2020/3/3 改訂

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絵画

画本 早引(えほん はやびき)    二卷 二册
Ehon hayabiki [picture book]
葛飾北斎(かつしかほくさい) 戴斗(たいと) 画  十返舎一九(じっぺんしゃいっく)   序文
江戸甘泉堂  版

前編文化一四年(1817年)
後編文政 二年(1819年)
解説  (文末に記載)
原データ 東北大学付属図書館狩野文庫画像データベース  




   
 前編 二十七丁中 十一丁のみ掲載

    後編 三十五丁(広告文七丁を含む)中 七丁のみ掲載
  
(1)

 画本早引 前





(2)
 
画本早引(えほんはやびき) (じよ)

東福寺兆殿司(てうでんす)は。本来(もと)師なくして画図(ぐハと)

(まなぶ)に。其一切のものゝ(かたち)活生(くハせい)の侭を熟写(じゆくしや)

して。おのづから講明し。(つゐ)に玄妙神に入と

言伝いひつたへ)り。今画の道に行れて。戯れに
()

(よく)し。自得するもの甚し。然れども高手(かうしや)は師に



 東福寺 京都市東山区にある臨済宗東福寺派の本山。

 兆殿司(ちょうでんす)室町初期の画僧。字は吉山(きちざん)。別号は破草鞋(はそうあい)。淡路島生れ。東福寺に住して殿司となったので、世に兆殿司(ちようでんす)と称。宋・元の画風を学び、仏画や頂相(ちんぞう)を描いた。東福寺には五百羅漢図・涅槃図など、作品が多く残る。(1352~1431)明兆(みんちよう)の異称。

3 嗜慾(しよく)=嗜欲。見たい、聞きたい、食べたいなどという欲望。

 
(口語訳)
   画本 早引 序
東福寺の兆殿司(画僧明兆)は初めから師というものはなしで、独学で画図を学び、あらゆる形やいきいきとした姿を巧み描き、真実を表現して、遂に玄妙なる神の領域に入ると言い伝えられている。現在画の道はよく行われ、嗜み会得している者は多いけれども名人になるには 



       (3)
(よら)されば成事(なること)蜿オ(かた)し。于此(こゝに)東都(とうと)戴斗翁(たいとおう)

画帖(くハてう)数篇を著し。(たまたま(この)早曳(はやびき)(めい)ずるもの。

伊呂波四十八文字の仮名に
(あハ)せ。其意(そのゐ)

(おう)ずる。図画(づくハ)をひき得る。排設(はいせつ)にして

(じつ)黄口(くハうこう)素子(そし)が。此道に(なる)るの祖述(そじゆつ)

翁が
奇才(きさい)。画法気韻(きゐん)ともに(ぼん)ならす。

     (左頁落丁部分)
人物の骨相雲行水流の頓筆。

しかも学ぶに易く。ひとり案上遊


戯の調宝なるべし
 文化丁丑晩夏日 十返舎一九 識



 蜿オ 難の異体字

2 
気韻(きいん)気品の高い趣き。

3 
文化十四年丁丑 1817 年

4 
東北大狩野文庫にはこの頁と次頁の一丁が落丁している。
永田生慈氏監修岩崎美術社刊
「北斎の絵手本」(五)収録の「画本早引」を参照して記述。

  (口語訳)
師に拠らなければ上達は難しい。ここに東都戴斗翁は画帖数編を著し、たまたまこの「早引」と名付けられた本は「いろは」四十八文字の仮名にあわせて、その言葉に対応する図画を描いた。図柄を各種多彩に並べ、絵の初心者にも画道に慣れると述べている。まことに翁(北斎)の奇才と画帳の芸術性は共に並みのものではない。

 
(左頁落丁部分)
人物の骨相、空を漂い行く雲、流れる水の頓筆なること。しかもこの本は学びやすく、机上でひとりでの絵画制作に重宝なるはずだ。
   文化十四年 晩夏日 十返舎一九 識



 
    
 


(4)
 
    (右頁落丁部分)
 伊=イ  呂=ロ  
 画のしかたハ片仮名に
 ならひておのおの
 半ハを画きて其形チの
 全たからん事を専ラと
 すべし。しかた左のごとし。

  
(原文はいろは文字表一覧あり

 
 い 
瑞垣(イガキ)陰者(インジヤ)居合(イアイ)膝行(イザリ)
伊勢。 
一僕(イチボク)。 逸民(イツミン)。色。囲碁。
家居。医者。
息杖(イキツエ)。異見。鋳懸(イカケ)
石匠(イシヤ) 井(戸)

