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(30) とりすかる 手綱も きれし はなれ馬 くちの こハかる 返事のミして 尾木女 人まつハ けにも くるしや くる糸も わくせくとのみ 思ひミたれて |
人待つはげにも苦しや くる糸の わくせきとのみ思ひ乱れて (歌意)恋人が今来るか来るかと待つのは実 に苦しいことだな。糸車を繰るように、クル クルと想い乱れて落ち着かない。 *わくせき 「あくせく」の転。せかせかして落ち 着かないさま。 *くるし 苦し。 糸を繰る。人が来る。 ○伊勢のうみ波のよるよる人待つと
くるしきものは海士のたく縄 正治初度百首 宜秋門院丹後 |
取りすがる手綱も切れし放れ馬 くちの怖がる返事のみして (歌意)私が恋い焦がれる女は、まるで縋り つく手綱も切れた放れ馬のようだ。老い朽 ちていく私を打ちのめすような言葉だけを 残して行ってしまった。 (女を放れ馬にたとえ、老いらくの恋を嘆く。) *取りすがる・手綱・切れる・放れ馬・馬の口 縁語。 *口と朽ち ○取りすがる恋の奴に慕はれて 立ち止まりぬる旅衣かな 林葉集 俊恵 (1113~?) |
*奈良花丸(ならのはなまる・出雲寺 和泉掾) 日本橋狂歌;本所連、後万 載入; *尾木女 不詳 |
(31) 松かえに はひかゝりたる 藤のはな 春と夏とを またきてそさく 山姫も 冬ハ氷の はりしこと 瀧つせぬひや とつる布引 |
山姫も冬は氷の針仕事 滝つせぬひやとづる布引 (歌意)山姫も冬は氷の針で針仕事。滝の流れを氷 の針で背縫いにしたので、布引の滝は止まって しまった。 *山姫 山を守り、山をつかさどる女神。 *滝つ瀬 滾つ瀬 滝に同じ。 *せぬひ 狭縫い 背縫い *布引の滝 神戸市の東部、布引山中の生田川 にある滝。 *布・針仕事・背縫い・綴じる。裁縫の縁語。 ○裁ち縫はぬきぬ着し人もなきものを なに山姫の布晒すらむ 古今集17 伊勢 ○裁ち縫はぬ紅葉の衣染めはてて なに山姫の布引の滝 建保名所百首 順徳院 |
松が枝に這いかゝりたる藤の花 春と夏とをまたぎてぞ咲く (歌意)松が枝に這い掛かっている藤の花。 今まさに春と夏とをまたいで美しく咲いて いる。 ○(本歌)何方に匂ひますらむ藤の花 春と夏との岸をへたてて 康資王母 千載集 |
*多田人成(ただひとなり) 「吾妻曲狂歌文庫」入。 *智恵内子(ちえのないし)狂歌師 元木網の妻。名は金子道(一説す め)。節松嫁々(ふしまつの-かか) と共に女性狂歌師を代表する作 者。その歌は『狂歌若葉集』 『万載狂歌集』をはじめ、多く の集に入っている。 (1745~1807) |
(32) こそミえにけれ こかね つくりの たち花の色 こゝろほそく 住る山家ハ あらしまて たゝ一軒を あてにしてふく |
心細く住める山家(やまが)は嵐まで ただ一軒をあてにてし吹く (歌意)山家の閑居住まいは平素は静かでよい が、一旦激しい嵐が吹けば嵐はこの一軒だけ を目標に吹き捲る。恐ろしいことだ。 (風流は不便さと隣り合わせ。) *嵐・荒し |
菓(みずがし)の大将とこそ見えにけれ 黄金作りの橘の花の色 (歌意)柑橘類の実は果物の大将と見えること だなあ。橘の花は黄金作りだ。 *底本は「闖秩iこう)」。「菓」の誤りか。 「菓」「みづぐわし・みずがし」又は「くだも の」と読ませるか。 *水菓子「今世は果実の類を京阪にて和訓を もってくだものと云ひ、江戸にては水ぐわし と云ふなり。これ干菓子・蒸し菓子等の制あ りて、この類をただに菓子と云ふことなりし により、これに対して果実の類はみづ菓子と 云ふなり。」近世風俗志(五) *橘 食用柑橘(かんきつ)類の総称。出典「橘 者果子之長上。人之所好。」橘は果物の中で 最上のもの。人々の好むところ。続日本紀 |
*腹唐秋人(はらからの あきんど) 董堂(とうどう)。春星。通称 中井嘉右衛門。狂歌を大屋裏住に 学び、本町側に入る。 狂詩を善くし「本町文砕」の著 あり。(1758~1821) *花江戸住 (はなの-えどずみ) 江戸時代中期-後期の狂歌師。 江戸京橋の南にすみ、鹿都部真 顔等と共に「狂歌江戸紫」の選 者となった。 姓は山口。通称は政吉。別号 霞谷蔭,万亀亭。(?-1805) |
(33) 京並織主 長かりし 夏も過ゆく 日のあしを すこしかゝめて 秋へふみ月 あふ宵に くひし たまこの むくふてや われにかへれと 鶏ハ鳴らむ |
逢ふ宵に喰ひし玉子の報ふてや 我に返れと鶏は鳴らむ (歌意)女と逢う宵に喰った玉子の報いとは。 鶏に早く起こされて、おまけに「我に返れ」 と鳴かれるとは。獣(しし)喰った報いとは 云うけれど、まさか玉子を喰った報いとは ねぇ。 *鶏の古名は「かけ」。神楽酒殿歌には「に はとりはかけろと鳴きぬなり。起きよ起き よ」の例が見られる。かけろが返えろと聞こ えたか。又、鶏の鳴声を「東天紅(トウテン コウ)」と表現。落語ではコケコッコウを 「トッケイコウ」「取っ換えよう」とかける。 ○卵を焼き煮たるものは必ず灰地獄に堕つ 殺生を戒めたことば。今昔物語二十・三 十善悪因果経。『霊異記』中巻「常に鳥 の卵(かひご)を煮て食ひて以て現に悪 死の報(むくひ)を得し縁第十」。 ○獣食った報い 悪事をしたために自分 の身に受けるむくい。 *折句か。「あくむあと(悪夢(の)後」 |
