2020/3/3改訂

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絵本詞の花(えほん ことばのはな)  二巻 一冊
Ehon kotobanohana [picture book]

喜多川歌麿画  宿屋飯盛序 和泉屋源七板


 寛政九年(1797年)
[初版天明七年(1787年)]

 原データ 
東北大学附属図書館狩野文庫 (繪本詞乃花)


   
  
 解説
   江戸後期の浮世絵師、喜多川歌麿が絵を描き、それに宿屋飯盛撰で二十五首
   の狂歌を添えた絵双紙。初版は天明七年。この絵双紙は寛政九年の再版。吉
   原の花・両国の月、亀戸臥竜梅等、当時の江戸市井の四季の風俗を描く。
   墨摺絵本。
   
喜多川歌麿(1753~1806)は本姓、北川。鳥山石燕に従い、初め豊章(とよあき)と称した。
   美人画の分野で大首絵と称される上半身像の形成を創案、浮世絵の黄金期を
   創った。代表作に「寛政三美人」。他「画本虫撰(えほんむしえらみ)等、草紙約100冊の挿絵を制作。

   宿屋飯盛(やどやのめしもり)(1753~1830)は石川雅望(いしさわまさもち)の狂歌師名。
   江戸後期の国学者・狂歌師。江戸馬喰町の宿屋の主人。和漢の書に精通、狂
   歌師中の学者。著は「雅言集覧」「しみのすみか物語」他狂歌・狂文に関する
   もの等約百五十冊。

   なお翻刻注釈に関しては福岡県の松尾守也氏にご協力を戴きました。

   厚く御礼申し上げます。

                                           
 


絵本(ゑほん)詞(ことは)乃花(のはな)


(1)
絵本(ゑほん)詞(ことは)の花 序

浮世絵ハ菱川を祖(そ)とし夷歌(えびすうた)は
暁月(きやうけつ)を師(し)とす。此ふたつのものハ、わざ
をなじからねと姿のおかしく、たハれ
たるかたによれるハそのたがひめなし
とやいふべき。そもそもよろつの道
ミな古(いにしへ)を師とし侍れと、され歌
と、うき世絵のふたつはかりは

*菱川師宣(ひしかわ‐もろのぶ)  江戸前期の浮世絵師。俗称、
 吉兵衛。友竹と号。安房の人。万治・寛文の頃江戸に出て、肉
 筆画や版画、特に版本の挿絵を次々に制作し、浮世絵の新領
 域を開拓した。(―~1694) 菱川派は菱川師宣に始まる浮世
 絵の一派。子の師房、婿の師永、門人の(古川)師重・師平・和
 翁らが出たが、師宣の没後、急速に衰えた。
*夷歌 狂歌の異称。ひなぶり。
*暁月  暁月坊(ぎょうげつぼう) 冷泉為守(れいぜいためもり)
 (1265~1328)法号暁月のことか。連歌にもすぐれ、『菟玖波集』
 に作を収める。後世狂歌師の祖とされた。
*たがひめ(違い目)

      (現代語訳)
  序
 浮世絵ハ菱川(師宣(もろのぶ))を祖(そ)とし、夷歌(えびすうた)(狂歌)は暁月(きやうけつ)を師(し)とする。
 この二つの技(わざ)は同じものではないが、姿のおかしく戯(たわむ)れ方をみれば
 その違いはないというべきものだ。そもそもすべての道は皆「古(いにしへ)」
 を師としているけれど、戯(ざ)れ歌(狂歌)と浮世絵の二つばかりは、




(2)
水より出(いつ)る氷のつめたきかことく
すくれたる人ハいまの世に猶多
かり。ことし、えりたるふたつの巻ハ
堪能重代(かんのうちうたい)重三郎がくもらぬ
眼鏡のゑらみにして、歌ハ暁月(きやうけつ)

か下に出す。絵ハひし川か上に
出へしこれやさかりの詞

のはな、四方につたへてにほハ
さらめや。

 天明ときこゆる七とせ
    むつき
(睦月)のはしめ
       宿屋飯盛書

○氷は水より出でて水よりも寒し[荀子勧学「氷水為之
 而寒于水」] 弟子が師にまさることのたとえ。
 出藍(しゆ
つらん)。
*蔦屋重三郎(つたや‐じゅうざぶろう)蔦屋の主人。
 本名、喜多川柯理。号、耕書堂など。蜀山人(大田南
 畝)・山東京伝ら江戸の狂歌師・戯作者と親しく、喜
 多川歌麿・十返舎一九・滝沢馬琴らも一時その家に
 寄寓した。通称、蔦重(つたじゆう)または蔦十。
 自らも狂歌・戯文を作り、狂名蔦唐丸(つたのから
 まる)。(1750~1797)

