2020/3/2 改訂

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吾妻遊 (あずまあそび)三巻三冊  「上巻」
Azuma asobi [picture book]

 喜多川歌麿画   奇々羅 金鷄(ききら きんけい)
寛政二年( 1790年)序

 原データ 東北大学附属図書館狩野文庫




  
解説
   江戸後期の浮世絵師、喜多川歌麿(1753~1806)が江戸名所(吉原、山谷堀、麹町毘沙門、
   日暮里等々)の風景を描き、それに狂歌師奇々羅(きゝら)金鷄(きんけい)撰で狂歌二十四首を添えている。
   【別書名】
駿河舞(するがまい)。 歌麿は本姓北川。鳥山石燕に従い、初め豊章(とよあき)と称した。
   美人画の分野で大首絵(おゝくびえ)と称される上半身像の形成を創案、浮世絵の黄金期を創った。
   代表作に「寛政三美人」。「画本(えほん)虫撰(むしえらみ)」他約百冊の草紙の挿絵を制作。


   奇々羅金鷄(きゝらきんけい)(1878-1809)は畑金鶏
とも通称畑道雲。網雑魚(あみざこ)」ほか十一冊の著作がある。
   墨摺絵本。別書名 駿河舞(するがまい)


   絵双紙各画像の右側に「翻刻文」、画像の下に「注」を記した。 
   福岡県の松尾守也氏よりご助言を戴きました。ご協力厚く御礼申し上げます。




  (表紙)
   吾妻遊




(1)
吾妻遊

武蔵野の広きくまぐまはあまねく
人のいひふれしならひにして、今さら言へく
もあらねと、もとより呉竹の四里四方に
して又そのもれたるもあ
(ん)めれ。やつかれ
さきに千々の里々を掌にとちめし作家
の術ある事を夢見しより俄に此集に
こゝろさしありしかと折からの事にふれて
 (現代語訳)
 武蔵野の名所
については既に隅々まで多くの人によって言いつくされて
 いるので、今更言うこともないけれども、以前から呉竹の四里四方(江戸城
 周辺)では洩れた名所もあることはあるらしい。
 わたくしめは以前から、千々の里々でも
(てのひら)にとじ込めて、文章で語る
 ことのできる作家を夢見てきたが、この種の双紙集に自分の活躍の場が
 あると思い、ことある毎に関心を持っていたにもかかわらず




(2)
(むな)しく過にき。今年(はか)らすも駿城の
まもりに倍して四海波静なる御代にし
あれは此折から過さしと武城の唐丸
に托してこの言種(ことくさ)を言ひやりぬ。既に
日あらすして八百八巷の名所をさくりある
誰彼(たれかれ)(たは)れたる歌若干(そこばく)
おくりぬ。撰なりて駅使に投して唐丸
によせぬ。たまたま撰者の名におふこと

離明輸工の(ともから)ハ、片腹いたき(わざ)
となんいふめれと、さらにやハとてかの仙台公
の法術にならひ、(ひさご)の駒に鞭打て
関の東を巡りぬれは、とりあへず
吾妻遊と名付け侍る。
     
奇々羅(きゝら)金鶏(きんけい) しるす
  寛政二戌とし 初春
*離明輸巧 孟子 卷之四 離婁章句上
 孟子曰、離婁之明、公輸子之巧、不以規矩、不能成方
 員。離婁のような優れた視力、公輸子のような優れた
 技巧、それらがあっても、規矩(ものさしとコンパ
 ス)がなければ正方形も円も描けない。

*仙台公の法術 伊達政宗は香合の賞として瓢箪を出
 し、その受賞者に「瓢箪から駒が出た」と
言って、
 馬一頭を与えた故事。

*唐丸 蔦屋重三郎、蔦屋の主人。本名、喜多川柯理。
 号、耕書堂など。蜀山人(大田南畝)・山東京伝ら江
 戸の狂歌師・戯作者と親しく、喜多川歌麿・十返舎
 一九・滝沢馬琴らも一時その家に寄寓した。通称、
 蔦重(つたじゆう)または蔦十。自らも狂歌・戯文を
 作り、狂名、蔦唐丸(つたのからまる)。(1750~1797)

