2022/3/1 改訂

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咄本・噺本・軽口本


絵本 軽口福笑  巻一冊

(えほん  かるくち ふくわらい)
 義笑 作
臥仙(ぶせん)  京都菱屋治兵衛板   明和五年(1768年)刊

前編   後編

   
 原データ 東北大学付属図書館狩野文庫画像データベース 



  
 解説
   明和五年
(1768年)上方で出版された軽口本で上巻下巻合わせて二十四の小咄が
   紹介されている。
   国文学研究資料館の日本古典籍総合目録によれば、著者武仙・画は馬淵(まぶち)忠治(ただはる)
   なっている。咄本大系第十七巻(東京堂出版)では義笑作・臥仙序・半紙本二巻
   合一冊と記されているが、狩野文庫の底本からは分からない。


   「軽口(かるくち)」とは軽口を主として「おち」のある笑話・落語の類である。
   笑話(わらいばなし)は聞き手の笑いを起こすことを主眼とする民話。
   笑話は中世のお伽噺(とぎばなし)、近世の小噺(こばなし)を経て落語の世界に多量に流れこんでいる。
    落語は江戸初期は上方を中心に「軽口(かるくち)」「軽口ばなし」と呼ばれ、江戸
   中期より「
(おと)(ばなし)」と呼ばれた。落語(らくご)とうい言い方は明治中期以降のことである。
   落語は江戸初期に安楽庵策伝が大名などに滑稽談を聞かせたのが初めといい、
   身振り入りの
仕方咄(しかたばなし)から発達して芸能化し、江戸・大阪を中心に興隆した。

 
  凡例
   底本はかな書きが多いのでわかりやすくするため一部は漢字を記した。
   濁点、句読点を適宜補った。
   カタカナは原文のままに表記。
   会話文には「 」をつけ、撥音便は底本のまま表記。
   画像が不鮮明のため一部分判読できない個所は□にした。
   また一部については( )に細字で言葉を適当に補った。
 
     翻刻に際しては古文書研究家の羽生榮氏にご協力頂きました。
     









(1)

 
絵本(えほん)軽口(かるくち)福笑(ふくわらひ)





(2-2)
 絵本軽口福笑序
 果報ハ
1
()の初春大福(おほぶく)の茶のミ
 
(はなし)をかし。御臍(おへそ)が茶をわかすハ
 これがほんの
ぶん福茶釜ならん。
 はや下から毛がはへたといふ。題す
 に向ひ
義笑子(ぎしやうし)が手前にて

 
1子(ね) 十二支の一で、第一番目に位するもの。
 初子(はつね) 正月最初の子の日。古く、子の日
 の遊びが行われた。

大福茶 元旦に、若水の湯に梅後に黒豆・山椒など
 を入れて飲む茶。その年の悪気を払うという。
分福茶釜(1)群馬県館林南方にある古寺茂林寺の伝
 説の什宝の茶釜。応永(1394~1428)年間、老僧守鶴
 が愛用したもので、汲んでも汲んでも湯が尽きない
 ので不思議がられたが、守鶴は住持に狸の化身であ
 ることを見破られて寺を去ったという。転じて化け
 の皮がはげる、正体をあらわすことをいう。文福茶
 釜。
義笑子 軽口福笑作者義笑(ぎしょう)詳細不詳



 (3-2) [第一話]
 日比(ひごろ)酒ずきな
 おやぢ有しが
 有とき友達来り、はなしして
 ゐるうちに女房、さかづき
 銚子(てうし)持出、「さゝ一ツ、あがり
 ませ」といひけれハ、おやぢ
 肝のつぶれたる顔にて
 酒をのミはじめ、客をもてなし。さて
 客帰へりて

 女房にいひけるハ「今の酒ハどふして
 調へしぞ」と尋けれバ女房のいふ様
 「されバこな様の友だち、久しぶりにて
 見へしに、愛想がなさにわたしが
 髪を半分かもじに(うり)、それで酒を
 とゝのへました」といへバ、亭主驚き
 「さてさて貞心(ていしん)なわろじや」と、(つぶり)
 を見て「こりやも一度のが有」といはれた。

