2022/2/12
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庭訓往来(ていきんおうらい)  

 庭訓往来講釈(ていきんおうらい こうしゃく)

頭書 絵抄 弘化二年(1845年)刊 
(伝) 玄恵 著  
渓斎(けいさい)英泉(えいせん)(渓斎善次郎)注・画

    手紙十通掲載
(全二十五通中)

         




 
庭訓往来講釈  目次 

    各月状の往・返をクリックすると手紙の釈文に移動します。

序文

          往信                  返信
 (一)正月状 
 
 
年始挨拶と射芸遊技会のお知らせ。
   (正月と弓術に関する用語)

 (二)正月状  
  
春の遊宴お招き珍重。 弓事に達者な者を
  一人二人連れて伺います。

 (三)二月状 
  花見お誘い。連歌和歌の達者な者を
  一両人お誘い下さい。
 (四)二月状 
   花の下の詩歌管弦はなによりの慰め。
   承りました。 
   (歌道に関する用語)

 (十三)七月状 
 来月下旬風流な催しをすることになりました。
 
 七月書状のみ文中の挿絵は「庭訓往来諺解」の
  挿絵を使用。 庭訓往来諺解は嘉永5年刊。
      (東京学芸大学望月文庫所蔵)

 (装束・染物・日用品に関する用語)
 (十四)七月状 
 必要な品は目録に合わせてお貸しましょう。
  
七月書状のみ文中の挿絵は「庭訓往来諺解」の
   挿絵を使用。 庭訓往来諺解は嘉永5年刊。
     (東京学芸大学望月文庫所蔵)

 (装束・仏具・楽器に関する用語)

 (十五)八月状 
  所領安堵・相続・土地境界等の争いが
  あるので公方へ参り訴えを申したい。
  貴方様のお力添えをお願いします。
  (司法制度と訴訟に関する用語)
     
 (十六)八月状 
  訴訟については機転の計略で対処すべき
  と思われます。

(司法制度・訴訟手続き・刑罰に関する用語)

 (二十二)十一月状 
  持病再発、名医を御紹介頂きたい。
 
 (病気の種類と各種治療法に関する語彙)
 (二十三)十一月状 
 房内過度・酒酔い・寝過ぎ・過食・恋愛の
 悩み・旅先の疲労・愁
の痛み・等々
 これらは皆避けるべきことです。
  (病気予防、養生のための注意事項)





庭訓往来講釈 (個人所蔵)











                          
                 はじめに

  
 江戸時代寺子屋の教科書
   幕末期には、江戸に約1500、全国では15,000の寺子屋があったという。1校あたり
   の生徒数は10人から100人と幅が広かった。これら寺子屋は庶民・僧侶・医師・神
   官・武家などが経営していた。寺子屋では、「読み書きそろばん」と呼ばれる読書・
   習字・算数の基礎的な知識のほか地理・人名・書簡の作成法など実生活に必要な教
   育が総合的に行われていた。教育はまず数字の習得から始まり、次いで文字の習得
   がなされることが多かった。そして、実生活に必要な知識・技能の教育が行われた。


   往来物
   江戸時代寺子屋で使われた教科書は往来物と云われ、商売往来、百姓往来、消息往
   来等様々な往来物が作られた。江戸時代の人々にとっては日常様々な手紙を書くこ
   とが多かったので往復の書簡の模範文例を集めた消息往来物は生活に欠かせない教
   科書となった。そして往来物といえば初等教育や寺子屋で習字や読本として使われ
   た教科書の総称を意味するようになった。

   往来物以外の寺子屋の教科書としては文字を学ぶ『千字文』、人名が列挙された
  『名頭』『苗字尽』、地名・地理を学ぶ『国尽』『町村尽』、『四書五経』『六諭
   衍義』などの儒学書、『国史略』『十八史略』などの歴史書、『唐詩選』『百人
   一首』『徒然草』などの古典が用いられた。


                  庭訓往来
   庭訓往来は当初は貴族武士僧侶の子弟の教育ための教科書であったが、江戸時代
   になると寺子屋が発達して庶民のための教科書としてもっとも普及して使われた
   教科書といわれている。

   庭訓往来の成立は室町時代頃、著者は鎌倉後期・南北朝時代の僧玄恵(生年不詳~
   1350年)とも伝えるが詳細は不明である。玄恵(げんえ)(ゲンネとも)は、号は独清軒・
   健叟。玄慧とも。天台宗の僧。京都の人。一説に虎関師錬の弟。天台・禅・宋学を
   究め、後醍醐天皇に古典を講じ、また足利尊氏・直義に用いられ、建武式目の制定
   に参与。「太平記」「庭訓往来」の著者とも伝える。
   
   渓斎(けいさい)英泉(えいせん)
   庭訓往来講釈の注と画の著者である渓斎英泉は江戸後期の浮世絵師。姓は池田。
   名は義信。江戸生れ。菊川英山らに学ぶ。独自の妖艶な美人画を得意とし、人情本
   などの挿絵も描く。天保の改革の後は、
一筆庵可候(いっぴつあんかこう)という名
   で戯作を執筆した。池田英泉。池田善次郎。渓斎善次郎。(1791~1848)

 
 ○庭訓往来の文体は凝漢文体で候文。
 
 ○一年各月の往信状と返信状二十四通と、八月(底本によっては七月晦日)の一通
   を加えた二十五通からなる。
 
 ○内容は衣食住、花鳥風月、詩歌、音楽、射事、寺、訴訟、法律等々多岐に渡って
   いる。
 
 ○社会生活に必要なさまざまなことばと文例を読むことで社会常識や知識を学ぶよ
   うに工夫されている。

  庭訓往来の種類
  ○習字の手本として用いられたもの。
 
 ○ルビ返り点付きで読みやすくしたもの。
 
 ○注がついているもの。
 
 ○挿絵付き、頭書に挿絵が入り言葉の注釈と手紙の要約文が記されてより分かりや
   すいもの。
 
 ○頭書に童子教や書簡文例集を記載したもの。
  などなど、様々な庭訓往来が出版された。
  江戸時代だけでも確認されているものだけで約170版が刊行されたという。

  絵双紙屋では数多い庭訓往来の中から、細かな注と各手紙の要約の記載があり、
  かつ挿絵のある「庭訓往来講釈」
弘化二年刊を底本に、全二十五通の手紙の中から
  一部(正月・二月・七月・八月十月の各月の往状と返状合わせて十通)をご紹介
  します。
  
  凡例
  1 手紙の文章は漢文体であるが書下し文で記した。
    庭訓御来講釈には文中に句読点は記載されていないが、庭訓往来精注鈔を参考
    にして句読点をつけた。(注の6参照)
  2 底本の注は▲印で、底本以外の注は印で青色字または○印記載した。
    注の釈文は抜粋で掲載。
    注に関しては適宜送りがなを補い、また平仮名を適宜漢字に置き換えた。  
  3 
本文は左側、注と文意は右側に記し、各手紙の現代語訳を欄外に記した。
  4 庭訓往来講釈の画像は二丁を除いて省略。
    以下のサイトでは庭訓往来講釈の画像を公開している。
    庭訓往来講釈  東京書籍株式会社敷設教科書図書館東

    庭訓往来講釈 
(東京学芸大学付属図書館望月文庫)渓斎英泉編注・画
    庭訓往来講釈 (早稲田大学付属図書館)
  5 本文あるいは注の中に、頭書の挿絵(英泉画)を所々に入れた。
 
  但し七月進状返状のみ「庭訓往来諺解」の挿絵を使用した。
    同書の画像使用に当たっては東京学芸大学付属図書館の許可を受けています。
  







 北の小路玄恵(げんゑ)法印は初め儒家にして北畠姓也。
 中頃天台宗に帰して僧となる。
 平貞時、其の識量を知て乾元元年鎌倉に最勝寺
 を建立の時、玄恵(げんゑ)をして導師となさしむ故に
 暫し爰に住す。玄恵は
(もと)より僧律を以て専と
 せざれば辞して復還俗す。身の終わる迄無髪に
 して自ら洗心子と号し、亦、健軒と称す。
 著所太平記四十一巻世に行る。亦、
童蒙(どうもう)の便なら
 しめん為に庭訓往来を作れり。
 
叡覧(えいらん)を得て都鄙(とひ)(ひろ)(わた)れり。
 書名は論語の文によれり。
 *法印(法印大和尚位の略) 最高の僧位。転じて、僧侶を指す。
 乾元元年(1302年)
 *童蒙 幼少で道理にくらい者。子供。


庭訓往来講釈 
序文 



       
      
     
        庭訓往来講釈
庭訓の義の起こりは論語季氏編に出たり。
 孔子、庭に立ち給へる前を御子伯魚が通られし時、
 汝詩礼を学びたりや。詩礼を学ばずんば、いふこと
 なく立つことなかれ、と示し給ひし故事に
 
(もとづ)きて童蒙にものを教ふるを庭訓とはいふなり。
 歌にもたらちねの庭の教へと読めたり。
 たらちね
(足乳根)は父母の事なり。
往来は贈答の義にして進状返状を指せるなり。

 *庭訓とは、孔子の子伯魚が庭を通った時、孔子に呼び止められ、
  詩や礼の大切さを教えられた故事[論語季氏]から、家庭の教訓、
家庭教育を意味する。 また往来は往復の書簡のことである。




(一)正月往信状 左衛門尉藤原知貞(差出人)   石見守殿(受取人)NO.3~7
 
年始挨拶と射芸遊技会のお知らせ。(弓術遊技の関する語彙) 
      

庭訓往来 書下し文と頭書               ▲庭訓往来講釈の注
と文意


 春の始めの御悦(およろこび)
 貴方(きはう)に向て先づ祝ひ申し候ひ
(をはん)ぬ。
 富貴万福、
(なほ)以て幸甚々々。
 
(そもそも)歳の初めの朝拝(てうはい)

 
           
朝拝
 
朔日(さくじつ)元三の(ついで)を以て急ぎ申す可きの(ところ)
 人々
()の日の遊びに(かり)(もよう)さるゝの間、思ひ
 乍ら延引す。

 

  
()()御遊(きよゆう)

 谷の鴬
(のき)の花を忘れ、(その)の小蝶(胡蝶)
 の
日影(ひかげ)に遊ぶに似たり。(すこぶ)本意(ほんい)を背き候
 ひ
(をはん)ぬ。将又(はたまた)楊弓(やうきう)


         
楊弓
 
雀小弓(すゞめのこゆミ)の勝負。
  
         
雀小弓
 
笠懸(かさかけ)

           
笠懸     
 
小串(こぐし)の会。草鹿(くさじし)

                草鹿 小串

 円物(まるもの)の遊び。

          
円物 雁的

 三々九の手夾。

           
三々九手夾
 
八的(やつまと)等の

          
八的
 
曲節(きよくせつ)近日打続き(これ)を経営す。


 尋常(じんじやう)
射手(ゐて)馳挽(はせひき)の達者、少々御誘引有
 て、(おぼ)
()し立ち給はゞ本望也。
 心事(しんじ)多しと
(いへども)も、参会の(ついで)()せんが為
 に、
(くはし)腐毫(ふがう)(あたは)ず。恐々(きようきよう)謹言(きんげん)
   正月五日     左衛門尉(さゑもんのじよう)藤原知貞
 謹上 石見守(いはみのかみ)殿
   

 

▲春の始めは即ち歳の(はじめ)也。
▲貴方とは歳徳(としとく)を指す。
 是一歳中有徳の方にて俗に恵方(えほう)とも(あき)(かた)ともいふ。
*畢は完了形の「ぬ」に同じ。(おわりぬの音便)
▲富貴万福以幸甚々々は先方を愛たく祝ひたる(ことば)なり。

▲朝拝は朝賀とも奉賀ともいふ。臣下年の始に君を拝し
 奉る事なり。


▲朔日元三とは只元日といふ事にて朔日は年の(はじめ)
 月の元日の元なれば元三とはいふなり。
 
(元旦は歳・月・日の三つの元はじめの意) 
▲子日遊は正月の初めの()
初子(はつね)日といふて、人々
 野辺に出て小松をひく事なり。是松は千歳を経るもの
 なればその齢にあやからんとの義。壬生忠岑(みぶのたゞみね)の歌に
 「子の日する野辺に小松のなかりせば千世のためしに
 何をひかまし」云々。
 この文は元日に初子の当たりたる体とみるべし。





(のき)の花に遊び戯むるべき鴬の、我が住む谷の寒き
 によって人家の暖を迎へて梅花の開らきたるを忘れ、
 又苑の花に戯れるべき胡蝶の苑の寒きによつて
譎キ(ひかげ)
 遊んで苑を忘れたるに似たり。是甚だ本意に背きたる
 の義ぞと也。(庭訓往来諺解大成/元禄15)
鴬のなお谷に在りて(のき)場の花の綻びかゝるを忘れ、
 苑の胡蝶の既に春陽のうつらふを(さと)らで日影に飛
 びかふなどのごとく、殊に本意にそむかたることゝ
 なり。(庭訓往来諺解
/嘉永5)
▲小蝶は諸書皆しかあれども義通ぜず。
 胡蝶の誤りなるべし。

楊弓 と雀小弓とは公卿遊興の器なり。
 楊弓は
蝙鰀(あづち)を丸杖に(こしら)へ広縁などにて射る。
 弓のほこ三尺六寸なり。
*あずち 弓を射る時、的の背後に土を山形に築いた所。近世は的
 を直接あずちに懸けたが、中世はあずちの前に鳥居形を立てこれ
 に的を吊る。

