2016/10/27 公開 2018/5/3 更新 目次へ 表紙へ |
咄本・噺本 諺 臍の宿替 (ことわざ へそのやどかえ) 一冊 (胡登輪坐〉臍廼やど替[臍の宿替] 一荷堂 半水 作 江戸時代後期 刊行 原データ 往来物倶楽部デジタルアーカイブス提供 |
諺 臍の宿替 底本書名〈 判型 折帖仕立て。縦176粍。江戸時代後期 刊行。彩色摺り版本。 底本は往来物倶楽部デジタルアーカイブス所蔵。 解説 「ことわざ臍の宿替」は江戸時代後期から明治前半頃まで上方大衆に支持され、 ロングセラーとなり、何度も出版されたという咄本。内容は庶民によく知られた 諺を題名にして、種々の諺や故事・慣用句を使って、洒落や地口を仕組んだ戯文 に、奇抜な戯画が添えられた通俗的読物。幕末の大阪庶民層の言葉、風俗、人 情などが滑稽に表現されている。題名「臍の宿替」の意味は「臍で茶を沸かす」 「臍が移動するほど面白い」の意。 著者 主な著作は滑稽もので「 「 挿絵 歌川 堀江の人。浮世絵師。芳梅の挿絵は滑稽奇抜な戯画で諺や洒落を視覚化している。 (1829-1879) 凡例 底本の平仮名は読み易さを考慮して適宜漢字に直し、また濁点を補った。 句読点を適宜加え、改行は底本の通り。 漢字「厶」は「ござる」・「升」は「ます」平仮名表記。 助詞の「は」「ば」「に」等は底本表記のまま。但し「ゐ」は「い」に、 「ゑ」は「え」に書替え。 振仮名は難読漢字と誤読の恐れのある漢字につけ、他は省略。 会話の部分については「 」をつけた。 注は各見開きの下に、諺は○印で記した 文中に差別的表現が見られるが歴史的慣用語なのでそのまま記載。 |
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(1-2) ○貧乏大師 ヤレ/\情けなき末世の餓鬼どもじや。南無大 師といふても、四国偏路といふても、どの道、 物もらひか、 な者ハ無ひが、こんな積りで宗門は 弘めおかぬに実に後世おそるべしだ。斯なれ バ空海も ほんに大師どのにハ気の毒なことじや。 思へバ我ハ仕合者で格別に信仰して くれる者もないが いつの間にや ら出世の名を付けて くれて有難いことじやけれど これとても ひつきやう参詣の 者が少なうて |
(1-1) ○手の わしが 往生させてやりたひと思ふがために、 すてて修行なす故、此通り 両手ハ枯て 手となつたが、是でハ 末世の者が「手の た祖師じや/\」と いひはやして、 のやうに売歩きて、 主が喰物になれバまだしも、大方 |
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○貧乏大師 *瘡掻き 皮膚病にかかった人。特に、梅毒患者。 *空海 平安初期の僧。わが国真言宗の開祖。諡号は弘法大師。 (774~835) 情けない末世の餓鬼どもじゃ。南無大師とか四国遍路といって も満足な者はない。こうなれば空海も喰わぬかいになって俺に 菰着せおった。南無大師は貧乏大師だ。 空海・喰うかい・喰わぬかい・菰を着せ・乞食。洒落・地口。 ○出世薬師 *出世 ①)諸仏が衆生済度のため世界に出現すること。 ②世俗を棄てて仏道に入ること。また、その人。僧侶。 *畢竟(ひっきょう)「畢」も「竟」も終る意) つまるところ。 所詮。 ○金の番人 *出世薬師は各地にあるという。例えば京都善峯寺の出世薬師 如来。薬師如来は徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院出生の由緒 により、玉の輿へと導いた「出世薬師如来」と崇められ、 「開運出世」の信仰を集めている。 参拝者が少なくて暇なので出世薬師が金の番をしている。 「仏の光より金(かね)の光」とは云うものの、出世薬師様みず から金の番するとは。出世(しゅっせ)観音は守銭(しゅせん) 観音だった。 |