*宿屋飯盛 石川雅望(いしかわまさもち)の狂歌師名。
 江戸後期の国学者・狂歌師。江戸
馬喰町の宿屋の主
 人。狂名は宿屋飯盛。和漢の書に精通、狂歌師中の
 学者。著は狂歌・狂文に関するもののほか、「雅言
 集覧」「源註余滴」「しみのすみか物語」など。
 (1753~1830)

*飯盛り 江戸時代の宿駅の宿屋で旅人の給仕をし、
 売春も兼ねた女。おじゃれ。飯盛り女。

水より出る氷の冷たきの如くで、優れた人は今の世にもなお多いことだ。
今年出版した二巻は当世随一の(蔦屋(つたや))重三郎(じゅうざぶろう)が曇らぬ眼鏡で、
歌は暁月(きやうけつ)の下に出し、絵は菱川(師宣)の上に出して選び抜いたものだ。
これぞまさに盛りの「詞(ことば)の花」。香りが諸方に伝えて一面に匂い薫る
ことだろう。

   天明七年 
睦月の初め   宿屋飯盛(やどやのめしもり)書
 



(3)
 ほれもせす
 ほれられもせす
 よし原に

 酔て

 
くるわの
 花の下かげ

  尻焼猿人(しりやけのさるんど)
  

*挿絵は吉原待合い茶屋の二階からの花見。
*花の下
○鼻の下が長い 
  女にあまい。女色に迷いやすい。
○鼻の下を伸ばす
 
  女にあまい様子をする。
 女色に迷っている様子にいう。

*吉原 江戸の遊郭。元和三年(1617))市内各地に
 散在していた遊女屋を日本橋葺屋町に集めたのに始
 まる。明暦の大火に全焼し、千束日本堤下三谷(現
 在の台東区浅草北部)に移し、新吉原と称した。
 北里・北州・北郭などとも呼ばれた。
*廓 遊女屋の集まっている所。遊郭。遊里。

尻焼猿人(しりやけのさるんど) 酒井抱一(さかい‐ほういつ)江戸後期の画家。抱一派の祖。名は忠因(ただなお)。鶯村・雨華庵と号した。姫路城主酒井忠以(たださね)の弟。西本願寺で出家し権大僧都となったが、江戸に隠棲。絵画・俳諧に秀で、特に尾形光琳に私淑してその画風に一層の洒脱さを加え一家の風をなした。(1761~1828)



(4)
     宿屋飯盛(やどやのめしもり)
  浪の上に
 ふしたる
 橋ハ
 月の夜の 
 雲あらさるに
 何のりょうごく


 見わたせは
 淡雪 花火
   橋の月
 一夜千両国の
   にぎハひ


    つふり光

*淡雪 両国橋の名物の一つ。泡雪豆腐の略。
 両国橋東詰日野屋東次郎の淡雪豆腐が有名。

*一夜千両の両と両国の両をかける。
*挿絵は両国川開き花火。橋の上に花火見物の
 黒山の人々。

*両国橋 隅田川に架かる橋で、東京都中央区
 東日本橋二丁目と墨田区両国一丁目とを連絡す
 る。寛文一年(1661年))完成。隅田川が古くは
 武蔵・下総両国の国界であったための称。
 古来川開き花火の名所。

頭光(つむり‐の‐ひかる)江戸後期の狂歌師。本名、岸識之。別号、桑楊庵・二世巴人亭。江戸日本橋亀井町の町代(ちようだい)で、狂歌四天王の一人。その社中を伯楽連と称した。(1754~1796)
 
 江戸の大川(隅田川)の橋



(5)
 あちこちと
 空吹風の
 出来心
 雲の衣を
 はき寺の月

  柳原向(やなぎはらむこう)
*雲の衣 (一説に「雲衣」の訓読という)
 織女の衣を雲に、また雲を衣に見立てていう
 語。
 雲衣(うんい)→云為(うんい)言論と行動。
 世間のようす。この意味もかけるものか。
*はき寺 萩寺・ 掃き寺・(雲の衣の)剥ぎ寺
 はき(掃)手当たり次第に女と関係を結ぶこ
 と。
 芸娼妓を買い散らしひとりに定めないこと。
 