雀小弓は弓のほこ弐尺七寸にて四尺の的を中に釣り
 五間口置て射る也。

笠懸は馬場の中に大溝をほり通し、其の中を馬を
 馳せて射る。 的は串的なり。尤も遠笠懸小笠懸等の別
 ありて構寸尺とも各異に習ひある事と云々。
 
濫觴(はじまり)は頼朝卿上野(かうづけ)新田庄(につたのしやう)にて的射(まとい)せられしとき、風に
 笠の吹散りたるを射させられしより起こりて、後に
 は笠を懸けて射し故名とすとなり。

*濫觴(らんしょう) 物事のおこり。

小串の会は本的のごとく串を立て大的を釣り其の前に
 小さき円座を立てる。是に中るを二中とし、的に中るを
 一中
(あたり)とす。射手は二番にわかる。
 まづ一番方射て、中矢の数ほど小串を数塚に立る。
 扨二番方射て、中矢毎に彼の小串を抜きとり、猶外
 に
(あたり)矢あらば又更に小串を立て二番方の勝ちとなる。
 尤も前の小串を抜き余したるほどは二番方の負けと
 なるなり。
畢竟(ひつきよう)(かけもの)の事にして式の射芸には
 あらずと云々。
草鹿は野草の
鹿(しゝ)(かたど)り撮してねらひ物とする也。
 昔は草にて作りたるよし。
  
円物は形大鼓のごとく表裏とも
(なめし)革にて(つゝ)
 矢中を残して黒く塗る。式の円物は八寸たり。其余
 大中小三品あり。共に串に釣り四ツ目の矢を以て射
 る也。


三々九の手挟は射手
的場(まとば)に臨むとき矢二手持出て
 一筋を
箭台(やだい)に立て残る三(すぢ)を手に挟み三度射る也。
 三度に九筋の矢を射るゆゑ三々九といふ。




八的は
四半(しはん)八枚を馬場の両方に四枚づゝ立て射手は
 騎馬にて往と還るとに射る也。
*八的 騎射の時、木の葉・土器などを挟み物とした的を八ヵ所に
 立てること。また、その的。






▲尋常射手とは上手の射手なり。
物の常なるを尋常と
 いふ。すべて物の下手なるは其事毎に心余りいかめ
 しく目立ちて常ならず。上手はその芸が一切我物に
 なるゆゑ常の事と成てことやうには見えぬ也。
▲馳挽達者 馳は馬、挽は弓の心、弓馬に達したる人を
 いふ。

*曲節 面白い趣向。
*経営 あれこれと世話や準備をすること。
▲腐は「くさりふで」と
(よみ)て卑下の(ことば)
 拙筆といふ事也。
恐々謹言。是を
上所(あげどころ)といふ。七品あり。
 第一第二は恐惶謹言。第三より第五までは恐々謹言。
 第六は謹言。第七は
也留(なりどめ)也。皆書法(かきかた)行草(ぎやうそう)を以て
 
高下(こうげ)をわかつと知るべし。
*恐々謹言 恐れながらつつしんで申し上げ ますの意。
 
 文意

 初春の御慶びづ恵方へ向て賀ひぬ。
 其許にも富貴(ふうき)万福さいはひ限りなけん。
 殊更朝拝は元旦に勤むべかりしが、
折節(をりふし)初子(はつね)にて
 人々の野遊びにそゝのかされ心ならずも
延引(おそく)なりしは、
 谷に()む鴬が
(のき)場の梅の(ほころ)び加るゝを忘れ、
 (その)の胡蝶の既に春陽(はるひ)のうつろふを(さと)らで、
 (なほ)日影に飛びかふごとく、本意ならぬ事ともなり。
 扨近日、射事(しやじ)
種々(くさぐさ)経営(いとな)むほどに、弓馬(きうば)
 達人を誘ひ来たり給や。尤も望む所ぞとなり。



  
 (現代語訳)      

 
 初春のお慶びを先ず恵方に向いお祝致しました。
  貴方様の富貴万福なお一層の幸甚をお祈りいたします。
  とりわけ年頭のご挨拶は元旦に次いで急ぎ申すべきですが、折しも
  ()の日の遊びに当たり、人々の野遊びにそゝのかされて、心ならず
  もご挨拶が遅くなりました。
  あたかも軒の花に遊ぶ鴬が、(谷が寒いので)人家の暖かさに惹かれてし
  まい、軒の梅のつぼみが開きかけているのを忘れているような、又、
  (その)の胡蝶が春陽(はるひ)の移ろいも知らないで日影(ひなた)で遊んでいる様なもので、全く
  もって本意ではございません。
  さて射事遊技会(楊弓雀(ようきゅうすゞめ)の小弓の会・笠懸・小串の会・草鹿(くさじゝ)・円物の遊び・
  三々九の手挟・八的(やつまと)等)を近日中に開催します。
  弓馬の達者な者をお誘いになりお見え頂ければ幸いです。心に思うことは
  多いのですが拙筆にて委しく書くことも出来ません。
  参会の(つい)でを待って申上げます。恐々謹言
     
正月五日
                 左衛門尉藤原知貞
     謹上
石見守殿
                                             
 
             
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(二)正月状返 石見守中原(差出人) 左衛門尉殿(受取人)        NO.7~9  

 
春の遊宴お招き珍重。弓技に達者な者を一人二人連れて伺います。

    
 改年の吉慶(きつけい)御意(ぎよい)(まか)せられ(さうらふ)の条。
 先づ以て目出度覚へ
(さうらふ)
 自他の
嘉幸(かこう)千万(せんばん)々々。 御芳札(ごはうさつ)披見の(ところ)
 に、
青陽(せいやう)遊宴(いうえん)(こと)珍重に候ふ。
 堅凍(けんとう)早く
()薄霞(はくか)(たちまち)(ひら)く。
 即ち
拝仕(はいし)を促す()きの処、自他の故障、不慮
 の至り也。
百手(もゝて)の達者、究竟(くつきよう)上手(じやうず)、一両
 輩同道せしむ也。
 但し
的矢(まとや)


 
蟇目(ひきめ)等は沙汰無く(はゞか)り入り候。


 一種一瓶(いつしゆいつへい)衆中(しうぢう)課役(くわやく)(かけもの)、引出物は亭主
 奔走(ほんさう)歟。内々御意を得らる可し。





 
万事(ぶつそう)(あひだ)一二(つまびらか)に及ばず。(しか)しながら
 面謁(めんえつ)の時を
()す。恐々謹言(きようきようきんげん)
 正月六日        石見守中原
 謹上
 左衛門尉(さゑもんのじよう)殿


       面謁之時



         射芸妙手



▲自他とは我人(われひと)といふことにて広く天下の人を指す。


▲青陽は初春の異名とす。




▲拝仕は年礼(賀礼)を指す。
▲故障はゆゑさはると訓みて指合の義
▲不慮は思ひ設けざる意。
▲百手達者とは百筋の矢を百度射るに一矢も
 はずさぬ無双の射手をいふ。
▲究竟上手とは至極の手たれ也。

▲的矢は甲矢乙矢あり。是を陰陽の矢といふ。






蟇目(ひきめ)は根の名なり。長さ七寸の桐の木にて作り、三方
 に穴を透かし蟇の目の象る。
   








▲一種は肴、一瓶は酒の事。
*各自が一種の肴と一瓶の酒とを持ち寄って宴会すること。
 簡単な酒宴の用意。

*課役 役割
▲賭引出物は扇子、畳紙、笄 小箱の類。
 いづれも射勝ちたる方へ与ふる褒美の品也。
▲奔走は馳走といふに同じ。
 はせはすると訓みて事の世話するをいふ。
    






▲物
はもの忙しき体なり。
▲面謁はまのあたりに告ぐると訓みて見え語ふ事也。  






 文意
 改りたる年の吉慶(ことぶき)其許(そこもと)にも心のままに
 祝ひ給ふよし。
(わけ)てめでたく自他幸い限りなし。
 御状を見るに春遊びのおぼしめし、尤も珍かに存せら
 る。
 折りから、はや冬に凝りたる
堅凍(けんとう)()薄霞(うすがすみ)披けつゝ
 春の陽のうつろふまゝ、早く年礼をも遂ぐべきを、彼是
 支へられ延引せしハ思ひ設けぬ事ぞかし。
 扨射芸の妙手
一両輩(ひとりふたり)ともなひ参るべきが、的矢・蟇目(ひきめ)      
 等は容易ならぬ事ゆえ憚り申すなり。
 次ぎに酒肴は面々が
餐応(もてなし)か、褒美の品は其許(そこもと)の賄ひに
 や。内々申し合さるべき様に存ずるとなり。

   

(現代語訳) 
   

   新年の慶賀。先ずは御目出度存じ上げます。御手紙拝見致しました。
  春の遊宴の思召しは実に珍重のこと存じます。凍った雪もとけて薄霞も開き、
  春の陽のままにお年賀にお伺いのつもりが、あれこれ思わぬ差障りでご挨拶が
  遅くなりました。
  さて射芸の妙手一人二人伴い参るつもりですが、的矢(まとや)蟇目(ひきめ)等は
  容易なことではないので御遠慮します。
  酒肴は客の各自が持寄りましょう。褒美の品は貴方様の方でしょうか。
  内々でこのことを遊芸の人に申入れ下さい。多忙にて詳しく書き送らず。
  ご対面の時申します。
 恐々謹言
     正月六日             石見守中原
       謹上
 左衛門尉(さゑもんのじよう)殿



                          庭訓往来講釈 目次へ戻る


 
(三)二月状往 弾正忠三善(差出人)     大監物殿(受取人)    NO.10~11

 花見お誘い。連歌・和歌・漢詩・聯句の達者な者をお誘い下さい。


 面拝(めんはい)(のち)、中絶。良久(やゝひさし)遺恨(いこん)山の如し。
 何れの時か
意霧(いむ)(さん)す可けん哉。
 併ながら
胡越(ごえつ)を隔つるに似たり。
 猶以て千悔(せんくわい)々々。

 (そもそも)醍醐(だいご)雲林院の花、濃香(じようかう)芬々(ふんふん)として、
 
(にほひ)(すで)に盛ん也。嵯峨(さが)吉野の山桜、開落(かいらく)(えだ)
 を
(まじ)へ其の(こずへ)(しげ)し。黙止(もだし)難きは此の節
 也。
(いか)でか徒然(とぜん)にして、光陰を送らん()


 
花の (もと)好士(こうし)、諸家の狂仁(きやうじん)、雲の如く霞
 に似たり。
遠所(ゑんじよ)の花は、乗物僮僕(どうぼく)合期(かうご)
 し難し。先づ近隣の名花、
歩行(かち)の儀を以て
 思ひ立つ事に候。

 左道(さどう)(やう)()りと雖も、異体(いてい)(かたち)を以て明
 後日御同心候はゞ本望也。
 連歌の宗匠、和歌の達者、一両輩御誘引
 有る可し。其の
(ついで)を以て詩聯句の詠、同
 じく所望に候。
破籠(わりご)小竹筒(さゝえ)等は、是自(これより)随身(ずいしん)      
 す可し





 
硯、懐紙等は、懐中せらる可き歟。
 如何、
心底(しんてい)の趣、紙上に尽し難き候。
 (しか)しながら参会の
(ついで)()す。不具 謹言(ふぐ きんげん)
 二月廿三日   弾正(だんじやうの)忠三善(ちゆうみよし)
  謹上 大監物殿(だいけんもつどの)




良久(やゝひさし)は甚久しきなり。
意霧(いむ)は心が(むすぼ)ふれて濛々したるを霧に
 たとえたる也。
胡越は共に唐土の地名。胡は北越は南の端にて
 其の間七百里を隔たり。
徒然はつれづれと訓む。閑静に居るの意。
光陰は月日のたつをいふ。











花下好士は花に心を移し詩歌をもて遊ぶ風流の人を
 いふ。諸家狂仁といへるも同じく美景に浮れて所々春
 を探る雅遊の徒なり。俊成卿の歌に「花ざかり四方の
 山辺にあこがれて春は心の身にそはぬかな」と詠める
 類なり。
 *この歌は藤原公衡(きんひら)作千載集一巻春 の歌。
 俊成は誤りカ。

雲如霞似は人の多くむれ集まるを喩えし詞。
 雲霞の如くといふに同じ。
僮僕は下部の者をいふ。

左道は邪道といふと云々は正しからず。逆の意也。
 是は右を尚び左を卑しむるよりいへる詞。
異体は体をやつす義なり。例えば馬車に乗るべき
 人の編笠など打ち着てあるくやうの意也。
連歌はむかし伊勢斎宮より盃に「かち人のわたれど
 ぬれぬえにしあればと」書きて出し給へるに業平朝臣
 ついまつ(続松)の炭して「また逢坂の関はこえな
 ん」と付けられしと伊勢物語に見ゆ。これ其の初め
 ならんと云々。
宗匠は先達をいふ。
和歌は天地と共に起こるといへども
素戔嗚尊(すさのをのみこと)
 「八雲たついづも八重垣つまごめにやへがきつくる
 其の八重がきを」と詠み給ひしを三十一文字の始め
 とす。
聯句は人々互いに句を次いで篇を成す也。
破籠は肴を入れ、小竹筒は酒を入るゝ器なり。

硯懐紙の事、いにしへ詩歌をたしなむ者は常に
 硯と檀紙薄やうなどを懐中せしとぞ。
不具は下学集(かがくしふ)に無衣裳の義なりといへり。
 上輩より下輩へ達するにもちふ。
*(言い足りず整わない意) 手紙の末尾にしるす語。不備。不一。
*下学集 室町時代の国語辞書。二巻。著者未詳
*随身 身につけて携帯する。
 