長かりし夏も過ぎゆく日の脚を 少しかゞめて秋へふみ月 (歌意)長かった夏も過ぎて日脚も少しかゞめ て短くなった。今日は秋へ踏み込む文月 (ふみづき)。 *日の脚 物の間からさして来る日光。日影。 *踏みとふみづき(文月)。陰暦七月の異称。 ふづき。 *脚・屈め・踏み 縁語。 |
*京並織主 詳細不明。挿絵の織主 は片手に短冊、もう片方に砧を打 つ木槌をもっている。後方に織っ た布が巻かれている。 *一富士二鷹(いちふじにたか) 三尺庵。通称藤田甚助。江戸橋 本町に住す。四方赤良社中。 |
(34) 田子の浦に うち出てミれは そのゝちの 宝永山も 雪ハふりつゝ かたミこそ 今ハあたなれ なき親のゆつり置れし 貧乏の神 |
形見こそ今はあだなれ亡き親の 讓り置かれし貧乏の神 (歌意)形見こそ今はあだ(仇)となってし まったことよ。亡き親の譲り残された貧乏 神には。 ○(本歌)形見こそ今はあだなれこれなくは 忘するる時もあらましものを 伊勢物語(119段 ) / 古今集(十四) 読人不知 |
田子の浦にうち出て見ればそのゝちの 宝永山も雪は降りつゝ (歌意)赤人は「田子の浦に打出てみれば白妙の 富士の高嶺に」と詠ったが、今はその後に出来 た宝永山にも雪が降っていることだなあ。 *宝永山 富士山南東側の中腹にある寄生火山。 宝永四年(1707)爆裂のため一山峰を形成した もの。 ○(本歌)田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ 山部赤人 新古今集冬・675 |
*加陪仲塗(かべの なかぬり) 江戸中期の狂歌師。通称河合 安右ヱ門。師は四方赤良。 江戸赤坂に住す。 天保3年(1832)歿、64才。 (一般に左官の棟梁なり。故に 此号ありと) *池田正式 (いけだ-まさのり) 江戸前期の俳人,狂歌師。大和 (奈良県)郡山藩士。安原貞室、 松永貞徳に学ぶ。松江重頼の 「毛吹草」を非難して正保3年 「郡山」をあらわした。 のち浪人し狂歌に転じた。 狂号は平群実柿(へぐりの-さねが き)布留田造(ふるの-たつくり)。 著作に「あやしぐさ」「堀河百 首題狂歌集」など。 |
(35) 我恋ハ 人目の関の かさり弓 手つるハ あれと はなすまもなし 物干しの 干しあへぬ 袖もあるものを しつくはかりも なさけかけ竿 |
物干しの干しあへぬ袖もあるものを 滴ばかりも情けかけ竿 (歌意)物干しに干せない袖もあるものだ。 (七夕の牽牛と織り姫のように、一年に一度 でいいから、)ひとしずくの情けをかけて もらって、二人の涙で濡れた袖を掛竿に 干したいものよ。 ○袖纏(ま)き干す 共寝して、涙に濡れた 袖を干す。 *「情けをかける」の「かけ」と「掛竿」 の「掛」が掛詞。 ○佐保姫の袖も干しあへぬ頃なれや 晴れぬ霞のころも春雨 足利義教 永享百首 |
我が恋は人目の関の飾り弓 手づるはあれどはなす間もなし (歌意)我が恋は人目の関の飾り弓。 手づるはあるのに人目があるので矢を射る ことも出来ない。所詮絵空事とは分かって いても恋の矢を射てみたいものだ。 *人目の関 人目が妨げとなって思うにまかせ ないことを、関所がみだりに人を通さないこ とにたとえていう語。 *弓・弦が縁語。 ○あなわびし人目の関をこえわけて みちをわするるときのまそなき 仲文集 |
*釈氏定規( しゃくし-じょうぎ) 江戸時代中期-後期の狂歌師。 浄土真宗の僧で,江戸数寄屋橋に すむ。編著に「狂歌駿河(するが) 細工」。別号に根来庵。 ( ?-1798) *筏丸木(いかだのまるき) 狂歌;1787「才蔵集」入。 |
(36) 力もち 荷もち かちもち つよかりし そのこしかたに なすよしもかな 寒中の 薬くひとて かふ鹿の ねをきくも またあハれなりけり |
寒中の薬喰ひとてかふ鹿の ねを聞くもまた哀れなりけり (歌意)寒中の薬喰い用として買った鹿の値 (値段)を聞くも涙だったが、飼っている時に 鹿が鳴く声を聞けばまた哀れを催すことだ。 *薬食い 寒中の保温・滋養のために獣肉を食 べること。 *ね 値と音。 *かふ 買ふ・飼ふ。 |
力もち にもち かちもち 強かりし そのこしかたになす由もがな (歌意)力餅・煮餅・勝ち餅(力持ち・荷持ち・ 徒(荷)持ち)「こしが強い」ことだ。その 「こし」方があればいいのになあ。 *もち・もち・もち と同音を三回重ね餅の粘り を表す。 *よし‐も‐がな(由もがな) |
*入安 入安狂歌百首 ( にゅうあん きょうかひゃくしゅ) 寛政二 *勘定疎人(かんじょうのうとんど) 疎人(うとんど・勘定、狂歌)花島は なじま平蔵) 江中期江戸深川土橋 の狂歌作者、1785徳和歌後万載/87 才蔵集/新玉集/俳優風などに入。 |
(37) 打ちつける いへは かしらをふる釘の きかぬつらさそ 身にこたへぬる いとハれて 玉のうてなに すまんより 瓦となりて 君とくだけん |
