2020/3/2 改訂

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絵本 淺紫 (えほん あさむらさき) 二巻二冊

 「上卷」
  
北尾重政画  江戸西村源六等
明和六年(1769年)

原データ東北大学 狩野文庫画像データベース
繪本淺紫

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  解説
  
江戸後期の浮世絵師、北尾重政(一世)(号は紅翠斎・花藍)(1739~1820)の画で、忌詞や流行ものに
  ついてその言葉の由来を説明している。
  例えば正月の言葉に「寝る」ことを「いねつむ」というが、これは「(いね)」を「稲」になぞらえて、
  「(つむ)」はたのしきを積重ねる意で、「古今集」の歌の中に「新しき年の始めにかくしこそ千歳を
  かねて楽しきをつめ」の歌に由来しているという。
  また当時流行物の「米饅頭」「象義(将棋)」「蕎麦切」「猪牙舟」「伽羅の油」「浄瑠璃」「勝山」
  「三味線」等々の由来を説く。墨摺絵本。
  なお北尾重政(一世)は錦絵や肉筆画で美人画を能くし、また挿絵絵師として草紙約250冊もの挿絵
  を制作した。

  翻刻に際して古文書研究家椿太平氏と福岡県の松尾守也氏にご協力を頂きました。
  厚く御礼申し上げます。 

 
 



(1)
絵本浅紫


    北尾重政画


(2)
絵本(ゑほん)浅紫(あさむらさき)

花ハ上野、月は隅田川の流れに影ひろご
りて
(なを)前編にもれたるを究問(ねどひはどひ)童衆(わらんべ)
(ことば)につきて紅翠軒(こうすいけん)の答の筆にまめやか
なれバ又も二冊子の慰めぐさとハなれり事の
(たくミ)ならざれハとて(ミづから)浅紫と題せるを其まゝ
書肆(しよし)媒介(なかだち)して浅からぬ朝紫と言葉を
そへ侍ることしかり
   浪花散人 玄々齋述
*紅翠軒 北尾重政(一世)の号。紅翠斎、花藍とも。
*書肆(しょし) 本屋。書店。
*浪花散人(なにわ-さんじん)(別称)
 
[1] 伝重堂琴滝(でんじゅうどう きんろう
 [2] 琴滝(きんろう)
【著作】謡行列座敷狂言(うたいぎょうれつざしききょうげん)

      (現代語訳)
 
花は上野、月は隅田川の流れに月影が広がって、なお前編に洩れて
 掲載しなかったもので、根掘り葉堀りと問うことの好きな子供らの言葉に
 ついて、
紅翠軒(こうすいけん)北尾重政の答えの文が実に役立つものなので、又も
 二冊の心を慰める本となった。
 (紅翠軒は)巧くないという事で自ら「浅紫」を題したが、その
 まま書店に仲立ちして、私は「浅からぬ朝紫」と言葉を添えた。
 
              浪花散人 玄々齋述


(3)
 正月はじめのことばに
 ()る事を
 いねつむと云
 (いね)るを
 (いね)にとりなし
  (つむ)
 たのしきを
  つミかさぬる
 にしていへり
古今大(おほうた)(ところ)
 お歌のなかに
あたらしき
 年のはしめに
 かくしこそ
ちとせ(千歳)をかねて
 たのしきをつめ


*大歌所御歌
 新しき年の始めにかくしこそ千年をかねて楽しきをつめ
   古今集巻20(1069)詞書大直毘(おほなほび)の歌。
   大直毘神は伊邪那岐命の子。
 凶事を直して吉事とするはたらきをもつという。

 「楽しき」に「木」をかけて御薪木(みかまぎ)
 
御竃木)を 積み上げようの意。
 
御薪(みかまぎ) 律令時代、毎年正月15日に百官
 が年中の用料にあてるため宮内省に進献した薪。

*いねつむ (稲積む)(古く正月に用いた忌詞)
 寝る。
 いねあぐ(稲挙ぐ)稲と寝
(いね)とをかけて)
 寝床から起きる。

*古今 古今和歌集のこと。
大歌所(おゝうた‐どころ)大歌の教習・管理
 をつかさど
った所。平安初期に設置。
挿絵は正月室内。
 左頁の母親は枕に替え布をかけ
 ている。畳の上には幸運の初夢
 を見るために枕の下に敷く縁起
 物の宝船の絵がある。縁起のよ
 い夢の順は一富士・二鷹・三茄
 子(なすび)という。
 中央の娘が手にしているのは
 カルタ?壁の掛花入に花があ
 り、
奥の部屋に正月の蓬莱飾
 りがある。



(4)
 根元(こんけん)
 あさくさ金龍山(きんりうざん)

 聖天(せうてん)のふもと
 鶴屋なり
 此家に
 およねといふ
 むすめあり

  奉納 金龍山聖天
   根元 よ(ねや)