1 斎垣(いがき) 神社など、神聖な領域にめぐらす垣。

2 隠者(いんじゃ)煩わしい俗世間から隠れて静かに暮らしている人。

3 居合(いあい) 片膝を立てて、すばやく刀を抜き放って敵を斬り倒す技。

4 膝行(いざり) 尻を地につけたまま進むこと。

5
 逸民(いつみん )世をのがれて隠れている人。
6 息杖(いきづえ)荷物をかついだ人やかごかきが息入れするとき、荷ったものを支えたりするのに用いる杖。

7 鋳掛け(いかけ) なべ・かまなど銅・鉄器の漏れを止めるため「しろめ」などをとかし込んで穴をふさぐこと。
 

   落丁部分は永田生慈氏監修
   岩崎美術社刊
   「北斎の絵手本」(五)を参照。

 



(5) 
韋駄天(イダテン)囲炉裏(イロリ)居角力(イスマウ)
居眠(イねム)ル。(イノ)ル。色子(イロコ)。井手の玉川。
池ノ禅尼(ゼンニi)入鹿大臣(イルカダイジン)音物(インモツ)(イカ)ル。
戦物語(イクサモノガタリ)()ル。芋洗(イモアライ)(イキドフ)ル。田舎(イナカ)

活佛(イキホトケ)(イケニエ)一杯(イツパイ)色町(イロマチ)(イト)()リ。石磨。(イシウス)
(イブカ)ル。粟□(イネコキ)(竹冠+甫)箚青(イレボクロ)妹背(イモセ)
飯綱(イヅナ)一樹宿(イチジユノヤド)(イトマ)。一チ念。

1 箚青 いれぼくろ(入れ黒子)いれずみ。ほりもの。 

2 粟□(竹冠+甫)。稲扱き(いねこき)実った稲穂から籾をこき取ること。

3 妹背・妹 愛し合う女と男。夫婦。

4 飯綱 飯綱使 管狐(くだぎつね)をつかって術を行うこと。長野県飯綱(いいづな)山の神からその法を感得したという。

5 一樹の宿 諺 一樹の陰一河の流れも他生(たしよう)の縁.たまたま、ともに同じ樹の陰に宿り、同じ河の流れの水を汲むのも、前世からの因縁によるものだ。

1 韋駄天(いだてん)バラモン教の神で、シヴァ神の子とされる。仏教に入って仏法の守護神となり、増長天の八将軍の一。伽藍を守る神。

2 色子(いろこ)歌舞伎若衆で、男色を売る者。かげま。

3 井手の玉川 京都府綴喜(つづき)郡井手町を流れる川。 (歌枕)

4 池禅尼(いけのぜんに)藤原宗兼の娘。平忠盛の後妻。清盛の継母。

5 入鹿大臣 蘇我入鹿(そが‐の‐いるか)飛鳥時代の権臣。蝦夷(えみし)の子。皇極天皇の時代、国政をほしいままにし、山背大兄(やましろのおおえ)王を殺したが、中大兄皇子・中臣鎌足に誅せられた。

6 音物 (いんもつ・ いんぶつ)進物。贈り物。




(6)
六角堂(ロクカクドウ)。老人。爐開(ロビラキ)楼門(ロウモン)(ロン)
六位。
六祖大士(ロクソダイシ)驢馬(ロバ)盧生(ロセイ)浪人(ロウニン)六轤引(ロクロヒキ)角里先生(ロクリセンセイ)。論語。
六地蔵(ロクヂゾウ)老子(ロウシ)六波羅蜜(ロクハラミツ)。六枚屏風。轆轤首(ロクロクビ)

六道(ロクドウ)六根清浄(ロクコンシヤウ/\)牢破(ロウヤブ)り。
老僧(ロウソウ)路用(ロヨウ)六字(ロクジ)蝋燭(ロウソク)
老莱子(ロウライシ)路次番(ロジバン)
露命(ロメイ)
狼藉(ロウセキ)老母(ロウボ)六尺棒(ロクシャクボウ)六人綱(ロクニンヅナ)

1
 六道(ろくどう) 衆生が善悪の業によっておもむき住む六つの迷界。すなわち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天。六観音・六地蔵・六道銭・六道の辻はこれに由来する。絵は右上・右下 中上・中下・左上・左下順へ地獄・修羅・飢餓・人間・畜生・天の絵か。

2 六根清浄(ろっこん‐しょうじょう)六根が福徳によって清らかになることで山参りの行者、寒参りする者などの唱える語。

3 老莱子(ろうらいし)春秋時代の楚の賢人。老子と同一人であるともいう。

4 六尺棒 天秤棒(てんびんぼう)の別称。

5 六人綱 現在の巻き網の前身となる漁法で六人で行う。

1
 六角堂 六角形の仏堂。特に京都市中京区にある頂法寺の俗称。寺内の本坊池坊は華道の家元。

2 爐開 炉開き 茶家では、陰暦十月朔日または十月の中の亥の日に、風炉(ふろ)を閉じて地炉(じろ)を開くこと。現在は十一月に行う。

3 六祖大士 日本天台宗の第六祖、円珍のこと。

4 盧生 盧生之夢(ろせいのゆめ) 邯鄲之夢(かんたんのゆめ)[官吏登用試験に落第した盧生という青年が、趙の邯鄲で、道士呂翁から栄華が意のままになるという不思議な枕を借りて寝たところ、次第に立身して富貴を極めたが、目覚めると、枕頭の黄粱(こうりよう)がまだ煮えないほど短い間の夢であったという故事) 人生の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。邯鄲の夢。黄粱一炊の夢。盧生の夢。