厭はれて玉の高殿(うてな) に住まんより 瓦となりて君と砕けん (歌意)「瓦となって全からんより玉となって 砕けよ」とは云うものの、私の場合は、仮に 御殿に住み、そこで厭われて暮らすよりは、 平凡な暮らしであろうとも、君と一緒に暮す ことが出来れば、たとえ瓦となって砕け散っ ても悔いはないのだ。 (「瓦となって全からんより玉となって砕けよ」 の故事成語のパロディー) *瓦 瓦の意とと骨(かわら)。骸骨。 ○瓦となって全からんより玉となって砕けよ 出典北斉書 元景安伝「大丈夫寧可玉砕不能瓦 全」(男子たる者は、名誉のために死ぬことはあ っても、いたずらに生き長らえるだけのつまらない 生涯を送りたくはない。) *玉砕。玉が美しく砕けるように、名誉や忠義を 重んじて、いさぎよく死ぬこと。⇔瓦全 *瓦全(が‐ぜん) 何もしないでいたずらに身
の安全を保つこと。甎全(せんぜん)。⇔玉砕 |
打ち付ける家はかしらをふる釘の 効かぬ辛さぞ身にこたへぬる (歌意)(歌意)古屋を修理して釘を打付けるが 古釘の先が効かない。釘の効かないほどのあば ら屋に住む辛らさは身に堪(こた)えるなあ。 *「頭を振る」と「古釘」の「古(ふる)」が掛詞。 |
*如水 清水如水(しみず-じょ すい)のことか。 清水如水は江 戸時代前期-中期の狂歌師。江戸 横山町にすむ。歌作のほか,鈍刀 で瓢(ひさご)に彫刻するのを得 意とした。別号に藤根堂、迷淵蟠 鯰侯(1656-1728) *呉竹世暮気(くれたけよぼけ) 巴扇堂世暮気( はせんどう-よぼ け江戸時代後期の狂歌師。江戸の 人。巴扇堂初代。寛政10年「昔噺 赤本狂歌」を刊行。姓は大塚。 ( ?-1820) |
(38) よしのゝ 禿菊うつろふ 色のよし原に 花の すかゝきもあり いふしたて さはかりなさけ なく蚊より なかぬ涙そ先 こほれける |
燻し立てさばかり情けなく蚊より 泣かぬ涙ぞ先こぼれける (歌意)蚊遣に燻され、たいそう情けなく鳴く 蚊の羽音よりも、泣かないぞと、声を押し殺 して我慢している私の方が、なぜか涙が先に こぼれるのだ。 (自分の泣き声を、蚊の鳴き声と比較する 滑稽さ。) *いぶし(燻し) 蚊やり。 *なさけ・なく・泣かぬ・涙 頭韻を揃える。 |
禿菊移ろふ色のよし原に |
*芳野葛子(よしののくずこ・山道高 彦妻)→ 葛子(くずこ・吉野、狂歌; 江戸小日向水道端天神下に住、狂 歌小石川連:智恵内子門、「徳和歌 後万載集」「狂歌才蔵集」入。 挿絵の化粧する芳野は平安朝風 の姿。鏡に顔をうつして小野小町 の「花の色はうつりにけりな」の 歌を効かせているようだ。 *盃米人 酒月米人(坂月-さかづき のこめんど) 米人(こめんど)江戸 時代中期-後期の狂歌師。四方赤 良(大田南畝の門下となる。四方 側の有力判者のひとり。別号に狂 歌房、吾友軒、四方滝水など。 狂名は「よねんど」とも読む。 「観難誌」著。編著に「狂歌東来 集」など。 |
(39) のとかなる 日のあししろも さしかねや 柳の原に 川の水もり 高田資之 君か心 いよいよ我に ほとけぬハ むすふの神を いのりすきたか |
君が心いよいよ我にほどけぬは 結ぶの神を祈り過ぎたか (歌意)君が心、ますます私に打ち解けないのは 結びの神に祈り過ぎたか。なかなか打ち解けな い君が心が恨めしい。 *むすぶ‐の‐かみ(産霊の神)(「結の神」と 当てる) 男女の縁を結ぶという神。 *むすぶ。とける。対句。 ○霜の上に降る初雪のあさ氷 解けずも見ゆる君が心か 古今和歌六帖 |
長閑なる日の足代も差金や 柳の原に川の水もり (歌意)日が差込み、のんびりと安心して暮 らせる家を建てるには、しっかりした準備 と差金が大切だ。柳原の水守も同じ事だな。 水害を防ぐ基は差金だ。 *足代 (1)高い所へ登るため材木を組み立て て造った仮設物。あしば。あしがかり。 (2)基礎。準備。下ごしらえ。 *差金(「指矩」とも書く) 「まがりがね(曲 尺)」 ○指金無くては雪隠も建たぬ。 ○ 規矩によらずんば、小事も成らず。 *足代・差金・指矩・水盛(準) 水漏(れ)・ 水守 縁語。 *柳の原 江戸時代柳原土手と言われ、古着 屋が立ち並んでいた。 |
*土師掻安(はじのかきやす)初 号菊泉亭。通称榎本治右衛門。 天明年間の狂歌師。(~1788) *高田資之不詳 |
(40) 桜木に 何の意恨か 雨風のふみちらしたる 落花狼藉 秋のたつか弓 柳の一葉 射て落しけり |
養由にあらねど秋の手束弓(たつかゆみ) 柳の一葉射て落しけり (歌意)養由のような弓の名人ではないけれど、 手束弓を引いて柳の一葉を散らして秋の訪れ を感じることだ。 *養由 養由基(ヨウユウキ) 春秋時代、楚ソの人。 弓術の名人。百歩離れた所から柳の葉を射当 てたと伝えられる。 「秋の立つ」と「たつか弓」の「たつ」が掛詞。 |
桜木に何の遺恨か雨風の 踏み散らしたる落花狼藉 (歌意)桜木に何の恨みがあるのだろうか。 雨風が桜の花を踏み散らした狼藉のあと。 (徳川幕府の諸種出版物取締や筆禍事件をさ すものか。桜木は江戸時代,版木に使用し た。 参照浮世絵文献資料館 筆禍史 宮武外骨著) *「落花狼藉風狂後、啼鳥竜鐘雨打時=落花 狼藉タリ風狂ジテ後、啼鳥龍鐘(りょうしょ う)タリ雨ノ打ツ時」。 「残惜春」『和漢朗詠集』大江 |