(3-1)
書たてし軽口の今むかし、
あまり茶に福あり、
1笑ふ門に福
来ると「軽口福笑ひ」と(なづ)く。

 戊子(つちのえね)初春 仙 題






1笑う門(かど)には福来る いつもにこにこして
 いて笑いが満ちている人の家には自然に福運
 がめぐって来る。

戊子 明和五年(1768年)
臥仙(ぶせん)   



 (4-2) [第三話]
 律儀なる親爺、
 息子に尋けるハ
 「
やうずとハ何をいふ」
 と尋けれバ「やうずとハ
 南より(ふく)風でござる。
 此風ハ物にあたりて
 わるい風。人にも毒。(うを)
 たちまち腐ります」と
 いへバ下より客のぼりて
 着きける。亭主出むかひ
 「これハこれハ
 御のぼりで御ざります。
 まづ御息災でおめでたう
 ごさります」と挨拶すれバ
 「されバ此度ハ
南風に出合なんぎ
 いたした」といへバ「されバ魚が
 腐りましたか」といハれた。


 2ようず 近畿・瀬戸内地方で、春夏の夕に吹く南
  風をいう。
 3魚屋のようずを厭がるほど 魚屋が暖かい南風が
  吹くと腐敗が早いのできらう意から物事を忌み恐
  れることのたとえ。

(4-1) [第二話]
旅の僧、髪結ひのとこへ来て、さかやき
()らしけれバ(ひげ)をのこして
らす。かの坊主ひげをなでゝ
「此ひげを()つて下され」といへバ
此中(このじゆう)
(やつこ)のひげを()つて
大きに迷惑いたした」といふて
()らず。せり合いる所へ親爺
来り
なむ三。今度ハ(やつこ)を坊主に
       したさふな。
 






 

 なむ‐さん (感)南無三宝の略。しまった。
  さあ大変だ。




 
 (5-2) [五話]
 有人久しぶりにて出合
 「是ハ
法体(ほつたい)なされましたか
 (さて)法名ハ何と申ます」といへバ
 「宗圓と申ます」といへバ
 「宗ハむね。えんハ丸いて
 こざりる」といへバ「いや圓ハ
 板じや」と言はれけれ

 「是ハふしぎな字で
 ごさる」と笑ふて
 帰りし。跡にて
 息子きのどく
 がり「おやぢどの

 しらずハしらぬで済
 事。ゑんハ板とハ、何で
 ござる」としかれバ
 「何をぬかす。こちの(ゑん)ハ竹
 (ゑん)ゆへ。丸いハしつて
 居れども外聞(ぐハいぶん)
 思ふてゑんハ
板じやと
 いふた」

3法体(ほうたい・ほってい) 僧体。
 (法名は宗圓と聞き、圓の字はまるいと説明された
 のを勝手に思い違え、圓→縁→板という連想から
 うちの縁側は竹で出来ているが外聞を思って縁
 は板だと言張った。)

(5-1) [四話]
遠国(えんをく)より座頭ども
(くハん)あがりに大勢つれ
だち通りけれバ子ども
あまた遊び居たりけるが
一人の子申ハ「いかゐ
ざとうかな」といへバ
1座頭申ハ「ゆふべの

2雨て生へたハ」といひ
けれバ中にもこざ
かしき子が申ハ「
なふてどふして
生へたぞ」といふた。









 
近世笑話集(中)小咄本集(岩波文庫)
 
新口花笑顔(しんこう はなえがお)
 (安永四年刊)に同様の咄がある。
座頭 盲人。音曲・按摩。鍼などを業とした。
 子どもたちになぶられた長太郎坊主のような
 盲人もいた。
雨で生えた目に芽をかける。


(6-2) 七話]
 2
まハりどふな箱屋の
 おやぢ、
風のふくを
 よろこび。「
(かゝ)、商売
 はやるぞ。酒かふてこひ」と
 いへバ゙「それハどふして
 いそがしいぞ」といへバ
 「はて此風で人の
 目へほこりが入と目を
 わづらふので
 三味線を習ふに
 よつて三味線の(はこ
)
 大分(だいぶん)売れる」と
 いはれた。