 文意
 見えて以来たえて久しく逢わず。積もる思いをば
 いかにはらすべきか。彼胡越(
呉越)の遠きを隔つ
 る心地にて、千々に
(くやし)きときに、醍醐、雲林
 寺の花も香こまやかにして今はや盛ん也。嵯峨、
 吉野の山桜も開花と落花と枝をまじへ、その梢繁
 りあひて誠に
開敷(さかり)の最中、余所に見なせる節な
 らば、なんとして
(いたづら)に月日をすぐすべき。人々
 既にうかれ出ること夥し。
 但し遠方の花見は乗物供人など煩わしく、
(そり)に合ひ
 難きゆゑ、先ず近辺の花を
歩行(かち)にて見んと思ふに、
 
(こと)よふなれど忍びの体にて、明後日固く思ひ立ち
 給はらば悦び申す也。且つ連歌和歌の達人一両人
 いざなひ給はれ。
(なほ)詩聯句を()(ともがら)も望み候。
 酒肴等は此の方より持参いたすが、硯・料紙などは
 
(おのおの)自分たしなみ持ち給うかとなり。

 
(現代語訳)
   過日お会いして以来久しくお目に懸かゝれず、積もる思いを如何に晴らしたら
  よろしいのか。まさに呉越の隔てのように遠く離れた気がしてさまざま悔やまれて
  心が晴れません。
  只今は醍醐、雲林院の花も香り細やかに盛りとなり、嵯峨、吉野の山桜も開花と落ち
  る花とが枝を交え、その梢がますます繁り合い誠に盛りの最中です。
  このまま花見もせずに放って置くことが出来るでしょうか。
  花の下、風流雅遊の人々が大勢集まります。
  遠方の花見は乗物や供人など煩わしいので、近辺の花見を歩行(かち)にて参ろうと存じます。
  身をやつし目立たない格好で、明後日ご同行出来れば幸いです。
  それに連歌和歌の達者な者を一両人お誘い下さい。
  ついでに漢詩や聯句もご披露下さい。酒肴等は私方が持参しますが、硯や懐紙などは
  各自でお持ち下さい。再会を願うこの気持は筆紙に尽くし難いです。
  参会の折りを心待ちしております。 不具 謹言
    二月廿三日            弾正忠三善

     謹上 
大監物殿(だいけんもつどの)


                                      庭訓往来講釈 目次へ戻る


(四)二月状返 監物丞源(差出人)   弾正忠殿(受取人)     NO.14~18
 花の下の詩歌管弦はなによりの慰め。承りました。但し私方は和歌は未熟ゆえ
 お招きをうければ恥をかくことでしょう。(歌道に関する語彙)

 是より申さしめんと欲し候の処、(さへぎ)つて恩問(おんもん)
 預り、御同心の至り。多少の
嘉会(かくわい)也。
 (そもそも)花の(もと)の会の事、花鳥風月は好士(かうじ)の学ぶ
 所。詩歌管弦は、
嘉齢(かれい)延年(えんねん)(はう)也。

  
 
御勧進の(てい)、本懐に相叶ひ候ふ者(かな)
 後園(こうゑん)庭前の花、深山の叢樹(そうじゆ)の桜、誠に以て開敷(かいふ)
 の最中也。(もし)今明の(あひだ)暴風霖雨(りんう)有らば、無念の
 事也。同じくは、
片事(へんし)も急ぎ度存じしむる所
 也。



 和歌は人丸赤人の古風を仰ぐと雖も、長歌、
 短歌、
旋頭(せどう)、混本、折句、沓冠(くつかむり)の風情、
 輪廻(りんゑ)
傍題(はうだい)打越(うちこし)落題(らくたい)(てい)を未だ究めず。




















 詩聯句は、
菅家江家(かんけこうけ)の旧流を汲み乍ら、
 更に序、
(ひやう)()、題、傍絶(ばうぜつ)韻声(ゐんしやう)(すがた)を忘
 る。



 (すこぶ)
猿猴(えんこう)の人に似たるが如く、蛍火(けいか)(ともしび)
 を
(そね)むに同じ。然れども人数の一分に召し加え
 られば殆ど後日
恥辱(ちじよく)を招くべし。







 執筆(しゆひつ)発句(ほつく)賦物(ふしもの)以下(いげ)、才学未練の間、当座に
 定めて赤面に及ぶべき歟。

 (いさゝか)か用意有るべき由承り候ひ
(をはん)ぬ。
 
(かた)の如く稽古(けいこ)を致す可し。公私の怱忙(そうばう)の間、
 毛挙(もうきよ)
(いとま)あらず。恐々謹言(きようきようきんげん)
 
 二月廿三日     監物丞(けんもつのしよう)(みなもと) 
 謹上 
弾正忠(だんじようのちう)殿  
   (御返事)







▲多少の嘉会は人々一生に超える年月の多き中に少なる
 愛でたき会をいふなり。

▲花鳥風月 
管弦爰は笛の類。弦は琴琵琶の類を指す。
 是には人の楽しみ弄びて憂きを慰むもの也。
*管弦   ((せう)  篳篥(ひちりき) 横笛 太鼓)




勧進は他の進んで思い立つ様を此方より勧むるの意
 也。俗にそゝのかすといふが如し。
双(讓キ)樹は樹の茂りあひたるをいふ。近き意にとる也。
霖雨は長雨也。三日以上の雨をいふ。
*開敷(かいふ)一面に花の開くこと。
*人丸 柿本人麻呂  *赤人 山部赤人


旋頭は常の歌に五文字か七文字か一句を増したる
 もの也。橘貞樹が歌に
 「舟にのり うしほかきわけて 玉藻かる つとばかり 
 白波たつな ありか見ゆべく」
混本は常の歌に五文字か七文字か一句足らざる也。
 安倍清行(あべのきよつら)が歌に
 「朝顔の 夕かげまたず ちりやすき 花の名ぞかし」
折句は五文字ある物の名を毎句の上にすゑてよむ也。
 在原業平がかきつばたといへるをよめる歌
 「から衣きつゝなれにしつましあれば
 はるばるきぬるたびをしぞ思ふ」
沓冠は十文字ある物の名を毎句の上下に置いてよむ
 なり。 仁和帝の
 「合せ(たきもの)すこし」といふことを
 詠み給ふ御歌「あふさかも はてはゆきゝの 
 せきもい
 たづねてとひこきみはかへさじ」
▲輪廻は回文ともいふ。さかさまによみても同じき歌
 なり。「をしめども つゐにいつもと ゆくはるは
 くゆともつゐに いつもとめじを」
▲傍題は歌の難なり。題の意うすくして添物の勝たるを
 いふ。証歌秋雨といふ題に「雨ふれど笠とり山の
 鹿の音は中々よその袖ぬらしけり」
▲打越は現在をさしおき未来を指す也。人丸の歌に
 「君が代の久しかるべきためしにはかねてぞ植し
 住吉の松」
落題は伝写の誤りなるべし。関牛翁も是を歌の体とする
 ことはあるまじきことのこそ。此の所の文隠題、打越、
 俳諧の体ともあらば可ならんと申されたり。
 *落題 題意を詠み落すこと。また、その詩歌。
▲菅家は菅原道真(すがはらみちさね)公天満宮の事也。
 江家は大江惟時卿大納言と称す。共に博学にして代々
 儒宗となり給ふ。即ち大学寮東西二曹の曹主たり。
 東曹は菅家、西曹は江家の流儀を伝ふと云々。
▲序は其事を次第して述べる。
はしがき
▲表は(しも)を以て(かみ)(もう)すをいふ。
▲賦は其の事を敷陳(しきつら)ねて(なを)々いふ。
▲題は題言也。予めその要旨を摘述る以上共に文の
 一体なり。
*傍題は和歌・連し詠むこと。病(やまい)とされる。
(ばう)絶は絶句の詩を断ちて対句一聯をとるをいふ。
▲韻声は(こゑ)の響き也。平仄(ひやうそく)すべて百十三
 韻を指す。声は音の単也。七音をすべて四声を指す。
*猿猴 サル類の総称。
▲執筆(しゆひつ)は懐紙などを書く役也。
▲発句は連歌の発端の句也。
▲賦物とは連歌懐紙の端書きに幾山何などゝ書くをいふ。
 是は句中に興ある字を取りて別の物に転じて名目とする
 事なり。
▲用意は硯懐紙を指したると見るべし。
▲稽古はいにしへ名人達のなし置かれたる跡を尋ね
 (かんが)ふるなり。
▲公私怱忙。公は公用。私は私用。怱忙はいそがはしきを
 いふ。
▲毛挙。毛は筆。挙はかき取るをいふ。
 文意
 此の方より伺ふべき思ふ折から音問(たづね)給はり、思召し
 の事とも我意と等しく良き出会ひ也。花見の事。
 花鳥風月家の楽しむ所詩歌也。糸竹(管弦)は憂きを
 も慰め、齢を延る方にて御催のほど尤の事也。
 はや四方の花
開敷(さかり)の最中となり、()し風雨など
 あらば催し
(とて)もならば急ぎ参りたし。
 但し歌は人丸、赤人などの古きすがたを尊び思ふ
 ばかりで、まだ其の
風情(おもむき)諸体をも会得せず。
 詩文は
菅家江家(かんけこうけ)の旧き流れを汲みしかど、
 其の格式さえ忘れね。実に猿猴ののひとの姿に似たり。
 蛍火の
光微(ひかりうすまり) にて燈火を猜ましく思ふ類。
 かくふつゝかなる我を、
御企(おくわだて)の人数に加へ
 られんは、
(ひと)の笑種となりて恥辱(はぢ)をうけなん。
 執筆以下の事ども、才覚未練ゆゑ、その席に臨まば
 
(かほ)が赤くならんか。御遊(ぎよいう)につき用意せよとの事。
 形のやう古人の式を
(かんが)へ見申さんとなり。
 


(現代語訳)

   こちらからお手紙申し上げようと思っている内にお招きのおたよりを
  頂きました。思し召しのほど御同心の至り。めったにない貴重な嘉会
  と存じます。花鳥風月は風流人の楽しむところ、詩歌管弦は憂きを忘れ
  齢を延ばすものとか。歌会の催しは尤も至極、まことに嬉しいことです。
  はや諸方の桜は花盛り。もし今日明日にも風雨などあれば無念と思い、
  急ぎお訪ねしたいと存じます。
  ところでまことに恐縮ながら私は和歌は(柿本(かきのもとの))人麻呂(ひとまろ)や(山部(やまべの))赤人(あかひと)
  等の古風を尊び(した)うばかりで、その風情(おもむき)の諸体( 長歌・短歌・旋頭(せどう)
  混本・折句・沓冠(くつかむり)輪廻(りんね)傍題・打越・落題など)を未だに会得
  せずにいます。
  漢詩・聯句は菅家江家(かんけこうけ)の旧流を教わりましたが、序・表・打越・落題・
  絶韻などの姿を忘れています。
  まるで猿が人の姿に似ているのに人間ではなく、蛍火が本当の火でも
  ないのに
燈火をねたんでいるようなものです。
  このような未熟な私をお招きのひとりに加えられましたら、後日人から
  恥を受けることになりませんか。執筆・発句・賦物(ふしもの)などの心得も
  未熟ですので、私の出席で貴方様のお顔も赤くなりませんか。
  貴方様から歌会の催しに用意せよとのことですから、形通り古人の歌道
  を稽古すべきと存じます。
  公私とも忙しいので詳しく書くことが出来ません。 
恐々謹言
     二月廿三日              監物丞(けんもつのしょう)(みなもと)
   謹上 
弾正忠(だんじようのちう)殿  
       (御返事)


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(十三)七月状往 左衛門尉大中臣(差出人)     宮内少輔殿 (受取人)No.71~75

 
来月下旬頃諸人を集めて風流な催しをすることになりました。
 必要な品々をお貸し下さるようご主君へお願い申し上げます。 
(装束・染物・日用品に関する用語)
 (挿絵は庭訓往来諺解より

 
 恐れ乍ら申し入れ(さぶらふ)不慮(ふりよ)の外、傍輩(はうばい)所営(しよえい)
 に
駈加(かけくは)へられ候間、微力の及ぶ所、
 東西に奔走せしむるに依て、寸暇を得ず。

 (じき)に愚状を捧じ候。自由の至りに候。
 御意を得て、内々洩し申さる可き也。
(そもそも)
 廿日比(はつかごろ)勝負の経営に候。
 風流の
(ため)()る可きの物、(いつ)(あら)ず。

 紅葉重(もみぢかさね)
楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)。色々の(すぢ)の小袖。
 隔子(かうし)織物。単衣(ひとへぎぬ)
濃紅袴(こきくないのはかま)


 
濃紅袴  単衣 隔子織物  色々の筋の小袖
 薄紅梅  楊裏 紅葉重 (油単)(敷皮)
(雨被)
    (庭訓往来諺解

 

 美精好(びせいかう)()唐綾(からあや)狂文(きやうもん)の唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地。紫の
 
(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)(あや)摺絵。書目結(かきめゆひ)
 の巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖。同じく懸帯(かけをび)

     
  
  小袖          
     美精好裳       唐綾狂文衣
             (庭訓往来諺解
 蒔絵(まきえ)の手箱。硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うえ)(きぬ)水干(すいかん)
 直衣(なほし)
狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら) 
 

 冠  大口
大帷子 直垂

庭訓往来諺解

 水干  烏帽子 直衣 狩衣 
 表衣
庭訓往来諺解
 太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしがたな)(えびら)胡邁カ(やなぐひ)大星(おほゞし)行縢(むかばき)
 
(ふさ)(しりがい)。牛の胸懸(むながい)等。
 上品に非ずと
(いへど)も、注文に任せ相違の無き様
 申し下さる可き也。
                
恐々謹言(きょうきょうきんげん) 
  七月五日     左衛門尉(さえもんのじよう) 大中臣(おほなかとみ)
 宮内(くないの)少輔(せういふ)殿
 
 行縢    胡邁カ         牛胸懸    房鞦
 太刀   長刀  腰刀    (庭訓往来諺解)