*挿絵 萩寺情景。満開の萩の花をめで散策する
 人々。
  
*萩寺 東京都隅田区亀戸三丁目 龍眼寺。
 亀戸七福神の一つ布袋尊を祀る。
 境内は萩の名所。

*そらふく(空嘯く)「そらうそぶく」に同じ。

 
 柳原向( やなぎわら-むこう)?-?
 江戸中期の狂歌師。
 天明(1781-89)の頃の狂歌壇のひと
 り。江戸下谷三味線堀にすみ,伯楽
 側の判者となった。
 別号に楊柳亭,春風堂。

龍眼寺  萩寺 公式ページ



(6)
 吹売咽人(ふきがらのむせんど)
 くさめにハ
  あらて臥龍の
  梅のはな
 かほりと
  名こそ
 高うきこゆれ

 芦辺田鶴丸(あしべのたづまる)
 あまミつる
 にほひハ
 遠く唐まても
 その名
 たち枝の
 梅の精神
*挿絵は亀戸梅屋敷の梅園。 *くさめ(嚔) 「くしゃみ」に同じ。
*「梅屋舗」は亀戸天満宮の北東の裏手、亀戸三丁目
 の一劃にあった梅園である。百姓喜右衛門の宅地内
 にあり、清香庵といった。ここにあった臥龍梅で特に
 有名。
 臥竜梅(がりょう‐ばい)梅の一品種。花は淡紅色、
 幹は地にわ
だかまり、枝は垂れて地につきそこから
 また根を生じる
。
芦辺田鶴丸(あしべの たづまる)江戸後期の狂歌作者。名古屋生。名は致陳、通称は伝兵衛・次郎兵衛、別号を春秋亭可蘭・鶴雛人等。江戸へ出、唐衣橘州に狂歌を学び、尾張酔竹側判者となる。のち本居宣長・村田春門に学ぶ。天保6年(1835)歿、77才。

亀戸梅屋舗 歌川広重 版画



(7)
 しら露の
 ときどきわらふ
  花ミれば
 人も心に
 はづる
 朝かほ


    千枝鼻元

 ふりもせず
 くもりも
 せねば
 七夕の
 おあひ なさるに
 てうど
 よいの間


*わらう つぼみが開くこと。
*たなばた(棚機・七夕)五節句の一。
 天の川の両岸にある牽牛星 

*挿絵は二階物干し台の七夕飾りと二人の女性。牽牛
 星と織女星とが年に一度相会するという、七月七日夜、
 星を祭る年中行事。中国伝来の乞巧奠(きこうでん)の
 風習とわが国の神を待つ「たなばたつめ」の信仰とが習
 合したものであろう。奈良時代から行われ、江戸時代に
 は民間にも広がった。庭前に供物をし、葉竹を立て、五
 色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上
 達を祈る。七夕祭。銀河祭。星祭。

市中繁栄七夕祭 歌川広重 版画


千枝鼻元(ちえのはなもと) ? ー? 上州の狂歌作者「才蔵集」入



(8)
  條門橘丸(じょうもんきつまる)
 通り雨
 ふる家よりも
 藤棚

 
まつに
 をとらぬ
 やとり なるらめ

 土師掻安(はじのかきやす)
 弁当もなくて
 なかむる 藤棚ハ
 わけて さひしき
 はなの 下かな

*まつ 雨が止むのを待つとお行の松とを掛ける。           
 御行の松 根岸お里に江戸名所図絵や広重の
 錦絵に描かれ、江戸名松の一つに数えられた御
 行の松がある。(五行松)根岸の里あたりを時雨
 岡(しぐれのおか)といっていたので、松の別名を
 「時雨の松」ともいっていた。近くに藤の花が生い
 茂った円光寺がある。
*はなの下 花の下 鼻の下は口→ 口寂しい
。
*挿絵は藤棚の花見をする人々。  円光寺 藤寺 根岸の里
條門橘丸 条門橘丸(じょうもんのきつまる)? ー? 秋元但馬公藩士/江戸浜松町住/狂歌:才蔵集2首入