5 角里先生(ろたりせんせい)漢代、秦をきらって山中に隠れ住んだ人。姓は周、名は術、字あざなは元道。


6 六地蔵 六道において衆生の苦患(くげん)を救うという六種の地蔵。特に京都市伏見区にある大善寺の俗称。

7 六波羅蜜 菩薩が修する六種の基本的な修行項目。布施・持戒・忍辱ニンニク・精進・禅定・知恵。

8 轆轤首(ろくろくび) 首が非常に長くて、自由に伸縮できる化け物。また、その見世物。




(7)
早鞆(ハヤトモ)(マツリ)八卦(ハツケ)早追(ハヤミチ)伯楽(ハクラク)鉢敲(ハチタヽキ)。橋。鯊釣(ハゼツリ)
初雷(ハツカミナリ)(ハナシ)白楽天(ハクラクテン)半者女(ハシタメ)番頭(バントウ)番匠(バンジヤウ)
半田稲荷(ハンダイナリ)俳諧(ハイカイ)妊婦(ハラミヲンナ)(バヽ)。番人。
長谷大佛(ハセノヲホホトケ)鍼医(ハリイ)針屋(ハリヤ)旗持(ハタモチ)

彗星(ハヽキボシ)初雪(ハツユキ)(ハタケ)金箔(ハクウ)()初卯(ハツウ)。半鐘(ハンシヤウ)
拝賀。花見。張物。芭蕉。
埴生(ハニウ)小屋(コヤ)
鼻。刷毛。
(ハカリ)
橋姫。
樊蝎イ(ハンクワイ)春雨(ハルサメ)版木師(ハンギシ)桔槹(ハネツルベ)半弓(ハンキウ)

帚星(ははきぼし) (ほうきぼし)彗星(すいせい)。

2 芭蕉 (松尾芭蕉)江戸前期の俳人。野ざらし紀行」「笈の小文」「更科紀行」「奥の細道」「嵯峨日記」などがある。 (1644~1694)

3  埴生の宿 貧しい小さい家。

4  橋姫 橋を守る女神。特に山城の宇治橋にいう。玉姫。

5  樊蝎イ(はん‐かい)漢初の武将。

6  桔槹(けっこう) はねつるべ。

7 
半弓(はんきゅう)短い弓。座して射ることができる

1
 早鞆の祭り 北九州市門司区の和布刈神社(旧称、早鞆明神)で行われる神事。除夜の夜半に神職が海中から和布(わかめ)を刈って、翌元日神前に供え、参詣者にも与える。

2 早追(はやおい )江戸時代、急用のため昼夜の別なく駕籠を飛ばした使者

3
 八卦 うらない。

4 伯楽(はくらく) よく馬の良否を見分ける者。また、馬医。

5 鉢叩き 空也念仏のこと。また、空也念仏をして歩く半俗の僧。

6 番匠 大工

7 白楽天 白居易(はくきよい)。楽天はその字(あざな)。

8 半田稲荷 東京都葛飾区にある。創建は和銅とも永久年間とも。
子供の疱瘡、麻疹、安産祈願の参詣が多く、江戸中期願人坊主という者「葛西金町半田の稲荷、疱瘡もかるい、麻疹もかるい、運授・安産御守護の神よ」と節面白く謡江戸市中から全国を謡い踊り歩いたと伝えられる。




(8)
任官(ニンクワン) 二人比丘(ニヽンビクニ)。荷。白眼競(ニラミクラ)仁田(ニタン)四郎(シロウ)人夫(ニンブ)
女嬬(ニヨジユ)()仁和寺(ニンナジ)女房(ニヨウボウ)握屁(ニギリベ)人足(ニンソク)(ニゲル)
二王(ニワウ)荷持(ニモチ)荷牛(ニウシ)

入唐(ニツトウ)入道(ニウダウ)入湯(ニウトウ)(ニク)ム。荷負(ニカツギ)。二階。人形。
如来。
入定(ニウヂヤウ)(ニラ)ム。
女王(ニヨワウ)駢閧(ニギヤカ)?。(ニエル)人相観(ニンサウミ)
日蝕(ニツショク)俄雨(ニワカアメ)人衆(ニンシュウ)新枕(ニイマクラ)庭工(ニハツクリ)

1 入定 禅定(ぜんじよう)に入ること。
  心を静めて一つの対象に集中する宗教的な瞑想。


2 睨ム 歌舞伎「暫」の場面か。


1
 任官 江戸時代、武家が従五位下に叙せられること。
2 二人比丘 仮名草子。二巻。鈴木正三(しようさん)作。1632年(寛永九)頃成るか。戦乱で夫に死別した二人の尼によって仏教の理を説いたもの。