不慮之外とはおもんばかりの外ならずといふ意。
*意外に*傍輩 友人または同僚

所営は経営(いとなみ)こと也。
*同僚の催事に参加されられて
微力足らはぬ力也。卑下の詞。
御意ハ先の主人などを指していふ。此の文は宮内
 少輔の主君が所持せられるゝ品を宮内少輔を頼み
 て借て貰ふの義と見るべし。
*自由の至り 甚だ自分勝手
勝負経営は何もあれ遊び事を催す事也。

風流は
雅趣(みやびやか)花車(やさしき)を通じていふ。
紅葉重とは上は紅く下は白し。
楊裏は上は黄色にて裏は青く黄なるをいふ。
薄紅梅は浅き
(くれない)の色をいふ。
筋小袖は縞地の衣服也。
熨目(のしめ)などの類。
*熨斗目 無地の練貫(ねりぬき)で、袖の下部と腰のあたりに格子縞
 や横縞を織り出したもの。江戸時代、小袖に仕立てて、士分以上の
 者の礼服として麻上下(あさがみしも)の下に着用。

隔子織物は碁の目に織りなしたる絹をいふ。
単衣(ひとへぎぬ)は下着也。
濃紅袴(こきくらないのはかま)千入(ちしほ)の袴ともいふ。
 表は真紅にして裏は白し。




美精好裳は美しき精好の絹にて制したる裳也。
 爰にいふ裳は官女の装束也。長一丈ばかり腰に結びて
 後ろへ曳くもの。
狂文とは種々の浮文をいふ。
唐衣は腰限の衣服にて袖身より狭し。
 十二単の上に着るもの也。
朽葉は
(たて)は紅、(ぬき)は黄にて織るをいふ。
(あこめ)は堂上はなべて冬春着用せらるゝ衣の
 名也。近代は用ひざるよしの也。
浮文は
顕文(けんもん)をいふ。
摺絵書は摺箔上絵の類なるべし。
目結(めゆひ)巻染 鹿子(かのこ)くたし染の類也。
村紺掻は未考。
浅黄とは
縹色(はなだいろ)をいふ。青白色也。
*浅葱(あさぎ)に同じ。
懸帯は裳の大腰に付く。肩へ懸る物也。 
 また下げ帯共云。


冠は人皇第四代懿徳(いとく)天皇の御宇に始まる。
 今制は四十二代文武天皇の御宇改めらるゝ所也。
 厚額・透額の二品あり。
表衣は即ち袍なり。
闕腋(けつてき)縫腋(ほうえき)
 二様あり共に染色と地紋の違を以て尊卑を分つ。
水干は紗平絹等にて制す。絹直垂の如くして胸紐
 肩紐あり。
直衣は
(らん)ありて(ほう)に似たり。染色の濃淡地紋の
 疎密を以てを分つ。又別に小直衣といふあり。
 紋色は大抵の如し。袖に
(くゝり)を用ゆ。
狩衣は紋色に定なし。形
布衣(ほい)に似たり。
 公卿鷹狩り等に必着用す。
烏帽子は人皇四十代天武天皇の御宇に始るとかや。
 其制数品あり。皆紙にて張れり。黒漆を以て塗る。
直垂は其の形にて長絹に似て
菊綴(きくとぢ)なし。
 練絹を以て作る。胸緒は打紐也。又布直垂は大なる
 紋を付る。依て俗に大紋といふ。諸太夫これを着す。
大口は唐土魏の文帝より始るとそ。白張にて作る。
 今、能の袴に用るもの是也。
大帷子は官家の下着汗とり也。



腰刀は短刀也。刺刀などをいふ。
(えびら)胡邁カ(やなぐひ)は六月の返状に見る。
大星行縢は馬上遊狩夜行に膝を覆ふて夜露を防の具。
 爰に大星とあるは鹿の皮にて作りたるを指して毛色の
 白星をいへる也。裏は
繻子(しゆす)緞子(どんす)
 綾染物緒は菖蒲皮を用ゆ。黒革は略様とぞ。
房・鞦は
大総(おほふさ)を下げ飾たる也。鞦は六月の
 返状に記す。
牛胸をば御車を曳する牛の胸に懸る飾なり。


 文意
 恐多けれど申上げる。思はぬことならねど
傍輩(ほうばい)
 の
所営(もよほしごと)駈加(そゝのか)され東西(あちこち)奔走(かけまハり)寸暇(いとま)なきまゝ書状
 を奉る。
 自由ながら折を見て御主君へ頼み給はれかし。
 下旬頃に
経営(いとなミ)申さん。それに入用の物数々あり。
 
上品(よきしな)ならねど注文(かきつけ)の通り申下し給はれとなり。


 

  (現代語訳)
     

  恐れ多いことですが申上げます。思わぬことながら同僚にそそのかされ
  催事(もよおしごと)に参加することになりました。微力ながら奔走しております。
  失礼を顧みず直に愚状を差し上げます。
  甚だ勝手ながら折りをみてご主君へこの書状の趣をお頼みお願い下さい。
  来月二十日頃風流な遊びを催すことになりました。それらに入用な品を
  お貸し下さい。
  紅葉重(もみぢかさね)
楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこばい)。色々の(すぢ)の小袖隔子(こうし)。織物の単衣(ひとへぎぬ)濃紅袴(こきくらないのはかま)
  
美精好(びせいこう)()唐綾(からあや)狂文(きょうもん)の唐衣(からぎぬ)朽葉(くちば)地。紫の(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)(あや)
  摺絵。書目結(かきめゆい)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖。同じく懸帯(かけをび)蒔絵(まきゑ)の手箱。 硯筺(すゞりばこ)
  冠。
(うえ)(きぬ)水干(すいかん)直衣(なおし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(えぼし)直垂(ひたゝれ)大口(おおくち)。大帷子(おおかたびら)
  
太刀(たち)長刀(なぎなた)(えびら)胡邁カ(やなぐひ)大星(おほゞし)行縢(むかばき)(ふさ)(しりがい)
  牛の胸懸(むなかけ)
よき品でなくとも書付けの通りにお貸し下さい
  ますようお願い申し上げます。
                        
   恐々謹言
    七月五日   
              左衛門尉大中臣
    宮内少輔殿

 
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 必要な品は目録に合わせて用意しましょう。御用が済みましたら 速やかにお返しください。
(装束・仏具・出家道具・楽器に関する用語)
 (挿絵は庭訓往来諺解より

                                         
  
 白紙払底(ふつてい)の間、反古(ほご)を用ゐ候ひ所也。
 更に
軽賤(けいせん)の儀に非ず。 (そもそも)、申し入れらるる用物(ようもつ)
 の事、目録に任せて之を下さるゝ所也。用
(つき)て後
 は、急ぎ持参せらる可き也。
 但し、単(ひとえ)(きぬ)(もん)。要用の分は、差合(さしあひ候の間、練色(ねりいろ)
 の
魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)の裏衣二重(ふたかさね)候。注文の外に使者に
 
(ぞく)して之を申し入れらる。長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)
 精好(せいかう)薄墨の衣。
法服(ほうぶく)。錦の七条。()横尾(わうび)鈍色(どんじき)
 の下の
(はかま)


 法服     薄墨の衣   素絹    白張の裏衣    
 練色の魚龍
 錦の七条   袈裟  長絹 
庭訓往来諺解


 
(にやう)鉢。錫杖(しやくじよう)(れい)。 仏具。如意(によい)。香炉。
 
水精(すいしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠。帽子(もうす)直綴(じきとづ)鼻高(びこう)。草鞋(そうあい)

 
 錫杖       香炉     如意   
 草鞋                鼻高
             
庭訓往来諺解

     
          下袴        裳 
           直綴       横尾

          
 帽子 (庭訓往来諺解

 龍虎(りゆうこ)梅竹の唐絵一対。(ならび)に横笛。(しやう)篳篥(ひちりき)




 和琴(わごん)
(さう)。琵琶。方磬(ほうけい)。尺八。太鼓(たいこ)鞨鼓(かつこ)
 鉦鼓(しようこ)













 二つの
(つゞみ)銅拔子(どうばつし)摺鼓(すりつゞみ)等。同じく之を尋ね下
 さる。

  鉦鼓 鞨鼓 二つの太鼓 磬 (庭訓往来諺解) 
             




 用
()き事終らば不日(ふじつ)持参せらるべし。損失有ら
 ば、生涯の不覚也。存知せらるべき者
()
               恐々謹言

  
七月日(しちがつのひ)          
 謹上 大蔵丞(おほくらのじよう)殿
 
 

払底は遣ひ尽くして残りなきをいふ。 
反故は一旦用達したる紙也。
軽賤はかろんじいやしむと訓む。
 人をあなどる意。
要用は差当たり入用の義。
練色魚龍は図抄に山吹色の絹に魚龍の紋を
 織りたると云々。
長絹は直垂に似て白色也。菊(とぢ)露紐等あり。
素絹は白衣(はくえ)也。天台真言の僧
 着用す。
袈裟は僧衣の上に加ふるもの。
 各宗旨によつて其の制異なり。
精好は絹。薄墨は染め色也。 
法服は僧衣也。
錦の七条は錦にて作る袈裟なり。
 
大衣(だいえ)七条五条是を三衣(さんえ)といふ。
裳は裙子(くんず)といふ。腰から下の衣也。律宗
 に用ゆ。

横尾は袈裟のごとく(ちが)へて法服の上にかくる物。
鈍色は灰色の衣なりとぞ。



(にやう)は銅バツ子の大なる也。(にやう)鉢といふ。
鉢は銅鉢也。
(きん)ともいふ。
錫杖(しやくじよう)は是によって煩悩を除き三界を出るとかや。
鈴は柄と舌とありて振り鳴らすもの。天台真言に用ゆ。
仏具は輪燈鶴亀花瓶の類すべていふ。
如意は木竹角鉄等にて作る。(かたち)篆書の心の字に
 似たり。柄の長さ二尺ばかり。
半装束念珠は半分水晶をつなぎたる数珠也。
 *数珠の珠(たま)を水晶と琥珀(こはく)とでつくったもの。
  珠がすべて水晶から成る数珠を「本装束の数珠」という。
帽子(もうす)は僧の頭に被るもの。
 その制一ならず。共に頭巾の類也。
直綴(じきとづ)は今の僧衣也。昔は偏衫(へんさん)裙子(くんず)とて上下
 別なりしを後世つらねて
直綴(じきとづ)(なづ)く。
 今俗に十徳といふは
偏衫(へんさん)の事なるに
叉直綴(じきとづ)
 の音を訛りて十徳といふは
(いよいよ)誤れる也。
鼻高(びかう)は僧侶のはく(くつ)也。端高きゆえ(なづ)く。
草鞋(そうあい)は和名藁沓(わらぐつ)也。今転じてわらぐつといふ。








横笛は長さ一尺四寸。孔九ツあり。
 笙は唐土
女蟐ァ(ぢよくわ)氏これを初じむ。
 
大なるは十九(した)。小なるは十三(した) あり。
*した【簧】笙・篳篥(ひちりき)・オーボエ・クラ
 リネット・等の楽器に装置する板状の薄片。リード。
篳篥(ひちりき)は大小一ならず。
 孔九ツあり。芦を以て
(した)とす。
和琴は箏に似て反り甚だ
(すこし)く六絃也。
 日本武尊より始まるとぞ。
箏は唐土神農始て作るを今の十三絃是也。
琵琶はもと胡中より出て魏の武帝に始て作ると。
 其体円く四弦にして頚に四ツの
()あり。
方磬(ほうけい) は楽器也。唐土堯の時作るとぞ。
 石又は銅にて作る。
尺八は大軸一尺八寸なるゆゑに
(なづ)く。中軸
 は一尺四寸。小軸は一尺二寸。孔は
 表四ツ、裏一ツ也。唐の玄宗帝好んで
 これを吹しといふ。
太鼓は爰には楽器の物を指す。説文に
 も是を
(ふん)(原文は土冠+鼓)といふ。
 長さ八尺
(おもて)(わたり)四尺とあるもの是也。
鞨鼓(かつこ)はもと胡式の楽器(ばち)を以てこれを撃つ。
 今俗
腰鼓(くれつゞみ)とも亦羯鼓(かつこ)といふは誤り也。
鉦鼓(しようこ)は古の楽器金鼓也。
 浄土宗に用いる
鉦鼓(しようこ)とは同じからず。
二鼓は鮠需(ふりつづみ)を指していへるにや。鮠需は古の楽器。
 其の形小さき鼓を二ツ違へ重ねて柄を貫きたるもの也。
 今小児(こども)弄具(もてあそび)にぶりぶり太鼓
 といふもの即ち此の形(のこ)りし也。
バツ子は西戎(せいじう)より出る。経数
 寸薄金を以て作り
正中(まんなか)に革紐を通
 し二枚撃合わせて音を発す。
摺鼓(すりつゞみ)は古の楽器也。今知る者なし。



不日は日をのばさずといふこと。
大蔵丞は大少あり。六位の侍これを任ず。
 唐名を大府郎中といふ
この底本の注は記氏となっているが底本によっては差出人
 宮内少輔清原、宛名左衛門尉となっている。


