教訓 いろはうた 全 |
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解説 著者辻慶儀については詳細不詳。巻末に天保十五年(1844年)六月辻慶儀八十 三歳と記されている。 いろは順に四十八首の教訓歌に平易な注釈がつけられている。墨絵摺り版本。十丁。 京都大学付属図書館所蔵谷村文庫では版本の画像が公開されているが、残念なが ら六丁七丁部分は落丁、もしくは画像の省略があり、十二首分の教訓歌を欠く。 挿絵なしの草紙なので絵双紙の範疇には該当しないが江戸時代後期の児童向け 修身・道徳教育の内容や処世術を知るにはよい資料かと思い読んでみました。 釈文と文末に翻刻文を掲載しました。 底本の平仮名は適宜漢字に変え、カタカナを平仮名に、句読点、濁音、送り仮名を 記入して読み易くしました。 翻刻に際しては福岡県の松尾守也氏に御協力を戴きました。 なお、お気づきの点がございましたらご一報下さい。 |
(表紙) 教訓 いろはうた 全 |
いろはうた 施印 (一丁オモテ) いつとても 心正しき 人ぞみな 身の修まりに 目をとめて見よ 心正しき人と云ふは、身の行ひ言葉遣い共、慎み深く 誠実にして、仮初めにも偽り飾りなき人の末々、身の 修まりに目をとめて見るべし。かようの人、難儀するは少なし。又身の 行ひ言葉遣い慎みなく偽り飾り多き人は右の裏にて末 にて難儀せぬは稀なり。よく目をとめて我が戒めとすべし。 |
ろく玉の わきまえもなく 気まゝする 末の悔みを 先に知るべし ろく玉と云ふは真っ直ぐなる明徳の性根玉也。その道理をも わきまえず気まゝに身勝手する時は必ずのちに悔やむ 事あるべし。故にのちの悔みなき前に、常々慎み、ろく 玉を人欲身勝手の垢にて汚しけがさぬやうにすべし。 性根 人の根本的な性質。こころね。 |
(一丁ウラ) 掃き掃除 ものゝ云ひ様 立ち居まで 子どもの時に 教へ置べし 幼少の時に捨て育ちにして気まゝなる時は、生長しておとなしき 人柄に移り難し。故に幼少の間にものゝ云ひ様、辞儀の 仕様、飯の食べ様、立居の仕様など、あらかた教へおけば 大人に成てよき心得に移り安し。 |
鈍ふても 善いと悪いは 知れてある 善い事はして 悪い事はすな 阿呆と鈍きは生れ付きにても、善きと悪しきは知れたる事なり。親に 孝行、主人に忠義、兄弟に仲良く みな善きこと知らざるはなし。又親に不孝、主人に不忠、兄 弟に不和なるは悪しきことゝ知らぬ者もなし。されば善き 事はして悪しきことは忌み嫌ふて、 |
ほどほどの 少し (二丁オモテ) ほどほどとは身の分限の事、 約は人の美徳とて、昔より賢人たるに倹約ならざるは なし。おごりは右の裏にて色々の悪事は皆おごりより出ざる はなし。おごらざれば勘定もよく悪心も起こらず。心の内 安らかなり。 うち‐ば(内端) 控え目。うちわ |
偏屈と 云ふても律儀 正直は 身の 律儀は物固きことにて 固くせざるなり。正直は心正しく曲らざる事なり。 斯くの如くなる人は、偏屈者と云はれても、天の助けありて 仕合せよくなり行くものなり。 |
徳実の 徳は心の 徳ぞかし 徳をまもりて 徳を積むべし 徳と云ふは仁義礼智信の五常といふて、人の常に行ひ勤べき 道なる故、五ツの常といふなり。その徳の本は孝行なり。故に (二丁ウラ) 孝は徳のもとなりとありて、諸々の教への根本なりとぞ。 徳実 篤実 |
おのれに に逆らひ勝つはおのれがおのれにまくるなり。不幸の 勝たんと思はゞとかく あい(感動詞) 安永四年 |
