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解説




読本
絵本徒然草(つれづれぐさ) 西川祐信画 元文三年序同五年刊
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 鎌倉末期兼好法師の徒然草244段中52段にそれぞれ美しい挿絵を添えた絵入本。絵師西川祐信(にしかわすけのぶ)(1671~1750)は江戸中期の浮世絵師・西川派の始祖。号は自得叟(じとくそう<)・文華堂とも。京都の人。狩野永納・土佐光祐に学び、また、江戸浮世絵の影響を受けながら、京畿の風俗や美人を典雅な様式で描き出し、京都における浮世絵を発達させた。なお伊勢物語、源氏物語、徒然草などの古典の絵入本は、近世以前の絵巻、絵本を引き継いだ伝統的なもので近世においては古典の普及にも大きな役割を果たした。墨摺絵本。

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絵本浅紫(あさむらさき) 二巻二冊(北尾重政画 江戸西村源六等 明和六年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 江戸後期の浮世絵師、北尾重政(号は紅翠斎・花藍)(1739~1820)の画で、忌詞や流行ものについてその言葉の由来を説明している。例えば正月の言葉に「寝る」ことを「いねつむ」というが、これは「寝(いね)る」を「稲」になぞらえて、「積(つむ)」はたのしきを積重ねる意で、「古今集」の歌の中に
「新しき年の始めにかくしこそちとせをかねて楽しきをつめ」の歌に由来している。 また当時流行物の「米饅頭」「象義(将棋)」「蕎麦切」「猪牙舟」「伽羅の油」「浄瑠璃」「勝山」「三味線」等々の由来を説く。北尾重政は錦絵や肉筆画で美人画をよくし、京伝・馬琴などの戯作に挿絵を描いた。墨摺絵本。
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絵本
明ぼの草(あけぼのぐさ)三卷三册(石川豊信画 禿帚子著 明和七年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
(*中巻に一丁落丁あり)
 画は江戸中期の浮世絵師石川豊信(1711~1785)。別称西村重信・ 秀葩。西村重長の門人。漆絵・紅摺絵で抒情的な美人画を描き、鈴木春信に影響を与えた。著者の禿帚子(とくそうし)については絵本明ぼの草・絵本江戸紫・絵本俚諺集ほか約20冊の著作(宝暦~寛政頃出版本)があるが生没年等は不明。
 三十の諺とそれをもじったもの(こじつけ)を対比している。即ちことわざの最初の意味は現代のことわざの用法と同じであるがそれの加えて本来の意味(こじつけの解釈)を述べている。しかしこの解釈は説得力があり注目される。
  例えば、
 「鬼神に横道なし」は「貴人に横道なし」
 「月夜に釜をぬかれた」は「月夜に蝦蟇(がま)の照れた」
 「朱にまじはれば丹(あか)くなる」は「衆にまじわれば明(あきらか)になる」
 「二階から目薬さす」は「苦(にがい)から目こすりさする」

 「佛の顔も三度見れば腹が立つ」は「おどけの顔も三度みれば腹が立つ」
 「膝とも談合」は「非者とも談合等々。
 墨摺絵本。

 
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絵本
江戸土産 一册 (西村重長画 京都菊屋安兵衞)(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 初版は宝暦3年(1753)に江戸奥村喜兵衛から三巻本として刊行されたものであるが、この絵本はその後の再版。両国橋の納涼、三囲の春色、隅田川の青柳、二本堤の春草、吉原、浅草、上野などの江戸名所を絵にしたもので、江戸土産として当時かなり評判を呼んだという。今日の観光案内書である。
絵師西村重長(にしむらしげなが)は別称仙花堂(せんかどう)百寿(ひゃくじゅ)、 仙花堂百寿。
墨摺絵本。

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絵本 
(もてあそび) 一册(下河邊拾水画 京都山城屋佐兵衞印 文政七年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)