 文意
 料紙きれたる故反古(ふるかミ)(したゝ)む。
 決て
軽賤(あなどる)にはあらず。いひ越るゝ品々、目録
 の通り君より貸し給はるなれば、用事済たらば
 早く
持参(もちまわり)て返されよ。但し単衣の文様申し
 越さるゝ品は差合いあるゆへ、
練色の魚綾以
 下を遣はす。注文の外なれば委細は使者(つかい)に申
 し含めらる。事
(はて)なば不日(すぐ)持参せられ損ひ
 失ひなどしたらば
生涯(いつしよう)不覚(おちど)なるぞ。存知(こゝろえ)
 らるらんと也。
                 
  
  
 
 (現代語訳)
  料紙を使いきらしたので反古(ふるがみ)に書いています。
  貴殿を軽んじている訳ではありません。お申し出の品々は目録の通り、
  殿様からお貸し下さいます。ご用が済みましたら早くお返し下さい。
  但し単衣の(もん)のお申し越しの分は差しつかえあるので、練色の魚龍(ぎよりよう)
  白張(しらはり)の裏衣二重
を替わりにお貸し申し上げます
  その外、使者に託して以下の品々
  長絹(ちょうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨の(ころも)法服(ほうぶく)。錦の七条。()横尾(おうび)鈍色(どんじき)
  の下の(はかま)(にょう)鉢。錫杖(しゃくじょう)(れい)。仏具。如意(にょい)。香炉。水晶と琥珀(こはく)製の
  念珠。帽子(もうす)直綴(じきとづ)鼻高(びこう)草鞋(そうあい)龍虎(りゆうこ)梅竹の唐絵一対。ほかに横笛。(しやう)篳篥(ひちりき)
  和琴(わごん)(さう)。琵琶。方磬(ほうけい)。尺八。太鼓(たいこ)鞨鼓(かっこ)鉦鼓(しょうこ)。二つの(つゞみ)銅拔子(どうばっし)
  摺鼓(すりつゞみ)等々も同じようにお尋ね下さっています。
  注文外なので使者にあらかじめ詳しく言い聞かせておいて下さい。
  済みましたら速やかにご持参お返し下さい。
  損失などあれば生涯(いっしょう)不覚(おちど)です。ご承知のことを存じます。

                            
恐々謹言
 
   七月日                        記
  謹上 大蔵丞(おほくらのじよう)殿


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(十五)八月状往  加賀大掾和気(差出人)  民部大輔殿(受取人)

    
所領安堵、相続、土地境界等の争いがあるので公方へ参り訴えを申したい。
貴方様のお力添えをお願いします。奉行所に引導して頂けましたら有難い。
          (司法制度と訴訟に関する用語)


 下着(げちやく)以後、久しく案内を(けい)ぜざるの条。
 殆んど往日(わうじつ)芳恩(はいおん)を忘るゝが如し。
 (すこぶ)胸中の等閑(とうかん)に非ず、(ただ)自然(じねん)懈怠(けだい)也。
 恐れ入り候。(そもそも)洛陽(らくよう)静謐(せいひつ)。田舎。
 貴辺の本望也。愚身(ぐしん)快楽(けらく)察せらる可き也。



 之に(つい)て、(おん)引付(ひきつけ)の沙汰、(さだめ)て行はれ候ふ歟。

 所領安堵(あんど)遺跡(ゆゐせき)争論、越境(えつきやう)違乱(ゐらん)(あひだ)参訴(さいいそ)
 を致さんと欲するの処、此間(このあひだ)の疲労、所領
 の侘蛯コ(たくさい)(がふ)(ごし)難く候。




 貴方(きはう)の御扶持(ふち)(たのみ)代官を進ず可き也。
 短慮未練の(しん)、稽古せしむるの程、御詞(おんことば)を加へ
 られざれば越度(をちど)(いで)(きたらん)()




 
草案の土代(どだい)を書き与へられ、奉行(ところ)に引導せ
 られば、恐悦に候。


 引付(ひきつけ)問注所、上裁(じようさい)勘判(かんはん)(てい)、異見議定の(おもむき)
 評定衆(ひようぢようしゆう)以下、之を注し給ふ可し。




 


 御沙汰の法、所務の
規式(ぎしき)雑務(ざいむ)流例(りうれい)下知(げち)
 
成敗(せいはい)傍例(はうれい)納法(なつほう)律令(りつれい)、武家の相違存知(ぞんぢ)
 仕り度候。







 晩学に候と(いへど)も、蛍雪(けいせつ)鑽仰(さんかう)(こう)(すつ)()からず。






 古き日記、法例、引付を借し給はゞ一見を加へ、
 不審の事に於ては、尋ね
(あきら)む可き也。

 右筆(いうひつ)
(かな)ひ難く候と雖も、雑訴(ざつそ
 の
風情(ふぜい)(ばかり)は、管見(くわんけん)(うかゞひ)を成し度候。

 心事
腐毫(ふがう)(あた)はず、(しかし)ながら面拝を()す。
                 恐々謹言

 八月三日         加賀大掾和気
 民部(みんぶの)大輔(だいふ)殿



下着(げちやく)は都より田舎へ着くをいふ。
▲往日は過し日なり。
▲芳恩は先方の深切なる情をいふ。
▲洛陽はもと左京をいふ。右京を長安を号す。
 但し爰にはただ都を指していふ也。
*【等閑・等間】(1)物事をいい加減にすること。なおざり。



▲引付沙汰とは先代より定まれる例を以て今其事に引
 合せて沙汰する也。
▲安堵は(かき)(墻)を(やす)んずるにて其居所
 に落着て動かざる義也。
▲遺跡争論は親の(のこ)し置れし跡を誰彼取らんと
 争ふ也。
侘蛯コ(たくさい)は志を失ふ(かたち)(貌)と云々。
 爰には物に
偏固(かたつまり)て応変なきをいふなるべし。
 (四月進状)
 岩波日本古典文学大系では「人民側に生ずる迷惑困窮疲労
  など」を指す。
▲越境違乱は境を越るの(みだれ)也。境目の(あらそひ)をいふ。
▲稽古はいにしへ名人達のなし置かれたる跡を尋ね(かんが)
 ふるなり。(二月返状)

▲扶持 爰には取持ちの意也。
▲代官は名代の意。
▲草案土代は田地一件(ひとまき)下書(したがき)案文(あんもん)なり。



▲問注所は
公事(くじ)を聴く役所也。
▲上裁は上の御栽許也。是は公方(くはう)を指す。
 栽は「はかり定むる」の義。
▲勘判は其の事を(かんが)みて是非を(わか)つをいふ。
▲異見は公事を捌くに評定衆打ちより(おのおの)其思う
 所を述べたるをいふ。
▲議定は異見(いけ)のうち其宜きに随ひ一決するをいふ。
▲議定衆以下とは公事方諸役人の作法をいふなるべし。
▲所務はおもてだちたる重き勤事(つとめこと)なり。
規式(ぎしき)規矩(きく)法式なり。例格(のり)をいふ。
▲雑務は何くれと混雑たる勤事也。
▲流例は先々(せんせん)よりの仕来(しきたり)りし慣はせなり。
▲下知は上より下へ告知(つげし)らしむをいふ。
▲成敗は天下を治むる政道をいふ。
傍例(はうれい) は定式の外に又種々あることの(ならひ)をいふ。
▲納法は年貢収納の事也。(三月進状)
▲律令。律は(おこて)、令は(いましめ)也。
▲武家の相違とは公家の律令と武家の作法との(たが)ひめをい
 ふ。
▲晩学は年闌(としたけ)て学問するをいふ。
▲蛍雪は学問をする故事(こじ)也。
鑽仰(さんかう)は尽くすこと(あた)わざるの義。むかし孔子の
 御弟子
顔淵(がんえん)と いへる人、聖人の道の(きはまり)なきこと
 を
(たん)じて仰之弥、高鑽之弥堅といへるより出たる詞
▲古日記は先々より代々政道の事どもを記したる書き
 物也。
▲法例は法度(はつと)(ならひ)い。


▲右筆は
執筆(ふでとり)の役をいふ。
▲雑訴風情は種々様々な公事を捌く趣也。
管見(くわんけん)(うかゞひ) は穴其一端を知らんといふ義。
 是管を用いて大空を望めば僅に穴だけの天を見るとの
 
(たとへ)より出たる卑下の詞なり。
*狭い見識のたとえ。
*ふ‐ごう【腐毫】朽ちた筆。転じて、自分の筆跡・文章の謙
 譲語。

*本によっては「七月晦日」とする本もある。
 

 
文意
国元へ下りてより久しく音問(おとな)はで、(さき)日の芳恩(めぐみ)をも忘れたるやうなれど、決して等閑(なをさり)には存ぜず。何か取紛れて懈怠(おこた)るのみ、但し恐入りしこと也。時に都も静謐(しづか)になり。田舎無異(ことなく)て其辺も大慶(よろこび)愚身(われら)のたのみを(おしはか)り給へかし。
されば定て天下の政事も取り行はせ給ふらんが、所領を
安堵(ひろゆ)るもの、遺跡(あとめ)越境(さいめ)(所有地の境界)のあらそひ、などあるにつき、公方(くはう)へ参り訴へ候。
下知を受けんと思へど、旅の疲労(つかれ)やら所領の侘蛯コ(かゝづらひ にて合期ぬうち貴方(そのもの)扶持(ひきまわし)を頼み、代人を参らす也。
此仁
智慮(おもんはかり)(あさ)く、事に未(ねれぬ)ゆえ、稽古(こゝろえ)申すまで何か言ひ聞かせ給はらねば、越度(あやまち)出来(でき)なん。田法(でんほう)の筆記などを見習はせ、奉行所へ引導(みちびき)して給はらば恐悦(よろこび))申なり。
猶、沙汰(ところ)一件(ひとまき)、諸役の定例、作法等をしるし給へかし。政事(せいじ)(おもむき)、公家武家の(けぢめ)の所、覚悟(かくご)いたし()し。
晩き学問なれど勤めて
稽古(けいこ)いたすから、古き記録等を貸し給はれ。見申して不審(いぶかし)き所は問ひて覚え侍らん。とても右筆(ものかき)などの、(ひろ)く事を(わきま)(辯)えたるには及ばねど、一通り公事(くじ)の有り様すこし知り申たしとなり。
  


 


                             (現代語訳
  
  地方へ下ってより、久しくおたよりも差し上げませず、昔のご恩を忘れたかの様で
  すが、決してなおざりにした訳ではございません。
  何や彼やと取紛れ怠っておりました。誠に恐縮に存じます。

  時に都は静謐(しずか)、田舎も平穏無異にて、貴方様にも御満足のことと存じます。
  さて私の願いをお察し戴き、お教え給り度存じます。
 
  御沙汰(おさた)は先例に随って行われているのでしょうか。
  所領安堵(あんど)(領地の所有権・領有権・知行権等の承認)、遺産相続争い、土地の境界
  争い等があり、訴訟を致そうと思っている内に、旅の疲労やら所領内の煩わしい
  関わり合いで思うにまかせず、貴方様のお指図をお頼みして代人を遣わそうと
  存じます。
  しかしこの代人は、短慮、かつ不慣れな者ですので所領関係の訴訟事例など
  見習わせ教え頂かなければ過失(あやまち)を生じます。
  
  貴方様のお力添えで、田地一件に関する訴訟文書の下書などお書き頂き、奉行
  所へ御引導戴けましたら、大変に有難く存じます。
 
  なお引付(ひきつけ)問注所(もんちゅうじょ)(訴訟の受理、審理、記録を扱う役所)、公方(くぼう)様への直訴と
  その判決状況、異見とその裁定、評定衆(ひょうじょうしゅう)
(引付衆上位機関)等について
  ご説明を頂きたく存じます。
  公方様の御沙汰、所務(しょむ)
(所領・年貢関係の訴訟)規式(きまり)雑務(ざつむ)(所領関係を除いた
  民事訴訟)
の先例、判決の執行命令、傍例、律令、公家と武家の相違など承知
  しておきたいと存じます。


  遅い学問ですが勉学に努める所存です。古い記録などありましたらお貸し頂いて
  分からない所はお尋ね致したく存じます。右筆(ゆうひつ)などの博識にはとても及び
  ませんが、所領関係の諸訴訟について一通りの知識を修めたく存じます。
  拙文にて十分に書けませんが、又のご面拝を御願い申し上げます。恐々謹言
    八月三日                      加賀(かゞの)大掾(だいしょう)和気(わけ)
   民部(みんぶの)大輔(だいふ)殿
                                         庭訓往来講釈 目次へ戻る 

 

(十六)八月状返 民部大輔田原(差出人)   大掾(だいじょう)殿(受取人) 
No.83~94

貴方様の訴訟については機転の計略で対処すべきと思われます。
 (司法制度・訴訟手続き・刑罰に関する用語)

 
 指したる事無きに依て、常に申し通ぜず。
 
疎略(そりやく)の至り、驚き入り候ふの処に、芳問(はうもん)の条、
 珍重々々。
 
日来(ひごろ)本望(ほんまう)(たちまち)以て満足に候ひ(をはん)ぬ。
 
庶幾(そき)、何事か之に(しか)ん哉。
 四海泰平、一天
静謐(せいひつ)の事、人々の攘災(じやうさい)諸々の幸祐(こうゆう)
 也。


 御沙汰の事、厳密に執行(しゆぎやう)せらるゝ所也。
 更に停滞
豫儀の政道に非ず。訴訟、()悠々(いういう)緩怠(くわんたい)の儀
 有らば、御在洛は
(ついえ)也。
 
活持(くわつち)の計略を用意せらる可し。




 先づ
挙状(きよじよう)を代官に進ぜられゝば、公所の出仕、
 諸亭の
経廻(けいくわい)図師(づし)を申す可き也。
 奉行人の
賄賂(わいろ)、衆中の属詫(ぞくたく)、上衆の秘計、口入れ、
 頭人の内奏、
贔屓(ひいき)、機嫌を窺ひ、之を申す可し。
 譲状(ゆづりじよう)謀実(ばうじつ)越境(えつきやう)の相論、未だ甲乙の次第を
 分たず譜代相伝の
重書(ぢうしよ)等は、引付方に於て御沙汰に


