*奇々羅金鶏(ききらきんけい)畑金鶏のこと。
 (1767-1809)江戸時代中期-後期の医師、狂歌師。
 上野(こうずけ七日市藩医。狂歌を唐衣橘洲にまなぶ。
 36歳で職を辞して諸国をめぐり,江戸で狂歌などの文
 芸に専心。文化6年没。名は秀竜。字(あざな)は道雲
 (どううん)。狂号は奇々羅金鶏など。著作に「金鶏
 医談」「燭夜(くだかけ)文庫」など。
 (現代語訳)
 空しい日々を過ごしてきた。今年になって不意に、駿城の守りに倍して四海
 波静かな御代
にこそと思い立って、江戸の
唐丸(からすまる)(蔦屋重三郎)に頼み、
 私の願いを伝えた。すぐにあらゆる名所を調べ、誰彼の戯れ歌の幾つか
 送った。撰に通って、飛脚に頼み、
唐丸(からすまる)に原稿を届けた。
 たまたま選者の名に負う
離明(りめい)輸工(しゅこう)の仲間は片腹痛い
(わざ)と云うかもしれない
 が、これでも弱いと思い、かの仙台公(伊達政宗公)の法術を習い、
(ひさご)
 駒に
(むち)を打って、関東を巡って来たので取りあえず「吾妻遊(あずまあそび)」と名付けた。
   寛政二年 (いぬ)  初春   
奇々羅(きゝら)金鶏(きんけい) 記す

 




(3)
吉原
 中の町
 われハ
 司馬■(司馬徽(しばき)
)か
 心にて
 花も
 よしよし

 君も
 よしよし
  酒楽齋瀧麿
 
=宀+彳+糸+山+攵 司馬徽のことか
 司馬徽(しばき)
*「蒙求」の中に登場する司馬徽。「司馬称好」
 司馬徽は人の欠点を語らず何事も「好し」と
 言った。
*「蒙求」
(もうぎゅう)は(周易蒙卦「童蒙我
 に求む」による) 蒙求児童・初学者用教科書。
 唐の李瀚撰。三巻。中国古代から南北朝までの
 有名な人物の、類似する言行二つずつを配して
 四字句の韻語で記し、経・史・子類中の故実を
 知るのに便にした書。唐~元代、広く使われ、
 日本でも古くより流布。
*吉原 江戸の遊郭。1617年(元和三)市内各
 地に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町に
 集めたのに始まる。明暦の大火に全焼し、
 千束日本堤下三谷(さんや)(現在の台東区浅
 草北部)に移し、新吉原と称した。北里・北
 州・北郭などとも呼ばれた。
 周囲は「おはぐろどぶ」という堀で囲まれ
 ていた。入口は大門口。
*中の町 吉原遊郭の中央の通り。仲之町
*挿絵は花魁道中(左頁)と待合い
茶屋の客と遊女達(右頁)。


江戸の吉原(遊郭) 

吉原再見江戸唯一の遊廓(遊郭)
であった吉原についてのサイト



(4)
三谷堀(さんやほり)

   桐一葉

 よし原に まよへは
 お客
 さんやまて
 (ちょ)
  ()の船に
  かけられてゆく

猪の牙の船 牙舟。江戸で造られた、細長くて
 屋根のない、先のとがった舟。軽快で速力が早
 く、漁業・舟遊びまたは隅田川を上下した吉原
 通いの遊び船に用いられた。山谷船。ちょき。

山谷 東京都台東区の旧町名。1657年(明暦三)の
 大火に元吉原町の遊郭が類焼して、この地に仮営
 業して新しい遊郭ができたから、新吉原の称とも
 なった。山谷堀は隅田川から今戸橋の下を通過し
 て、山谷へ通じた掘割。
山谷堀の猪牙舟と船頭と客。
 見送る茶屋のおかみ。



(5)
 麹町毘沙門

 毘沙門に
 ひらきし 梅の き娘ハ

 十三丁の
 室のはや咲

  奇々羅金鶏
*十三丁麹町 麹町には一丁目から十三丁目まであ
 った。麹町名の由来、町内に「小路(こうじ)」
 が多かったためという説、幕府の麹御用を勤めた
 麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、
 府中市 (東京都)の国府を往来する国府街道の江戸
 における出入口であったため、つまりは国府路
 (こうじ)の町であったという説が有力である。
 Wikipedia:

*室の早咲き 外気に触れないように、特別の構造
 をした所でそだて咲かせた草木の花。
 毘沙門に開きし梅の木、生娘。
 麹町十三丁と娘十三歳。
麹町毘沙門 鎮護山善国寺。日蓮宗で池上本門
 寺の末寺である。開山は、池上本門寺十二代
 の住職、日惺上人で、徳川 家康より天下安全
 の祈祷の命をうけ、文禄4年(1595)に麹町
 (千代田区)に創建した。有名な毘沙門天像は、
 加藤清正の守仏とも伝えられる。毘沙門天は多
 聞天の別称で四天王の1つ、仏法や北方を守護
 する軍神である。のち七福神の一つとして福徳
 を授ける神となり、庶民の信仰を集めるように
 なった。