理不尽に 無理を気まゝに 云ふ人は 神や仏の 許し給はず 人から悪しき 顔をつぶしたなどゝねだりこと云ふものあり。又人柄をよく見せて 羽二重も 人もあり。たとへ人が許すとも、終には神仏天道許し給はむ処 ありて、難渋の身となること必然なり。 見す見す 目の前に見えて。それとはっきりわかって。 |
ぬっくりと うまい処へ 生まれ来て (三丁オモテ) 諺に親が精出しゃ子は楽す。孫は乞食すと云へり。親や先祖の 苦労艱難をも知らず不自由なき所へ生まれたる者は、家 業の事を奉公人に任せ、自身は茶の湯または色々の遊興の 奢りに長じ、終には没落難儀になること、世間を見て知るべし。 |
類もなき 明らかなるは 性根玉 天より 平等一枚なれども、此方の 春雨の分けてそれとは降らねども受くる草木のおのが様々 と云へるがごとし。その天より請たるままなれば明かなる事、例へば 磨ぎたる鏡の如し。しかるを見るに取られ聞くに移りて、身勝手の人欲のく もりにて、鏡の正体を失ふ様になる故、 元より空に有明の月。 ○雲晴れてのち光り思ふなよ元より空に有明の月 古歌 月が見えなくても、月が消えたのではない。月が見えたから、後から付け足したのでもない。 月は最初からそこにあったもの。自分の真心(まごころ)を信じてごらんなさい、自信をもってごらんなさい。 |
(三丁ウラ) 怠りて我が身を決まらざれば、人欲身勝手にて明徳の本心を 失なひ、不孝不忠の大くもりをこしらへ、 身も難儀す。其様になりては仕様なし。とかく怠りを慎み 主親の歓びを |
われが出て われと苦しむ 我出すな われさへ出さにゃ 我が身安穏 我と云ふは人欲身勝手にて我と我が身を苦しむるなり。われを 離れたるを 目当てとすべき処なり。 |
堪忍の なる堪忍は 堪忍し ならぬ堪忍 せぬが堪忍 堪忍といふことは結構なることにてよくよく守らでならぬ事なり。 いづれの家内にても我が気に合ふもの少なきものなり。互ひに 堪忍する(の)で相続がなるなり。又互ひに堪忍せざれば毎日/\ 言ひ分だらけにて何事も思ふ様なり難し。浅野内匠頭さまも (四丁オモテ) 今しばらくの堪忍が足らざる故大騒動を引出し忠臣の 家中ありながら御家名滅亡に及びたり。又、周の文王、武王は 一度怒り給へば天下の民を安んずと云ふは、堪忍し給ぬ 堪忍は堪忍をなされざるが強き堪忍なり。 ○成らぬ堪忍するが堪忍 [養草] 堪忍できないことを堪忍することこそ真の堪忍である。 文王 (ブンノウとも) 周王朝の基礎をつくった王。姫昌。武王の父。殷(いん)に仕えて西伯と称。 勢い盛んとなり紂王に捕えられたが、許されて都を豊邑に遷した。その人物・政治は儒家の模範 とされる。 武王 周王朝の第一代の王。文王の子。名は発。殷の紂チュウ王を滅ぼして天子の位につき、都 を鎬京コウケイに置いて、紀元前1100年ごろ国号を周とした。 外典にいわく、王赫としてここに怒る。文王ひとたび怒ってしかして天下の民を安んず。 武王もまたひとたび怒って天下の民を安んずと云云。 |
世の中は 仲の良いのが 良けれども ねじけものには 遠ざかるべし 世の中は互ひに 道に違はざる様にすれば世界中が仲良くなり。されどねじ け者と云ふて邪知を持って人を害になる事も構はず 身勝手をする侫人に心やすく懇意にするときは自然と 此方の本心の徳を失ふことあり。慎みて遠ざかるべし。 ねじけもの(拗けもの)心のひねくれた人。 侫人(ねいじん) 口先がうまくて人にへつらう、心のねじけた人。 「放鄭声、遠佞人=鄭声ヲ放チ、佞人ヲ遠ザケヨ」〔論語〕 |