 
逢せらる可し。頭人(とうにん)、上衆、闔閤(かひがふ)右筆(いうひつ)、奉行
 人等終日(ひねもす)御評定の為、窮屈有りと(いへとも)も、
 更に休息無く、之を勘判せらるゝ也。







 問注所の(くば)(闔閤(かひがふ)重ねて(これ)を賦る)に就て、
 執筆、問状の奉書を訴人に書き与ふるの時、両度に
 及で無音(ぶいん)せば、使節に仰せて、召府(めしふ)を下され、
 違背(ゐはい)の散状に就ては、直に訴人に下知せられ、
 召進(めしゝんぜ)しむるの時は、
訴状を封じ下させられ、
 


















 三問三答の
訴陳(そちん)(つが
)ひ、御前に於て、
 対決を遂げ、雌雄是非に任せ、奉行人、事の書きを
 取捨せしめ、引付に於て
御評定(ごひやうぢやう)の異見を窺ひ、
 成敗しむる所也。














 問注所は、永代の沽券(かうけん)安堵(あんど)年記の放券、奴婢(ぬひ)雑人(ぞうにん)
 の券契(けんけい)、和与状、負累(ふるゐ)の証文等の謀実(ばいじつ)、之を糾明(きうめい)
 す。







 管領(くわんれい)の寄人(よりうど)右筆(ゆうひつ)奉行人等の評判也。
 奉行人、差府方の与奪を得て、
当参(とうさん)(じん)は書き下
 しを成し、下国の時は
奉書(ほうしよ)(くだ)す。(しか)るに無音(ぶいん)
 時は、
使節(しせつ)召文(めしぶみ)を下し、訴陳(そちん)の状を相調(とゝの)へ、
 当所の
執事(しつじ)、年々の管領(くわんれい)奉行人等に対して、沙汰
 を披露し問答を致し、探題の異見に就て、
下知(げぢ)
 加ふる所也。










 侍所は、謀叛(むほん)、殺害、山海両賊、強窃二盗、放火、
 刃傷、
打擲(てうちやく)蹂躙(じゆうりん)勾引(こういん)路次(ろじ)狼藉(ろうぜき)
 
闘諍(とうじよう)喧嘩(けんくわ)等也。
 管領、執事、奉行人、之を検断(けんだん)す。












 所司代、訴状を右筆(ゆうひつ)(くば)る時、小舎人(こどねり)或は下部(しもべ)等を
 以て、
犯人(ぼんにん)召出(めしいだ)し、侍所に於て申す(ことば)を記録
 し、
言色(げんしよく)(てい)の嫌疑に依て、犯否(ぼんぷ)糾明(きうめい)するの時、
 
所犯(しよぼん)(すで)(のがるゝ)所無くんば則ち之を召籠(めしこ)め、
 或は
推問(しゐもん)拷問(がうもん)拷訊(がうすゐ)等に及で、之を尋捜(たづねさぐり)
 尋究(たずねきわめ)与同(よどう)の党類等を断罪すべき者は、之を
 誅せられ、戒む者は之を禁獄し、流刑す可く
 者は流帳に記せらる。
 此外火印(かいん)追放以下、(つみ)の軽重、其人の是非に随て、
 之を行はる。










 次に寺社の訴訟は、本所の挙達(きよだつ
)(つい)て之を是非せ
 られ、
越訴(をいそ)の覆勘(ふくかん)は、探題管領の与奪(よだつ)に依て、
 之を
執行(しゆうぎよう)せられ、事を庭中(ていちう)に奏す。


 
家務(かむ)の恩賞方法規式(ぎしき)(あげて)(かぞふ)可からざる也。
 
 其の旨趣(しゝゆ)(つぶさ)に紙上に尽し難し。御上洛の時、
 心の及ぶ所、
(ほゞ)申さしむ()く候ふ也。
                 恐々謹言
  八月七日       
民部(みんぶ)大輔(だいふ)田原(たはら)
   謹上  大掾(だいじやう))殿 






▲芳問は先方から我を尋ねられしをいふ。
庶幾(そき)は「こひねがふ」と()む。願ひ望むといふ義。


▲四海一天はいづれも天下をいふに同じ。
▲泰平静謐(せいひつ)共に安くしづまる也。
攘災(じやうさい)は「わざわいをはらふ」と訓む。
 安穏なるの意。
幸祐(こうゆうは「さいはひ」と訓む。喜悦(よろこび)の意。


緩怠(くわんたい)はとゞこほる義。遅滞といふに同じ。
▲余(豫)儀は猶
(ためらひ)て果さゞる也。
▲訴訟。爰には加賀大掾(だいじやう) が所領の公事を(さば)
 につき、上の
下知(げち)を受けんため上洛しての
 訴訟と見るべし。
活持(くわつち)の計略は事に応じて働きあるはかりごとを
 いふ。
挙状(きよじよう) は古注に公事の目安の下書き也と云々。
*挙上代とする底本もある。
*挙状(身分の低い告訴人に所属の長の与えた添書。広辞苑
▲代官は爰に進状にいへる大掾(だいじやう)が名代を指す。
▲公所の出仕は公儀の御前へ出ること。
▲諸亭の経廻は諸役人の家へ出入りする事。
▲図師は指図師範の義。手引きし教ゆる也。
賄賂(わいろ)は「まいなひ」と(くん)す。
 奉行衆へ取入らんとするもの也。
属詫(ぞくたく)は「つけよする」と訓す。
 彼是事に
(かこつて)て非を覆はんとすることならん。
*衆中の属詫(ぞくたく) 岩波の新日本古典文学大系では「衆中
 は交際する人々、同僚。その間での贈答」とある。
▲上衆は沙汰所の上役人也。
▲秘計は内々にて事を計らふなり。
▲口入れは物事いひ入れする人。取次の顔也。
▲頭人は或説に沙汰の(かしら)をとる人。
 今の
物頭(ものかしら)といへり。
▲贔屓は力を(そえ)るをいふ。
譲状(ゆづりじよう)謀実は人の遺跡(ゆゐせき)などを
 譲り与ふるとき後日、代人の
乱妨(らんばう)などをし
 めんため書遣はす証文也。悪人は是を
(はかつ)
 偽状を作る。
謀判(はうはん)などの類也。ヶ様(かよう)
 なる(たくらみ)ものか、(まこと)のものかをいふ。
▲甲乙の次第は理非の有無也。
▲重書は重代(ちようだい)の書き物也。
闔閤(かひがふ)とは奉行所の下役也。科人を搦捕(からめとり )
 
などする者也。
▲賦とは問注所にて事を問ひ究めるたる趣を認め
 し
配賦(はいふ)也。



闔閤(かひがふ)重賦之は下役人を重ねて問注所の配賦(はいふ)
 を公事掛りの諸役人へ
(くば)るをいふ。但し此の五
 文字を古来割注のごとく小書きすることは其の謂
 なく、そのかみ書き落としたるゆゑ傍らに小書き
 せしを伝写し誤り来たれるものなるべし。

賦別(くばりわけ)奉行 鎌倉・室町幕府の職名。
 訴状を受け取って、年月日および氏名を記し、引付方各
 番へくばり分けることをつかさどる。賦奉行(ふぶぎよう)
▲執筆は書き役也。
▲問状の奉書は訴人の相手方へ事の訳を尋問(たづねと)はるゝ
 状にて即ち訴人へ賜る也。今の
裏印(うらいん)をいふ。
問状(もんじよう)鎌倉・室町両幕府で、訴訟の場合
 に被告・証人などに対し答弁を求めるために出した
 御教書(みぎようしよ)または奉書。
▲無音。爰には訴人の相手方一向に問状の奉書に
 応ぜざるをいふ。
▲使節は使ひ番を(つかさど)る役人也。
▲召府。爰には相手方を召し寄せらるゝ指紙(さしがみ)也。昔は
 すべて使者を遣わすに皆
割符(わりふ)をもたせたるもの也。
 爰は人を召す使ひゆゑ
召府(めしふ)といふ。割符の
 事は四月の状に見ゆ。
▲散状は問状をもなげやりにし、又紛失したるをいふ。
▲召進。爰は召府の使者相手方を召出し進ずるをいふ。
▲違背。爰に相手方が上の仰せに背くをいふ。

▲三問三答は初めて出す訴状を初問とし其の答えを
 初答といふ。此のごとく凡そ三度訴人と相手方と
 互いに問答の答えを番ふをいふ。陳は相手方の
 言訳け也。
▲雌雄の是非は公事の勝ち負けをいふ。
 雄と是は勝ち方、雌と非は負け方也。





▲永代
沽券(かうけん)は田地屋敷など売渡しの証文をいふ。
▲安堵年記の放券はすべて質物等の証文をいふ。
 是年限を定めて物を預くる手形也。其の年の
(うち)
 其の
(もと)安堵(もの)といふ意か。
▲奴婢雑人の券契(けんけい)奴隷(しもべ)婢女(はした) など下人
 を
召抱(めしかゝ)ゆる証文也。
▲和与状は
和睦(なかなほり)取替(とりかは)せ証文也。
▲負累は古き(おひめ)の証文也。




▲管領寄人は執事の下国也。
▲評判は事の(すじ)を論じて是非(よしあし)(わか)つ也。
▲差府方の与奪。差府方は(ほか)の所へ差し替えらるゝ
 事なるべし。与奪は其の職を代わるの義。
▲当参の仁は訴え出る者をいふ。
▲下国は相手の者国元に下がり居るをいふ。
▲書下奉書共に問状の事也。
▲探題は鎌倉将軍久明親王の時、永仁三年鎮西(ちんせい)中国
 の探題を置れしより始まる。北条の頃、両六波羅
 を京都の探題と云へり。即ち今の
所司代(しよしだい)なり。
*探題 鎌倉・室町幕府の、一定の広い地域の政務・訴訟・
 軍事をつかさどる要職の通称。鎌倉幕府では(東国の)執権・
 連署、西国・九州の六波羅 探題・鎮西探題、室町幕府では
 九州探題・奥州探題・羽州探題の類。


謀叛(むほん)は六月の進状に見ゆ。国家を乱さんとする
 考え也。
▲強窃二盗は日中(ひるなか) あらはに狼藉して奪ひ捕る
 を強盗といひ、人を忍びて密かに盗むを窃盗といふ。
 (六月進状)
打擲(てうちやく)は棒などにて人を打ちたゝくこと。
蹂躙(じゆうりん)は人を蹴倒(けたふ)しふみにじる也。
勾引(こういん)は「かどはかし」也。*誘拐
▲狼藉は爰には途中にて暴ばるゝを云う。辻きり
 の
(たぐひ)也。
闘諍(とうじよう)喧嘩(けんくわ)はいさかひわめき合うこと。
*検断 中世、警察権・刑事裁判権のこと。また、それを行使
 すること。


▲所司代は今の代官の
(たぐひ)
小舎人(こどねり)下部(しもべ)は今の与力同心の下司(したつかさ)
▲言色(てい)は言葉と顔色と容躰(みのそなへ)とも三ツをいふ。
 
(まこと)ならざる者は此の三ツのもの転動して正しき
 事をことを得ざる也。

犯否(ほんぷ)は罪を犯したると犯さざるとをいふ。
▲召籠は入牢せしむるをいふ。
▲推問は罪を犯したる意趣を推し尋ぬる也。
▲拷問・拷訊(がうじん)は共にたたき責めて、強く尋ぬるをいふ。
▲断罪は死刑(ころすつみ)也。
▲禁獄は牢舎(ひとや)へ入るゝ也。
▲流刑は遠島(とほきしま)へ流し遣る也。
▲流帳は流刑等(きはま)りたる者を記し置く帳面也。
 是は一人ずつ行われたる
(しおき)ゆゑ流人の数
 の
(みつ)までヶ様にすることなり。
▲火印は
科人(とがにん)の額に焼きがねをあつること。
 今の
(いれずみ)の類なり。
与同(よどう) 同意して力を貸すこと。また、仲間
 に入ること。


▲本所は寺社奉行の役所也。
挙達(きよたつ)()(あぐ)るをいふなるべし。許容(きゝいれ)也。
▲越訴は次第を越て上に(ぢき)訴訟(うつたへ)するをいふ。
覆勘(ふくかん)は奉行の勘判(かんはん)(おほ)ふといふ意か。
 爰にいふ奉行は寺社方 なれば其の道に
越度(みおとし)なきを以て
 
私意(しい)立がたきゆゑ直訴(じきそ)(とぐ)るものにや。
▲庭中は御前の庭をいふ。
*この文章即ち「次に寺社~庭中に奏す。」の書下文は「庭訓
 往来諺解」に随う。
▲家務は国家の政務をいふなるべし。
▲恩賞は褒美(ほうび)の沙汰をいふ。
▲方法規式は法度(はつと)(おきて)定式(ぢやうしき)也。

 文意
 別義なきまゝ無音(ふたより)に過る。粗略(うとしき)のほどを侘び思ふ折
 から、
芳問(おとなひ)給はり本望。満足(みちたり)て悦び限りなし。世上(よのなか)
 静かに治ること諸人一統の幸慶(さいはひ)也。
 よつて御
沙汰(おきて)事も厳密(おごそか)(とり)(手偏+丸)(おこなは)せられ、
 政道
最速(いとすみやか)なり。其元訴訟(うつたえ)の公事(もし)悠々(のびのび)緩怠(おこたり)
 せば、はるばる上京せられし
甲斐(かひ)なきぞ。
 機転の計略を構へ、先ず
筆状(ねがいがき)を代人へ渡されなば、
 
