2020/3/2 改訂

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絵本 淺紫  (えほん あさむらさき)二巻二冊 「下卷」

 北尾重政画  江戸西村源六等
明和六年(1769年)

原データ東北大学 狩野文庫画像データベース  

繪本淺紫

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(1)
絵本浅むらさき 下


(2)
 夜着(よぎ)といふ事ハ
 ちかごろのものなる
 よし、昔ハ
小寝巻(こねまき)
 とて常の衣服
 のすこし
(おほき)なる
 を下に着てその
 うへに蒲団をかけて
 
(うへ)つかたも
 これをめしたるよし
 また
蒲団(ふとん)ハがまの穂
 を
(まるめ)て入しゆえに
 名とするとぞ
*夜着(よ‐ぎ) (1)夜寝る時にかけるふとん。
 (2)普通の着物のような形で大形のものに厚く綿
 を入れた夜具。かいまき。

*がま(蒲)(古くはカマ) ガマ科の多年草。淡水の湿地
 に生える。高さ約2m。 葉は厚くて叢生、長さ1m、
 幅約2㎝。これを
編んでむしろを製する。
 夏、約20㎝のろうそく形のビロード様緑褐色の花序
 (穂)をつける。これを蒲団(ふとん)の芯に入れ、また、
 油を注いでろうそくに代用、火口(ほくち)を造る材料
 とした。
挿絵は夜着をたたむ女性。そばに
 角行燈と枕屏風。


3)
 水車(ミつぐるま)
 作らしめ
 農業の
 たすけと
 なし給ふは
 良峰安世(よしミねのやすよ)といふ人
 はじめて工夫し給ふ
 安世(やすよ)
 桓武帝(くわんむてい)皇子(わうじ)
 淳和帝の
  
 御(をとゝ)なりとぞ
 万代(よろづよ)と亀の
 おやまの
 松かげをうつして
 すめる
 宿の池水(いけミづ)

万代と 亀のお山の 松かけを 
   うつしてすめる 宿の池水
       (続拾遺集 十巻) 亀山院

 亀のお山 蓬莱(ほうらい)の異称。「亀の上の山」
 とも。

*文献資料集1 類聚三代格(るいじゅうさんだい
 きゃく)巻八に良峰安世 水車の記述あり。
 天長 6年(829)水田には、旱魃という厄介な問
 題がある。伝え聞くところに依れば、唐の国では
 水の引けない土地には、水車を構えて水をくみ上
 げて立派に作物を作るという。子の水車を造り、
 作物を増産しましょう。水車は手で回しても、
 足で踏んでまわしてもいい、あるいは牛に回さ
 せてもいい。金が無くて水車を造れない者には、
 国司が造って百姓に与えればよい。こわれたり
 修理に要する費用は、救急稲を利用すればよい。
 (大納言良峯安世の進言)

良峰安世(よしみね‐の‐やすよ)
 桓武天皇の皇子。右近衛大将に至る。
 漢文をよくし、「経国集」撰者の一人。
 (785~830)

桓武天皇 第50代の天皇。光仁天皇の第二皇子。
*淳和天皇第53代の天皇。名は大伴。桓武天皇の第
 七皇子。漢詩にすぐれ、「経国集」を良岑
 安世に撰せしめた。(在位 823~833)(786~840)

挿絵左頁は庭先の水からくり。
 水からくりは水槽の水を管で落と
 し、噴出する力で水車などを動か
 したり噴水させたりする仕掛け。



(4)
 
(しづけ)御代(ミよ)
 
繁昌(はんじやう)につけて
 山海の珍美を
 目に見るすら
 御江戸の有難さ
 殊に
卯月(うつき)

 はつ
松魚(かつお)
 日本一の産にして
 其のころ毎日毎日
 
魚家(ぎよか)
 
入来(いりく)
 船のかずさへ
 おそろしきほどに侍る

はつがつお(初鰹)陰暦四月頃、一番早くとれる
 走りのカツオ。美味で、珍重される。初松魚。
 「目には青葉山ほととぎす―」(素堂)

*卯月(うづき)十二支の卯の月、陰暦四月の異称。
 うのはなづき。



(5)
 
実橘(はなたちばな)のかげ
 青きすだれハ
 ほとゝぎす
 まつ一
(じゆ)(もと)とも
 見め これハ
 民家のかひま見する
 
管簾(くだすだれ)