足ることを 知れば不足は あらねども 足らぬを前に 知るが肝心 足ることを知れば其の分限に安んじ奢らざる故、甚だ良き事 なり。然れども発達の勢ひを失なふは残念ならずや。 (四丁ウラ) かるが故、不足して行詰まらぬ様、前びろに良く考え、家業出精あるべし。 「吾唯知足」「われ ただ たるを しる」釈迦の最後の教えが書かれた経典『遺教経』にある この言葉。「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味で「足る事を知る人は不平不満 が無く、心豊かな生活を送ることが出来る」 「知足者富」[老子第三十三章」 現状を満ち足りたものと理解し、不満を持たないこと。 |
歴々に 見ゆれど不足 ある家は 誰が見るにも どうかさみしく 不勘定なるに外聞を恥じて見栄を繕ひ居る人あり。何程隠しても どうかさびしく見ゆる成り。其の油断の間に大借になり難儀する人 多し。それよりは早く改めてよそへも損をかけず小世帯となりて 勘定のよき様取り計らへばまた元の繁昌に立直るに近かるべし 歴々 晴れがましいさま。 |
外からの 見栄繕へど 善し悪しは 隠しもならぬ よくも見え透く 凡夫小人の甚だしき不身持を人に隠せども良き人の見る時は腹の 中まで見え透く如くなり。然らば隠しても益なし。 |
常によく 身を慎みて へりくだり 正直にして 家業精出せ 常によく慎むとは (五丁オモテ) 律儀正直にして家業怠らず精を出し、其上は何事も天道に まかすべし。天は善きに幸ひし給ふこと必然なり。 孝悌・孝弟 父母に孝行をつくし、よく兄につかえて従順であること。 |
他人或いは我が気に合う人いかほど懇ろに云ふ人ありともあてにはならぬ也。 ただ親と厚薄を較べて見るべし。親は腹の中から懇ろに育てあけ、夜 の目の合わぬ位に心配をかけしは懇ろの根本ならずや。故に不孝の 罪より大なるはなしと云へり。 |
何程も 達者な親も 年々に 若うはならぬ たずね聞おけ 歌に明日ありと思ふ心の山桜。夜は嵐の吹かぬものかはと云ふがごとし。 何時が知れぬ也。尋ね聞おけと云ふは我が勝手の事ばかりにあらず。親と 云ふものは子の末々まで案じるものなれば、其の案じを には日々のこと或いは世間の噂などを手透き/\に物語して尋ね聞くは親の気 休め、我が心得にもなるべし。叱るを老いての繰り言ともどかしくするは甚だ不孝也。 もどかし・い 思うようにならないで、気がもめる。はがゆく思う。 ○明日ありと 思う心の あだ桜 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは 親鸞聖人 |
(五丁ウラ) ら む う (落丁) (六丁オモテ) ゐ の お |
(六丁ウラ) く や ま (落丁) (七丁オモテ) け ふ こ |
(七丁ウラ) 得手勝手 我儘するは おのが損 得手勝手の気儘をするが我が利徳の様に思ふ了簡違ひより様々の 悪事を仕出す也。人たる道に志を立てる時は親と主人次第にて我が 心も安く身の立たずといふことなし。 |
天道の めぐみなければ しばらくも 立たぬこの世の わけを知るべし 天地の徳は広大無辺にして云ひ尽くされぬ事なれど片端を少し いはゞ 考へ見るべし。万物生々する事、天地開けしよりこの末幾万年といふ。限り なし其の盛んなる事、草木一所にても知るべし。春は芽を吹き花咲、夏は 繁り、秋は実り、冬はおさまりて又春の気ざしを含むは盛んなるにはあら ずや。その外、人間は云ふに及ばず、鳥類・畜類。魚・虫・玉石に到るまで、万物 (八丁オモテ) 皆天より 広大無辺 広く大きくて果てしないさま。 |