*臍穴主( へその-あなぬし)江戸 中期-後期の狂歌師。安永-天明 (1772-89)のころの人。江戸牛込 赤城下の名主。四方(よも)側の作 者。姓は渡瀬。通称は庄左衛門。 別号に古金見倒。俳号は川鯉。 *山道高彦 江戸時代後期の武士、 狂歌師。田安家の家臣。江戸小石 川牛天神下にすむ。元木網の社中 に属し,小石川連をおこした。 大田南畝らと交遊があった。去。 姓は山口。通称は彦三郎。別号に 馬蘭亭。巴蘭亭。編著に「狂風大 人墨叢」。(?-1816) 最上段へ |
(41) 名のいりし 源氏の恩や わすれけむ 光を尻に しける蛍は 林間に 酒あたゝめん 初物の ひとしほ 紅葉さかなとも見て |
林間に酒温めん初物の ひとしほ紅葉さかなとも見て (歌意)林間に酒を温めて、初物の一際見事な紅 葉を肴と見て、酌み交わそう。 (初物のもみじ(鹿の肉)に薄く塩を引いて、 それを肴に酌み交わそう。) *林間煖酒焼紅葉=林間に酒を暖めて紅葉を焼 (た)く」風流を愛すること。(白居易) *紅葉・黄葉 「もみじば」の略。鹿にはもみ じが取り合されるところから) 鹿の肉。 *一入 一塩 |
名の入りし源氏の恩や忘れけむ 光を尻にしける蛍は (歌意)源氏の名を戴いた源氏蛍はその恩を 忘れたのだろう。光源氏の光を尻に敷いて、 繁く光を点滅させながら飛び交っている。 (源氏名の遊女は光源氏の恩を忘れたの だろう。光源氏を忘れて今日も源氏蛍のよ うに盛んに情を交わしている。) *しける こっそり入り込む。遊所や情人の もとへ行くにいう。 *しげる 繁る しっぽりと睦み合う。同衾して 情事をおこなう。 *敷(き)ける |
*柳原向 やなぎわら-むこう ?-? 江戸時代中期の狂歌師。天明の頃 の狂歌壇のひとり。江戸下谷三味 線堀に住み,伯楽側の判者となっ た。別号に楊柳亭,春風堂。 *辺越方人(へこしのかたうど) → 方人(かたうど・辺越、佐野屋 七兵衛/狂歌)方人(かたうど・辺越 へこし、初号;海老船守えびのふね もり、佐野屋七兵衛) 魚商/狂歌詩 ・赤良門、「後万載」/「才蔵集」/「吾 妻曲狂歌文庫」入;[棹姫のお入と みえてむらさきの霞の幕をはる の山々](?ー1787) |
(42) 十五夜と 今宵の 月は二幅対 かけたところも また見事なり 雨はれて染屋か門に ほす布ハ 空にしられぬ 軒の玉水 |
雨晴れて染屋が門に干す布は 空に知られぬ軒の玉水 (歌意))雨晴れて染屋の門に干す布は、空も 知らない軒の玉水を乾かしているの。 (共寝して涙で濡れた袖を干しているの。 染屋の門に干しているから誰にも分からな いと思うけれど。知らないふりをしてね。) ○春雨の降るとはそらに見えねども きけはさすかに軒の玉水 後鳥羽院宮内卿 玉葉集夫木和歌抄 *玉水 軒先から落ちる雨だれ 井出の玉水(伊勢物語122によって男女の 契りの頼りなさに譬えられる。) |
十五夜と今宵の月は二幅対 かけたところもまた見事なり (歌意)十五夜も今宵の月(十三夜)も月の 美しさは格別。二回の月見は二幅対。 先月の満月も今宵の欠けた月も共に素晴ら しい。 (廓で十五夜の月見をしたら後の月(十三夜) に行かぬは粋ではない。二回の月見は二幅 対。 片見月は遊女に嫌われるどころか男の恥。) *かける 掛ける。欠ける。 *江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方 を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は 「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと 遊女らに嫌われた。二度目の通いを確実に行 なうために、十五夜に有力な客を誘う(相手 はどうしても十三夜にも来なければならない ため)風習があった。月見wikipedia |
*豊年雪丸(ほうねんのゆきまろ、 松月庵、市橋助左衛門)尾張藩士、 名古屋狂歌;酔竹連、1815雅望「飲 食狂歌合」参、「才蔵集」「狂歌部領 使」「上段集」入、「吾妻曲狂歌文 庫」入。[年の坂のぼる車のわが よはひ油断をしても跡へもどら ず](?ー1821) *高利刈主(こうりのかりぬし) 本 所一ツ目御旅所茶屋主人、狂歌;両 国連、東作「百鬼夜狂」・才蔵集入; [虫入の琥珀とみゆる手水鉢 氷の中にひと葉南天](才蔵集) |
(43) 一合より九合 かぎりの 富士をミて なとさんごくの 山といふらん 風と出て 風と きえやすきよの人ハ ふきしさぼんの あハれはかなや |
風と出て風(ふ)と消えやすき世の人は 吹きしサボンの哀れ儚(はかな)や (歌意)風のようにふと出て、いつの間にか消 えてしまうような世の人は、まるで吹かれた シャボンの様に哀れで儚いものだなあ。 *サボン シャボン(ポルトガル)1677年頃、 はじめて江戸でシャボン玉屋が行商して流行。 |
一合より九合限りの富士を見て など三国の山と云ふらん (歌意)一合目から九合目までしかない富士 山を見て、なんで三国一の山と云うのかな。 三石にも足りないや。 *1+2+・・・+9=45合=4升5合 *三国と三石をかける。1石は10斗、 三国一 (室町時代の流行語)日本・唐土・ 天竺にわたって第一であること。 |
*麓近道(ふもとのちかみち) 上州 の狂歌作者;1787「才蔵集」入; *紀躬鹿(きのみじか、井上作左衛 門) 評定所役人、牛込御徒町狂歌 ;「後万載集」6首/「才蔵集」7首入; |