 天下泰平のなか地下の庁も暇とみえ、閻魔大王が陽界へ出て今日も幼童をおどろかす。我儘いうと帳面に付けるぞ。無理いうと天窓(あたま)から塩つけてがりがり喰うぞ。親の恩を忘れては鳥獣にも劣る。穴市ばくちは見ても悪いぞと説く。心学思想に基づいた訓話・道話。下河辺拾水(しもこうべしゅうすい)は別称 藤原行耿(ゆきあき)河原拾水(かわはらしゅうすい) 下河辺行耿とも。商人年中行事(あきんどねんじゅうぎょうじ) 、伊呂波歌ほか90冊以上の本に絵師として名を残している。墨摺絵本。
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 [教訓
教訓注解 絵本
貝歌仙(かいかせん)三卷三册 西川祐信画 延享五年(1748)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 様々な貝にちなむ古今の名歌計36首の歌に注釈と教訓を加えて、江戸中期の浮世絵師西川祐信(にしかわすけのぶ)(1671~1750)が優雅な挿絵を添えている。例えば「ますう貝」は西行の歌「汐染むるますほの小貝ひろふとて色の浜とはいふにやあらん」を紹介してその教訓は「見目よき人、若き人と親しむは兼ねて此心得にて、よそに歌われあやしまれぬ、慎みあるべし。」墨摺絵本。

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絵本譬草(たとえぐさ)二巻二冊 石川豐信画 宝暦二年(1752年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 画は江戸中期の浮世絵師石川豊信
(1711~1785)。別称西村重信・ 秀葩(しゅうは)とも。西村重長の門人。漆絵・紅摺絵で抒情的な美人画を描き、鈴木春信に影響を与えた。石川豊信は本ページで掲載している「絵本明ぼの草」「教訓喩草 絵本花の緑」の絵師と同じである。
 
絵本譬草は見開き両面に挿絵と短い詞書きを添えて「剽窃。色欲。だまされる人。名人と呼ばれる人。女の容貌。酒。傾城。女子の育て方。狐疑。婬と酒。」等々二十一の教訓と処世術を分りやすく説いている。墨摺絵本絵双紙テキスト教訓に
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教訓喩草 絵本
花の緑(はなのみどり) 三卷三册 石川豊信画 宝暦十三年(1763年)江戸須原屋茂兵衞等
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)

商人・職人の心得について子供向けに分かりやすく説いている。例えば「商ひは利倍をこととするものなれど實の心なくしては礎なしに家を建んとするがごとし。」「銭は泉なり。泉の如しとて、湧たり減たりする物なれバ貧者を見てもあなどるべからず。」と。画は江戸中期の浮世絵師石川豊信(1711~1785)。
墨摺絵本
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児童教訓 (じどうきょうくん)   伊呂波歌絵鈔(いろはうたえしょう)一册 下河辺拾水画 南勢野叟著 天保七年(1836年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 初版は安永四年。「いろは」で始まる歌がそれぞれ一字につき3首ずつ書かれ、そのうち一首は見開き半丁に書散らし挿絵が描かれている。例えば最初の「い」は「祈る身ハよこしまならぬねがいこそ神もあはれとうけたまふらん」「いたづらに送るまじきは月と日のめぐりひまなき影にてもしれ」「いましめの人の行くべき道ならで胸とゞろきのはしはあやうし」が添えられて以下四十七字の歌。次ぎに「京」「一」~「十」「百」「千」「万」は一首ずつ、末尾に「手習の始も梅のさきかけていろはにゆづる難波津の歌」の一首で終わる(合計一五七首)。墨摺絵本。
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教訓いろはうた 全 
辻慶儀著 天保十五年(1844年)刊
 (京都大学付属図書館所蔵谷村文庫
 著者辻慶儀については詳細不詳。巻末に
天保十五年六月辻慶儀八十三歳と記されている。いろは順に四十八首の教訓歌に平易な注釈がつけられている。墨絵摺り版本。十丁。京都大学付属図書館所蔵谷村文庫では版本の画像が公開されているが、六丁七丁部分は落丁、もしくは画像の省略があり、十二首分の教訓歌を欠く。
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黄表紙
莫切自根金生木(きるなのねからかねのなるき) 三巻合綴一冊(唐来参和著 喜多川千代女画 天明五年)(東京大学付属図書館霞亭文庫所蔵)
 主人公「萬々」が金を持ちすぎ冨に飽き、苦しむという趣向で、金にまつわる世相・人情・借金・傾城買・博打・等々を明るく滑稽に描く。題名は上から読んでも下から読んでも同じ
きるなのねからかねのなるき」で回文。唐来参和(1744~1810)は江戸後期の狂歌師、洒落本・黄表紙作者。加藤氏。通称、和泉屋源蔵。
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金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)巻二冊(恋川春町著・画 安永四年刊)
(東京大学付属図書館霞亭文庫所蔵) 
 謡曲「邯鄲(かんたん)」の翻案。主人公金村屋金兵衛が、栄華を望んで江戸へ出て粟餅屋の店先でうたた寝をして夢をみる。夢の中で金持和泉屋の養子になって栄華を極めるが遊蕩して勘当されたところで目が覚め、人間一生の楽しみも粟餅一炊のうちと悟って故郷へ帰るいう筋。
 恋川春町(こいかわはるまち)(1744~1789)は江戸中期の狂歌師・黄表紙作者・浮世絵師。本名、倉橋格。別号、寿山人・酒上不埒(さけのうえのふらち)。駿河小島の松平家の臣。江戸小石川春日町に住み、恋川春町はそのもじり。「金々先生栄花夢」「高漫斉行脚日記」などにより黄表紙創始者の位置を占め、それらはすべて自画作。草双紙は、この作によって、青本・黒本の時期から黄表紙の時期に移ったとされる。