明日ありと 思ふ心の 油断より 身を立て兼ぬる 恐れ慎め 油断多いものは身を立て兼ねる者多し。その本を尋ね見れば不孝者にて、不孝 者は天の憎み給ふ天罰なり。されば諺に云ふ、無理、油断大敵の ごとくに思ひ怠りなく慎むべし。 |
さらさらと ものゝ 何用にてもすべき用事をせざる間は心にかかり借金負ふている様に 窮屈なり。故に 父母に孝養も行とて道理なり。 埒(らち) 物事のくぎり。○埒が明く 物事にかたがつく。 |
孝行のことは云ふに及ばず、慈悲といふも知れたることなれ共、 (八丁ウラ) 窮人を救ふを楽しみにてする位にあり度もの也。律儀と云ふは仕 易きことにて、到っての律儀は仕易からず。この三ツあれば長久に繁昌あらん。 吝嗇(りん‐しょく) 過度にものおしみすること。けち。 窮人(きゅう‐じん) 生活に困窮している人。 |
高き賤しきとなく、分限より過ぎたるは、皆 早過ぎたるが多し。軽ろき世帯にては、徳分の三ツ割り二ツ分の内にて暮らし、 富家にては分限より ゆす・る(揺する) 美しく着飾る。見栄をはる。しゃれる。_ 規矩 (き‐く)(「規」はコンパス、「矩」は物さしの意) 手本。規則。 |
目にも見ず 耳にも聞かぬ 災ひを 常に慎しみ 用心をせよ 見もせず聞きもせぬ災いを遠ざけん事を思はゞ人たるの道を守り独り慎むの 外なし。天災の事は知らず、外の災いは守るは軽く |
見ず聞かず 言わざる三ツ のさるよりも 慎まざるは 恐れざるなり 見聞き言ふ、此三ツに支えられ、さま/\の妄念の起こるは常の心に慎まざる ゆゑ也。その慎しまざる本は天道を恐れざるがゆゑ也。 さん‐えん(三猿) 三様の姿勢をした猿の像。一は両眼を、一は両耳を、一は口を、それぞれ 手でおおう。猿に「ざる」をかけて、「見ざる・聞かざる・言わざる」の意を寓したもの。 |
しっかりと 善に心を (九丁オモテ) 人の道は善と不善とのみ也。不善と云ふは身勝手にて心の静かなることなし。 然るを身勝手の不善と遠ざけ、善に静かな心が止まる時は、心が定 まる也。心が定まれば何もうろうろうろ付くことなく心が静か也。心が静かなれば 心が安し。 心が安ければ万事をよく |
奉公とはわが身を 私用に身を使ふるは其の時々にとく断りて使ふべきことなり。 えい‐ぐるい(酔ひ狂ひ)酒に酔って心が乱れること。また、その人。 |
進んでは忠を尽くさん事を思ひ、退きては過ちを補はんことを 思ふとは君子の行ひ也。されば主人ある者は斯く ありたきものなり。 |
生まれ付きには色々あれども く外なし。人欲のあかも 出ぬ事はなし。 回る・廻る(もとお・る) めぐる。まわる。 |
(九丁ウラ) せかせかと 人をしかれば 身もつらし ゆとりをつけて 穏やかにせよ 強く怒り せ、合点の行く様に云へば穏やかにて自身の心も安し。 |
すぐなるを 曲げて苦をする 曲げざれば 生まれのまゝの 心安さよ 性は善なる故、直ぐなるを人欲の力にて曲ぐる故、我と苦 をするなり。ただ生まれのままに立ち返れば安楽なり。 |
京田舎 どこでも親子 仲良くが 何よりもって いっち目出度い 子を思はぬ親はなし。たゞ子たるもの親の安堵歓心を得れば 家内みな其の化を得てうち潤ひ仲良しになる事必然な れば、なによりもっていっち目出度かるべし。 天保十五年辰六月 八十三歳 辻慶儀 いっち(一・逸)(イチの促音化) いちばん。最も。 天保十五年辰 1844年甲辰(きのえたつ) |
