駿河舞(するがまい)全三冊 同 譬喩節(たとへぶし)全三冊 同 詞の花(ことばのはな)全二冊 同 吾妻遊(あづまあそび)全三冊 同 天の川 全二冊 寛政九巳正月 浪華書林 心斎橋筋順慶町南へ入 和泉屋源七板 |
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*炭取 炭を小出しに入れておく器。 *たね‐ふくべ(種瓢)(種瓢) 種子を取るために残して置くヒョウタン。 *挿絵は閑居図。炭取りに炭をを入れている。 |
花島平蔵)?ー? 江中期江戸深川土橋の狂歌作者。徳和歌後万載/才蔵集/新玉集/俳優風などに入。[我思ふひとは磯辺の松なれやすねた姿のなほぞ目につく] |
国立国会図書館近代デジタルライブラリー 絵本詞の花喜多川歌麿 画 (刊, 天明7 [1787] 序) 国立国会図書館近代デジタルライブラリー 日本風俗図絵第12輯 絵本江戸爵(えどすずめ) 日本古典作者事典 川野正博著 目次へ ページの最上段へ |