土師掻安(はじのかきやす)榎本治右衛門)?ー1788 深川狂歌;「大木の生限」初出、「狂言鶯蛙集」入。「夷歌百鬼夜狂」斡旋参加、「狂歌新玉集「俳優風」入、[時鳥一声鳴いてくれ六ツのかねからかぞへあかすみじか夜]


(9)
 浅草市人(あさくさのいちひと)

 しやうはり(浄玻璃)の
 鏡ヵ池の 厚氷
 うつしてもミん
 けいせい
(傾城)の うそ


 條門橘丸(じょうもんきつまる)

 ふみまよふ
  道しら波の
 よるならは
 うかと
 行来の
 人やはき原
*白波の 枕詞「よる」「かへる」などにかかる。
 道しらず。

*萩原と「掃」のはきをかける。
 
はき(掃)手当たり次第に女と関係を結ぶこと。
  芸娼妓を買い散らしひとりに定めないこと。

*傾城 美人が色香で城や国を傾け滅ぼす意。
 遊女。女郎。傾国。

*右頁挿絵遊女二人。左頁萩の花。
*浄玻璃の鏡 地獄の閻魔王庁で亡者の生前におけ
 る善悪の所業を映し出すという鏡。
*鏡ヵ池 浅茅原鏡池。東京都台東区橋場(江戸時
 代当時は橋場町総泉寺)近辺に浅茅が原があり、
 湿地帯で水鶏が多く棲む荒涼とした原野であっ
 た。その浅茅が原そばに鏡池があった。
 鏡池には「釆女
塚
」「玉姫伝説」「妙亀塚・梅若
 丸」の悲話が伝えられている。

浅草市人(あさくさのいちひと)(1755~1821) 江戸時代の狂歌作者。大垣氏。通称は伊勢屋久右衛門,号は壺々陳人,都響園。江戸浅草田原町で質屋を営み,浅草寺境内伝法院裏の別荘で起居したといわれる。狂名はその職業にちなんだもの。天明4(1784)年ごろより狂歌界に参加。四方赤良(大田南畝)、三陀羅法師、頭光らと活動。初代浅草庵と号した。

條門橘丸
(8)既出
曹洞宗 妙亀山 総泉寺 鏡ヵ池


 

(10)
荷造早文
 松明の
 あかりに
 よるのわさなれは
 ひるハ かたちも
 水いろの魚


 鎌倉防風
 家根船の
 かりのやどりも
 夢となる
 さめし枕の
 かへり さんばし


*松明(たい‐まつ)松のやにの多い部分または
 竹・葦などを束ね、これに火を点じて屋外の照
 明用としたもの。
 夜灯りの吉原に魅せられて集まってくる客は松
 明のあかり意集まる魚と一緒。
*かへり さんばし
 「帰り桟橋
」と陶淵明の帰去来辞の
 「帰りなんいざ」もかけている。 

*挿絵は突風で揺れる屋根船。吉原からの帰る
 頭巾を被った客を桟橋の家根舟に案内する女。
 向こう岸近くに松明を燃やして四ツ手網で魚を
 捕る小舟が数艘見える。
 荷造早文(にづくりはやふみ)
 運送・飛脚問屋の島屋治兵衛

 
 鎌倉防風
不明



(11)
  
土師掻安(はじのかきやす)
 刈しまふ
  田にハかゝしの
 たゞひとり
 いねと いふもの
 かつて
 なければ


  天秤まぢめ
 京よりも心ほそさの
 わび住居
 よる人もなし
 くる人もなし

*苅り残す山田のそほつ心なき
   そてたに濡るる秋の夕暮れ
    正治初度百首 1657 寂蓮 
 そおず(案山子)ソホヅ(ソホドの転)かかし
 (案山子)。そほど。
 「所謂る久延毘古(くえ‐びこ)は、今には
 山田のそほどぞ。此の神は足は行かねども尽
 (ことごと)に天の下の事を知れる神ぞ」 
 古事記
 いね(稲・寝ね・往ね・去ね)を掛ける。
*刈り終えた田に案山子がただひとり。
 稲を苅ってなければ孤独ではなかった。
 一本足の案山子はかつて一度も寝(い)ね
 (横になる)ということはなかったし、
 往(い)ね(往ってしまう)とことも
 なかった。

土師掻安(はじのかきやす)初号菊泉亭。通称榎本治右衛門。天明年間の狂歌師。天明8年 (1788)歿、70余才。


天秤真地目(てんびんのまじめ)? ー? 狂歌「才蔵集」入

 