  
挿絵は毘沙門天門前の賑わい。
 屋台が出ている。

 毘沙門天 善國寺


 

(6)
日暮里

   玉潤亭曳尾

 
山寺のごんと
  つき出す入相も
 桜におそき
 日くらしの里




日暮らしの里 青運寺(俗称花見寺)から浄光寺
 (俗称雪見寺)周辺の寺々は道灌山から続く地域。
 「此辺寺ノ庭中景至テ見事」と当時の江戸の地図
 にも記載されているほどの景勝地。周辺は日暮らし
 の里とよばれた。
 道灌山は東京の日暮里(につぽり)から田端に続く
 台地。武蔵野台地の縁辺部。太田道灌の館址、ま
 たは谷中(やなか)感応寺の開基である関長道閑の
 居所に由来する名という。
*日暮里(にっぽり)東京都台東区西日暮里
 周辺。
*挿絵は日暮里の寺の前を行きか
 う人々。
 僧侶がお堂で鐘をついている。


 日暮の里(日暮里) 



(7)
 梅屋鋪

   富士行躬

 梅やしき
 江戸の きぶりの
 市川ハ

 あゝ
 つかもない
 花の名ところ


 
梅屋舗 「梅屋敷」東京都亀戸。亀戸天満宮の
 北東の裏手、亀戸三丁目の一劃にあった梅園で
 ある。 百姓喜右衛門の宅地内にあり、清香庵
 といった。
 多数の梅が植えられ、「臥竜梅」という名木が
 あり、江戸時代より多くの人で賑わった。


亀戸梅屋敷広重の風景版画
国立国会図書館



(8)
 駒形堂

 なかき日も
 女の足に

 道くさを
 くへは ひまゆく
 駒形のへん

   遊女瀬川



駒形堂 隅田川にかゝる駒形橋の西詰めにあった
 駒形堂。天慶5年(942年)に創建されたもので、
 本尊は馬頭観世音菩薩。葛飾北斎、安藤広重らに
 より、堂は絵に描かれていて小さくても江戸では
 有名な堂であった。

駒形堂 浅草寺公式ページ
*挿絵は隅田川沿い駒形堂前の
 参詣する人々。猪牙舟の舳先
 がみえる。



(9)
 新宿
   寝語軒美隣

 新宿に
 つなかるゝ身ハ
 馬ならて
 恋の重荷を
 つけてゆく哉


 不忍池
    西皐山子

 しのはす
(不忍)
  池辺にミゆる はつ霜ハ
  女躰の神の
   しるし なるかも
不忍池 東京、上野公園の南西部にある池。
 1625年(寛永2)寛永寺建立の際、池に弁財天を
 祀ってから有名になる。蓮の名所。


新宿(内藤新宿)江戸時代、甲州街道の最初の
 宿駅。江戸四宿の一。1698年(元禄11)高遠城
 主内藤家の下屋敷北側に開設。四谷大木戸から
 角筈村までの地(今、東京都新宿区新宿1~3丁
 目で、青梅街道との分岐点。物資の流通や花街
 の遊客で賑わった。

*寝語軒 美隣 又は 美燐 
 絵本福寿草
 寝語軒美隣
(しんごけんびりん) 北尾重政画
 闇雲愚抄(やみくもぐしょう)
 
寢語軒美憐(しんごけんびりん)編 金鶏著
  
文化13年江戸北島長四郎等(補刻) 

右頁挿絵は新宿の茶屋。旅人を呼
 び込む女達。

左頁挿絵は上野不忍池の弁天堂
 参道を歩く子連れの夫婦。

 
内藤新宿 Wikipedia

 
東叡山 寛永寺 公式ページ



(10)
 高輪(たかなわ)

 あな二九の
 十八丁の
 高輪の

二十六夜に
 うかれめ
(浮かれ女)の客

  奇々羅金鶏

*二十六夜 二十六夜待(にじゅうろくや‐まち)
 の略。陰暦の正月と七月との二六日の夜半に月の
 出るのを待って拝すること。月光に阿弥陀仏・
 観音・勢至の三尊が姿を現すといい伝えられ、
 特に江戸では七月に高輪・品川などで盛んに行
 われた。月待。