翻刻文 底本はルビが多いのですがここでは一部の漢字についてのみ振り仮名を記入しました。 平仮名片仮名混じりは底本に従いました。 |
いろはうた 施印 いつとても こゝろたゞしき 人そミな 身のをさまりに 目をとめて見よ 心たゞしき人といふハ身のおこなひことばづかひともつゝしミふかく 誠実にしてかりそめにもいつハりかざりなき人のすゑ/\身の をさまりに目をとめて見るべしかやうの人なんぎするハすくなし又身の 行ひことばづかひつゝしミなく にてなんぎせぬハまれ也よく目をとめてわがいましめとすべし |
ろくたまの わきまへもなく きまゝする すゑのくやミを さきにしるべし ろく玉といふハまつすくなる明徳の性根だま也その道理をも わきまへず気まゝに身がつてするときハかならずのちにくやむ 事あるべし ゆゑにのちのくやミなき前につね/\つゝしミろく だまを |
はきさうぢ ものゝいひやう たち居まで 子とものときに をしへ置べし 幼少のときにすてそだちにして気まゝなるときハ生長してをとなしき 人がらにうつりがたし。ゆゑに幼少のあひだにものゝいひやうじきの しやう、 大人と成てよき心得にうつり |
にふうても よいとわるいは しれてある よいことハして わるいことすな あほとにぶきうまれ付にても 孝行主人に忠義兄弟に中よく ミな善きこととしらざるハなし又親に不孝主人に不忠兄 弟に不和なるハあしきこととしらぬものもなしされバよき 事ハして |
ほどほどの すこしうちバに 暮すべしこころも安く かん定もよし ほどほどとハ身の分限の事内ばとハ儉約のことにてけん やくハ人の美徳とてむかしより賢人に儉約ならざるハ なしおごりハ右のうらにて色々の ハなしおごらざれバ勘定もよく やすらかなり |
へんくつと いふてもりちぎ せうじきハ 身の行すゑの しやはせとなる りちぎハ物がたきことにて かたくせざるなり正直ハこゝろただしくまがらざる事なり かくのことくなる人ハへんくつものといはれても天のたすけありて 仕合よくなり行ものなり |
とくじつの 徳ハこゝろの 徳ぞかし とくをまもりて 徳をつむべし 徳といふハ仁義礼智信の五常といふて人の常に行ひ勤べき 道なるゆえに五ツの 孝ハ徳のもとなりとありてもろ/\のをしへの根本なりとそ |
ちゝはゝに かてバおのれが まくるなり おのれにかつハ あい/\がよし おのれに勝とハ身がつての心をおさへて にさからひかつハおのれがおのれにまくる也不孝の甚き也己に かたんと思ハヽとかく父母の |
りふじんに 無理をきまゝに いふ人は 神やほとけの ゆるしたまハず 人から悪しき 顔をつぶしたなどゝねだりごといふものあり又人がらを善く見せて 羽二重もかもろくなどいふて人のなんきをもかまハず身勝てする 人もありたとへ人がゆるすとも終に神仏天道ゆるしたまはぬ処 ありてなんじうの身となること必然なり |
ぬつくりと うまい処へ うまれ来て かんなんしらぬ すゑのあぶなさ くろう、かんなんをもしらずふじゆうなき所へうまれたるものハ家 業の事を奉公人にまかせ自身ハ茶の湯またハ色々の遊興の 奢りの長じ |