3 白眼競(ニラミクラ) 睨み競(にらみくら)にらめっこ。
 
 仁田四郎(にたんのしろう鎌倉初期の武将。伊豆国の人。仁田(につた)忠常の通称。通称、仁田四郎(にたんのしろう)。源頼朝に仕え、範頼に従って平氏を西海に討ち、富士の巻狩に曾我十郎祐成を討った。後に将軍頼家の命により北条時政を誅しようとして成らず、加藤景廉(かげかど)に殺された。源頼朝の家臣であったは仁田四郎は主君が富士の裾野で巻狩りをしていた時頼朝めがけて突進してきた手負いの猪の背へ、仁田四郎(にたんのしろう)忠常がヒラリと飛び乗って一刀のもとに仕留めたという話この絵は仁田四郎が猪を仕留める名場面。

 女嬬(にょじゅ) 内侍司(ないしのつかさ)に属し、掃除・点灯などをつかさどった女官。

6 仁和寺 徒然草の53段仁和寺のある法師の失敗談。「(足鼎を被ってつまりそうなのを、鼻を押し広げて、顔を差入れ、舞い出したのだが、満座興に入ること限りなしであった。」の場面。
 北斎は西川祐信の画の「絵本徒然草」の挿絵を思い浮かべたものか。
 絵双紙屋 参照絵本徒然草 53段仁和寺の法師 

 



(9)
法問。骨接(ホネツギ)(ホドコ)ス。本屋。
星合(ホシアイ)佛御前(ホトケゴゼン)。法楽。盆踊り。母衣武者(ホロミシヤ)干物(ホシモノ)
法性寺入道(ホウシヤウジニウドウ)北面(ホクメン)(ホレ)ル。
彭祖(ホウソ)布袋(ホテイ)奉公(ホウコウ)歩卒(ホソツ)彫物師(ホリモノシ)。 


払子(ホツス)菩薩祭(ボサマツリ)干海苔(ホシノリ)。掘ル。奉加(ホウガ)
法華経(ホケキョウ)梵論(ボロンジ)放生会(ホウジヤウエ)帆綱(ホヅナ)(ホラ)狭道(ホソミチ)
(ホコ)(ホム)ル。棒。流塵(ホウキ)疱瘡(ホウサウ)火口(ホクチ)豊年(ホウネン)


1 
払子(ほっす)  長い獣毛を束ね、これに柄を付けた具。仏具。

2 菩薩祭り 八月二十二日。長崎の唐寺(興福寺、崇福寺、福済寺)で行なわれる媽祖の生誕に関わるお祭り。

3 奉加 仏堂・伽藍の造営などに財物を寄進し、これを助成すること。寄付。寄進。

4 梵論(ぼろ)虚無僧(こむそう)の旧称。ぼろぼろ。梵論師ぼろんじ。

5 放生会 仏教の不殺生の思想に基づいて、捕えられた生類を山野や池沼に放ちやる儀式。神社・仏寺で陰暦八月一五日に行われる。

6 幡宮の放生会(今、九月一五日)は著名

7 火口(ほくち)燧(ひうち)で打ち出した火をうつし取るもの。

8 疱瘡(ほうそう) 疱瘡神は犬や赤色が苦手という伝承があるため、「疱瘡神除け」として張子の犬やダルマを飾ったり、赤一色で描いた鍾馗の絵をお守りした。疱瘡に罹った子どもには赤い着物を着せ、身のまわりのものも赤づくめとしたという。この絵にも母親に抱かれる子とものそばにダルマや張り子が置かれている。



1 星合い 陰暦七月七日の夜、牽牛(けんぎゆう)・織女の二星が相会うこと。

2 佛御前 平家も物語中の人物。白拍子妓王・妓女の母。

3 法楽 法会の終りに、詩歌を誦しまたは楽などを奏して本尊に供養すること。

4 干物 洗い張り

5 母衣武者 母衣をかけた武者。

6 法性寺入道 藤原忠通。平安時代後期の公卿。摂政・関白・太政大臣。法性寺殿と号す。詩歌に長じ、書法にも一家をなして、法性寺様といわれた。家集「田多民治(ただみち)集」、詩集「法性寺関白集」。

7 彭祖(ほうそ)古代、伝説上の仙人。帝尭ギョウの臣。殷代の末までおよそ八百年生きたという。長寿の代表とされた。

8 布袋(ほてい) 唐末の明州に実在したとされる伝説的な僧。水墨画の好画題とされ、大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。日本では七福神の一柱