御前(ごぜん)参訴(さんそ)の始末を指図いたし、奉行人へ賄賂(まいなひ)以下
 政道の私事
(密事))など心得のため折りを以て申
 
(きか)せん。譲状(ゆずりじやう)謀実(もつれ)(以下文書(かきもの)の公事は
 吟味方の
(さばき)を受られよ。諸役人の衆中政務
 のために日勤して
休息(やすむ)ことなく公事(くじ)の裁判
 をせらる。訴状を捧ぐる者、何れは其の
(おもむき)を役所
 より触れ渡され、
執筆(ものかき) 問状(もんじよう)を訴人に与へらる。
 然るに相手方取り敢えずして、又訴状を捧ぐるとき
 は、
(かみ)より召府(さしがみ)指し紙・差し紙)を以て召寄(めしよ)せらる。
 夫れにても猶参らざれば、詮議に及ばず。訴人方へ
 捕公事(うちくじ)の下知を伝へらる。又相方召しに
 応じて参りたるには訴状を封じて下され、訴人と
 問答させ御前にて其の理非を決断し、法に任せて
 其の
口書(くちがき)(供述書)を撰び分け、引付の議定
 に就いては、
(おのおの)仕置(しおき)せらる。
 問注所の沙汰は、永代(えいだい)沽券(こけん)以下文書(かきもの)
 のことを
(たゞ)さる。是爰に管領寄人(よりうど)右筆奉行人
 達の評し
(わか)たるゝ所也。
 奉行人
入代(いりか)わりて裁断するには訴状に書下(うらいん)をなし与え、
 相手
外国(よそぐに)あらば奉書(さしがみ)を下さる。然るに無音(むいん)してして参
 らざれば、使者
召文(めしぶみ)を遣わして呼びよせ、訴人と
 相手の口書き
(供述書)
調(とゝの)へ、其(ところ)の諸役人と
 
問答(とひこたへ)し。
 其の
沙汰(つまり)披露(いひあげ)て、探題の異見(きはめ)に就き下知せらる。
 侍所の沙汰は、謀叛(むほん)盗賊の(やから)をつかさどる。
 管領執事奉行人其の
(とが)軽重(かるきおもき)(かんが)へ刑法を決断
 せらるゝことにて斯々の
犯人(とがにん)ありと所司代より
 右筆へ訴状を出さるれば、
下司(したつかさ)、犯人を捕へ(きた)
 つて侍所に引き
()ゆ。
 役人衆其の申す
(くち)を書取り糺明(たゞされ)て、罪ある
 に
(きま)れば、牢におしこめ其の罪を犯せし訳を
 責め問ふて白状させ、同類一味の者あらば
(ことごと)
 
披索(さがしもと)め、或いは死刑、禁獄、流罪、或いは火印(しるしつき)
 
追放(おいはらひ)以下其の罪の大小と其の者の是非(ふるまひ)
 随つて行はる。
 僧籍神職の一件は寺社奉行の
挙達(きゝいれ)に就いては是非
 を決断せらるゝ也。奉行の手を越えて
直訴(じきそ)する者
 は探題管領の譲りを受けて、奉行人取捌き裁許の
 旨を
(かみ)へ申上げるなり。
 凡て政道の褒美を行はるゝ方法(おきて)規式(のり)数多(あまた)にして
 一々書取らぬから
(みやこ)参勤せらる(をり)申し入らん
 となり。


 

                            現代語訳)

   格別の事もなくて久しくお便りを差し上げませず、失礼の至りと我ながらあきれ入るところ
  に、貴方様よりお手紙を頂きました。誠に嬉しく日頃の念願叶い満足この上ないことです。
  さて天下泰平であれば諸人は幸いであります。よって公方様の御沙汰事は厳正に速やかに執
  り行われています。訴訟に停滞、あるいはためらいなどあれば正しい政道ではありません。
  もし訴訟が滞れば、御在京は費用が掛かるだけで、その甲斐もないことでしょう。
  訴訟には事に応じた機転の計略で対処すべきです。
  先ず挙状(きょじょう)訴状)を貴方様の代人が問注所(もんちゅうしょ)へ提出なされば、役所へ出仕、役所への私事
  (例えば諸役人へ訪問・挨拶・賄賂・贈答・内奏・贔屓・機嫌伺いなど)の心得を折をみて
  お聞かせしましょう。
  
  所領関係の訴訟(所務(しょむ)沙汰
  所領などの財産を親族などに譲渡する際の譲状(ゆずりじょう)(譲証文・相続による遺産配分の取り決め
  証文)が偽物か本物か、未記入の土地境界の争い、先祖代々の重要な所領関係の訴訟は、
  引付方(ひきつけかた)で取り扱う。
  奉行所の頭人(とうにん)(長官)、上衆(じょうしゅう)(上役人)、下役人、右筆(ゆうひつ)、奉行人等は評定(ひょうじょう)のため日勤し、
  休みもなく審議し裁判を行っています。
  挙状(きょじょう)(訴状)を提出する者(訴人)あれば、問注所の執筆(しゅひつ)問状(もんじょう)奉書を訴人(原告)へ
  書き与え、訴人は論人(被告人)に問状(もんじょう)の出たことを伝えて出頭を求める。
  問注所が問状を発給したが、問状を届けるのは訴人自身が論人へ届ける事になっていた。)
  
その際、論人(被告人)が二度に当たって問状を無視して陳状(答弁書)を奉らない場合は、
  論人(被告人)に対して直ちに使者を遣わし召符(めしふ)(召喚状)を下さる。
  出頭に応じる時は訴状を封じて下さる。
  奉行人が三問三答(さんもんさんとう)の訴状陳状(書面弁論) を調え、御前(ごぜん)において訴人原告人・被告人双方
  が意見を弁明し、引付衆(ひきつけしゅう)がその口書き(供述書)を審議し評定衆(ひょうじょうしゅう)((引付衆上位機関)
  の異見を伺い、法により判決が下される。

 
(「三問三答を(つが)う」 幕府の訴訟手続の一。訴人(原告)が 訴状を出し、これに対して論人(被告)が
  陳弁するため陳状(答弁書)を出す。これを三度まで重ねる。)


  所領関係を除いた民事訴訟(雑務(ざつむ)沙汰)
  問注所(もんちゅうしょ)では永代(えいだい)沽券(こけん)(田地屋敷の売渡しの証文)・安堵(あんど)(質権)の年記証文・召使い雑人
  の年季証文・和与状(和解書)・負累(ふるい)証文(古くからの借財証文)等の訴訟を取扱う。
  それら証文が偽物か本物かについては管領・寄人・右筆・奉行人らが審議し是非を評定する。
  奉行所の命により他所(ほか)に移って裁判を受ける時は、訴人に対しては問状に裏印して与え、
  下国している論人に対しては問状を与えて下さる。しかし論人が無音して出頭しなければ、
  使者に召文(めしぶみ)(召喚状)を遣わせて呼び寄せる。その地の執事、年ごとの管領、奉行人
  等は訴人と論人の口書き(供述書)を調え、裁判を行う。訴人と論人双方に問答し、審議を
  行い、探題(たんだい)で裁決が下される。
  
  刑事訴訟(検断(けんだん)沙汰)
  侍所(さむらいどころ)謀叛(むほん)・殺害・山賊・海賊・強盗・窃盗・放火・刃傷・打擲(ちょうちゃく)蹂躙(じゅうりん)・誘拐・路次
  の狼藉(ろうぜき)闘争喧嘩(けんか)などを扱う。管領・執事・奉行人は違法行為を取締り、警察権・
  刑事裁判権の行使を行う。
  所司代(しょしだい)(侍所の所司の家人)より右筆に訴状を出されゝば、小舎人(こどねり)下部(しもべ)らが犯人を
  召出させる。
  侍所では容疑者の供述を記録し、言葉・顔色・容体から容疑を追及する。罪あればこの者を
  牢におしこめ、或いは厳しい取調べ・拷問等に及んで容疑を追及し、仲間がいれば残らず糾
  明し、断罪すべきはこれを処刑し、労役すべきは牢屋へ入れ拘束する。流刑(りゅうけい)すべきは
  流帳に記す。この他に火印(かいん)(咎人の額に焼きごて押す印)追放など、その咎人の罪の
  軽重によって刑罰が決められる。

  寺社訴訟 
  寺社に関する訴訟(僧籍・神職・宮・寺一件)は本所(寺社奉行所)の取上で事の是非が
  判断される。

  再審・直訴
  奉行所の所轄を越えて直訴する者は、探題(たんだい)管領(かんりょう)の指図を受けて、請願書(奉行人
  取捌き裁許)を差出して、御前(ごぜん)で申し上げる。

  恩賞
  政務に関する恩賞の方法・規式は数多く、手紙にすべてを書くことは出来ません。
  貴方様のご上洛の折りには考えの及ぶかぎりを申上げましょう。   恐々謹言    
       八月七日                      民部大輔田原
    謹上  大掾(だいじやう)殿 

印茶色の個所は便宜上記入。*注を小文字、灰色で記入。
  
 参考サイト フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
   問注所   引付衆   評定衆  侍所  所務沙汰  雑務沙汰 検断沙汰 
                                  庭訓往来講釈 目次へ戻る 
  



(二十二)十一月状往 主税助(ちからのすけ)(はだ)(差出人)  主計頭(かずへのかみ)殿(受取人)

持病再発し、名医を御紹介頂きたい
(病気の種類と各種治療法に関する語彙)

 此の(あひだ)持病(ぢびやう)再発(さいほつ)し、又心気(しんき)腹病(ふくびやう)虚労(きよろう)(かわるかわる)
 (おこ)り、(かたがた)(もつ)療治(れうぢ)灸治(きうぢ)(ため)医骨(いこつ)(じん)を相尋
 ね(さうらふ)と (いへど)も、藪薬師(やぶくすし)等は、(まゝ)()来る()
 和気(わけ)丹波(はんば)典薬(てんやく)(かつて)(もつて)て逢ひ難く候。







 施薬院(せやくいん)の寮に然る可きの(じん)有らば、挙達(きよたつ)せらる可き
 (さぶらふ)也。





 針治(しんぢ)湯治(たうぢ)術治(じゆつぢ)養生(やうじやう)の達者、(こと)に大切に候也。

 
 名医加減                   針治


  
   
薬湯              術治   呪法


  
蒸湯                    温泉


 此の辺に(さふらふ)(ともがら)は、脚気(かつけ)中風(ちふう)
 上気(じやうき)頭風(づふう)黄痢(わうり)赤痢(しやくり)内痔(ないぢ)


 内逋萀(ないしやう)(ちやう)腫物(しやもつ)瘧病(ぎやくびやう)咳病(がいびやう)疾歯(やみば)
 まけ(目篇+莫)等は形の如く見知り候歟。
 

















 癲狂(てんきやう)癩病(らいびやう)傷寒(しやうかん)傷風(しやうふう)虚労(きよらう)等は才覚(さいかく)
 く候。




 同じくは擣邁脀(たうし)合薬(がうやく)、瀉薬(しややく)、補薬(ほやく)本方(ほんぽう)に任せて、
 名医の加減(かげん)を以て、一剤を合はし服せんしめんと
 欲す。此条尤も本望也。
 
 禁好物(きんかうぶつ)の注文、合食(がふしよく)(きん)の日記、薬殿(くすどの)壁書(へきしよ)に任せ
 て、写し給ふ可き候。



 一流の書籍                薬殿の壁書


  合食の禁の日記          禁好物の注文
 
万端(ばんたん)筆を(はせ)難し。(しかしなが)面拝(めんはい)()す。
               恐々謹言

   
十一月十二日        主税助(ちからのすけ)(はだ)
 謹上 主計頭(かずへのかみ)殿

   


▲心気は心づかひの積りより発する病。
▲腹病は
積聚(せくじゆ)の類すべては腹中のわつらひ也。
*【積聚】セキシュウ つみたくわえること。
▲虚労は真気損じ諸臓傷るゝの症。
▲医骨の仁は医術の
骨柄(こつがら)ある人。
 天性の妙手をいふ。
薮薬師(やぶくすし)野巫(やぶ)医也。
 下手医者をいふ。
*野巫(やぶ)は田舎の巫医(ふい)。巫医は巫(みこ)と
 医(くすし)の意で、祈祷で治療する人。

▲和気丹波は二家の氏也。共に官医の長たり。
 和気は今の半井家、丹波は今の
典薬頭(てんやくのかみ)錦小路
 殿是なり薬の頭は朝廷従五位下唐名は
大医令(だいいれい)
 尚薬奉御(しやうやくほうぎよ)といふ。
施薬院(せやくいん)はいにしへ諸国の薬種を納め、よる所なき
 病人窮民を救ひ養ひ給はりし所也。人皇四十
 五代聖武天皇の御宇天平二年始て南都に建給
 ふ。平安城遷都の後も猶建てられたり。
 今東九条村烏丸の所に施薬院森といふあり。
 即ちこれは境地也とそ。
但し施薬院は只やく
 いんとばかり読むべし。是習いなり。
*施薬院 貧しい病人に施薬・施療した施設。孤独な老人
 や幼児も収容。七三〇 年(天平二)光明皇后創設、中世に
 衰亡、豊臣秀吉再興、江戸幕府が受け継ぎ明治まで存続。

▲針治は
経絡(けいらく)兪穴(つぼ)に針を刺して病を治する也。
▲湯治は
薬湯(くすりゆ)蒸湯(むしゆ)・温泉等の類也。
▲術治は
呪法(まじない)を以て病を(いまし)むる也。




