(44) わすれてハ うちなけかるゝ 夕へかなと 物おほえよき 人ハよみしか うき名のミ 雲を霞と あかつたり あハぬ ひばりの 落る涙に |
浮き名のみ雲を霞とあがったり 逢はぬひばりの落ちる涙に (歌意)浮き名だけが雲を霞と上がってしまった。 彼女に逢えない日。雲雀のように舞い上がる憂 き名。落ちるは我が涙だけ。悲しいなあ。 ○雲を霞と 一目散に逃げて姿をくらませるさま。 *逢わぬ日の「ひ」と ひばりの「ひ」が掛詞。 *浮き名・憂き名 *あがったり・落ちる 対語 |
忘れては打ち嘆かゝる夕べかなと 物覚え良き人は詠みしか (歌意)「この夕べのことを忘れては大変に 嘆かれてしまう」と物覚えのよい人なら あの歌を思い浮かべて歌を詠んだそうだ。 ○(本歌)忘れては打ち嘆かるる夕べ かな 我のみ知りて過くる月日を 式子内親王 新古今集 |
*半掃庵(はんそうあん) → 也有 (やゆう・横井、俳人/詩歌)江戸中期 の俳人。通称孫右衛門。別号に野 又、野有,暮水(和歌名)、蘿隠(漢 詩名)、螻丸(狂歌名)など。名古屋 の人。時衡と久留女の子。横井家 は尾張(名古屋)藩の名門。著述は 多く、『羅葉集』『管見草』『美 南無寿比』『的なし』などの俳諧 関係書や漢詩文集『蘿隠編』、そ して狂歌集『行々子』などもあ る。(1702~1783) *紀月兼(きのつきかね) ? ー? 狂歌 :1787才蔵集入、記のつかぬと同一 か。 記のつかぬ(伊勢屋清左衛門) |
(45) だきつきて こよひハ われを しめころせ あふにかへんと いひし命そ つふり光 北むきハ いつれも 毒としりなから 堪忍ならぬ 河豚とよし原 |
北向きはいずれも毒と知りながら 堪忍ならぬ河豚と吉原 (歌意)北向きはどれも毒であることを知り ながら、我慢出来ないのは河豚を喰うこと と吉原(北国)遊びだなあ。 *北向き 僧の隠語で、女犯(によぼん)。 *北国。北国 吉原(江戸城の北にあたるの でいう) 新吉原の異称。 *北枕 死人の北枕。 挿絵の頭ひかりがもたれている引出しの 字は「待ちや」(まちちや)と読むか。 浅草聖天山、待乳山(真土山)近くの店の 名か。 |
抱きつきて今宵はわれを絞め殺せ 逢ふにかへんと云いし命ぞ (歌意)抱きついて、今宵はわれを絞め殺せ。 お前に逢えるものなら命に換えても良い我が 命だから。 ○(本歌)命をば逢ふにかへんと思ひしを 恋ひしぬとだに知らせてしかな 寂超法師(藤原為経)千載集十一恋 |
*石田未得(いしだみとく・石田、 通称又左衛門、乾堂/巽庵)江戸 両替商/剃髪/俳人;江戸五哲の1、 「謡誹諧」独吟百韻、65「雪千句」入、 69息未琢みたく「一本草」入(未得 の終焉の記録入)、狂歌家集「吾吟 我ごぎんわが集」、行風「古今夷曲 集」63首入。(1578ー1669) *頭光(つむり‐の‐ひかる) 江戸後期の狂歌師。江戸の人。 本名、岸宇右衛門。別号桑楊庵 (そうようあん)・2世巴人亭。 江戸日本橋亀井町の町代で、 蜀山人に師事。狂歌四天王の一 人。[1754~1796] |
(46) 大井千尋 さえかへる 寒さに 霜の ふるはかま ひたの細江の 春のあけほの しけりつる このも かもの 事はかり さんやかえりの 目につくは山 |
繁りつるこのもかのもの事ばかり さんや帰りの目につくば山 (歌意)山谷帰りは、そこもここも、熱々の 男と女ばかりが目につく筑波山だ。遠くに 見える筑波山も男女二峰の恋の山が青々と 繁って見える。 (山谷帰りはあちこち御しげりだ。) *さんや(山谷・三野・三谷)1657年(明暦三) の大火に元吉原町の遊郭が類焼して、さんやに 仮営業して新しい遊郭ができたから、新吉原の 称ともなった。 *しげ・る (男女がむつまじく情を交す)と 茂る・繁る。 *御しげり(遊里語) 男女が情を交わすこと。 (目に)附く 筑波山とを掛ける洒落。 *このも‐かのも(此の面彼の面)あちこち。 ○筑波嶺の 峯より落つるみなの河(男女ノ川)
恋ぞ積もりて淵となりける 後撰集 巻十一恋三776 陽成院 ○筑波嶺のこのもかのもに影はあれと 君かみかけにますかけはなし 古今集 巻二十 東歌:ひたちうた1095 |
冴えかへる寒さに霜のふる袴 ひたの細江の春のあけぼの (歌意)(斐太の細江に住む菅鳥のように あなた恋い焦がれて夜を過ごしていたら) 明け方の凍える寒さに古袴に霜が降って 霜降り袴になってしまった 袴の襞の細え(斐太の細江)ほどわずか だが春の曙が見えた。 (下記の本歌を踏まえるか。) *降る・古。 *襞の細重・斐太(飛騨)の細江。 ○本歌 白真弓斐太の細江の菅鳥の 妹に恋ふれか寐を寝かねつる 万葉集巻十二3092 |
*大井千尋(おおいのちひろ) → 山陽(さんよう・芝の屋/司馬の屋、 小島市右衛門/能勢のせ嘉門) 江 戸狂歌/狂詩・南畝門、旗本千村邸 内に住、中良・菅江・橘洲門/四方側 判者、雅望・眞顔の宗匠事件主謀。 「狂歌立雲集」「狂歌年代記」「布 毛等濃夷詞」「浅間山麓の石」/編、 「芝の屋集」、「才蔵集」入]。通称; 内記。(?ー1836?) *小川町住(おがわのまちずみ、大高 おおたか仁助にすけ) 高松藩士/江 戸小石川藩邸(小川町中屋敷)に住、 狂歌・四方連、1785「徳和歌後万載 集」・87「狂歌才蔵集」入、[待ちわび し妻戸をたゝく主は誰たそまただ まされし二度のくゐなに](才蔵集; |