○手の枯た祖師 *済度 法を説いて人々を迷いから解放し悟りを開かせること。 *七情(しちじょう) 七種の感情。 仏家では、喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲。 *売僧・売子(まいす) ①物売りをする僧。 ②悪徳の僧。 *薪の行道 (法華経提婆品に、釈尊が阿私仙人に従って薪を樵(こ)るなど して法華経を得たとあるところに基づく) 法華八講の第三日目に、 行基の作と称する「法華経を我が得しことは薪こり菜摘み水汲み 仕へてぞ得し」の歌を歌い、薪を負い、水桶を担う者を列に加え て行道(ぎょうどう)すること。 煩悩から離れたと云うが末世の自分の評判は気になってしまうという 祖師の噺。薪行道(たきぎぎょうどう) で薪同様(たきぎどうよう)の 手になった。 |
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(2-2) 山 に 織嶋と、三木尺の 京奥の綿入。その上が大納 言のちゝぶ小紋に、元服したとき から祝ふてもら貰ふたお納戸紬。それから子供 の時から貯め/\した臍くりで 染直した奉書紬のようかん黒の紋付き。帯が とり交て五筋。これだけ着て往たらよもや満座で 恥かくやうなことはあるまひが。マアどんな物じや。是で 歩けるかしらん。ヤア/\/\こりや行けぬ/\。 アヽソレ/\。 今にこける/\/\。 ○大坂の にや たら ひよつと きは闇の夜、茶漬は暗がりでも アヽ斯して |
(2-1) ○京の着倒れ アイ此 さんがお云いたにハ、男でも余所へ行く にハ着物をゆすつておいでぬと、人が 侮るよつて、喰物ハ何を食べても 身の廻りを立派におしと お云ひるよつて、今日ハ円山に丁内 の参会にゆくのじやが、マア家に 有だけの つもりで、いつち下が大津の 伯父貴の形見に貰ふた 越後結城の下着 に、 紋付。その上が★ |
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*裸 原文は「躶」 *筋 帯の数え方。「本」「枚」「筋」 「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」とは良く言われる諺だが、挿絵 のように倒れるまでの「着倒れ、食い倒れ」になるとひどく滑稽。 こだわりも度が過ぎれば身を滅ぼすかも知れない。 |
○京の着倒れ ○大阪の食い倒れ *蛸薬師 京都の繁華街“新京極通”の一角に『蛸薬師堂』あり。 蛸薬師通りの中央部は現在でも繊維問屋街。 八本屋足兵衛はそこの呉服屋、蛸薬師(通)にある呉服屋だか ら、「八本屋足兵衛」と洒落た。 *繭紬(けんちゅう)・絹紬 経(たて)緯(よこ))に柞蚕糸(さくさんし)を用いて織った 織物。淡茶色を帯びて節がある。 *裁して 裁縫して。振り仮名は「く」。 |
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(3-2) 乗て居なさるのでちよつと 乗て見たといふやつで、あんた 方の △「ハヽヽン。そこで尻馬に乗るのじやナ。 イヤ、時に して 大きに手許が不勘定で 一向につまりませぬテ」 □「イヤモフ。 わたくしとても大つまらずで実 に心配いたしますテ」尻「そりや御二人とも さうなけりやどうむならぬテ」 △□「そりや何でじや」 尻「これ見な され。三方 荒神からし て違ふてある」 |
(3-1) ○尻馬に乗人 △「もし一疋の馬にかうして二人三人乗るとはなんと可笑しひ じやござりませぬか」 □「とんと左様じや。イヤ又格別で 可笑しふ存じ ますテ」尻の人「しかしあんた方は鞍の上にお出なさる よつてよけれど 私はこの通り鞍はづれの尻馬といふやつで、どふか するとすぐに落さうでござります。そこで御礼を申上ます。 大きに らぬ口合じやが、時にお前ハどこへ行くのじや」 尻「イヤ私よりはお前さまはどこへ行き なさるのじや」 □「イヤわしらはマア別に どこへといふ目当はなひが ツイ今この 見ているのじや」 尻「ハイ左様か な。わたくしもどこへといふ つもりもござりませんが、あんた方が |
三宝荒神鞍と三宝荒神(かまどの神と妻の意)、同音異義語 の洒落。 |