 軽率な男が自分の親の背の高さのみで相撲
 の話に口をはさんだ
.
 2まハりどふな(回り遠な)する事が敏速でない
 ○風が吹けば桶屋が儲かる 
 風が吹くと砂ぼこりが出て盲人がふえ、盲人は
 三味線をひくのでそれに張る猫の皮が必要で猫
 が減り、そのため鼠がふえて桶をかじるので桶
 屋が繁盛する。
 思わぬ結果が生じる、あるいは、あてにならぬ
 期待をすることのたとえ。「大風が吹けば桶屋
 が喜ぶ」「風が吹けば箱屋が儲かる」などとも。


(6-1) 六話]
大阪より京へのぼり船。
乗合たがひに咄し合
中に
相撲(すまふ)取の
はなし出て「大山
二郎右門ハ(せい)が六尺
一寸有た」といへバ「いや
相引(あいびき)も六尺二寸
あつた」ととりどり
はなしして「とかく町にハ其
やうな人ハない」と
いへバわきより
そさうな男
「わたくしが親
どもハ六尺
でござります」
「それハ相撲にても
出やしやるか」といへバ
「いや。医者の乗り物
担)きでござる」といふた。






(7-2) 九話]
 (つゞミ)うちにうら皮を
 さいさいぬらすくせ
 ありしが。友だち
 よりあひ今夜壱
 番の中にて三度ハ
 ゆるす。もし四たび
 ぬらさバ此連中
 ふるまひをさす。
 三度でしまひやつたらこちらから
 ふるまを」と約束して打ける。やうやう
 三度しまひけれど今一度ぬらしたく
 つゞミを(また)にひつはさミ、近所を見
 合てそつとぬらされた。



(7-1) [第八話]
さる後生ねがひの
おやぢ
我たのミ寺
の和尚を仏の
やうにたのミて信
心しけるに、ある
時ふと寺へ
参りける。
住持
立出て「よう参
らせられた。まづ
御無事で珍
重珍重。さあ
上らせられよ」と
挨拶すれバ
おやぢ申けるハ
「ちと御寺にお
たづね申したいこと
こざつて参り

ました。此比、御寺へ大黒
が御入寺されたと、うけ
給ハりしが、まことで
ごさるか」と問ひけれ
バ和尚、ぎよつ
とした息つきして小声
になり「たゞ今髪
結ふてをります」
といハれた。


我たのミ寺 菩提寺
住持 住職 
大黒 (大黒天が厨に祭られたことから) 僧侶の
 妻の俗称。



(8-2) [第十一話]
 ある家より、豆腐を買ふと、
 内より呼べと、きかざりけれバ
 下女はしり出て「是のふ。
 豆腐。あの人ハみゝハない
 かいの」といへバ
 豆腐屋へらず口にて
 「みゝハ内に
 ござります」といふた。

 1吝(しわ)い けちである。しみったれだ。
 2わろ  おまえ。やつ。

(8-1) 十話]
1
(しわ)わろが今
夜ふぐ汁をして
喰ハんとこしらへける
所へ人来りて長
咄して()なざり。
されバ、亭主
()いて
庭へをり。うぢうぢとし
相手にならねども此わろも

(かざ)()いて、いよいよ
はなししかけけれバ
亭主、気の毒がり
「これにござりませ」
といへバ客人
「これこれ追付夜食がで
きます」といハれた。




(9-2) [第十三話]
 1()の字をきらふ旦那あり。
 丁稚(でつち)をかゝへける時
 言付けられしハ「こちの
 内ハ四の字をきらふ
 ほどに四の字をいふたら
 三貫文
2過怠(くハたい)をとる。
 又おれがいふても
過怠(くハたい)
 をやる」といはれけれバ
 丁稚、利口者
 にて「かしこまりました」と
 受合い、何とぞ
 旦那どのに三貫文
 出させんと思ひ、使いに行
 てもどりに申「旦那様
 今日変った物見て参り
 ました」「何をミたぞ」「されバ
 木の釜で(まゝ)
 炊いていました」といへバ「それハ
 尻がこげよう」と
 いわれけれバ、「旦那、
 三貫
いたしませふ」