(12)
 紀月兼

 ひとかさね山も
 霞の衣きて
 青空いろの
 うらゝかな春


 門限面堂(もんげんめんどう)
 くささうな
 葛西のばゞの
 おどる身ハ
 左ねぢりに
 なるぞ おかしき

*葛西踊 江戸時代、葛西の農夫が、笛・鉦・
 太鼓の囃子(はやし)につれて念仏を唱えなが
 ら踊り歩いたもの。 葛西念仏。
*左ねじり 肥桶を天秤棒で担ぐ時は右利きの人
 は大体右肩に担ぐ。この時、右肩が前に出て、
 左肩は後ろにあるので、左捩りになる。
*葛西の踊り 葛西舟 汚穢(おわい)舟
 くさそう 言葉の連想。

*挿絵は葛西踊をする人、それを見る人々。右頁二人
 の女性は角隠しを被っている。
 角隠しは浄土真宗門徒の女性が寺参りの時に用いた
 かぶりもの。白絹(裏は紅絹もみ)を前髪にかぶせ、
 後で二つ折にして回し、髷(まげ)の後上で留めてお
 くもの。現在では、婚礼の時に花嫁がかぶる頭飾り。


*江戸時代は農地の肥料として下肥即ち糞尿は貴
 重なものであった。江戸の街には各地の農民が
 汲み取り権をもち舟に積み込み農村に回漕して
 利用した。江戸時代日本橋川は江戸橋、日本橋、
 一石橋から真直ぐに江戸城の内濠まで道三濠を
 掘削し舟が往来は可能であった。
 葛西権四郎は江戸城御用下掃除人で大奥不浄物
 を一手引き受け、堀を利用して屎尿を舟に積み
 込み葛西の農村部に運び込んで産を成した人と
 して有名。汚穢(おわい)舟が百万都市江戸の水
 路の奥まで入り込んていたので、いつの間にか
 屎尿舟を葛西舟と総称され戦後まで定着していた。
 江戸リサイクル事情
 紀月兼 (きのつきかね)
 (? ー? )
 狂歌:才蔵集入;記のつかぬと
 同一?、伊勢屋清左衛門)


門限面倒(もんげん-めんどう)
(?-1804)江戸時代中期-後期の狂歌師。上野(こうずけ)(群馬県)館林(たてばやし)藩士。江戸日本橋にすむ。四方(よも)側の社中。享和3年12月死去。姓は高橋。通称は徳八。



(13)
  
膝上胡糊

 きぬぎぬを
 かさねがさねし
 身なりしも
 今ぬきすつる
 里のあかつき

*後朝を重ね重ねし身なりしも
   今脱ぎ捨つる里の暁
 きぬ‐ぎぬ(衣衣・後朝)衣を重ねて共寝
 した男女が、翌朝、めいめいの着物を着て
 別れること

*挿絵は吉原からの帰り。駕篭に乗る人担ぐ人。
 日の出。

*膝上胡糊 膝上胡椒(ひざのうえのこしょう)のこと。
膝上の狂歌は
古今狂歌袋(17)
「をやまんとすれども雨の足しげ
く又もふみこむ恋のぬかるみ」とあり、日本古典文学大系によれば蜀山人(太田南畝)・四方赤良(よものあから)の歌とある。



(14)
 1紀定丸(きのさだまる)
 
2きこしめせ
 あたるも
 ふしき
 あたらぬも
 ふしぎなりけり
 易と 河豚汁

 
3千枝鼻元(ちえのはなもと)
 4鉄砲の こんや
 あたりの やくそくを
 はづすハ
 君が 玉に
 きずあり
○河豚食う無分別、河豚食わぬ無分別 
 河豚の毒のあるのをかまわずに食うのは無分別
 であるが、中毒を恐れてそのおいしさを味わわ
 ないのも無分別である。
○河豚は食いたし命は惜しし 
 おいしい河豚料理は食いたいが、中毒の危険が
 あるので食うことをためらう。
 転じて、やりたいことがあるのに、危険が伴う
 ので決行をためらう。

*鉄砲 屋台などの小風炉に装置する火・炭火を
 焚く銅製の円筒。
*鉄砲汁 フグを調理した汁。河豚(ふぐ)汁。
 あるいは
鉄砲女郎 のことか。
「鉄砲見世」は最下級の遊女を置く店。
 切見世(きりみせ)とも。
 鉄砲店(てっぽうみせ)の玉という意味で、
 鉄砲店の遊女。鉄砲女郎 は梅毒感染の危険
 性が高く、「毒にあたる」ことからいう
。