○尻馬に乗人 *三宝荒神(さんぼうこうじん) ①仏・法・僧の三宝を守護するという神。宝冠を戴き三面六臂、 怒りの相を示す。近世には、竈(かまど)の神として祀る。荒神。 ②馬の左右と背の上に枠または箱ようのものをつけ、三人が乗 られるようにした鞍。 *荒神 竈の神で煙りをかぶっていることから、やかましや、煙たい 人の意とも。また女房の意とも。 *竈の神(かまのかみ)(1)かまどを守護する神。のち仏説を混じて 三宝荒神ともいう。かまがみ。かまど神。(2)妻の異称。 *落そうさん 「落ちそう」さん と「ごちさう」さんの洒落。 ○尻馬に乗る 他人の言説に付和雷同する。 ○尻馬に乗れば落ちる 他人の言説に無批判に追従していると 失敗する。 |
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(5-2) ★ちよつと、しバらく、御免/\」 本「イヤ、お前がおこのミで下へ お入りなさつたもの。 マア、お待ち。 モフ、今私が 仕舞ますゆへ 静かに御出立 なされませ」 下(くゞる人)「イヽエ。そんな気の 長ひのじやござりませぬ。 私しや、ちよつと 急にせく用が」本「イヤ 大事ござりませぬ。マア、ゆる りと」下「アヽこれはくゞり ぞこのうた。エヽどつちもつかずでとんと 咄にならぬ。是が ○ 「えらひ事を聞いたゾ、 諺草によし おれが是から飛で いてどつさりと 取つてやるは。こいつは よいことを聞たぞ。 何んでも 「ぴいひよろ/\じや なひは。こいつは、 |
(5-1) ○商売の下くゞる人 本や「エヽヽ 新板よし 拾匁がへ。それから何がなんぼで、エヽなに/\が」 下くゞる人「こいつは どへらひ重ひ尻じやが。こゝらが辛抱で。 何でも下をくゞるといふ奴はいきにくひ 奴じや。アヽ、ヤレ/\。先づこゝまでは出たが エヨウ。なんじや。綿喜の仕入本を売直 の調べか。えらい高ひ直じや。ナア。どれ/\。 そいつはおれが下をくゞつて、是から 走つて皆売つて来てやるが。マア、 こゝな直打となら一割安売つた 所が随分 ドレ、早ふ行てこうと云ふた所が こう上に 下くゞつた甲斐がなひは。モシ/\。★ |
○商内の鳶 ○鳶に油揚をさらわれる 当然自分のものになると思っていたものを、思いがけず 横合いから奪われて、呆然とするさま。 ○商いは牛の涎(よだれ) ○商いは草の種(たね) 商いはピーヒョロ/\ではない。リイトロウ/\ (利取ろう/\)の商いのとんび。 |
○商売の下くゞる人 *諺草 「諺臍の宿替」のこと。 *口銭(こうせん)・貢銭 売買の仲介をした手数料。問屋口銭。 *よしこの節 江戸時代の流行歌。潮来節の変化したものとされ、 囃子詞を「よしこのよしこの」といったからいう。 *よしこの 一荷堂半水著 歌謡集「うかれよしこの三津のさかへ」 「よしこの寿揃」「よしこの四季の詠(ながめ)」 他よしこの歌謡集四冊あり。 *綿喜 心斎橋筋にあった絵双紙屋(大阪では版行屋)。 綿屋喜兵衛(金随堂・通称綿喜<ワタキ>)店 本屋と勝手に販売の下請けに入り込んできた男(下くぐる人)」との攻防。 本屋に撃退された男(下くぐる人)は「商いの寝(根)腐れじゃ」と悪態を 吐いた。(寝腐り・根腐り・値崩 頭音を揃えた地口。) 文中の本屋が「諺 諺臍の宿替」は十五冊で七十五匁、新版よしこのは十匁 と云っている。国会図書館所蔵の同本では十三編までは確認されているが、 当初は十五冊まで出版されたものか。 |
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(6-2) 〽これ/\ そろりと あげぬと、もし行きあてたら ミつちやになつてかたがつくぞ 〽おれハとんと窓をあけて いるといふふうじや。 〽あける のハよいけれど おろしてくれると つらいぜナア。 |
