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2020/3/3 改訂

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百人一首一夕話
巻之七 崇徳院へ


和歌 解説本
百人一首一夕話
(ひゃくにんいっしゅ ひとよがたり)九冊九巻
Hyakunin-isshu hitoyogatari
 
巻之五 
紫式部(むらさきしきぶ)
 (十三丁オモテ~十九丁ウラ)
Vol.5 Murasakishikibu

尾崎雅嘉(おざきまさよし)著 大石真虎(おおいしまとら)画  
版元 敦賀屋九兵衛    天保四年(1833年)
別名
  百人一首比登与俄蜩・「( ひゃくにんいっしゅひとよがたり )
 百人一首飛登與我丹里( ひゃくにんいっしゅひとよがたり )
 百人一首秘斗豫峨他梨( ひゃくにんいっしゅひとよがたり )
 百人一首飛登与我多利( ひゃくにんいっしゅひとよがたり )
  百人一首斐刀餘雅太蜚踀( ひゃくにんいっしゅひとよがたり )
個人所蔵



                               
                      解説
  
江戸時代末期の国学者尾崎雅嘉(まさよし)著『百人一首一夕話』は、小倉百人一首を一首ごとに歌の解釈
  と歌人に関する逸話や伝記を集めて通俗的読物として出版された。歌人をめぐる多くの逸話は
  王朝文学から中世文学、説話集、軍記物語、日記文学等々から広範囲に集録され、読み易い和
  歌注釈書としてまた庶民の教養書として、当時老若をとわず注目され愛読されたという。
  歌人百人の逸話や事歴満載の注釈の面白さと、絵師大石真虎の名筆による全百十枚もの豊富な
  挿絵の魅力とが相俟って雅趣の深い小倉百人一首の解説本となっている。
  墨摺版本。九冊九巻・大きさ25.5×18.2cm。

  尾崎
雅嘉(まさよし)は江戸後期の国学者。大坂の人。通称春蔵、字は有魚、号は蘿月庵、華陽。
  著作は「百人一首一夕話」のほか「群書一覧」「掌中(しょうちゅう)源氏物語」「六歌仙一夕話 」
 「
蘿月庵歌文集(らげつあんかぶんしゅう)」など。(1755~1827)

  大石
真虎(まとら) 1792-1833)江戸後期の復古大和絵派の絵師。尾張国名古屋の人。
  幼名吉太郎、衛門七とも小門太とも。号は鞆舎。絵をはじめ張月樵に学び樵谷と号したが、
  のち田中訥言の門人で尾張の復古大和絵派の画家渡辺清について学んだ。
  時代考証をつくした歴史画に新境地を開いた。
  
  百人一首一夕話 九巻九冊の内の五巻の表紙、紫式部の章から、本文と挿絵の画像と翻刻文
  を掲載しました。翻刻に当たっては底本の旧漢字は現行活字体に改め、平仮名表記は適宜漢字
  に変換。句読点・濁点・「 」は適宜補足。異体字は常用漢字に。振り仮名は一部省略。
  カタカナ表記、送り仮名、一部常用外漢字、改行はあらかた底本の通りに。其・此・也は原文
  のまま、扨は平仮名表記にしました。

 *以下大学図書館では「百人一首一夕話」一巻~九巻までの全ての画像が公開されています。
  
跡見学園女子大学図書館所蔵 百人一首コレクションデータベース「百人一首一夕話」
  早稲田大学図書館所蔵「百人一首一夕話」
  東京学芸大学リポジトリ 貴重書
 *「百人一首一夕話」上下二冊 岩波文庫  全翻刻文と挿絵が掲載されています。

  翻刻に際しては福岡県の松尾守也氏にご協力を頂きました。厚く御礼申し上げます。
 
           

          



  (表紙)
   (見返し一丁二丁  画像省略)
 
  
百人一首一夕話 (飛登与我多利(ひとよがたり)
   巻之五
  目録

紫式部(むらさきしきぶ) 歌の訳
式部
寡住(やもめずミ)みの話
日本紀(にほんぎ)(つぼね)の話
源氏物語好色の書にあらざる話

道長公(みちながこう)式部に(たはぶ)れ給ふ話
式部(こと)をよくする話

    


              


  (十三丁オモテ)
 