*高輪 東京都品川区高輪近辺。
 高輪は文化年間初期(1810年頃)葛飾北斎「阿蘭
 陀画鏡(おらんだえかがみ)江戸八景 高縄」に
 描かれた(海岸線の景色)。また江戸時代後期に
「廿六夜待ち」の月の名所として人気を集めた

あな二九の十八丁 あな憎の(ああ憎らしい)
 の意と
2×9=18(○鬼も十八、番茶も出花)
 
挿絵は高輪の会席茶屋での宴席。
 男の客ふたりと三味線を弾く浮
 かれ女。
 給仕する女達。品川の海が目前
 に迫っている

 
高輪大木戸跡歴史を留める
  東京の風景




(11)
 今戸
   奇々羅金鶏

 よし原へ
 むいて 栄花ハ
 一時に

 たつた 今戸を
 こき ぬける船

*今戸 東京都台東区今戸。吉原遊郭への入口。
 
たった今 今戸
挿絵は吉原へ向けて山谷堀を
 渡る猪牙舟。

                                        

(12)
 飛鳥山

 ゆだんすな
 夜ハ

 嵐の
 あたさくら
 いかに あすかの
 山の花 とて

   西皐山子
*あだ‐ざくら(徒桜) 散りやすく、はかない
 桜花。油断してはいけない。夜の嵐のあだ桜。
 嵐がくればいかに飛鳥山の花とはいっても花は
 散ってしまう。

飛鳥山 東京都北区王子にある小丘陵。江戸
 郊外の行楽地で桜と月・紅葉の名所。頂上から
 筑波山の絶景がみられた。

*挿絵は飛鳥山の満開の桜と花見
 する人々。俯瞰図。

飛鳥山と花見弁当
東都名所飛鳥山花見乃図
廣重の風景
国立国会図書館

                                


(13)
 
柳原

 いたつらに
 世をふる着やの
 柳原

 いとも さひしき
 老の くりこと

  百和亭


*柳原  神田川の筋違御門から浅草御門までの
 土手。現在
の万世橋から浅草橋にかけての神田
 川南岸にあたる。柳原土手の始まりにあった筋
 違橋は、中山道・奥州街道・日光街道の江戸へ
 の入り口であり交通の要所だった。
 また、神田川が運河の機能を持っていたことな
 どから、柳原土手は人通りの絶えない賑やかな
 場所であった。
挿絵は柳原の土手に軒を連ねる
 古着屋と往来する人々。
 土手には大きな柳の並木。





(14)
雑司ヶ谷

   金鶏

 風車(かざぐるま)
 かふて かへさの
 酒きけん
 しだひしだひに

 酔や
 まハらん

雑司ヶ谷 東京都豊島区南東部地域。
 鬼子母神(きしもじん)(日蓮宗法明寺の境外仏
 堂)は天正六年(1578)の創建と伝えられ、子授
 け・安産に御利益があるとされ、雑司ヶ谷の鬼子
 母神として有名。

かへさ(帰さ) 帰りみち。

 鬼子母神(法明寺)
挿絵は鬼子母神堂にお参りして
 の帰り道。手に手に土産のかざ
 ぐるまを持っている。




(15)
牛御前

 ふたつ文字
 牛の 御前の
 見はらしハ
 心の角も
 をれて

 見るらし

  遊女花扇
*二つ文字 徒然草62段。平仮名の「こ」の字。
 「ふたつ文字〔こ字〕
 牛の角文字〔い字〕
 すぐな文字 〔し字〕
 ゆがみ文字〔く字〕とぞ、
 君はおぼゆる。こひしく(恋しく)思ひまゐら
 せ給ふとなり。
 絵双紙屋HP「絵本譬喩節」中巻 角文字
*牛の御前 隅田川に沿う旧本所一帯の土地を昔
 牛嶋と呼び、その鎮守として牛嶋神社と称した。
 