(6-1) ○ 音頭〽ヤアレヨンヤサアヨ。始めは熱じやぞ。ヨウイヤサンヨ。熱がすんだら。出そろひ 三日に。ヨヲンヤサア。あとは軽うに。水もりさんせ。ヨンヤサンヨ。 それから大事の。お山にかゝるゾ。 ヨンヤサンヨ。お山もいろ/\ 南地のお山カ。イヤちがふぞ。 見せつきお山カ。イヽヤちがふぞ。北の新地か。マダ/\ちがふぞ。 新堀、堀江か。ソレデモないぞヨ。どこらのお山じや。こんどの お山ハ誠に/\。うつくし事じや。ヨンヤサヨ。その又 美しお山さんを。軽うに上げたり。ヲツト まかせ。 |
*山挙げ 江戸後期、大村藩(長崎県)では疱瘡の患者が 発生すると「山挙げ」と称して患者を古田山へ隔離した。 大村藩では疱瘡の患者は発生すると次の三つの措置が執 られた。 1、患者を古田山へ山挙げする。 2、跡祓清め。 患者の家を祓い清める。 3、患者の家族には遠慮を申し付け外部との接触を禁止 する。 これらにより疱瘡の蔓延を防いだ。 山挙げした場所は疱瘡小屋といわれる隔離施設であった。 疱瘡小屋には一度疱瘡に罹り免疫を持った者を山使とし て雇い、薬・食物・衣類が届けられた。文政年間になる と、予防・治療を行い、疱山(種痘所)が山中に開かれ て行った。 文政九年(1826)江戸参府の際に大村領を通ったオランダ 商館医・シーボルトはこの「山挙げ」に注目し、加え て感染予防のために山伏の手により注連縄を張り巡らす 習慣に関心を持ったことを江戸参府紀行に記している。 (新編 大村市史 第五巻 民族編 307頁) |
○ *山 疱瘡の最も危険な時期。即ち水泡が化膿して高熱を発する期間。 *山が上がる 疱瘡の最も危険な時期を過ぎる。 *みっちゃ あばた *花街 江戸時代の大坂の花街は新町、堀江、北新地、南地など。 江戸時代疱瘡は土着の伝染病となって常時発生した。 疱瘡(天然痘・痘瘡)は麻疹(はしか)、コレラ、赤痢、マラリヤ等と同じく 特効薬もなく、神仏に頼るか、呪術に頼るしか術がなかった。 特に疱瘡は大きな感染力、高い致死率で恐れられた。そのため魔除けとして、 疱瘡神を祀った。 疱瘡神には守護神と疫病神があった。守護神は村の入口に祀り、疱瘡になると 病児の部屋の神棚に疱瘡神を祀り、備品から玩具まで疱瘡神が好きな赤一色に 改めた。鍾馗(しようき)・鎮西八郎為朝・桃太郎などを描いた赤摺りの錦絵を 魔除けとしてを飾った。(絵で読む江戸の病と養生93頁 酒井シズ 講談社) この「疱瘡子の山あげ音頭」は深刻な疱瘡の症状を霊峰富士山に見立て、赤頭 巾を被った男達が足場を組んで山を持ち上げている。御幣を掲げた子供達が 疱瘡の山が早く過ぎるように声援を送っている。 しかし「お山」もいろいろ。半水は大坂の花街の名を次々あげて、「お山」と 「をやま」の洒落を効かし、花街の景気付け音頭にして、疱瘡の深刻さを茶化 している。 「をやま」は「女形」、上方語では色茶屋の娼妓、後に遊女の総称。 |
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(7-2) ○泥水に 「ぺけ介さん、お互ひに今から此の泥水に育られて 顔を塗つたり ならず、お前もまた よいヒイキを 中村か、何に成つもりか知らんが、マアこうして見た所ハどの道 その葉の工合でも大きなつても大根とより見へぬデエ」 「あんまりいふておくれナ。私が大根ならお前ハ蕪じや。 お客が付た所が大小 百文の代呂物じやテ」 ○ 「シイ/\ 誰一人より 番といふやつじやが、ちよいと油断すれバ 若いやつらが当りに こまるテ。コリヤ/\。又火がぬるいゾ/\」 |
(7-1) ○ 「おれも今でハ こうして 元は知れたこぼれ種から 段々枝葉が咲て 人が皆あいつハ 者じやとかぬかすが いま/\しいてならぬけれど、 どいつでも下に見て安心なやうなれど 今夜の、間も悪い風が吹くとすぐに |
○泥水に *泥水 (2)芸妓・娼妓の社会をたとえていう語。苦界(くがい)。 *臭ひ目と草姫。 挿絵は蕪の葉に化粧用刷毛が散りばめられている。 遊女社会を泥水、遊女を大根や蕪にたとえる。 ○炬燵の番人 *炬燵(こたつ) 底本は「巨燵」 *控 底本は「扣」 *亥の子 (1)陰暦10月上の亥の日。江戸時代にはこの日から火燵(こたつ) を開いた。 *炬燵弁慶 (炬燵にあたっている時だけ弁慶のようにふるまう意から) 外に 出ればいくじのないくせに、家の中では偉そうに言動する人。 内弁慶。 炬燵の番人は炬燵の弁慶。語呂合。 |