       
 紫 式 部

   めぐり逢ひて見しやそれ
   とも分かぬ間に雲隠れ
   にし
夜半(よは)の月かな


 新古今集
(ざふの)上に早くより童友達(わらハともだち)(はんべ)りける
 人の、とし頃
()て行き()ひたるがほのかにて、七月(ふミづき)十日ころ
 月にきほひて帰り侍りければと有。はるかに前かどより
 幼友達(をさなともだち)にて有たる人が、年数をへて
後出(のちいで)あひ

 
 
(上段注)
 中納言
兼輔(かねすけ)曾孫(ひまご)
 (じゆ)五位下藤原為時(ためとき)
 むすめ、母ハ摂津守
為信(ためのぶ)
 のむすめなり。右衛門権(えもんのごん)
 (すけ)藤原宣孝(のぶたか)の妻
 となりて二人の
(むすめ)
 (うめ)り。姉の
賢子(かたこ)()
 宰大弐高階成章(ざいだいにのたかはしなりあきら)
 の妻となりし故
 後に大弐三位といひ、
 妹ハ
(べん)(つぼね)といひて
 後に
後冷泉院(ごれいぜんいん)の御
 
乳母(めのと)となれり。
  
*頃 原文は「比」




  (十三丁ウラ)
 たるにたしかに
其人(そのひと)ともおもひ(さだ)めぬ(あひだ)に、七月十日頃の夕月(ゆふづき)
 のかくるゝに
 
(おとら)彼人(かのひと)も早く帰りたるを本意(ほい)なくおもひてよみたるよし也。
 歌の
 
(こゝろ)ハ月も空を巡りてハ又(いづ)るものなるが、久しぶりにて
 めぐりあひて
 顔を見たるハ昔の友達なりし。その人かとも見分けぬ
(あひた)に、
 雲にかく
 れたる今宵(こよひ)の月のやうに、早く帰りし
其人(そのひと)の残り多さよと
 いふ事也。

    紫式部(むらさきしきぶ)の話

 式部の夫ハ
右衛門権佐(えもんのごんのすけ)藤原宣孝(のぶたか)といへり。長保(ちやうほう)三年四月二十五日
 宣孝(のぶたか)
 
(そつ)せられて後(ふたゝび)他に()せず、身を堅く持て後に上東門院(じやうとうもんいん)
 に(つか)へ奉
 れり。此門院の女房達ハ(ミな)歴々(れきれき)たる才女どもなりしが、
(その)中に
 てこの式部ハ
 才智ある顔もちもせず、
(はなはだ)おとなしき人なりけれど学問ハ
 格別にすぐ
 れられたり。その
(しやう)寛治(くわんぢ)四年に上東門院また中宮(ちうぐう)と申(たてまつ)りし
 時、式
 
*長保3年(1003年)
*上東門院 一条天皇の皇后。藤原彰子。道長の女(むすめ)。1000年(長保二)
 立后、1026年(万寿三)院号宣下。後一条・後朱雀天皇の母。(988~1074)
寛治3年(1089年)
*10行目 顔 原文は「纈オ」



 (十四丁オモテ)
 部に
白氏文集(はくしぶんじふ)楽府(がふ)(なら)ハせたまひし事あり。其頃門院の
 御父
()
 堂関白(だうのくわんばく)道長公(ミちながこう)式部が夫に別れて(のち)やもめながらに宮仕へする
 に、容儀(ようぎ)
 うるハしく才智ある女なる
(ゆえ)たひたびたはぶれ(ごと)などのたまひ
 けれと、
 
(しな)よくもてなして御心(おんこゝろ)にしたがふる事なかりし。さやうの
 事どもハ、
(かの)式部の
 
日記(にき)にてうかゞひ知らるゝ也。寛弘(くわんこう)六年の頃式部の作られし
 源氏物語、門
 院の御前(おまへ)にありけるを道長公御覧ありて、例の御たはぶれ
 言ありし
 ついでに梅の
折枝(をりえだ)(しき)てありし紙に御歌を書かせ給へり。