(10)
卞和(ベンクワ) 弁慶(ベンケイ)弁当(ベントウ)平伏(ヘイフク)弁舌(ベンゼツ)
遍参(ヘンサン)米穀(ベイコク)閉口(ヘイコウ)
扁鵲(ヘンジヤク)遍照(ヘンジヤウ)。(ヘダタ)ル。(ヘツラ)フ。下手談儀(ヘタダンギ)変化(ヘンゲ)
屁放(ヘヒリ)。返金。
兵法。返吐(ヘド)。返書。

平親王(ヘイシンノウ)(ヘラ)霹靂(へきれきi)(ヘソ)蝙蝠(ヘンフク)
別当。
廟所(ベウシヨ)()グ。糸瓜(ヘチマ)

弁天(ベンテン)平相国(ヘイサウコク)
兵書。 塀。
(ヘツイ)。瓶子(ヘイジ)平産(ヘイサン)

1 平親王 平将門。平安時代中期の関東の豪族。新皇と自称し関東に威を振ったが、平貞盛・藤原秀郷のより討たれた。 (―~940)

2 霹靂へきれき急激な雷鳴。

3 蝙蝠(ヘンプク) こうもり

4 平相国 平清盛 平安末期の武将。忠盛の長子。

5 竈(へっつい) かまど。

6 瓶子(へいし) とくり。

1 卞和(べん‐か)春秋時代、楚ソの人。山中で得た宝玉を楚ソの王に献じ、にせものと見られて左足を切られ、次の武王に献じまた右足を切られ、文王のときついに名玉であることがわかったという。

 2弁慶 弁慶の引き摺り鐘。滋賀県大津市の三井寺にある梵鐘は奈良時代作と伝えられているが、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまった。鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っている。

3 遍参 褊衫(へんさん)僧衣の一種。上半身を覆う法衣。インドの衣に由来し、左まえに着る。

4 扁鵲(へんじゃく) 戦国時代、鄭テイの名医。姓は秦シン、名は越人。扁鵲は名医の代名詞としても用いられる。

5 遍照(へんじょう)平安初期の僧・歌人。六歌仙・三十六歌仙の一。




(11)と 
頓阿(トンア)捕捉(トリマ)ク。土弓場(ドキウバ)
友。
(トモシビ)(トモナフ)東坡(トウバ)時廻(トキマハ)リ。
舎人(トネリ)宿衛人(トノエ)(トキ)
年男(トシオトコ)鳥羽絵(トバエ)(トラエ)ル。
年寄。
唐人(トウジン)鳥差(トリサ)シ。盗賊(トウゾク)

戸隠(トガクシ)友盛(トモモリ)。泊リ。遠眼鏡(トウメガメ)土堤(ドテ)
鳥兜(トリカブト)銅鑼(ドラ)泊女(トマリメ)草阮「蕷(トコロテン))。土蔵(ドザウ)
渡唐(トトウ)刀自(トジ)豆腐(トウフ)泥棒(ドロボウ)遠見(トヲミ)
覇王瓜
(トウナス)
(トモ)
道風(トウフウ)()ク。(トビ)(トガム)ル。(トク)

1 戸隠 天手力男命(あまのたぢからおのみこと)の投げた 天岩戸の落ちた場所と伝える) 長野県北部、戸隠山の麓の地。

2 泊女(とめおんな)  (留女)宿引きの女。

3 友盛 神戸友盛(かんべ とももり、生没年不詳)は戦国時代の武将。織田信長の子信孝を養子とした。

4 トウナス(唐茄子・蕃南瓜)(かぼちや類の総称。

5 鳥兜(とりかぶと) 舞楽の楽人(伶人)が常装束に用いる冠。

6 道風 小野道風(おののみちかぜ)  平安中期の書家。

7 徳 財布を拾う

1 頓阿(とんあ) 鎌倉・南北朝時代の歌僧。
2 東坡(とうば)蘇軾(そしよく)の号
3 土弓(どきゅう)楊弓(ようきゆう)に同じ。
4 鳥羽絵 (平安後期の画僧、鳥羽僧正覚猷が戯画に長じていたと伝えられるのでいう) 江戸時代、日常生活に取材した滑稽な戯画。多く略筆で軽妙なもの。

以下
 「ちりぬるを・・・つねならむ」 16丁分 掲載省略 

                  

                


(12)

舌代
当年先生この一編を顕され候
ところ急に旅行の催有之候
故全冊満尾いたし不申候、
これによりて先初編
一さつ出板差出申候、
まことに頓画御稽古
の早道、さま/\の
図どり思召の
まゝに出来候
画手本にて
かきやすくおほへ安
きやうの工夫に
先生
あらハされ候。
  品追々後編差出候、御求
  御高覧可被下候
書林甘泉堂梓



          


(13)






  画本 早引 後
    





  (一部掲載)




(14)
画本早引序
書は心をもって
(かたち)をなし、(ぐハ)(かたち)
()してこころを含む。故に(かたち)不良(ふりよう)
なれば(こゝろ)(つう)ぜす。いミじき筆の(かぎり)
尽して
(ゑがけ)るは、おのづから神に入て
目下(まのあたり)()るか如く人の(こゝろ)(うごか)さしむ
こゝに
葛飾(かつしか)なる戴斗(たいと)(おう)投筆(とうひつ)
とて(この)早引(はやひき)といへるを()るに、唯一(たゞいつ)
 