○ 成り上がり者は成りさがるよりましだけれど、悪い風 が吹くとすぐに散って落ちそうで不安でならない。 こぼれ種・枝葉・あだ花 縁語。 |
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(8-2) ★あやふひじやテ。それよりハやつぱり 細ひ筋を大手振て 向ふから 白いが斯して見ると世間ハ狭ひ ものじや。しかし余りぽん/\ハいへぬ 今に行きあたるやうに思ふテ」 △「エヽ。えらい巾する奴じや。あんな 奴ハ なるよつてアノ姿(なり)に糸 目つけて □「イヤ、滅相な。あんな者をアノ上に のぼしてたら、さつパり気 違じや。アハヽヽヽエヘヽヽヽ」 ○蝶よ花で 「わしハこのやうにおとつ さんとおかんとが大事にし て蝶と花で毎日遊んでいるが、これから又 段々大きう なつたらおとつさんの やうに丁と半と で遊ぶのじや。」 |
(8-1) ○大道を一ぱいに 「イヤこれハ しひ。狭ひ所で御目にかゝつた。 サア/\袖の下をお通りなされ。 アハヽヽ己のやうになると誰に 逢ても皆頭を下(さげ)おるてナ。 是でハなんぼ大きなつて よいけれど、横筋や心才橋通りハ かなり一ぱいになつて歩けるが、 本町筋などハよつぽど大きに なつて歩かねぬと一ぱいにハなら ぬじや。そこらでも一ぱいになろと 思ふと いかぬテ。まア。大一手から じやが。手を すぼむどころか殊によると命が★ |
○蝶よ花で育子 ○蝶よ花よ 子をいつくしみ愛するさまをいう語。 「蝶よ花よ」と「丁よ半よ」の洒落。 蝶よ花よで可愛がって育てた子供もいずれは丁か半かの博奕打に なる。可愛がって大事に育てた子供が将来必ず立派な人に育つと いうわけではない。 |
○大道を一ぱいに ○手が長い 盗みの癖がある。手くせがわるい。 ○幅をする ○幅を取る みえを張る。うわべを飾っていばる。 ○大手を振る *のぼす(上す)おだてる。 |
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(9-2)翻刻文 省略 |
(9-1) 翻刻文 省略 |
絵双紙を読むために(変体仮名一覧) |
江戸時代のストリップ‐ショー、ご開帳のくだり。行列の見物人は 手に手に切符を持って順番を待っている。 ご開帳は「施行」即ち「ほどこし」という。 |
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(10-2) ★これで布団の上や外へ洩れいでよろしござります」 はけ「皆えらい働でござり ますけれど、私の場所が肝心で外並より骨が折れます。 その上に少々疵が 出てござりますので此やうにぬつていますけれど兎角 上からぬる/\して 乾く間がござりませぬ」ろうそくや「わたしの職も格別に よい物でハござりませぬけれど 大体の男ハろうそく屋して見ぬ者ハござりませぬ。 それと云ふもこする斗りが仕事じや。」 捨て子「わしほど因果な者ハない。 余所の子ハ二親に拵 もらふけれど私ハ とゝさん一人して でけぬ内から 五人組みの世話に なつて、 すぐに捨てられるがそれも二階の隅か うらの雪隠へすてられたのじや」 |
(10-1) ○紅葉傘 「花笠ハ遠国に到り、舞ざらへに出た時にハ おかしな紅葉傘きるのハ今日が初めじや。こんな傘 さして歩くと人が眺めて、 顔が赤なるので紅葉傘というのか知らんて。 おゝいや、風が吹くと散りそで、誠に頼りない傘 じや。それに春雨か に此傘ハ散る筈じや」 ○五人組 五人組「どなたも一統に御苦労でござります。 此人も女房か銭があつたらどふとも致し ませうけれど、何を云ふもまだ若いのに、やもめと云ふ もんで、お互いに五人組の 厄介でござるテ」笠や「とんと左様でござりまする。 私などハいつも頭へかゝりますので どふやらすると体中を汚されます。そこで此やうに傘を 張りまするが、★ |