   すきものと()にし立てれバ見る人の
         折らで(すぐ)るハあらじとぞ思ふ


 此こゝろハ梅ハ
(あぢわひ)()きものなるを、好き者とかよハせて
 紫式部源氏
 物語を作りて、色好(いろごの)ミといふ名に立ちてあれば、見る人が梅を
 手折(たを)
 ごとく式部を(その)まゝに見過ごす事ハ有まじと思ふとたはぶれ
 給ひし也。さて此
返歌(へんか)を式部の詠まれたるハ、 
*寛弘 平安中期、一条・三条天皇朝の年号。(1004.7.20~1012.12.25) *白氏文集(はくしもんじゅう・はくしぶんしゅう) 唐の白居易の詩文集。
*御堂関白道長 藤原道長(ふじわらみちなが)平安中期の廷臣。兼家の第
 五子。御堂(みどう)関白・法成寺入道前関白太政大臣と称されるが、正式
 には関白でなく内覧の宣旨を得たのみ。法成寺摂政とも。藤原氏極盛時代
 の氏長者。長女彰子は一条天皇の皇后となって後一条・後朱雀両天皇を
 生み、次女妍子は三条天皇の皇后、三女威子は後一条天皇の皇后、四女
 嬉子は後朱雀東宮の妃。法成寺を造営。自筆本の日記「御堂関白記」が
 伝わる。(966~1027)


    (十六丁オモテ) 
 源語の五十四帖。
(まつたく)
 寓言(ぐうげん)なれども。人
 情を写し。風俗
 をあらはすに至つ
 て、
斑馬(はんば)の筆も
 及ばざるに似たり。
 熊沢・安藤の鴻儒(こうじゆ)
 外伝(ぐわでん)。七論を(つくつ)
 賞すること甚し。


 
(それ)婦人の(こゝろざし)。丈夫と(こと)也。
 (さえ)あつて文学に長ずる
 ときは。かならず夫を軽しめ
 人を(あなど)る。小野小町。清少
 納言の類ひ是なり。極めて
 (をハり)をよくせず。式部其(さえ)
 ほこらず。(その)(おこなひ)を慎ミ、若
 きよりやもめにして二夫(にふ)
 (まミ)えず。(けん)なりと
 いふべし。
  (十五丁ウラ) 
 (上段) 
 紫式部の博学高才
 なる。
(わが)曹大家(そうたいか)といふ
 べし。幼少より学文
 の(こゝろざし)ふかく、兄
惟親(これちか)
 の(かたハら)にあつて。其
 学ふ
(ところ)の書を。
 ことごとく暗記す。   
 父常に男なら
 ざるを(うら)む。長
 ずるにしたがひ 
 和漢の文
 学ハもと
 より。万芸
 極めざるなし。

 (
下段)
 無名抄曰、
 さても(この)源氏。作り
 出でたる事。思へば思へば
 此世(このよ)のひとつならず。
 めづらかに覚ゆれ。ま
 ことに仏に申こひ
 たる。(しるし)にやと
 こそ覚ゆれ。凡夫(ぼんぷ)
 のしわざとハ
(おぼ)えぬ
 事なり云々
             
*寓言 原文は「偶言」
 *班馬(はんば) 班固(はんこ)と司馬遷(しばせん)。ともに歴史家。
*鴻儒(こう‐じゅ) 儒学の大学者。大儒。転じて、大学者。
*外伝(がいでん・ぐでん) 正史以外に、逸話などを中心として書かれ
 た伝記。
* 曹大家(そうたいこ)=班昭(はんしょう)
*班昭 後漢の女流文学者。字は恵班。班固の妹。曹世叔の妻。和帝に招か
 れて皇后・貴女の師となり、曹大姑・曹大家(そうたいこ)と称。兄班固
 の志を継いで「漢書」を大成。「女誡」七編を著した。(45~117)
*暗記 原文は「闇記」
*無名抄(むみょうしょう)歌論書。一巻。鴨長明著。1211年(建暦一)
 ~1216年(建保四)の間成る。和歌に関する故実、歌人の逸話、詠歌の
 心得などの雑録。
*さて 原文が「扨」 



  (十六丁ウラ) 
  人にまだ折られぬものを誰か(この)
     すきものぞとハくちならしけん


 これハさやうに仰せらるれど、(おつと)より外の人にハまだ
()
 折られぬものを、
 誰か色好みなりと申ふらし(さぶろふ)ぞといふ事也。さてまた其頃式部
 渡殿に
 いねられし夜、戸をたゝく人有と聞て居られたれと、おそろ
 しさに音もせず
 して夜を明かされたるに、其明くる
(あした)道長公より遣されし歌、