 (口語訳)
 画本早引 序
 書は心をもって形(かたち)を成し、画は容(かたち)を図にして、心を留めるものである。それゆえに、形が不良であれば心は通わないものである。卓越した技の限りを尽くして描かれた画はあたかも神が入ったかの様に、まのあたりに見る様に、人の心を感動させる。
 ここに葛飾戴斗翁の著「画本早引」を見ると、ただの一点の中にも、





(15)
(てん)の中にその()(そな)へ、万象(まんぞう)是より
いでゝ
精心(せいしん)残るところなし。そは画
工の
騒士(そうし)がこの(ミち)くさの枝折(しをり)にもと、
いろは文字にわかちて、かく
(なづく)るもの
ならし
  文政卯初夏 
      十返舎一九 誌
 
      前北斎戴斗筆
  画本 早引


 
 (宝尽しで字が書かれている。左下は弐編?貳編?)
(口語訳)
その気持を込めて描いた。すべての画は後で描き足りないという思うことは何ひとつもなかった。黄口の風流人向けに画のしるべにもと「いろは」文字に分けてこのように名付けたものであるらしい。  
   文政二年(1819年)初夏 十返舎一九  誌す
 



(16)
 う
(うやまう)。腕。(うつたえる)浦人(うらびと)
氏神(うぢしん)雨宝童子(うほうどうじ)謡初(うたひそめ)移易(うつりかわり)(うえる)請合(うけあひ)
宇賀神(うがじん)有髪僧(うはつのそう)(うきこと)漆師(うるしかき)仮寝(うたたね)

雲林院(うんりんいん)
丑時詣(うしのときまいり)碓眼切(うすのめきり)
上童(うえわらハ)靱猿(うつぼさる)裏打(うらうち)牛飼(うしかい)
盂蘭盆会(うらぼんゑ)臼杵(うすきぬ)。瓜畑。鵜飼(うかい)

1 雲林院(うんりんいん) 能の一。霊夢に導かれて雲林院を訪れた男が告げられた秘事として、在原業平が二条の后を誘っ
 て都を脱出したという話を脚色。


2 靱猿(うつぼざる) 狂言の一。狩に出た大名が猿曳に会い、猿の皮をうつぼにしようとして無心するが、猿の不憫さに心動き許すので、猿曳は礼猿を舞わす。
3 裏打 紙・布・革などの裏面に紙や布などをはって丈夫に
 すること。

4 盂蘭盆会 陰暦七月一三日~一五日を中心に行われ、種々
 の供物を祖先の霊・新仏・無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を
 祈る。


5 臼杵(うすきね) そばに箕(み)を持つ男。箕は穀類をあおって殻・塵などを分け除く農具

6 鵜飼 夏、かがり火をたいて鮎)などを寄せ、飼い馴らした鵜を使ってとる漁。


1 
雨宝童子 (うほうどうじ)両部神道で天照大神が日向 (ひゆうが)国に下生(げしよう)した時の姿といい、また大日如来の化現したものともいう。右手に宝棒を、左手に宝珠を捧げる童子形の像。

2 請合 保証すること。この絵は刃物売りか。

3 宇賀の神 (うかのかみ) 穀物の神。転じて福の神とされ、弁才天と同一視され、天女形の像が多い。また、白蛇を神として祀ったもの、狐の神とする説もある。宇賀神(うかじん)。
4 漆掻き 漆塗り職人。





                

 
(17)

 
一声(いつせい)一味(いちミ)。 一念(いちねん)。 
一体分身(いつたいぶんしん)。一匹。一巻(いつくわん)(いかづち)一来法師(いちらいほうし)。一門。一把。
一句。一心不乱。一面。
一刀三礼。一俵。一段。

一将(いつそう)一弖(いつて)一壺(いつこ)一目(いちもく)
一戦。一騎。一滴。一通。一命。
一荷。一生懸命。一揆。
一仏一体(いちふついつたい)
一字一点。一膳。一瓢。一曲。


ゐの字いロのいにゆづりて
そのもれたるを此丁に
おぎなふ字びきの
   ふうぞくなり

1 一将 ○一将功成りて万骨枯る 。

2 一手 舞・音曲などの一曲・一番。

3 一壺(いっこ) 一壺天(いってん
 [後漢書方術伝下]
(費長房が薬売りの老翁とともに壺中に入って、別世界の楽しみをした故事から) 一つの小天地。別世界。また、酒を飲んで俗世を忘れる楽しみ。壺中の天。

4 一荷 天秤棒(てんびんぼう)の両端にかけて一人の肩にになえる分量。

5 一目 一つ目小僧。額(ひたい)に目が一つだけの怪物。関東・東北では、旧暦の二月八日と一二月八日に訪ねて来るといい、目籠を軒先に高くかかげてこれを威す風習がある。