(47) おほけなく 柿の素袍に おほふかな わかたつ 芝居みやうか あらせ給へや なれもまた 思ひに 身をや こかしけん 灰毛の色の 猫の妻恋 |
汝(なれ)もまた思ひに身をや焦がしけむ 灰毛の色の猫の妻恋 (歌意)お前もまた恋の思いに身を焦がして いるようだ。灰毛の色の猫の妻恋。 (私もまた年甲斐もなく恋の思いに身を焦 がしているとは。白髪頭のまるでさかりの ついた猫の妻恋のようだ。) *挿絵の唐来参和は雅楽の笙を火鉢であたた めている。後ろは楽太鼓。 ○なれもまた思ひに燃えてかげろふの をのの浅茅に問ふ蛍かな 新葉集 |
おほけなく柿の素袍におほふかな 我が立つ芝居冥加あらせ給へや (歌意)恐れ多くも柿色の素袍をまとって演じ ているわが芝居、「暫」が大当たりしますよう に。われに神仏のご加護がありますように。 *江戸時代、十一月の顔見世狂言では必ず「暫」 が上演され、「暫」のつらねで「東夷南蛮北狄 西戎 、四夷八荒 天地乾坤 ・・・、 柿の素袍 を今茲 に、この身に重き 大太刀 ・・・」と 口上を述べた。 ○本歌 おほけなく浮世の民におほふかな 我が立つ杣に墨染の袖 慈 円 千載集 ○本歌 阿耨多羅三貌三菩提(アノクタ ラサンミャクサンボダイ)の仏達 わかたつ杣に冥加あらせ給へ 新古今集 伝経大師 *おけなし 身のほどをわきまえない。 身分不相応である。 *素襖 直垂(ひたたれ)の一種。大紋から変化 した服で、室町時代に始まる。もと庶人の常服 であったが江戸時代には平士(ひらざむらい)・ 陪臣の礼服となる。 |
*花道つらね 市川団十郎(5代) 江戸時代中期-後期の歌舞伎役 者。四代市川団十郎の子。若衆 方、実悪(じつあく)、実事(じつ ごと)、女方をこなし、安永-天明 の江戸歌舞伎全盛期の花形役者 となる。寛政三年鰕蔵(えびぞう) と改名。江戸出身。俳名は白猿。 狂歌名は花道のつらね。屋号は 成田屋。(1741ー1806) *唐来参和(とうらい‐さんな) (名は三和とも書く。拳けんで数 を表す語をもじった名) 江戸後期 の狂歌師、洒落本・黄表紙作者。 加藤氏。通称、和泉屋源蔵。武士 の出で、後に町人となり、本所松 井町の娼家和泉屋に入婿。狂歌は 四方赤良の門。 洒落本「和唐珍解」、黄表紙「莫 切自根金生木(きるなのねからか ねのなるき)」など。(1744ー1810) |
(48) 遊女 たハれおか よし原 ちかき 紅葉狩 をにこもれると 人なとかめそ もちあくる むくらの 宿の垣にさく 朝顔も日を いとひこそすれ |
持ちあぐる葎(むぐら)の宿の垣に咲く 朝顔も日を厭ひこそすれ (歌意)扱い兼ねる程葎(むぐら)の生い茂 った宿の垣根に、朝顔は陽射しをかばって 健気に咲いていることだなあ。 *むぐら 葎とむぐら(もぐら) もぐらが地面を持ち上げる意も掛ける。 *八重葎繁げる宿にはまつ虫の
声よりほかにとふ人もなし 古今和歌六帖 |
戯れ男(たわれお)か吉原近き紅葉狩り 鬼籠もれると人なとがめそ (歌意)戯れ男が吉原近くで紅葉狩り。 「紅葉山には怖ろしい鬼女が隠れているよ」 と脅かす世の人よ、紅葉狩りの男をとがめ ないで。近くの吉原で大勢の美女がお客を 待っているわ。 *紅葉狩 能の一。観世信光作。平維茂が戸 隠山で、美女に化けて紅葉狩する鬼女にめ ぐり逢い誘惑されかかるが、ついに退治する。 |
*岩越(いわこし・遊女) 吉原京町岡 本楼遊女、狂歌:南畝門。1787才蔵 集1首 *塒(ねぐら)出隆久 平花庵雨什 ( へいかあん-うじゅう )江戸 時代後期の狂歌師。江戸に住み、 のち上野(こうずけ)(群馬県)高崎 に移住した。四方側の判者。別号 に塒出鷹久。(?-1814) |
(49) つるき羽の けんお祓を ふりたつる 五十鈴の川の をしの振舞 はらのたつ 事こそなけれ 世にふるを をさな心に はふて遊べば |
腹の立つ事こそなけれ世にふるを 幼心に這ふて遊べば (歌意)幼心のままに這って遊べば腹の立つ 事などなく世間を渡って行けるものを。 (そうではないので腹の立つことばかりだ。) (逆説的表現) *立つ・這う 対語。 |
つるぎ羽の剣おはらいを振り立つる 五十鈴の川のをしの振る舞い (歌意)剣羽を振り立てゝ剣お祓いをする 伊勢の御師の振舞は、五十鈴川で泳ぐ おしどりの仕草にそっくりだ。 ○池水にをしの剣はそば立てて 妻あらそひのけしき激しき 藤原信実 夫木和歌抄 *つるぎば(剣羽)オシドリの雄の両側に ある、イチョウの葉の形をした美しい羽。 いちょうば。おもいば。 *おし(鴛鴦(オシドリ)と御師。を掛ける。 *御師(御祷師の略))伊勢神宮神職で、年末 に暦や御祓(おはらえ)を配り、また参詣者 の案内や宿泊を業とした者。 伊勢ではオンシという。 |
*手柄岡持(てがらおかもち) 朋誠堂喜三二(ほうせいどう‐ きさんじ)江戸後期の戯作者・ 狂歌師。本名、平沢常富。別号、 手柄岡持など。 秋田佐竹藩士。作に黄表紙「文武 二道万石通」、洒落本「当世風俗 通」、狂歌集「我おもしろ」な ど。(1735~1813) *問屋酒船(とんやのさけふね) 通称井上幸次郎。東都南新堀 に住す。酒船(さけふね・問屋とい や/とんや、井上重[幸]二郎/春蟻) 江戸霊岸島鉄砲洲住:狂詩/狂歌; 本町連。後万載・才蔵集 入、 東作「百鬼夜狂」狂歌入 |