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 [地誌
絵本
物見岡(ものみのおか) 三卷二册(関清長画 江戸伊勢屋吉重郎西村源六)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 初版本は天明5年(1785)。関清長(別称鳥居清長)は江戸後期の浮世絵師。俗称、白子屋市兵衛(1752~1815)。江戸の人。鳥居清満の門に学び、初めは鳥居風の役者絵を描いたが、次第に美人画に移り、いわゆる清長風の美人画を完成。流麗な描線と明快な色調で天明の浮世絵界を風靡。絵本は新春の吉原に始まり、王子稲荷、浅草寺、日暮里、亀戸天満、隅田川等から浅草年の市まで江戸名所の風俗を四季順に描く。なお「中下巻」には狂歌が添えられている。墨摺絵本。
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吾妻遊(あずまあそび) 三巻三冊 (寄々羅金鷄著 喜多川歌麿画 寛政二年序)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 江戸後期の浮世絵師。喜多川歌麿(1753~1806)が江戸名所(吉原、山谷堀、麹町毘沙門、日暮里等々)の風景を描き、それに狂歌師、奇々羅 金鷄(ききら きんけい)(1878-1809)撰で狂歌24首を添えている。【別書名】 駿河舞(すぐがのまい)。墨摺絵本。
 歌麿は本姓、北川。鳥山石燕に従い、初め豊章(とよあき)と称した。美人画の分野で大首絵(おおくびえ)と称される上半身像の形成を創案、浮世絵の黄金期をつくった。代表作に「寛政三美人」。美人画、風俗画、役者絵ほか「画本虫撰(えほんむしえらみ)等90冊以上もの双紙の挿絵を制作。
 奇々羅 金鷄は通称畑道雲。「網雑魚(あみざこ)」ほか11冊に名を残す。
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 [狂歌
吾妻曲狂歌文庫(あずまぶりきょうかぶんこ) 一冊 (宿屋飯盛撰 北尾政演画 天明六年江戸耕書堂板)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 狂歌師五十人の肖像に狂歌を添えた彩色刷絵本。狂歌師を王朝歌人風に描いている。尻焼猿人(酒井抱一)・四方赤良(大田南畝)・手柄岡持(朋誠堂喜三二)・酒上不埒(恋川春町) 鹿都部真顔(狂歌堂)等。画は北尾政演(きたお‐まさのぶ)(山東京伝の別号)(1761~1816)。撰者は宿屋飯盛(本名石川雅望)(1753~1830)。