▲脚気は外邪湿熱によつて発す脚いたむ病也。
▲中風は虚する所ありて発すしびるゝ病也。
▲上気は
気血(きげつ)逆上するをいふ「のぼせ」也。
▲頭痛は頭痛の凝る所、もと
逆上(のぼせ)より発す。
▲黄痢は未
考。赤痢は「あかはら」をいふ。
 血に属す共に痢病也。湿熱食積により発す。
▲内痔は五痔の一ツ也。肛門の内に
(かさ)を生ずる病。
内逋萀(ないよう)六腑(ろくふ)(くわ)せさるより(おこ)る。
 
毒強き
腫物(しゆもつ)也。胸腹背などに生ず。
*癰(よう) はれもの皮膚や皮下組織に生ずる急性
 化膿性炎症
中にうみをふくんで、出口のふさがった
 悪性のはれもの。

(ちよう)(かほ)手足などに生ずる(かさ)也。
汗腺または皮脂腺が化膿して、皮膚や皮下の結合組織に
 生じる腫れ物。

腫物は「はれもの」と訓ず。膿汁を含む

 瘡類をすべていふ。
瘧病(ぎやくびやう)は俗に「おこり」といふ外、風湿に
 感じ内飲食に傷られて発す。
*間欠熱の一。隔日または毎日一定時間に発熱する病で、
 多くはマラリアを指す。わらわやみ。
咳病(がいびやう)は俗にいふ「せき」也。
 肺気外邪(くわいじや)等に(やぶ)られて(おこ)る病。
疾歯(やみば)は牙歯のなやみ也。
 
熱により虚により発る。*
ムシクイバ 日葡
▲まけ(目編+莫)はかゝりものの類。眼の病也。
 多くは血の不足より発る。
まけ(目気の意) 眼病の一。そこひ。
癲狂(てんごう)
(もと)心血不足より発る。目眩き倒
 れ神気守らざるの病。
*てんかんに似た病気。
 
意識が混濁し、言行錯乱の甚だしい精神病。
癩病(らいびょう)は悪血によつて五体潰へ損する病也。
 俗に「かつたい」といふ。
▲傷寒傷風共にもと寒邪に傷られ発るゝ意。
 寒気肌肉の間に伏し、爰に至りて変し
 て熱病と成る。汗なきを傷寒といひ、汗あ
 るを傷風といふ。
*腸チフスの古い呼び名。
擣邁脀(とうし)の合薬は臼にて搗き
(ふるい)にてふるひたる調合
 薬也。練薬散薬の類なるべし。
▲瀉薬は病の実したるを泄らす薬。
*下剤の類。
▲補薬は内の虚したるを所を補ひ増す薬。
*精力増強薬の類。
▲本方は古人の定め置かれたる組合せの薬方なり。
▲加減は病症によつて本方を定めそれへ薬味を、
 或いは加へ、或いは減らすをいふ。
▲剤は調へ合すの義。
▲禁好物注文は病により食ひ物に
禁物(いむもの)好物(よきもの)とある
 を記したる書付也。
▲合食禁日記は食ひ合わせの記したる書付也。
▲壁書は壁に張り置く書付と云う意なり。




文意
 此ごろ
持病(もちまへのやまひ)(ふたゝび)(おこ)りしに、種々(いろいろ)の病の数そひ
たれば、
巧者(こうしや)なる医師を求むるに、(つたな)きは(まゝ)
見来るやうなれど、名医は
(とても)得がたし。
 施薬院
(やくゐん)
の寮には上手あらんに挙達(ひきあわせ)て給はれ。
諸病療治の道に達する者
容易(たやす)からず。
只此辺にある医者は脚気以下まけ等の類は大抵見知り
たらんが癲狂以下虚労等は
寸覚(ておぼえ)なし。
 
(とても)ならば薬は本方を(たて)として名医(よきくすし)の加減ありしを
(のみ)たし。
是我
本望(のぞみ)也。食物(くひもの)好禁(よしあし)薬殿(くすりかた)壁書(ひかへ)を写し給はれ。
万端
(よろず)執筆(かきとり)(かた)
し。
拝面(まみえ)(まち)て申(しや)せんと也。



 
                  (現代語訳)

  この頃持病が再発し、心気(ストレス)・腹病・虚労(心身衰弱)が相次いでおり
 ます。いずれにしても灸治療のため医術の達人を尋ねようと思っていますが、
 
やぶ
医者(くすし)は時々は来るのですが、和気(わけ)丹波(たんば)二家の典薬(てんやく)医師(くすし)には全く会う
  ことも出来ません。
  そこで
施薬寮(やくいん)に適当な名医(くすし)がいればご紹介頂きたく存じます。
  針治・湯治(薬湯・蒸湯・温泉など)・術治(まじない)は養生の達人にとって特に
  重要であります。
  この辺にいる
医師(くすし)は脚気・中風・のぼせ・頭痛・赤痢・内痔(ないぢ)(よう)(背腹胸
  に出来る悪性のできもの
)・
(ちやう)(面疔などの炎症)腫物(はれもの)・おこり(マラリア)
  ・咳病(がいびやう)
(せきの出る病気)・虫歯・まけ(そこひ)などの病気について
  一通りの知識はあるのでしょうか。
  癲狂(てんきょう)
(精神疾患)・らい病(ハンセン病)傷寒(しょうかん)傷風(しょうふう)(腸チフス)
  ・虚労(心身衰弱)等は何の治療法もないことでしょう。
  同じことならば調合薬・下剤・精力剤などは昔ながらの処方で、名医の処方
  されたお薬を戴いて、服用したく存じます。これは私のもっとも望みとする
  ところです。
  病気により避けるべき食物と食べてよい食物、食べ合わせの注意すべき食物
  などの記録や薬殿(くすどの)壁書(かきつけ)などをお写し頂いて、私方に賜りましたら幸い
  に存じます。すべて書き尽くせませんがまたお目に懸かりたく存じます。
                             恐々謹言 
    十一月十二日                   主税助(ちからのすけ)(はだ)
   謹上  主計頭(かずへのかみ)殿 
     *やぶ医者(くすし)の「薮」は当て字。野巫(やぶ)医者では田舎の巫医(ふい)。
        巫医は巫(みこ)と医(くすし)の意で、祈祷で治療する人のこと
。下手な医者のこと。

                             庭訓往来講釈 目次へ戻る




(二十三)十一
月状
返 主計頭(差出人)  主税助殿(宛先人)
 
権侍医(ごんじい)あたりに著名な
医師(くすし)がいます。注意すべきことは房内過度・
  酒酔い・寝過ぎ・過食・恋愛の悩み・道中旅先の疲労・愁
の痛み・
深夜の食事・(省略)・等々これらは皆避けるべきことです。
(病気予防、養生のための注意事項)



 玉章(ごくしやう)(ひら)き、厳旨(げんし)(うかゞ)ひ、御用望(ようぼう)既に分明(ふんみやう)也。
 (おほせ)の如く、当道の名医は、奔走有る可き也。



 権侍医(ごんじい)の道、一流の書籍を読み明め、
 療養共に、名誉の達者、抜群の(じん)に候。
 但し渡唐(とたう)の船中絶に依て、薬種高直(こうぢき)の間、
 大薬(たいやく)秘薬は、斟酌(しんしやく)の事に候。
 和薬(わやく)(もちひ)られば、参ぜしむ可き也。
 
 

 五木(ごもく)八草(はつそう)湯治(たうぢ)、風呂、温泉等()せる
 (つひえ)無く候。
 (およ)房内(ばうない)過度(くわど)濁酒(だくしゆ)酩酊(めひてひ)


  
 睡眠昏沈              濁酒の酩酊


 睡眠の昏沈(こんちん)行儀(ぎやうぎ)の散動、食物の飽満(ばうまん)




 所作の辛労、恋慕(れんぼ)の辛苦、長途(ちやうと)の窮屈、



  
 
旅所の疲労                 長途の窮屈
 旅所の疲労、閑居の朦気(もうき)、愁歎の労傷(らうしやう)
 闕乏(けつぼふ)の失食、深更の夜食、五更(ごこう)の空腹、

  
 
 深更の夜食                  閑居の朦気
 

 塩増(えんぞう)の飲水、浅味(せんみ)の熱湯、寒気の薄衣(はくえ)
 炎天の重服(ぢうふく)、皆以て禁忌(きんき)の事に候也。

 御心得有つて養生せらる可き也。恐々謹言
 十一月日             主計頭
  進上   主税助殿


▲厳旨は仰せの趣といふ意を貴命御意などと
 いふと同じ。
▲当道は医道を指して典薬寮をいふ。
▲奔走は忙しき体也。


権侍医(ごんじい) 医道の五位六位是に任ず。
 
侍医と称する者は相当正六位下常に
 禁中に候して天脈を
(うかゞ)ふ。
▲大薬未考。
▲秘薬は製法組方に秘事あるをいふ。但し
 爰は唐薬を指せると見て可なるべし。
▲和薬は日本の地に産する薬種也。




▲五木は桑・
(えんじゅ)(かぢ)・楡・柳・也。又、桑・
 槐
(えんじゅ)・桐・
(あふち)・(ほう)をもいふ。
▲八草は
菖蒲(しょうぶ)艾葉(よもぎ)車前(おおばこ)荷葉(はすのは)蒼耳(おなもみ)忍冬(すいかづら)
 馬鞭(くまつゞら)繁縷(はこべ)をいふ。
▲房内過度は男女の
交合(まじはり)を過ごす也。
▲濁酒の酩酊は
(あしき)酒をいふなれど爰
 には酒にいたく
()ふをいふ。



▲睡眠の
昏沈(こんちん)はねぶり過して
()(くら)む。
 うつとりとなるをいふ。
行儀の散動は身のふるまひをあらくする
 をいふ。
▲食物の飽満(ばうまん)は飽くまで大食する也。


所作の辛労は(よろづ)所作の身に過ぎて
 辛く心気を疲労すをいふ。
▲恋慕の辛苦は人を慕ふ情のいたく苦し
 きをいふ。
長途(ちやうと)の窮屈は身に堪えぬ遠路を歩みて気の(かた)
 まる也。




閑居の朦気(もうき)は閑かに淋しき所に籠も
 て気の鬱陶するをいふ。

愁歎の労傷(ろうしょう)深く愁ひ嘆きに沈みて心気を
 傷るをいふ。
闕乏(けつぼふ)の失食は食物闕乏(けつぼふ)して食たらざるをいふ。
▲深更の夜食は夜更けて食事する也。
五更(ごこう)の空腹 五更は寅の時明七ツをいふ。其の
 頃に腹の空きたる也。



塩増(えんぞう)の飲水は塩気つよき飲水を過す也。
浅味の熱湯はたぎりたる素湯(さゆ)などを多くのむ也。



文意
 御状を
()厳旨(おもむき)を伺ふに御用望(ごようのすぢ)既に分明し仰せのやう典薬寮の名医は奔走からん。
権侍医の辺に一家流義の
書籍(ふみ)どもを読明らめ療治養生の二道の共にすぐれた名達の人あり。但し渡唐の船中絶して薬糧の値高きゆえ唐薬は斟酌(みあわせ)の趣なり。
和薬を用ひてならば彼の医者を来たらせん。薬風呂や温泉に浴するなどは心やすき事也。房内過度以下の種々は今般禁忌の事どもなれば心得て養生し給へかる也。




 
(現代語訳)

  おたより拝見いたしました。ご書面の趣はすでに明白です。
  おっしゃるように
典薬寮(てんやくりょう)の名医は大変に忙しく駈け回っています。
  
権侍医(ごんぢい)のあたりには高度の医学書を読み、治療法と養生法共に優れた著名なる
  医師(くすし)がいます。但し唐への貿易船は途絶え、渡来の医薬材料は高くなって
  いますので大薬秘薬の使用は控えております。和薬(わが国在来の薬)を用い
  るならば
()医者(くすし)を参らせましょう。
  五木八草(薬木薬草)の湯治、風呂、温泉に入ることは費用も掛からず心
  やすいことです。
   健康のため注意すべきことは、
  房内(男女の交わり)過度・酒酔い・寝過ぎ・生活態度の粗雑・
  過食・仕事上の気疲れ・恋愛の悩み・長旅旅先の疲労・閑居の鬱・愁

  傷み・食物摂取の不足・深夜の食事・明け方(午前四時頃)の空腹・塩気の
  飲水・熱湯を飲むこと・寒い時の薄着・炎天下での重ね着など。
  これらは皆避けるべき事なので、心得てご養生されて下さい。恐々謹言
     十一月日                       主計頭
   進上  主税助殿



                   参考書

庭訓往来精注鈔(東京学芸大学付属図書館望月文庫)黒田子編
 
庭訓往来講釈(弘化2年刊)と庭訓往来精注鈔(天保十四年刊)は頭書挿絵部分
 を除いて基本的に同文である。

庭訓往来諺解(東京学芸大学付属図書館望月文庫)嘉永5年

庭訓往来諺解大成(東京学芸大学付属図書館望月文庫)元禄15年

新日本古典文学大系  庭訓往来・句双紙 山田 俊雄校注 岩波書店

庭訓往来 東洋文庫  石川松太郎 校注 平凡社

東京学芸大学付属図書館望月文庫には往来物を中心とする貴重
  資料数多く公開され、庭訓往来に関しては約60種の庭訓往来を見
  ることが出来る。

*欄外に拙文の現代語訳文を付けましたが、元より専門家ではない
 ので責任は持てません。

参考サイト 
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
寺子屋

庭訓往来
 
往来物

日本教育史

近代以前の日本における教科書

 
 *お気付きのことがありましたら、
ezoushijp@yahoo.co.jp  
(@を半角に換えて下さい。)
までお知らせ頂けましたら幸いです。

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