  
よもすがら水鶏(くひな)よりけになくなくぞ
      
(まき)板戸(いたど)を叩き()びつる


 
水鶏(くひな)よりけにとハ、水鶏よりまさるほどにといふ事也。
 この返しに式部、

  たゞならじとばかりたゝく水鶏ゆえ
         あけてハいかにくやしからまし

 かやうに身を堅く持ちて(ミさほ)の正しき人にて、まことに才徳
(かね)
 (そなハ)りたる
 女といふハこの紫式部なるべし。さて紫式部といふ名の事ハ藤原
 為時(ためとき)のむすめ
 なりし故はじめハ
藤式部(とうしきぶ)といひしを、源氏物語を作られし時、
 紫の
 上の事をすぐれて面白くもあはれにも書かれし故、
(かの)
 上東門院の御殿(ごてん)
  
*水鶏・秧鶏(くいな)
 ツル目クイナ科の鳥の総称。クイナ・ヒクイナなどの類。和歌などにその鳴く声を
「たたく」といわれるのはヒクイナで、夏鳥。また、その一種。背面は褐色で黒斑が
 あり、顔は灰鼠色、腹には顕著な白色横斑がある。秋、北方から渡来、水辺の草
 原にすむ。

  


                                       


 
 (十七丁オモテ)
 にて藤式部(とうしきぶ)といふ(よび)名を改めて紫式部と
(がう)
 られたる也。又一条院
 源氏物語を
叡覧(えいらん)ありて御称美(ごしようび)の上、式部ハ日本紀(にほんぎ)をよく
 
(そらん)じたる
 もの也と仰せられしより、
左衛門(さえもん)の内侍(ないし)といふ官女が式部
 を日本紀の
 
御局(ミつぼね)と申したるよし也。式部の父為時ハ藤原時郷(ときさと)の弟子
 にて名高き学者
 にして、歌をもよくよまれし故式部も幼少の時より学問の
 こゝろさし有て、
 兄の
惟親(これちか)史記を読まれし時も(かたハら)より見(おぼ)てよく読まれ
 たり。それ故
 父の為時申されけるハ、このむすめ
男子(なんし)にてあらましかバ
 生長の後和漢の旧
 記にも
(わた)り朝廷の故実にも(つう)ずべきに、女にて本意(ほい)なし
 などつぶやか 
 れしとぞ。式部
(やもめ)になられし(のち)も夫宣孝の残しおかれし
 書籍どもを
 見てのミ月日を過されし故、かたハらの女共が婦人の
 
御身(おんミ)にてかやうに
 学問を好ませたまふ故、不幸にて早くやもめにならせ
 られたるなるべし
 などひそかにそしりたり。又
(こと)をよく(ひか)れけるにや、
 千載集に上東門
 
   
   



 (十七丁ウラ)
 院に侍りける時、里に(いで)たりける頃女房の
消息(せうそこ)のついでに、
 (こと)伝へにまう
 でんといひて侍りけれバ
(つかハ)しけるといふこと書有て
 式部の歌に、

  
 露繁(つゆしげ)(よもぎ)がもとの虫の()
     
朧気(おほろげ)にてや人のたづねん


 とあり。これを見ても(かの)女房に箏を教へられたることの
 しらるゝ也。又
 日記の中に
(そう)のこと和琴(わごん)調べながら心にいれて雨のふる
 日
琴柱(ことぢ)
 倒せなどもいひ侍らぬまゝになど書かれたり。さて源氏物語
 を作られたる
 事ハ
長保(ちようほう)三年に夫宣孝に別れられてより後三四五年
 ばかりやもめ
 
(ずミ)みして居られし時の事なるべし。無名抄(むミやうせう)の説に村上帝(むらかみのみかど)
 の御むすめ(おほ)
 斎院(さいいん)より上東門院へ珍しき物語のさぶらハヾ見せさせ
 給へと
 (こひ)につかハされし時、門院式部を召して作らせられたる
 由いへり。
 又其(ほか)さまざまの趣意をたてゝ論ずれど、いづれも
覚束(おぼつか)
 なる説とも也。
 さて又石山の観音に
祈請(きせい)して須磨・明石の両巻(ふたまき)より書き
 はじめたり 