 青丹(あをに)の色を
 もて染なしたる
 其影
 夏ハ
 ことさらすゞし

*かいまみる(垣間見る)
*管簾 管暖簾(くだのれん)」に同じ。管暖簾
 は適宜の長さに切った多くの細い竹に糸を通して作
 った暖簾。
*ほととぎす 来鳴く五月に 咲きにほふ 花たちば
 なの 香ぐはしき・・・  
 万葉集巻十九 4169
    我か宿に 花橘を うゑてこそ
      山郭公 待つへかりけれ
    西行法師家集
 山家集 西行


(6)
 隅田川の
 ながれいよいよ
 澄わたる浅草河
 春ハ
白魚(しらうを)
 
網引(あミひく)舟の
 この
逍遙(せうよう)


 また外に
 あるべからず
 かの
(うを)
 寛永のころ
 
(たね)
 まかせられしよし
 ありがたき事にぞ


胤をまかせられたよし お上が白魚の稚魚を
  放流された由

 
*白魚(しらうお) ウヲシラウオ科の硬骨魚。体長
 約10㎝。体は瘠型で半透明。春先、河口をさかの
 ぼって産卵。わが国各地に産し、食用。シロウオ
 (素魚)は外観も習性も本種に似るが別種。
 
白魚は早春に産卵のために海から川にのぼるので、
 夜は篝火(かがりび)を焚いて集め、四手網
(よつであみ)で掬い捕った。
挿絵左頁は四手網を引き上げる
 漁夫。右頁女性の一人は袖頭巾
 (おこそずきん)をつけている。
 後ろの男性は刀を差し、肩の荷を
 背負い、竹編みの籠を手にしている。


(7)
 浄瑠璃(しやうるり)といふことハ
 もと矢作(やはぎ)
 浄るり(ひめ)
 事を十二段に
 つくりはじめたる
 ゆえに
 その名とするよし
 その歌曲を

 もて
 人形に(ふり)をつけ
 (もてあそ)ぶ 
 (とミ)(きやう)にハ
 碁盤(ごばん)づかひの
 手練など
 辰松より
 起るよし
十二段草子 古浄瑠璃・御伽草子。
 作者不明(小野お通の作というのは俗説)。牛若丸
 と浄瑠璃姫との恋物語を脚色したもの。もともと
 読物として書かれたのが、曲節を付して語り物と
 して流行。室町中期以後の作と思われる。浄瑠璃
 姫物語。

*頓(とみ) にわかなこと。急なこと。
碁盤遣い 座敷でする芸戯の一で、碁盤の上で小
 さな操(あやつり)人形を踊らせる。碁盤人形。
辰松八郎兵衛 江戸中期の人形遣い。
 竹本座開設当初から女形(おやま)人形の名人。
 1703年(元禄16)「曾根崎心中」のお初を演じて
 好評。享保(1716~1736)初年、江戸に下り辰松
 座の櫓を堺町の半太夫座で揚げた。
 (?~1734)

*浄瑠璃 平曲・謡曲などを源流にした、語り
 物の一。また、それから発達・派生した音楽・
 演劇をもいう。室町末期、主として琵琶や扇拍
 子を用いて語られた「浄瑠璃姫物語(十二段草子)」
 が好評で、浄瑠璃が この種の物語的音楽の名と
 なり、のち三味線および操り人形芝居と結合し庶
 民的演劇として発展。

*浄瑠璃姫 義経伝説中の人物。三河国矢矧宿(やは
 ぎしゆく)の長者の女(薬師瑠璃光如来の申し子)。
 牛若丸奥州下りに情交を結んだと伝える。
 「十二段草子」に脚色されて有名。語り物「浄瑠
 璃」の名称の起源。

左頁挿絵 浄瑠璃一座。碁盤遣い
 の女性が人形を操っている。
 右頁に簾屏風と高燈台がある。

 奥室には姿は見えないが身分の
 高い人が一座を見ているものか。
 裃姿の侍が控えている。



(8)
女中の髪を
そろゆるに品あり
勝山結といふハ
吉原の
遊女かつ山が
 風にはじまり

  また娘風の
 島田ハ
 東海道の
   島田宿おぢやれが
手より出たるを
今ハ高貴まで
その風上りしハ
ほまれなり
島田髷 島田の遊女の結い始めたものといい、
 また寛永(1624~1644)頃の歌舞伎役者島田万吉
 または花吉・甚吉の髪の風から起るとも、或い
 は「しまだ」は「締めた」
 の転訛ともいう) 主に未婚の女が結う。また
 婚礼に結う風習となっている。
 高島田・文金島田・つぶし島田・投げ島田・
 奴島田など、種類も多い。