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古今狂歌袋(ここんきょうかぶくろ) 天明六年「吾妻曲(あずまぶり)狂歌文庫」出版の翌年の天明七年に宿屋飯盛(やどやのめしもり)撰、北尾政演画で刊行されたのがこの「古今狂歌袋(ここんきょうかふくろ)(角書(つのがき) 天明新鐫(しんせん)百人一首)である。古今狂歌袋は選者宿屋飯盛(やどやのめしもり)が江戸時代初期から天明期頃までの約二百年間に出版された狂歌集二十六冊の中から、すぐれた狂歌を百人百首を選び、それに画工北尾政演(きたおまさのぶ)(山東京伝(さんとうきょうでん))が趣向をこらした狂歌師百人の肖像画を添えて、蔦屋(つたや)重三郎版元で刊行されたものである。序文は四方山人(よもさんじん)太田南畝(おゝたなんぽ))。その外朱楽菅江(あけらかんこう)手柄岡持(てがらおかもち)唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)万象亭(まんぞうてい)四方赤良(よものあから)が五節句の祝辞と狂歌を添え、平秩東作(へづゝとうさく)が跋文を寄せている。彩色摺絵本。一冊全五十五丁(大きさ26.5×17.8cm) 絵双紙テキスト狂歌に戻る

絵本詞の花(ことばのはな)
二卷一冊(喜多川歌麿画 大坂和泉屋源七 寛政九年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 江戸後期の浮世絵師、喜多川歌麿(1753~1806)が絵を描き、それに宿屋飯盛が選んだ25首の狂歌を添えた絵本。初版は天明七年。この絵本は寛政九年の再版。吉原の花・両国の月・亀戸臥竜梅等、当時の江戸市井の四季の風俗を描く。墨摺絵本。
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絵本
譬喩節(たとえのふし)  三卷三冊(喜多川歌麿画 大坂明石屋伊八 寛政九年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 初版は寛政元年(1789)刊で、本絵本は再版。画は喜多川歌麿。序文は頭光(つむりのひかる)。各巻に風俗画と諺と狂歌が添えられている。諺は「(うぢ)なくして玉のこし」「水心あれば魚こころ」「鬼の目に泪」「鬼の留守に洗濯」「百日説法屁一ツ」等々。墨摺絵本。
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江戸名所図会(えどめいしょずえ)一冊 十返舎一九画  文化十年序
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)

 江戸の名所、上野・日暮里・王子・神田・隅田川・亀戸・日本橋等々の景色風俗にちなんだ狂歌51首(狂歌師50名の狂歌)に十返舎一九の画が添えられている。十返舎一九は江戸後期の戯作者。近松余七と号して浄瑠璃作者となり、一七九三年(寛政五)江戸に出て戯作に従事し、滑稽本を得意とした。代表作は「東海道中膝栗毛」「江之島土産」など。(1765~1831)墨摺絵本。

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年始物申
どうれ百人一首 一冊 鹿都部真顔(狂歌堂)編天保六年(1835年)[初版寛政五年(1793年)
(東京大学霞亭文庫所蔵)
 鹿都部真顔(しかつべまがお)は江戸後期の狂歌師・黄表紙作者。別号、狂歌堂・四方歌垣。戯作名、恋川好町。(1753~1829)。真顔編で半丁に4首の狂歌、一首ずつに挿絵を添えた年始百人一首。
例えば「めこどもに分けてやるべき世話もなし皆ひとつつゝ拾ふ歳をば」「梅か枝に年礼帳をかけすてゝ留守の庵にも春は来にけり」「たばかりて春へ通らんとしの関かけ取ともをたゝきたふして」等々。100名の狂歌師が詠んだ江戸の正月。13丁半・挿絵 18cm墨摺絵本。
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 [咄本・噺本
絵本軽口福笑(かるくちふくわらい) 菱屋治兵衛板 明和五年(1768年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 明和五年上方で出版された軽口本。国書基本データベースによれば著者は武仙、画は馬淵忠治 と記されている。一方「噺本大系」第17巻、武藤禎夫編 東京堂出版( 1979年)によれば臥仙序、義笑作、馬淵忠治画と記されている。上巻下巻合わせて二四の小咄が紹介されている。
 軽口とは笑話・落語の類。落語は江戸初期に安楽庵策伝が大名などに滑稽談を聞かせたのが初めといい、身振り入りの仕方咄(しかたばなし)から発達して芸能化し、江戸・大坂を中心に興隆。上方を中心に「軽口(かるくち)」「軽口ばなし」と呼ばれ、江戸中期より「落し咄」と呼ばれた。咄。噺。
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諺 臍の宿替   一荷堂半水著 歌川芳梅 画
(往来物倶楽部デジタルアーカイブス所蔵)
 折帖仕立て。江戸時代後期 刊行。彩色摺り版本。「ことわざ臍の宿替」は江戸時代後期から明治前半頃まで上方大衆に支持され、ロングセラーとなり、何度も出版されたという咄本。内容は庶民によく知られた諺を題名にして、種々の諺や故事・慣用句を使って、洒落や地口を仕組んだ戯文に、奇抜な戯画が添えられた通俗的読物。幕末の大阪庶民層の言葉、風俗、人情などが滑稽に表現されている。題名「臍の宿替」の意味は「臍で茶を沸かす」「臍が移動するほど面白い」の意。
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浮世草子・浮世草紙・浮世双紙
好色青梅(こうしょくあおうめ)副題 女は髪のめでたいえにし五冊中四巻のみ(一部掲載)玉梔軒(ぎょくしけん)著 貞享五年1688年
(東京大学霞亭文庫所蔵)