 才智なる 生れなり
 此女 はじめて
 これを (せい)すゆへ
 およねが
まんぢう
(饅頭)といへり
根本(こんほん)ハふもとの
 つるや
(鶴屋)うミつらん

(よね)まんぢうハ
  玉子なりけり

*鶴屋 産みつらん  
*米まんぢう(米饅頭) 江戸浅草金竜山の麓で
 売っていた饅頭。鶴屋・麓屋が有名。およねと
 いう女が始めたからとも、米の粉で作るからと
 も、野郎餅に対して女郎(よね)饅頭の意とも
 いう。


*根元 本家
*金龍山 浅草寺(せんそう‐じ)

 東京都台東区浅草にある聖観音宗(天台系の
 一派)の寺。山号は金竜山。本坊は伝法院。
 628年川より示現した観音像をまつったのが
 始まりと伝え、円仁・頼朝らの再興を経て、
 近世は観音霊地の代表として信仰を集めた。
 浅草(あさくさ)観音。

*聖天 まつち‐やま(真土山・待乳山)
 東京都台東区浅草の本竜院(浅草寺末寺)の境
 内にある小丘。丘上に本竜院の本堂聖天宮が
 あり、俗に聖天山という。

挿絵は金龍山聖天宮鳥居の側の
 米饅頭の鶴屋。

     
  
 浅草寺 公式ホームページ
 
 
待乳山聖天



(5)
 象義
(将棋)ハ日本にてハ
 織田信長の
 ころはじまり
 其頃は
宗桂(そうけい)宗古(そうこ)
 上手なりしとぞ
 (よろしく)
 陣法を

 かたどるもの なるゆえ
 士のならひ 知りて
 (えき)ある
 ものなるよし
 されバ
 今も その家をたてゝ
  禄をたまふ
*大橋宗桂(おおはしそうけい)江戸前期の将棋
 棋士、1世名人。京都の生まれ。囲碁の本因坊算
 砂とほぼ同時代で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家
 康らに仕え将棋を披露した。宗桂の名は信長から
 与えられたという。慶長12(1607)年、宗桂と算砂
 の平手戦が現存する最古の将棋棋譜とされる。
 長子宗古は二世名人。

 
出典:朝日日本歴史人物事典
*将棋・象棋・象戯 (しょうぎ)
 室内遊戯の一。縦横各9列の盤上に各20枚の駒を
 並べて二人が相対し、互いに一手ずつ動かして
 相手の王将を詰めたほうを勝ちとするもの。
 攻め取った相手の駒は自分のものとして使用でき
 る。インドに起こり、中国を経て奈良時代に日本に
 伝来したという。盤の目の数、駒の数などによって
 大将棋・中将棋・小将棋などの別があり、現在のも
 のは小将棋から発達した。




(6)
蕎麦切(そばきり)
 とりわけ
 江戸を盛美(せいミ)とす
 中にも浅草
 道好庵(どうこうあん)
 手うちそばハ
 第一の 名物なり

 又これを
 (ひさく)ものを
けんどんといふハ
 給仕もいらず
 あいさつ するにも あらねバ
 そのさま
 慳貪(けんどん)なる
 こゝろか又無造作にして
 けんやくにかなひたりとて
倹飩(けんどん)と書よし
慳貪(けん‐どん)
 
物を惜しみむさぼること。けちで欲ばりなこと。
 愛想がないこと。
*倹飩(けん‐どん) 慳貪(けん‐どん)に同じ
*鬻ぐ・販ぐ(ひさ・ぐ)→ヒサクとも。 売る。
 あきなう。 

*けんどんや(慳貪屋)
 そば・うどん・酒などを一椀ずつ椀
 盛切りにして売る店。一膳飯屋。


(7)
胡鬼子(こぎのこ)
 日光山あるひハ
 筑波にのミ
 あるゆえに  これを
 つくはねといふか
 木の高は八九尺に
 すきず 
夏花(なつはな)ひらく
  其
()
 小豆ほどにして
 上に葉つきて
 そのさま
 はごの子に 似たるゆへ
 またかくいふか
  塩漬にして
   これを売なり
後水尾院御製
 つくばねの
 それにハあらで
  こぎのこの
 こよひの月は
 そらにすめすめ
*後水尾天皇
 後陽成天皇の第三皇子。
 徳川秀忠の娘和子(東福門院)を中宮としたが、
 幕府に反発して1629年(寛永6)明正天皇に譲位。
 以後四代51年にわたり院政。
 洛北に修学院離宮を造営。(1596~1680)