(50) ミな人の ミとりとよへる かふろ松 丈夫にならん 色そミえける 今ハはや 枕の ちりもいとふまし とても涙の 床ハ大海 |
今ははや枕の塵も厭ふまじ |
みな人のみどりと呼べる禿松 丈夫にならん色ぞ見えける (歌意)皆人がみどりと呼ぶ禿松。丈夫に育 って大木になるように見えるなあ。 (皆が「みどり」と呼ぶ禿の少女は丈夫に育っ てほしいなあ。将来は松の位の大夫になるよ うな楽しみな色と見えることだ。) *かぶろ‐まつ(禿松)葉の少ない松。 二葉の松。小松。 *かぶろ(禿) 太夫・天神などの上級の 遊女に使われる十歳前後の見習いの少女。 やがて新造となり女郎となる。禿の名は わかば・みどり・しげみなどが多かった。 (日本古典文学大系・川柳狂歌) *松 松の位 太夫職の遊女 *折句か。各句の頭字は「みみかしい」 (身々が強い?) |
*竹杖為軽(たけつえのすがる) 森羅万象(しんら‐ばんしょう) 江戸後期の狂歌師・戯作者。 本名森島中良。通称は甫斎。 蘭学者で平賀源内の門人。 洒落本「田舎芝居」など多数の 著がある。(1754~1808) *多羅井雨盛(たらい・あめもり) 石山人(せきさんじん)江戸中期の 戯作)者,狂歌師。江戸の人。山東京 伝と親しく,京伝が北尾政演(まさの ぶ)の画号で挿絵をつけた黄表紙に 「是気儘作種(これはきままなさく のたね)」、「酒宴哉夭怪会合(し ゅえんかなばけもののまじわり)」 などがある。別号に物蒙堂礼。 物申とう礼、石山。 |
(51) 鹿島貞林 恋風を ひきて わつらひ くらすこそ 薬も君も あハぬ故なれ 金にならぬ 田舎うまれの 鴬ハ 声のなまりの とれぬなるへし |
金にならぬ田舎生まれの鴬は 声のなまりのとれぬなるべし (歌意)田舎生まれの鴬は声はよくても 田舎訛りが取れないから金にはならないな。 (田舎生まれの娘は高く売れないな。 声の訛りがとれないからお里が知れる。) *なまり 訛り・鉛(金の縁語)。 |
恋風をひきて患ひ暮らすこそ 薬も君もあはぬ故なれ (歌意)恋風という風邪を引いて患い、暗い 気分で暮らしているけれども、薬も合わない し、君にも逢わないからだ。 *恋風 恋心の切なさを、風が身にしみわた るのに譬えていう語。 *風と風邪。 風邪・患ひ・薬・縁語。 |
*鹿島貞林 貞林のことか? 貞林(ていりん) 伊丹の狂歌作 者;1679生白堂行風「銀葉夷歌集」 33首入 *橘実副(たちばなのみぞえ、初号; 草屋師鯵(くさやのもろあじ) 細井八郎治)京橋/数寄屋橋狂歌; スキヤ連、橘洲門、若葉/万載/ 後万載/才蔵集入;(?ー1804 ) |
(52) わか家ハ たとへのふしの 火うち箱 かまちて打て 目から火か出る 玉簾小亀 金いれも あきの 夕への ふる小袖 質草に をく露ハ なミたか |
金入れもあきの夕べのふる小袖 質草に置く露は涙か (歌意)財布も空きが目立つ秋の夕べ。泣く 泣く質草に入れる女房の古小袖。露の涙し か借りることができない。 *秋・空き。 古る・旧る。 *金入れと質草 涙と小袖。草と露。縁語 |
わか家は譬への節の火打ち箱 かまちで打ちて目から火が出る (歌意)我が家はたとえて云えば火打ち箱。 火打ち箱のように狭くて小さいから、框 (かまち)で頭を打って、目から火が出る。 *火打箱・燧箱 火打道具を入れておく箱。 狭く小さい家も形容。 |
*大屋裏住(おおやの-うらずみ) 狂歌師。姓は久須美、通称白子 屋孫左衛門、号は大奈権厚記・ 窓雪院等。天明狂歌壇の先駆者 で本町側を主宰し、門人に手柄 岡持・立川焉馬等がいる。また 鷺流の狂言を能くし、野呂松人 形の名手でもあった。 (1734‐1810)。 *玉簾小亀 不詳 |
(53) かりの世に 違乱ハまうすましく候 後日のために 南無阿弥陀仏 さほ姫の いとまこひして ゆく春の うしろすがたや 藤のさげ髪 |
佐保姫の暇乞ひしてゆく春の うしろ姿や藤のさげ髪 (歌意)春の女神佐保姫は暇乞いして 行かれた。そのうしろ姿は藤の花の下げ 髪。今日で春の終わり、夏の始まりだ。 ○咲く藤の花の鬘か佐保姫の 袖の緑の松にかかれる 草根集正徹 |
かりの世に違乱は申すまじく候 後日のために南無阿弥陀仏 (歌意)はかない仮の世だから不平不満は 申しません。後日のため、例の極まり文 句の南無阿弥陀仏。 (借金のある私だからなんの文句も申し ません。後日の為南無阿弥陀仏。) *この狂歌は幕府への皮肉を込めた一首か。 *仮の世 無常な現世。はかないこの世。 借りの世。 *借用証の定型文「異儀申間敷候。 為後日証文仍而如件」のモジリ。 ○ひとたひも南無阿弥陀仏といふ人の
蓮の上にのほらぬはなし 拾遺集 空也上人 |