 (十八丁ウラ) 
 ともいひ、
大般若経(はんにやきよう)の料紙を本尊に申受けてかきたりなど
 いふ説ともゝ、
 名高き古人達のいひ伝へたる事なれど用ひられぬ説々也。
 また源氏物
 語を好色の書のやうにおもふハ
僻事(ひがごと)なり。式部は前にもいふ
 やうに才徳備
 りたる人なれば、種々様々の世間にありたる事ともを取
 集めて人々の
 心得にも
(いまし)めにもなるべきやうに心を含ミてかきたるもの
 にて、まことに
 人情世態をつくしたる書きさまなり。又文章に於いてハ
 古今の名文たる事、今更
 いふに及ばざるもの也。但し此物語を好色(こうしよく)(しよ)とて
(いや)
 め
(おと)しむる儒者
 の論ともあれど、大意をうまく
(わきま)へぬ論どもハ
 取るべからず。熊沢氏の
孝経(こうきよう)
 外伝或問(がいでんわくもん)の説をこゝに挙ぐ。其説に(いハ)く源氏物語の好色(こうしよく)
 の事ハ(つくり)物語
 にして、いふ程の事ハ大かた
実事(じつじ)也。昔の(まつりごと)の礼
 と楽との教へをのミかける
 書ハ見る人すくなきによりて(つい)にハ
絶失(たえうせ)たる書籍(しよじやく)
 多し。好色ハ人
 情の好むもの故、(おもて)色好(いろこの)ミの事を専らに
(かき)内証(ないしやう)にハ 
 *熊沢 蕃山(くまざわ ばんざん、(1619年~1691年)は江戸時代初期の
 陽明学者である。諱は伯継(しげつぐ)、字は了介(一説には良介)、
 通称は次郎八、後助右衛門と改む、蕃山と号し、又息遊軒と号した。
 著作「源氏外伝」「孝経外伝或問」(こうきょうがいでんわくもん



 (十九丁オモテ)
 昔の礼楽風俗を後々(のちのち)までいひ残すやうに(かき)たるもの也。
 色好(いろごの)ミともの
 物語を釣糸にして(いにしへ)遺風(いふう)礼楽(れいがく)のよき事を書き置かれし
 趣意をも知らずして、世間に源氏を読む人ハ多くハ好色の(なかだち)
 なる事也。源氏物語の実事(じつじ)(にしき)のやうなるもの也。世間の
 源氏を見る人ハ
 かの
(けい)ばかりを見てまことの錦を知らざる故、(たゞ)好色の
 書のやうにて
 主意(しゆい)を失ひて伝はれるハ(をし)き事也。(まづ)神事(じんじ)祭礼の
 古法(こはふ)、葬
 式の服色(ふくしよく)の濃き薄き(へだ)てのある事など詳しく記してあり。
 又其
 時代の頭中将(とうのちうじやう)・源氏の大将(だいしやう)ハ今の諸侯(しよこう)にくらぶれば中より上
 の大身(たいしん)なる
 に、(かの)頭中将と源氏の君と同道して参内せらるとて、
 朝飯(あさはん)(かゆ)
 
強飯(こハいひ)とを参る事あり。早朝の参内にて昼ならでハ退出
 せられぬ
 (ゆえ)、粥ばかりにては(たへ)がたき故、力に強飯をまいると
 見えたり。又源氏の
 君嵯峨(さがの)(ゆき)て日を()給ふ時も、強飯より外ハ用ひられ
 ざりし
  >*絅(けい) ひとえの着物。
*強飯(こわいい) を甑(こしき)に入れて蒸し炊(かし)いだ飯の称。



  (十九丁ウラ)
 さまに書けり。これらの事にても上代の質素にして、清美
 なる風俗の
 知らるゝ也。又後世の
糸竹(いとたけ)(でん)にも(たえ)たる秘曲とも、源氏物語(げんじものがたり)
 にのミ
 (とゞ)まりてある事も多しといへり。さて(この)紫式部のむすめ一(にん)
 あり、
 名は賢子(かたこ)といへり。和歌をよくして狭衣(さごろも)をあらはす也。

  
  

*狭衣物語(さごろもものがたり)四巻。作者を紫式部の女(むすめ)
 大弐(だいに)三位とする説は捨てられ、六条斎院_遖鮪q(ばいし)内親
 王宣旨とされる。
 平安中期、延久・承保の頃成るか。狭衣大将と源氏宮とが主人公。

*糸竹 (糸は琴・三味線など弦楽器、竹は笛・笙しようなど管楽器の類をいう)
 楽器の総称。管弦。


   


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