6 一字一点 一字一点もおろそかにしない。 この絵は「龍」という字を書いている。

7 一瓢 ○瓢箪から駒が出る。

8 一曲 ふし。この絵は琵琶法師の琵琶の弾き語り。
 



1 一味 仲間

2
 一来法師 平家物語橋合戰に登場する三井寺の阿闍梨(あじゃり)慶秀に使える一来(いちらい)法師のこと。治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師(いちきほうし)がその頭上を飛び越え「悪しゅう候、御免あれ」と前に進み出て先陣をとってしまったという

3 一刀三礼 仏像をきざむのに、一刀を入れるごとに、三度礼拝すること。

4 一面 鏡・硯など平らなもの一枚を数える語。神楽・能・演劇などで着用するおもて。

 以下 「のおくやま・・・・えひもせす」各丁掲載省略


                 




(18)
 其二
透額(すきびたい)直鑓(すぐやり)謫許ヤ(すくいあミ)(すミうち)
縄曲(すみかね)簀巻(すまき)
硯堀。炭焼。菅原。
脛掉(すねおし)
(すき)(すし)摺磨(すりみがく)援刀(すけたち)。

 京
 

 1
 京 煙管を手した黒木売りの大原女か。

1 
透額(すきびたい)冠の一種。平安時代は羅(うすもの)を張って額ぎわを透かしたもの。

2 絣(すみうち)墨打ち。。墨なわを張ってぽんとはじいて直線を引く。

3 縄曲(すみかね) まがりがね。曲尺。

4 簀巻(すまき)近世の私刑の一。身体を簀に巻いて水中に投ずること。すのこまき。

5 菅原 菅原道真か。

7 臑 押 二人が向かい合って尻をつき、臑と臑とを押し倒して勝負を決める遊戯。 



   

19)
 壱 
(いち)
 () 
 
(さん)

 () 
 
()
 (ろく)

 (ひち)  (ハち)
 ()
 (じう)

 (ひやく)
 (せん)
 (まん)

 
1苦 苦界(くがい)遊女の勤め
2万 鶴は千年亀は万年



(20)
画本智恵の板
 此一本ハ画心なき人にも
 おのづからかたちうかミ
 じざいにゑがゝしむる
 くふうのゑでほん也


画本いろは蔵
 おなじく初心に
 画才を長せしむる
 一奇書なり

画本独案内
 はやく画の道を
 おほゆるちかミち也
 右おのおの近刻
  前北斎 戴斗著 

    早引 後(編)

  (左頁広告文翻刻省略)
 

        

>                                    

 

  解説

 葛飾北斎(1760~1849)は江戸後期に活躍した浮世絵師。代表作に「富嶽三十六景」や「北斎漫画」などがある。北斎は江戸本所に生れ、安永7年19才頃浮世絵師勝川春章(かつかわしゅんしょう)に入門。狩野派や唐絵、西洋画などあらゆる画法を学んだ。この頃は春朗と号し、役者絵、黄表紙、洒落本などの挿絵を相次いで発表した。その後寛政6年(1794年)頃勝川家から離別後、琳派の俵屋宗理を襲名し、狂歌絵本や版画に活躍。後に雅号を可侯(かこう)画狂人(がきょうじん)戴斗(たいと)為一(いいつ)(まんじ)などと幾度もその号を変え作風も変えた。錦絵・肉筆画・読本や黄表紙、洒落本などの挿絵に活躍し、生涯に3万点を越える作品を残したと云われている。著書「北斎漫画」は当時国内で評判になっただけでなく、ヨーロッパに作品が渡り、画風が注目されるとともに19世紀末から始まったジャポニスムの切っ掛けを作ったとも云われ、後にパリ万国博覧会で北斎や歌川広重など日本の浮世絵が紹介されると、マネ、ドガ、ゴッホ、モネ、ロートレックなどフランス印象派画壇の芸術家や工芸家などにも大きな影響を与えた。(注1)

ここでは北斎の絵手本について注目して記すことにする。北斎は沢山の絵手本を制作した。
(注2)(注3)

  「略画早指南」文化9年(1812)
  「伝神開手 北斎漫画」文化11年(1814)~明治11年(1878) 15冊15編
  「三体画譜」文化13年(1816)
  「画本早引」文化14年(1817)前編 文政2年(1819年)後編
  「北斎画鏡」文政元年(1818)1冊
  「北斎麁画」文政3年(1820)
  「一筆画譜」文政6年(1823)
  「画本独稽古」天保3年
  「名頭武者部類」天保12年(1841)(ながしらむしゃぶるい)
  「今様櫛〓雛形」(いまようせつきんひながた)天保7年(1836) 〓=謐ヲ+竹冠
  「伝神開手 北斎画苑」弘化元年(1844)
  「画本彩色通」弘化5年2編2冊
  「諸職雛形北斎図式」明治15年(1882)
  「北斎略画」明治20年
   その他