*油煙斎貞柳 (ゆえんさい‐ていりゅう) 江戸中期の狂歌師。大坂の人。 榎並氏。本名、永田良因、のち 言因。通称、善八。家号は鯛屋。 号は由縁斎・珍菓亭など。 最初の専門狂歌師で狂歌中興の祖 といわれる。作「家づと」「油煙 斎置土産」など。(1654~1734) *山手白人( やまての-しろひと) 名は山部赤人のもじり。江戸 中期の武士、狂歌師。評定所 留役の旗本。天明狂歌壇のひと りで四方(よも)側に属した。 「徳和歌後万載集」に序文をよせ、 29首がのる。本名は布施胤致。 通称は弥次郎。(1737-1787) |
(54) かくはかり めてたく ミゆる世中を うらやましくや のそく月影 |
跋 狂極好門宿屋飯盛 其主を 見ず障子に押さず、 なす。予、系譜に暗しといへども の なれば 事明なり。性質、 合ん事を求めず。飲食に至りても とも多し。学を好ども よめども いひ、 |
かくばかり目出度く見ゆる世の中を うらやましくやのぞく月影 (歌意)このように目出度見える世の中を、 月までが羨ましがってのぞいているじゃないか。 (目出度いって。そんなことあるわけないじゃ ないか。) (一見現実肯定論だが逆説的比喩で世を皮肉る。) ○本歌 かくばかり経(へ)がたく見ゆる世の中に うらやましくもすめる月かな 藤原高光 拾遺集 *上の歌のパロディ。 跋 *狂極 京極をかける。京極は藤原定家の孫、 為教(ためのり)を祖とする和歌の家筋。 *五十人一首(吾妻曲狂歌文庫出版のこと。) *壁と見る 野暮と見なす。また、人を馬鹿にする。 *雅觀 雅鑑(がかん)おめにかけるの意の敬語。 *寒酸 貧乏。 *縉紳(しんしん)(笏(しやく)を紳(おおおび) にはさむ者の意) 官位の高い人。身分ある人。 *浮屠(ふと)仏陀。転じて仏寺・僧侶の意にも 用いる。 *四方赤良(よものあから)大田南畝(おおた‐ なんぽ)のこと。江戸後期の狂歌師・戯作者。 幕臣。名は覃(たん)。別号、蜀山人・四方赤良・ 寝惚(ねぼけ)先生。狂詩文にもすぐれ、山手 馬鹿人の名で洒落本も書いた。著「万載狂歌集」 「徳和歌後万載集」「鯛の味噌津」「道中粋語録」 「一話一言」など。(1749~1823) |
(55) まぎらかしの万葉を喰ハす。 不遜をにくむ。たゝ好むところ二番に狂歌なり。然といへ ども、酢の過たる 切 撰者 画工 北尾傳蔵政演 |
*蔦屋重三郎(つたや‐じゅうざぶろう) 蔦屋の主人。本名、喜多川柯理。号、 耕書堂など。蜀山人(大田南畝)・山東 京伝ら江戸の狂歌師・戯作者と親しく、 喜多川歌麿・十返舎一九・滝沢馬琴ら も一時その家に寄寓した。通称、 蔦重(つたじゆう)または蔦十。 自らも狂歌・戯文を作り、狂名、 蔦唐丸(つたのからまる)。 (1750~1797) |
*侠 おとこぎ。おとこだて。 *精らげ よりぬきのもの。 *箸を下ろす 「箸をつける」に同じ。 *北尾伝蔵政寅(山東京伝)江戸後期の戯作者・ 浮世絵師。本名、岩瀬醒(さむる)。俗称、 京屋伝蔵。住居が江戸城紅葉山の東方に当る ので山東庵、また、京橋に近いので京伝と号 した。京山の兄。初め北尾重政に浮世絵を学 び北尾政演(まさのぶ)と号、のち作家となる。 作は黄表紙「御存商売物)」「江戸生艶 気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」 「心学早染草」、読本「桜姫全伝曙草紙」 「昔話(むかしがたり)稲妻表紙」、洒落本 「通言総籬(つうげんそうまがき)」など。 (1761~1816) |
*平秩東作(へずつとうさく)。 立松東蒙(たてまつ‐とうもう) 江戸中期の儒学者・狂歌師・戯作者。 名は懐之。通称、稲毛屋金右衛門。 筆名、平秩東作(へずつとうさく)。 江戸の人。著「闔・・ェ談 ( しんやめ いだん ) 」「当世阿多福仮面」など。 (1726~1789) *宿屋飯盛(やどやのめしもり)江戸後期の 国学者・狂歌師。江戸馬喰町の宿屋の 主人石川雅望。狂名は宿屋飯盛。 和漢の書に精通、狂歌師中の学者。著は 狂歌・狂文に関するもののほか、「雅言 集覧」「源註余滴」「しみのすみか物語」 等。(1753~1830) |
(55)
天明新鐫百人一首 名高き古人并に当時名 家の秀作をあつめ是に 画像をくハへたるなり 宿屋飯盛撰 彩色摺筥入 全一冊 |
四方先生著 唐詩選諺解にならゐ 狂歌選諺解 ておかしき詞を以て注す 中本全 一冊 |
天明新鐫五十人一首 当時の高名なる よミ歌をしるす 同作 彩色摺 全一冊 |
絵本 さいしき摺 大本全二冊 |
狂歌 狂歌をあつむ 四方赤良撰 全二冊 |
絵本 上に狂歌を加ふ 全二冊 |
四方のあか 四方赤良の狂歌狂文を あつめたる本なり 全二冊 |
近刻 同筆 絵本数寄屋釜 武者鞋或ハ風景の 諸所ニ狂歌を加 全二冊 |
諸家の秀逸をあつめ家々の 風調をしらしむ狂歌師の 自賛歌集ともいふべし 鹿都部真顔 撰 全一冊 |
同 北尾重政筆 絵本百千鳥 全三冊 |
書肆 東都本町筋北エ八町目通油町 蔦屋重三郎 梓 |
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○参考書
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底本の翻刻・解釈に関して福岡在住の 松尾守也氏にご協力を頂きました。御礼申し上げます。 お気づきのことがありましたらお知らせ下さい。 和泉屋 楓 ezoushijp@yahoo.co.jp @を半角に換えて下さい。 |