るいもなき あきらかなるハ せう根玉 ひゝにあらたに けがしよごすな 天より 平等一まいなれども此方の請やうによつて 春さめのわけてそれとはふらねどもうくる草木のおのかさま/\ といへるがごとし其天より請たるまゝなれバあきらかなる事たとへは とぎたる鏡のごとししかるを見るにとられ聞うつりて身勝手の人欲のく もりにて鏡の正体を失ふやうになる故 |
をさまりて 親に孝行 をこたりてわが身をきまらざれバ人欲身がつてにて明徳の本心を うしなひ不孝不忠の大くもりをこしらへ 身もなんぎす。其やうになりてハ |
われか出て われとくるしむ 我出すな われさへ出さにや わか身あんのん 我といふハ はなれたるをおほやけの心といふて君子の心得にて人々 目あてとすべき処なり |
かんにんの なるかんにんは かんにんし ならぬかんにん せぬがかんにん 堪忍といふことハけつかうなることにてよく/\守らてならぬ事なり いづれの家内にてもわが気に合ふものハすくなきものなりたがひに かんにんするて相続かなるなり又たがひにかんにんせざれバまいにち/\ いひぶんたらけにて何ごとも思ふやうになりかたし 今しバらくの堪忍がたらざるゆゑ大騒動を引出し忠臣の 家中ありながら御家名滅亡に及ひたり又周の文王武王ハ 一度いかり給へば天下の民を安んずといふハかんにんの給ぬ かんにんハかんにんをなされざるがつよきかんにんなり |
よの中ハ なかのよいのか よけれども ねじけものにハ とほざかるべし 世中ハたかひに 道にたがハざるやうにすれバ世界中が中よしなりされどもねじ けものといふて 身がつてをする 此方の本心のとくを失ふことありつゝしミて遠さかるべし |
たることを しれバ不足ハ あらねども たらぬをまへに しるがかんじん たることをしれバ其分げんに なりしかれども発達のいきほひをうしなふハ残念ならずや かるがゆゑ不足して行つまらぬやう前びろによく考へ家業出精あるべし |
れき/\に 見ゆれとふそく ある家ハ たれか見るにも どうかさみしく 不 どうかさびしく見ゆる也其ゆだんの間に大借になりなんぎする人 多しそれよりハ早くあらためてよそへもそんをかけず小世帯となりて かんでうのよきやう取ハからへバまたもとのはんじやうに立直るに近かるべし |
> そとからの 見えつくろへど よしあしハ かくしもならぬ よくも見えすく 凡夫小人の甚しき不身持を人にかくせどもよき人の見るときハ腹の 中まで見えすく如くなりしからバかくしても益なし |
つねによく 身をつゝしミて へりくだり 正直にして 家業せいだせ 常によく慎しむとハ 律義正直にして家業をこたらず精を出し其上ハ何事も天道に まかすべし天ハ |
ねんごろに いふ人あるも あてにすな 親にまさりし ねんごろハなし 他人或ハ我が気にあふ人いかほど たゞ親と厚薄をくらへ見るべし親ハ腹の中からねんごろにそだてあけ夜 の目のあはぬくらゐに心配をかけしハ懇の 罪より大なるハなしといへり |
なにほどに たつしやな親も とし/\に 若うハならぬ たづね聞おけ 哥にあすありとおもふ心の山さくらよるハ嵐の吹ぬものかハといふがごとし 何どきがしれぬ也 たづね聞おけといふハわが勝手の事ばかりにあらず親と いふものハ子の末々の事まであんじるものなれバ其あんじを にハ日々のこと或ハ世間の噂などを手透々々に物かたりして尋聞ハ親の気 休めわが心得にもなるべししかるを老てのくり言ともとかしくするハ甚不孝也 |
ら む う ゐ の お (落丁) (五丁ウラ)(六丁オモテ) |
く や ま け ふ こ (落丁) (六丁ウラ)(七丁オモテ) |