 1四の字きらい 四は死を連想されるので嫌う
 2過怠 罰金叉は償い
(9-1)[第十二話]
遠国(をんごく)
のもの、上がたへ上り宿をかり
「二階へおあがりなされ」と云へバつゐに
あがりし事なきゆへ、いかゞせんと
相談する中に猫来りて
二階へ上るを見て、みなみな
合点し、猫のごとくあがり
けれども、おりる事に
又こまりけるが、中にも
こざかしき男さい前の
猫を追おろしけれバ
猫ハおそれて
  さかさまに
おりるを見て、われもわれもと
さかさまにおりける。


 1鳥羽車→鳥羽絵の描かれた煙草入れのことか。
 鳥羽絵は江戸時代中期に大坂で流行った滑稽な絵。
 あるいは軽筆鳥羽車(絵画本)の絵ことか。
 三冊本(1720)大坂の狩野派の大岡春卜筆といわ
 れる

合羽煙草入 桐油紙製の煙草入
 
(10-1) [第十四話]
ある人たばこ入の自慢して居られ
けるに友だち来りて「是ハよいたばこ入で
ござる」とほめけれバ「されバ此たばこ入ハ
1鳥羽車といひます」といへバ「心ハ
はて、失ふてハならぬ」といふ。
「なるほど聞えました」と
いへバ出入りの男、
2合羽(かつハ)
の古きたばこ入を
出して「此ハ花車(はなくるま)
申します。心ハ何と、失なふ
て大事ない」



 (11)絵本(えほん)軽口(かるくち)福笑(ふくわらひ)

   下巻                                         



(12-2) [第十六話]
 律儀なるおやぢども(やいと)
 すへんとて医者どのに尋けれバ
 「上りじやほどに
ふじ(きう)をすへ
 よ」といハれたけれど道が遠いゆへに
 やめた。「貴様ハどうじや」「おれ
 も(ひへ)しや
 ほどに
1亀の尾に灸にせいといはるゝ
 ゆへ池へをとりにやつた」

1亀の尾 (形が亀の尾に似るからいう) 人の尾骨。
(12-1) [第十五話]
あるお侍、下人どもをよび
「其方どもハ物いひがわるい。惣体(そうたい)
人の名を何兵衛ときつと
つめていへ」以後もたしなめて
いひ付て「何角兵衛
ぬか」といへバかの男
あたりを見廻し「角兵衛
つい兵衛のねきに
小兵衛をいたしております」




 (13-2) [第十七話続き]
 廻り出されバ
亭主
 とがめ「何とて出ぬ」と
 いひけれバ「いや。(をもて)
 に厄払いが酒に
 ()ふてあばれてゐま
 するゆへ出られませ
 ぬ」といへバ亭主聞て
 「こりや尤じや。暫く
 まて。やがて正気
 なる」といひけれバ鬼
 肝をつぶし
 「厄払いが鍾馗
 になつてハた
 まらぬ」と跡
 をも見ず
 逃げ行ける。


*鍾馗 (唐の玄宗の夢の中に、終南山の人で、
 進士試験に落第して自殺した鍾馗が出て来て
 魔を祓い病を癒したという故事から) 疫鬼を
 退け魔を除くという神。


(13-1) [第十七話]
節分に
「福ハ内、鬼ハ
外」と豆打
する音に驚き
鬼あらはれ出れバ
亭主見付て
いよいよ豆を
打けれバ
鬼うろたへ



(14-2) [第十八話]
 海上にわかに曇りて
 雨風つよくしけれバ
 船頭うろたへ、(いかり)
 をあまた降ろし
 騒ぎけるに
乗人(のりて)
 の内一人、舟の
 おもてへ出、
浄瑠璃
 本を取出し高々と
 義太夫節を語れバ
 乗合の人しかりて
 「此難儀に
浄瑠璃
 所じやあるまい」と
 いへバ
彼者(かのもの)「いや
 芸ハ身をたすくか」
 といはれた。



(15-2) [第十九話続き]
 おやぢきいて
 さてハ子どもを
 何そくといふもの
 ならんと思案して
 「されバ二そく子形で
 ごさり、今二そくハ女かたで
 こざる」といはれた。