 北斎の絵手本は古今東西の歴史上あるいは文学上の人物から市井の人、風俗、暮らし、生活用具、神仏、動植物、風景、建物、妖怪等々森羅万象を絵にしている。あらゆるものを絵に描き収録したことから絵でみる「江戸百科」にも、また昔物語の名場面や故事や成句にちなむ絵が点在していることから、「もの知り事典」にもなっている。特に人物描写では様々な人々の各種各様の姿や表情を写実的にあるいはデフォルメしてユーモラスに描いている。
 これら絵手本は門人達や私淑者向け手習い本としてだけでなく、職人達の絵画、工芸、日用品等の装飾デザインにも役立つ図案集としても制作されたものと思われる。描かれた図案数は「北斎漫画」15冊で4000余種(注2)また「画本早引」2冊には1300余種。
なお「画本早引」は伊呂波節用集、いろは字引に倣いイロハ順に収録されていて、必要な図案を言葉で引き出せるように工夫されている。


  絵手本のいろいろ


                  北斎漫画二編 (国立国会図書館所蔵)

        

北斎今様雛形 (国立国会図書館所蔵)




北斎漫画早指南 (国会図書館所蔵)




北斎略画(国立国会図書館所蔵)

    
画本早引 前編(東北大学図書館所蔵)
    
  
 絵手本のいくつかを比較するに、「北斎漫画」「北斎麁画」「北斎画式」等は人物描写は比較的精密な描写であるのに対し、画本早引」(後編巻末の一丁半を除く)や「北斎略画」の絵はほゞ輪郭線だけの極めて簡略された略画式(注4)である。略画式について画本早引の巻頭部分(底本東北大狩野文庫の本はこの部分が落丁している)に次のように語っている。

 
 伊=イ  呂=ロ 
片仮名は漢字を省略してその偏(へん)・旁(つくり)・冠(かんむり)・脚(あし)などを取って作ったものである。片仮名のイ・ロが出来ることを例えとして「「画の仕方は片仮名にならひておのおの半ばを画きて其形ちの全たからん事を専らとすべし。

          参考文献 永田生慈氏監修 岩崎美術社刊 「北斎の絵手本」(五)

 つまり「絵本早引」では、デッサンを細かく描かず、半分描くだけでその形の全てを想像させる様に描くと述べている。北斎の略式画(注4)は特に「画本早引」や「北斎略画」においては顕著に表現され、目鼻立ちもない簡略な輪郭線だけのデッサンで見る人に姿かたち雰囲気を十分に想像させて、毛筆による形態描出に卓越した才能を発揮した。晩年制作した「画本彩色通」や手本集「初心画鑑」では遠近法や各種絵の具の彩色法まで紹介して絵画教育にも大いに貢献した。
 北斎は画本早引の跋文に次回出版予定の自身の画本の広告文に北斎の美術教育、絵画指導に関する熱意を示す一文を載せている。


  画本智恵の板  此一本は画心なき人にも自ずから形浮かみ、自在に
          描かしむる工夫の絵手本也
  画本いろは蔵  初心に画才を長せしむる一奇書なり
  画本独案内   早く画の道を覚ゆる近道


  右はおの/\近刻      前北斎 戴斗著  

 なお「画本早引」の前編後編の序文は「東海道中膝栗毛」で有名な十返舎一九(1765~1831)が記している。「画本早引」刊行時は葛飾北斎五八歳、十返舎一九は五二歳前後と思われる。葛飾北斎画で十返舎一九著の版本は合巻「北畠女教訓」 や滑稽本「滑稽二日酔」などがある。
なおこのホームページ絵双紙屋では十返舎一九の画で編集の「江戸名所図会」を載せている。

   *(注4)
 略画に関しては古くは鎌倉時代の絵巻物である「鳥獣人物戯画」の鳥羽僧正伝に始まったと伝えられ、江戸中期には大阪で鳥羽絵が流行し全国に広まった。その後大阪の耳鳥斎(じちょうさい) (?‐1802)、江戸の鍬形恵斎(くわがたけいさい)(1764~1824)らにより戯絵、略画式の本が相次いで出版された。葛飾北斎も耳鳥斎や鍬形恵斎らの戯画・略画式の影響を受けたとものと考えられる。


 参考引用文献  参考Web

 詳細画像は東北大学付属図書館狩野文庫画像データベース 
 (注1) 
葛飾北斎 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
 (注2)「北斎の絵手本」(五) 永田生慈氏監修 岩崎美術社刊
 (注3) 国文学研究資料館 日本古典籍総合目録  
 (注4) 和本の美 福岡大学図書館  恵斎略画式モノ
    

   北斎漫画 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
   山口県立萩美術館・浦上記念館 絵本の世界 葛飾北斎
 

                                          
         


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