えてかつて わがまゝするハ おのがそん主親しだい それでも身ハたつ えてかつての気まゝをするがわが 悪事を仕出す也人たる道に 心も安く身のたゝずといふことなし |
てんとうの めくミなけれバ しばらくも たゝぬこの世の わけをしるべし 天地の徳ハ広大無辺にしていひ尽されぬ事なれども片はしをすこし いはゞ 考へ見るべし万物生々する事天地ひらけしより此末幾万年といふ限り なし其盛んなる事草木一所にてもしるべし春ハ芽をふき花さき夏ハ しけり秋ハ実のり冬ハをさまりて又春の気ざしを含むハさかんなるにあら ずや其外人間ハいふに及ばず鳥るい畜るい魚虫玉石にいたるまで万物 皆天より |
あすありと おもふ心の ゆだんより 身をたてかぬる 恐れつゝしめ ゆだん多ものハ身をたてかぬるもの多し其本を ものハ天のにくミ給ふ天罰なりされバ ごとくに思ひをこたりなくつゝしむべし |
さら/\と ものゝ 何用にてもすべき用事をせざる間ハ心にかゝり借金おふてゐるやうに 窮屈なりゆゑに埒をハ早ふあくれバ心もさつはりして家業もつとめよく 父母に孝養も行とて道理なり |
きとうにハ 孝行じひに りちきなり この三ツあれバ ながくはんしやう 孝行のことハいふに及ハず慈悲といふもしれたることなれ共 律義といふハ仕やすきことにていたつての律義ハ仕やすからず 此三ツあれハ長久にはんぢやうあらん |
ゆするとハ はやる奢りの かゑことば ゆすらぬやうに まもれ分げん 高きいやしきとなく分限より過たるハミな奢り也よいかけんと いふハ気早過たるが多しかろき世帯にてハ徳分の三ツわり 二ツ分のうちにてくらし富家にてハ分限より さためてかたく守るへし |
めにも見す 耳にもきかぬ わざわひを つねに慎しミ 用心をせよ 見もせず聞きもせぬ 人たるの道を守り 災ハ守るハかろく |
みずきかず いはざる三ツの さるよりも つゝしまざるハ 恐れざるなり 見聞いふ此三ツにさゝえられさま/\の妄念のおこるハ常の心に慎まざる ゆゑ也其つゝしまざる本ハ天道を恐れさるがゆゑ也 |
しつかりと 善にこゝろを とゞむれバ 人の道ハ善と不善とのミ也不善といふハ身勝手にて心の なることなししかるを身勝手の不善を遠ざけ善にしつかな心が とゞまるときハ心か定まる也心か定まれバ何もうろ/\うろ付 ことなく心がしづか也心が静なれバ心が安し心が安けれバ万事 をよく |
ゑひぐるひ ならぬこの身ハ 君のものことハりもなく かりてつかふな 奉公とハわがミを 私用に身をつかふるハ其時々にとくと |
ひゞ/\に もしや怠り ありやせん よく すゝんてハ忠を尽さん事をおもひしりぞきてハ 思ふとハ君子の行ひ也されバ主人ある者ハかくありたきものなり |
もとほらぬ 身にもちからの およぶほど ミがけハ光り でぬことハなし うまれ付にはいろ/\あれどもこゝろさす処ハ明徳の玉をミが くの外なし人欲のあるも志さへたゝバ愚なるものにても光りの 出ぬ事ハなし |
セか/\と 人をしかれバ 身(ミ)もつらし ゆとりをつけて おだやかにせよ つよくいかり たゞ和らかに云聞せ にて自身のこころも安し |
すぐなるを まげて苦をする まけざれバ うまれのまゝの こゝろやすさよ 性は善なるゆゑすぐなるを人欲のちからにてまぐる故われと苦 をするなりたゞ生れのまゝにたちかへれバ安楽なり |
京ゐなか とこでも親子 中よくが 何よりもつて いつちめでたい 子を思ハぬ親ハなしたゞ子たるもの親の安堵歓心を得れは 家内ミな其 れは何よりもつていつち目出たかるべし 天保十五年辰六月 八十三歳 辻慶儀 |