 「好色青梅」四巻から (一)女は髪のめでたいえにし (二)是皆順逆の二つをわかつ (三)垢の抜けたるへちまなりけり (四)物の不思議も是よりそ知る の四話を紹介する。浮世草子。好色本。艶本。浮世草子は井原西鶴の「好色一代男」(天和二年、1682)によって仮名草子と一線を画して以来、宝暦・明和頃まで約八○年間上方(かみがた)を中心に行われた町人文学で、この本は江戸時代初期頃の裕福商人層の享楽的・娯楽的な生活を描いた好色物の一冊。墨摺絵本。
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好色咄(こうしょくはなし) 浮世祝言揃(うきよしゅうげんぞろえ) 五巻のみ元禄三年(1690年)
(東京大学霞亭文庫所蔵)

「国書基本データベース」には浮世祝言揃六巻六冊。吉田半兵衛作・ 画 ?元禄三刊 とある。その内、東京大学付属図書館霞亭文庫には五巻のみ所蔵されている。
 吉田半兵衛について「国書基本データベース」には二十三冊の著作が記載されていて、「自著作・画」又「画」吉田半兵衛の本も多いことから絵師としても活躍したと思われ、この浮世祝言揃の画もあるいは吉田半兵衛が描いたかも知れない。五巻二話に著者名は記されていない。

 浮世祝言揃五巻から次の二話を翻刻文のみ掲載。
(九)音さへゆかし若か鉄槌(かなづち) (つけた)り 合すればあふ乳母の仕合
(十)情は重し敷金(しきがね)の箱 (つけた)り 恋ははなれぬ腰元の仕合墨摺絵本。
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[往来物]
庭訓往来講釈(ていきんおうらいこうしゃく)
(伝)玄恵 著・渓斎英泉 注・画 弘化二年(1845年)刊
(東京学芸大学望月文庫所蔵)
 庭訓往来の成立は室町時代頃、著者は鎌倉後期・南北朝時代の僧玄恵(生年不詳 ~ 1350年)とも伝えるが詳細は不明である。玄恵(げんえ)((ゲンネとも)は、号は独清軒・健叟。玄慧とも。天台宗の僧。京都の人。一説に虎関師錬の弟。天台・禅・宋学を究め、後醍醐天皇に古典を講じ、また足利尊氏・直義に用いられ、建武式目の制定に参与。「太平記」「庭訓往来」の著者とも伝える。
 ○庭訓往来の文体は凝漢文体で候文。
 ○一年各月の進状と返状二十四通と、八月(底本によっては七月晦日)の一通を加えた
  二十五通からなる。
 ○内容は衣食住、花鳥風月、詩歌、音楽、射事、寺、訴訟、法律等々多岐に渡っている。
 ○社会生活に必要なさまざまなことばと文例を読むことで社会常識や知識を学ぶように
  工夫されている。
 庭訓往来は当初は貴族武士僧侶の子弟の教育ための教科書であったが、江戸時代になると寺子屋が発達して庶民のための教科書としてもっとも普及して使われた教科書といわれている。
庭訓往来講釈は細かな注と各手紙の要約の記載があり、かつ挿絵のある「庭訓往来講釈」弘化二年刊を底本に、全二十五通の手紙の中から一部(正月・二月・七月・八月の各月の進状と返状合わせて八通)をご紹介します