*島田宿 静岡県中部、大井川左岸にある市。
 東海道五十三次の一。対岸の金谷(かなや)と
 共に大井川の渡(わたし)で有名

*お‐じゃれ (「おじゃる」の命令形。呼込
 みの語) 江戸時代、旅人宿の下女で、客引き
 をし売色などもした者。飯盛(めしもり)。
 おじゃれ女。
*勝山 女の髪の結い方の一。髪を後頭部で
 束ねて末を細くし前へ曲げ大輪を作ったもの。
 横から笄(こうがい)を挿す。江戸初期、承応・
 明暦の頃、吉原の遊女勝山が結い始めたものと
 いう。のちこれから丸髷(まるまげ)が生じた。
 勝山髷。勝山結び。
吉原 江戸の遊郭。1617年(元和三)市内各地に
 散在していた遊女屋を日本橋葺屋町に集めたの
 に始まる。
 明暦の大火に全焼し、千束日本堤下三谷(さんや)
 (現在の台東区浅草北部)に移し、新吉原と称し
 た。北里・北州・北郭などとも呼ばれた。
挿絵左頁は鏡台の前で髪の手入
 れする女性と着替えを 捧げもつ
 女性。鏡は柄鏡。



(9)
 三味線(さミせん)
 (もと)琉球より
 渡るよし
 それハ蛇皮(じやひ)にて
 張たるとぞ
 そのゆえに
 じやびせん
(蛇皮線)
 いへる
  云かへて
 さミせん
(三味線)

 称するなど説あり
 今ハことに
 此曲(このきよく)
 時行(はやり)て名誉の
 人多し
 とりわけ 鳥羽屋流の
 狂弾(きやうひき)
 又他国にあるべからす
*鳥羽屋流の初代は鳥羽屋三右衛門と言われている。
 鳥羽屋三右衛門(初代)江戸中期、鳥羽屋一門の祖。
 初名文五郎、のちに東武線太夫と改めた。三右衛門自身
 の功についても、豊後節を弾きはじめたとの説がある。
 三右衛門の影響か、鳥羽屋姓の三味線方は、一中節、
 常磐津・富本・清元の豊後系浄瑠璃、長唄など流派を超
 越して活躍し、江戸の劇場音楽の世界においては特異な
 存在であった。正徳2? (1712)~明和4(1767)
 朝日日本歴史人物事典

挿絵は三味線弾きと寛ぐ客。側
 に三味線箱。高燈台。屏風の後方
 に蒲団包み。


(10)
 常陸国(ひたちのくに)

鹿島の御神(おんかミ)
 関東第一の大社なり
 此神職 諸国をめぐりて
 鹿島の神勅(しんちよく)
  鹿島大神宮
   大祢宜 
   津下太夫

 (つげ)しらせんと
 おどりて人をよろこはしめ
 (かつ)疫難(やくなん)
 さ
(避)くるの行事をなす
 これをかしまおどりといふ
 (まこと)に目出度
 神慮(しんりよ)(なり)

鹿島神宮  茨城県鹿島町宮中にある元官幣大社。
 祭神は武甕槌神(たけみかずちのかみ)。
 経津主神(ふつぬしのかみ)・天児屋根命を配祀。
 古来軍神として武人の尊信が厚い。常陸国一の宮。

*鹿島踊 「鹿島の事触(ことふれ)」に同じ。また、
 その所業を伝えるという郷土芸能の踊り。
 常陸地方はじめ諸国に伝存。
 鹿島の事触れ  近世、その年の豊凶・吉凶につき、
 鹿島大明神の神託と称して春ごとに(元日から三日ま
 で)全国に触れまわった人。ことふれ。

右頁挿絵は鹿島踊りの一団。
 烏帽子姿で万燈と大きな扇子を持
 つ男。真ん中の男二人はそれぞれ
 小太鼓を打ち鳴らし、左頁右から二
 番目の男は銅拍子を打ち鳴らして
 いる。見物の子供達と幼児を抱く
 母親。


 鹿島神宮 公式ページ


(11)
東都   紅翠軒 
        北尾重政画
彫刻     山口半四郎

絵本華綾布(はなあやめ)全三冊
  北尾氏筆
  古今めつらしき風流綾布
  未寅正月二日より本出し候
明和六年己丑正月吉旦
    京都堀川錦上ル町
     西村市郎右衛門 
書林 大坂心斎橋筋順慶町
     柏原屋清右衛門
    江戸本町三丁目
      西村 源六
            同板

 書林 西村源六
絵本 たわむれ草 
同   初日山
同   婦家縁
同   多武峯
同   吾妻の花
同   浅むらさき
   




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