昭和七年に現社地(向島新小梅町)に移転した。
挿絵は牛島神社鳥居前の人々。
 牛島神社



  (16)
 目白不動

 参詣の人ハ 小鳥か
 不動尊
 目白の 坂を
 おし合てゆく
   棚上牡丹餅


 愛宕山
   奇々羅金鶏

 名に高き
 あたこの 山に
 のほりてハ
 土器町も
 ちらちらとミゆ

*愛宕山(あたご‐やま)東京都港区芝公園北の
 丘陵。山上に愛宕神社がある。社前の男坂の石
 段は曲垣(まがき)平九郎の馬術で有名。

*土器町かわらけまち 東京都麻布飯倉町三・四
 丁目は通称土器町とも言った。
一帯に土器師が
 多く住んだためという。

 土器(はじ)と恥じ。名に高きと恥じで対語

*(16-2)の頁は国立国会図書館近代デジタルラ
 イブラリー日本風俗図絵第12輯 絵本江戸爵
 (えどすすめ)(朱楽菅江作・喜多川歌麿画・
 蔦唐丸編)(天明6刊)に同一の頁がある。
 この頁(16-2)以外にも以下の頁(17・18・
 19・20・21・22・23・24ー1)の画と歌と同一の
 頁が近代デジタルライブラリー日本風俗図絵
 第12輯絵本江戸爵 (えどすすめ)の中に見ら
 れる。

*目白不動 不動堂は元和四年(1618)に小池坊秀算
 によって建立され、東豊山浄竜院新長谷寺と号し
 た。本尊の不動明王像は目黒、目赤などの五色不
 動のひとつであり、目白の号は寛永年中(1624~
 1644)に三代将軍徳川家光の命によるといわれて
 いる。以前は文京区関口にあった
 (現在は豊島区高田)。境内に市中に時を告げる
 時の鐘もあった。
 小鳥 目白の坂 メジロ 目白押し
 
目白不動尊 江戸五色不動尊

土器坂(かわらけざか)

江戸名所 芝愛宕山 廣重の風景版画の研究



(17)
 
新田大明神

 神坂に
  しるき

 新田の
   紋所
  一すち
   ひける
  夕霞かも
    
   飛花

        
    
*国立国会図書館近代デジタルライブラリー
 日本風俗図絵第12輯 絵本江戸爵に同一の頁が
 ある。

 
*新田大明神 新田神社(にったじんじゃ)東京都
 大田区矢口。新田義貞の次男の新田義興を祭神と
 して祀り、
・義貞戦死後も新田一族を率いて南
 朝方の武将として忠義を尽くしたが、正平13年
 (1358年)謀略により、多摩川矢口の渡で自害。
 その後、夜な夜な「光り物」が現れ、往来の人を
 悩ませたので義興の怨霊を鎮める為に墓の前に社
 殿を建て、新田大明神として祀ったのが創祀とい
 われている。
新田家々紋は一つ引両。 
引両紋の悲喜こもごも 家紋拾い話

新田神社 公式ページ



(18)
  隅田川

 都鳥に 
 こと
 とふ 
 わけも

 なかりせは
 ありや
 なしやの
 うそも 
  つかれす

    羅月庵金松
*都鳥 ユリカモメの雅称。古くから和歌・物語・
 歌謡などに現れる。うわちどり。
 
「白き鳥のはしとあしと赤き、鴫の大きさなる、
 水の上に遊びつつ魚を食ふ。 京には見えぬ鳥
 なれば、みな人見知らず。 渡しもりに問ひけ
 れば、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、名
 にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は
 ありやなしやと とよめりければ、舟こぞりて
 泣きにけり。」伊勢物語第九段

*国立国会図書館近代デジタルライブラリー日本
 風俗図絵第12輯 絵本江戸爵に同一の頁がある。
隅田川(古く墨田川・角田河とも書いた)
 東京都市街地東部を流れて東京湾に注ぐ川。
 もと荒川の下流。広義には岩淵水門から、通常は
 墨田区鐘ヶ淵から河口までをいう。東岸の堤を
 隅田堤(墨堤)といい、古来桜の名所。大川。
 隅田川にかかる現在の白鬚橋(しらひげばし)は
 もともと「橋場の渡し」と「白鬚の渡し」という
 渡船場があった場所であり伊勢物語での東下りの
 中で主人公(在原業平と同一視される)が有名な
 「言問」の歌を詠んだのはこの渡しとされる。





(19)
 
 鏡池

 たちよりて
 鏡池に 
 我姿

 うつせは
  顔の
  色ハ
   黒かり

   金鶏
*国立国会図書館近代デジタルライブラリー日本風俗
 図絵第12輯絵本江戸爵に同一の頁がある。
*鏡 東京都台東区橋場(江戸時代当時は橋場
 町総泉寺)近辺に浅茅が原があり、湿地帯で水鶏が
 多く棲む荒涼とした原野であった。浅茅が原そばに
 鏡池があった。鏡池には「釆女塚(うねめづか)」
 「玉姫伝説」「妙亀塚(みょうきづか)
の悲話
 が伝えられている。
 総泉寺