○五人組 *五人組 ①江戸幕府が村々の百姓、町々の地主・家主に命じて作ら せた隣保組織。 ②俗語 ここでは②に意。 金なしの男やもめのぼやき。地口。 |
○紅葉傘 * 紅葉笠・紅葉傘 ①)(古今集秋に 「雨降れば笠取山のもみぢばは行きかふ人の袖さへぞ照る」と あるのに基づく) 菅笠の一。日照笠(ひでりがさ)。 ②)中央を丸く青土佐紙で張り、外側は白紙で張った雨傘。 貞享(1684~1688)頃から江戸に流行、初めは日傘にしたと いう。 *「さんさ時雨か萱野の雨か音もせで来て濡れかかる」 宮城県に伝わる古い民謡。祝歌。江戸吉原を中心に流行した。 *散る ちらばる。世間に知れわたる。 紅葉傘。この傘をさすのは、春雨や梅雨の頃はよいけれど、時雨に 遭うと、紅葉の葉が散ってしまう様に、この傘も散ってしまう筈。 紅葉が時雨にあうと、濡葉・濡場(濡事・情事)・散る。 |
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(11-2) ★耳を揃て聞て居ますと どこまですべつてゆくやら 知れませぬよつて、此中から 誰なと頭をあげて 止めておやりなされ。口が 転ぶのハ噺家 にハよいが滑るのハ 人に害になります」 △「さて/\起きな され。アノ通りに 口ばかりじやもの。」 ○肩で風切る人 「コリヤどうふじやナ。 風 は常から 吹かして来たが こんなえらい風 はまだはじめ じや。ヨシヨシ。どんな風でも己が肩で今に切て/\ 切りまくつてやるゾ。 しかし是迄 人を切て見せたことハあつたが 肩で風切のは今日が初めじや。 なんと あるまヒと云ふたら、又天狗 風が吹きだすやろうカ」 |
(11-1) ○ 口がすべる 口「モシ/\。どなたも聞 なされや。こんなことは 滅多に人さんに云へぬ 事じやけれど、私が 極内證ですべり/\に そつと云ふて上ますが、誰にも 云ふておくれなさんな。エ、もし 此本の作者半水と云うふ男も、 又絵を描いた作者芳梅と云ふ人も、大の づぼらの極道でござりますが、其のうち にも半水ハ 毎日米櫃が乾きましたよつて どんな作物でもすぐにしてくれた 様子でござりますが、此近年は地 金の なつたのか、とんと作をづらして此諺草 でもそれゆへに十二篇目が出遅れましたと いふことでござります。以前のつらい時を思ふたら直に 作がでけるはづじやに不人情な奴でござります。これを 思ふと書林や版彫のためにハ画工と作者ハ 貧乏がよろしふござります」聞人「モシ/\。えらい悪口が すべりますぜ。 こうして一統が ★(12-2) |
○肩で風切る人 ○肩で風を切る 威勢がよくて得意な態度を見せる。 *天狗風 にわかに空中から吹きおろしてくる旋風。 つむじかぜ。 肩で風切る人は天狗になって天狗咄。 「なんと俺ほど偉い人はいないと言ったら天狗風が吹き出す やろか。」と法螺(ほら)を吹く。 挿絵の男は自分を大きく見せようと、袖に手を入れ左肩を高く 見せている。虚勢を張るのも顔をしかめて大変そうだ。 |
○口がすべる ○口が滑る 言う積りでないことを、うっかり言う。 ○舌がすべる 話の勢いで、言ってはならないことをうっかり言う。 ○口が転ぶ ○頭を上げる 他のものを圧して、勢力を伸ばしてくる。 「諺 宿の臍替」は江戸時代後期から明治初期にかけて大ヒット となり、何度も出版された。その流行作家、半水が文中で思わず 口を滑べらす。半水は「五、六年前までは作品が売れず米櫃が空 っぽなほどであったが、最近怠け心が出てこの諺草の十二編目が 遅れた」とある。 売れっ子作家になったのだが、軽妙な言い回しで自分を卑下しつ つ自慢している。 挿絵々師芳梅の名が出ている。芳梅の挿絵は大きな口が人々の頭 の上を滑っていくという戯画表現で口が滑るという諺を表している。 この人も大のずぼらの極道だと紹介している。 口にちなむ諺をちりばめた軽口咄。 |
参考サイトと辞典 国会図書館図書館 デジタルアーカイブス 穴さがし 臍の宿替 初編~13編 立教大学 ARC古典籍ポータルデータベース 臍の宿替 故事 俗信 ことわざ大辞典 小学館 第一版 第二版 「江戸のことわざ遊び」 平凡社・南和男著 |