*胡鬼子(こぎ‐の‐こ)羽子。羽根。胡鬼。又は
 ツクバネの木。ハゴノキ。コギノコ。
*つくばね 筑波嶺(筑波山)と衝羽根(追羽根の
 はね)とをかける。
 ツクバネ 写真
*羽子(はご)ムクロジの核に孔をうがち、彩色し
 た鳥の小羽を数枚さしこんだもの。羽子板でこれ
 をついて遊ぶ。はね。つくばね。おいばね。
挿絵は正月室内。右頁の女性は左手
 に羽子板を持ち、左頁ひとりは羽根を
 手にしている。
羽根突きは女児が健
 やかに育つようにという願いを込
 めて行われる正月の伝統的な遊戯
 のひとつであり神事でもある。
 襖絵は目出度い鶴のつがいの図。

 凧上げと羽根突き-- 陰陽五行説
  による正月



(8)
 猪牙船(ちよきぶね)
 明暦(めいれき)のころ
 はじまるよし
 其形(そのかたち)
 猪の(きば)
 似たりゆえに
 名づくるか
 遊里へ かよふ人
 はやく いたるに

 よきもの
 なれば これに乗る
 その早きこと
 矢をつくがごとし
 はじめハ
 ()二挺
 (たて)たるよし
 これも江戸の名物か
猪牙舟(ちょき‐ぶね)  江戸で造られた、細長くて屋根
 のない、先のとがった舟。軽快で速力が早く、漁業・舟遊び
 または隅田川を上下した吉原通いの遊び船に用いられた。
 山谷(さんや
)船。ちょき。
挿絵は夜の桟橋。吉原へ通う二人
 の客(侍。ひとりは頭巾姿。)と
 提灯をもち案内する女性。
 猪牙舟の船頭。
 
川の草むらにゴイサギ?が一羽。
 吉原遊廓 Wikipedia



(9)
伽羅(きやら)のあぶらハ
 正保慶安の
(ころ)
 京都にて売はじむるよし
 江戸にハ
 芝大好庵(しハたいこうあん)
 いがらし
        
尺長物かもし
 下むら
 ならざくら
 中島百介など
 製するを
 佳品(かひん)とす
 其外 名家あれども
 江戸の
 ひろきことゆへ
 しるすに
 いとまあらず
伽羅の油(きゃら‐の‐あぶら) 鬢付油の一種。
 大白唐蝋・胡麻油・丁子・白檀・竜脳などを原料
 とした。
 正保・慶安(1644~1652)の頃、京都室町の髭の久吉
 が売り始めて広まった。


右頁挿絵の男は髢(かもじ)屋か。
 かもじは婦人の髪に添え加える髪
 で「そえがみ」。かもじとその上
 の箱は鬢付け油か。
 
戸口からかもじ屋を呼びとめる女性。


(10)
田楽(でんがく)ハでんかく法師が
 
(きよく)のかたちより
 名とせり
 かのきょくハ
 七尺ばかりの
 細き棒に
 下より三四寸上に
 ちいさき
(ぬき)を通し
 此
小貫(こぬき)をあしかゝり
   
 にして両足を
 のせ両手にして
 棒の上をにぎりて
 飛ぶ
(きよく)あり
 
其象(そのかたち)
 よく似たれハとて名とせり
 江戸
真先(まつさき)
 田楽ハ
  
其味(そのあぢ)他にこへたり
*曲 曲芸のこと。
田楽豆腐 (田楽法師の、高足(こうそく)
 とりついて
踊るさまに似るからいう。
 豆腐を長方形に切って串にさし、味噌をつけて
 火にあぶった料理。味噌に木の芽をすりまぜて
 用いるものを木の芽田楽という。

 
*田楽 平安時代から行われた。もと、田植などの
 農耕儀礼に笛・鼓を鳴らして歌い舞ったものに始
 まるというが、やがて専門の田楽法師が生れた。
 笛吹きを伴い腰鼓・どびょうし・ささらなどを鳴
 らしながら踊る田楽躍(おどり)と、高足(こうそく)
 に乗り品玉をつかい刀剣を投げなどする曲技とを
 本芸としたが、鎌倉時代から南北朝時代にかけて、
 猿楽と同様に歌舞劇である能をも演ずるようにな
 った。後に衰え寺社の行事だけに伝えられて今に
 至る。
*田楽法師 
田楽を演じる芸能者。多く僧形。
挿絵は神社鳥居の側の店内。
 座敷で田楽料理を食べながら談
 笑する男女七人。中に三味線を
 弾く女性、その後ろに三味線箱。
 料理を運ぶ女性。衝立は竹林の
 虎。



(11)
 江戸ざくらといふは
 あえて花の
 名にもあるべからず
 江戸ハ 人のこころばへ
 りつぱにして
 (かつ)やさしきこと
 さくらに たぐ(比)え
    たるものか
 


*江戸桜 (江戸に多かったから名づけた)
 ソメイヨシノの別称。
または江戸時代に流行した
 白粉(おしろい)の名。
挿絵 花活けの江戸桜(ソメイヨシノ)の
 前で短冊に歌を認めている若い女性。
 髪は垂れ髪。




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