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絵画
画本早引(えほんはやびき)  二巻 二册 葛飾北斎(戴斗)画 
前編文化一四年(1817年) 後編文政二年(1819年)
(東北大学付属図書館狩野文庫所蔵)
 北斎の絵手本は古今東西の歴史上あるいは文学上の人物から市井の人、風俗、暮らし、生活用具、神仏、動植物、風景、建物、妖怪等々森羅万象を絵にしている。あらゆるものを絵に描き収録したことから絵でみる「江戸百科」にも、また昔物語の名場面や故事や成句にちなむ絵が点在していることから、「もの知り事典」にもなっている。特に人物描写では様々な人々の各種各様の姿や表情を写実的にあるいはデフォルメしてユーモラスに描いている。これら絵手本は門人達や私淑者向け手習い本としてだけでなく、職人達の絵画、工芸、日用品等の装飾デザインにも役立つ図案集としても制作されたものと思われる。描かれた図案数は「北斎漫画」15冊で4000余種、また「画本早引」2冊には1300余種。なお「画本早引」は伊呂波節用集、いろは字引に倣いイロハ順に収録されていて、必要な図案を言葉で引き出せるように工夫されている。
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 [合巻]
教草(おしえぐさ) 女房形気(にょうぼうかたぎ)二編上下 三編上下
弘化三年(一八四六)から慶応四年(1869年)刊。中本二五編一〇〇巻五〇冊。山東京山作、二一編以降は鶴亭秀賀作。二代(実は三代)豊国画、一二編以降は二代国貞画。錦橋堂山田屋庄次郎板。天保改革が収まった後に教訓的標題をもって刊行が開始された一群の作品のひとつで、京山の代表作。八文字屋本の気質物に倣った作風で、町家の女房たちを扱った全部で五話(最後の一話は秀賀作)からなる〈続きもの〉である。第一話は清涼井蘇来作の読本『当世操車』(明和三年)巻三「浮島頼母妻女の事」を典拠としており、かなり密着した翻案が行われているという。各編の序などで和漢の故事を引きつつ、婦女子に対する道徳教訓を説くことが多い。翻刻は明治期単行本のほか、続帝国文庫『続気質物全集』、有朋堂文庫『娘節用・教草女房形気』に収まる。【参考資料】内田保広「「不才」の作家―山東京山試論」(『近世文学論叢』、明治書院、平4)
日本古典文学大事典 高木元 
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 [
和歌]
百人一首一夕話(ひとよがたり)九冊九巻 尾崎雅嘉(おざきまさよし)著 大石真虎(おおいしまとら)画  版元 敦賀屋九兵衛 天保四年1833年)
江戸時代末期の国学者尾崎雅嘉著『百人一首一夕話』は、小倉百人一首を一首ごとに歌の解釈と歌人に関する逸話や伝記を集めて通俗的読物として出版された。歌人をめぐる多くの逸話は王朝文学から中世文学、説話集、軍記物語、日記文学等々から広範囲に集録され、読み易い和歌注釈書としてまた庶民の教養書として、当時老若をとわず注目され愛読されたという。歌人百人の逸話や事歴満載の注釈の面白さと、絵師大石真虎の名筆による全百十枚もの豊富な挿絵の魅力とが相俟って雅趣の深い小倉百人一首の解説本となっている。墨摺版本。九冊九巻。翻刻文は巻之五 紫式部。 巻之七 崇徳院。
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参考・引用文献

東北大学附属図書館狩野文庫データベース

東京大学付属図書館霞亭文庫

日本古典籍総合目録

電子資料館(国文学資料館)

広辞苑第四版(岩波書店)

*絵双紙の分類は国文学研究資料館日本古典籍総合目録
を参考にしました。
      



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