 


(20)
 
浅茅原 
     角肆

 やゝ春の
 草の浅茅

 はら

  つゝみ
 うち
 出
 見れは
 ちゝこ
 たんほゝ


*ちちこ‐ぐさ(父子草)キク科ハハコグサ属の多
 年草。ハハコグサに似るが葉面に毛がなく緑が濃く
 みえる。路傍や草地に自生。
*国立国会図書館近代デジタルライブラリー日本風俗
 図絵第12輯絵本江戸爵 に同一の頁がある。

*浅茅原鏡池 東京都台東区橋場(江戸時代当時は
 橋場町総泉寺)近辺に浅茅が原があり、湿地帯で水
 鶏が多く棲む荒涼とした原野であった。浅茅が原そば
 に鏡池があった。鏡池には「釆女塚(うねめづか)
 「玉姫伝説」「妙亀塚(みょうきづか)・梅若丸」の
 悲話が伝えられている。




(21)
鷲大明神
   金鶏

 辻はくち
  たゝ 
   ひと
   はりに
  さらひしハ

  鷲明神の
  しるし
   なるへし
*さらひ 有り金全部さらう(攫う)
*さらひ さらい(杷)ヒ農具の一。短い歯を粗く
 並べた横板に長柄をつけた竹・木・鉄製の道具。
 地表の雑物を取り除き、土塊を砕き、また播種
 後の土かけなどに用いる。木製のものは、土を
 かきならしたり、ごみをさらったりするのに用
 い、竹製のものは、木の葉やごみをさらうのに
 用いる。

*国立国会図書館近代デジタルライブラリー日本
 風俗図絵第12輯 絵本江戸爵に同一の頁がある。
*大鷲神社(おおとりじんじゃ)
  東京都足立区花畑七丁目

 鷲神社(おおとりじんじゃ)
  東京都台東区千束三丁目 鷲大明神

 大鳥神社(おおとりじんしゃ)
 東京都目黒区下目黒。

鷲大明神の外れで辻博打をする
 男達。 

 鷲神社公式HP
 




22)
 上野山下

 萬年の
 亀やに
 千代の
 鶴吉ハ

 けに
 蓬莱の
  山下そかし
    金鶏
*国立国会図書館近代デジタルライブラリー日本
 風俗図絵 第12輯絵本江戸爵に同一の頁がある。

*上野山下 東京都台東区上野六丁目付近。
 東叡山寛永寺門前東。天明(1781~1789)の末頃
 まで、
上野山下は「けころ」(蹴転)と呼ぶ私娼
 が出る岡場所でもあった。
○鶴は千年亀は万年 
 亀屋 千代 鶴吉 上野山下にあった見世か人
 の名前か。
 蓬莱(ほうらい)中国の伝説で、東海中にあって
 仙人が住み、不老不死の地とされる霊山。蓬莱山。

上野山下見世の賑わいと寛永
 寺を望む図。




(23)
 業平橋

ふりし世の
 なりひら橋に
 来て見れは
 今に
 かのこの

 雪の
 ふしの根

   奇々羅金鶏

*伊勢物語第九段
 「時知らぬ山は
富士の嶺いつとてか鹿の子まだらに
 
雪の降るらむ
*国立国会図書館近代デジタルライブラリー日本風俗
 図絵第12輯 絵本江戸爵に同一の頁がある。

業平橋 隅田川向島。隅田川支流大横川に架
 かる橋
伊勢物語の在原業平の名にちなむ。

挿絵は業平橋から雪の富士山
 を眺める侍二人。



(24)
 待乳山

   田子浦人

 にこゞりの
 聖天
 なりと笑ふとも
 君を
 まつち
(待乳)
 神に
 いのらん



待乳山(まつち‐やま) 東京都台東区浅草の本龍院
 (浅草寺末寺)の境内にある小丘。丘上に本龍院の
 本堂聖天宮があり、俗に聖天山という。「聖天は娘の
 拝む神でなし」と詠まれたように本尊は男女抱像。
 古来、花柳界の信仰が厚い。
 君を待つ 待乳山の待
*にこ
ゞり (煮凍り)女郎とお客とが身体を食っつ
 け合わせていること。抱合っていること。抱合って
 寝ていること。

*国立国会図書館近代デジタルライブラリー日本風俗
 図絵 第12輯絵本江戸爵に同一の頁がある。

挿絵は待乳山聖天宮風景。

 
待乳山聖天 公式ページ

  



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