*きこし‐め・す(聞し召す)
「飲む」「食う」などの尊敬語。

*河豚・鰒(ふぐ)
○玉に瑕(きず)
 玉 女・芸娼妓・陰間・道具の意味も。

*挿絵は河豚汁屋店内の賑わい。
 鍋から湯気が盛んに騰がっている。
紀定丸 きの-さだまる 1760-1841江戸後期の狂歌師。幕臣。大田南畝(なんぽ)(四方赤良の甥。四方側に属して天明狂歌壇で活躍し,赤良の狂詩集「通詩選」を校訂。黄表紙「新田通戦記」などもある。

千枝鼻元(ちえのはなもと) ? ー? 上州の狂歌作者:1787 「才蔵集」;



(15)
  待人 
 過しよりミそめ
 くどきし ことのはを
  こんや
  うれしく
  ちきり
(契り)
  かたらん

 多羅井(たらい)雨盛(あまもり)
 宇治橋か
 あつま橋なら
 たち花の
 小島の雪ハ
 牛島の寮

*宇治橋 京都府宇治市にある宇治川に架かる橋。
 橘の小島 宇治川下流200メートルの中州と称す
 るがその位置については古来諸説がある。
*牛島 隅田川の東岸、向島須崎辺の俗称。
 牛の御前・弘福寺などがある。

*挿絵は源氏物語の「浮舟」の巻になぞらえて、
 宇治橋が吾妻橋なら、橘の小島の雪は牛島の寮。
 王朝風装束の男女の舟遊び図。
 

* 牛島御前 
*この頁の狂歌二首は源氏物語「浮舟」を引用
  している。
 (匂宮の浮舟への贈歌) 
 年経とも変はらむものか橘の
      小島のさきに契る心は 
 (浮舟の返歌) 

 橘の小島の色は変はらじを
      この浮舟ぞ行方知られぬ

待人 待人久留壽(まちびとのくるす)
のことか。? ー? 狂歌作者「才蔵集」入;悠々館湖遊 ゆうゆうかん-こゆう ?-?江戸後期の狂歌師。江戸小石川にすむ。
便々館湖鯉鮒(べんべんかん-こりふ)の門人。山手側の社中。文化5年(1808)「狂歌いそ千鳥」「狂歌百千鳥」を刊行。別号に待人。


多羅井雨盛(たらいのあまもり、藤井孫十郎)?ー? 江中期小石川白山御殿跡の住人/狂歌作者、才蔵集入



(16)
  勘定疎人(かんぢやううとんど)
 炭とりを
 ぬすみとりしと
 うたかふに
 顔のよこるゝ
 たねふくへ
(種瓢)そや


萬棋堂蔵板繪本目録
絵本武将一覧(ぶしやういちらん)全三冊
同 吾妻抉(あづまからげ)全三冊
同 武将記録(ぶしやうきろく)全三冊
同 江戸爵(えどすゞめ) 全三冊
同 八十宇治川(やそうぢがわ)全三冊
同 駿河舞(するがまい)全三冊
同 譬喩節(たとへぶし)全三冊
同 詞の花
(ことばのはな)全二冊
同 吾妻遊(あづまあそび)全三冊
同 天の川   全二冊
寛政九巳正月
  浪華書林
     心斎橋筋順慶町南へ入
          和泉屋源七板


*炭取 炭を小出しに入れておく器。
*
たね‐ふくべ(種瓢)(種瓢)
 種子を取るために残して置くヒョウタン。

*挿絵は閑居図。炭取りに炭をを入れている。

勘定疎人(かんじょうのうとんど)
花島平蔵)?ー? 江中期江戸深川土橋の狂歌作者。徳和歌後万載/才蔵集/新玉集/俳優風などに入。[我思ふひとは磯辺の松なれやすねた姿のなほぞ目につく]



国立国会図書館近代デジタルライブラリー
絵本詞の花喜多川歌麿 画 (刊, 天明7 [1787] 序)


国立国会図書館近代デジタルライブラリー
日本風俗図絵第12輯
 
絵本江戸爵(えどすずめ)

日本古典作者事典 川野正博著

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