   
画中文字 
 女歌さいもん  
 まんざい はなし

祭文 祭文読のこと。 歌祭文を語って銭を乞う
 遊芸人。さいもんかたり。

(15-1) [第十九話]
去、律儀なるおやぢ
子供四人つれて
天神へ参り、水
茶屋へはいりて
茶を飲みいたり
しが、そバにゐる
人いひけるハ
「これハ其元
の御子息
たちか」と
尋けれバ



  (16-2) [第二十話続き]
 
どのやうな御装束
 召して御坐つた」と
 尋けれバ「たち花
 の御紋で
 御手にハ鼓をもつて
 御ざりました」と
 いへバ「
2なむさん。
 それハ大和(やまと)
    
3(万)ざいじや」

 2なむ三 南無三 南無三宝の略。驚いた時や失
  敗した時、また事の成功を祈る時に発する語。
  しまった。さあ大変だ。

 3万歳 年の始めに、風折烏帽子を戴き素襖
 (すおう)を着て、腰鼓を打ち、当年の繁栄を祝い
  賀詞を歌って舞い、米銭を請う者。太夫と才蔵
  とが連れ立ち、才蔵のいう駄洒落を太夫がたし
  なめるという形式で滑稽な掛合いを演ずる。
  千秋万歳(せんずまんざい)に始まり、出身地に
  より大和万歳・三河万歳・尾張万歳などがある。
 「漫才」はこれの現代化で、関西に起る。

 (16-1) [第二十話]
堂上(どうじやう)がたへ御出入する
1検校(けんげう)田舎者を
かゝへ正月の礼をつとめ
下人に申付けるハ「(ここ)
御所の内なれバ装束
なされたお方が御通り
なされふ。向ふから
御出なさるならバ
しらせよ。おじぎを
せねバならぬ」といへバ
「心得ました」とあれこれ
教へ、辞儀(じぎ)をいたし通りける。
「それそれまた
御二人御出」と
教へけれバかた
よりて辞儀をいたし、
検校いひける。
「御供もなさそふな。

1検校(けん‐ぎょう)盲人の最上級の官名。



 1業平 在原業平 平安初期の歌人。
 悉皆
 
なり  俗に、ハンセン病。なりんぼう。癩。
*まるで
「なり」と云われたが、「粋奴業平の「平」
 を落としおった」と負け惜しみを言った。
 咄本「鳥の町」来風山人著(岩波小咄本集)
 に業平と題した類似咄がある。
(17-1) [第二十一話]
心やすき友だちあつまりはなし
のうえ「貴様の眉ハますつと細くバ
1業平男じや」となぶりけれバかの男
眉を細くして「是でハよいか」といへバ「いやいや
まだ太い」といひけれバ今度ハすつべりと
剃りて「これでハどふじや」といへバ「これハ

悉皆(しつかい)

なりじや」といへバ、へらず口にて「
粋奴、平
を落しをつた」といはれた。




(18-2) [二十三話]
 「いやいや、そのやうに
 おしかり
 なされな」
 「さてさて
 それが
 喰ハるゝものか。
 たハけめ」
 「何ぞ作つた物を出せと
 をつしやりますゆへ。
 これハ夕べ作つ
 た草履で
 ござります」
(18-1) [第二十二話]
久しぶりにて近づき
に出合、「これハこれハ御息
災で珍重。さて今ハ何を
して御ざる」「只今ハ質と
酒屋てござるか」「其もとハ何を
なさるこそ」と問れて「手まへも
同じことでござる」「それハ
御仕合」といへバ「いや
私めハ
(質草を)置いてハ
呑み呑み
いたします」
といはれた。



 (19-2) [第二十五話]
 粗相(そそう)成るおやぢ目をわづらひ
 目薬買ふてよんで見て
 「是ハ気の毒な事が書い
 てある。女の尻にさい
 てよしと書てある」
 といへバ隣の
 男来り読んで
 みて「それハ
 こなたのそ。
 こうじや。
 目尻にさいて
 よしとある。
 「め」の字が
 ひらたいによつて
 女と読んだのじや」

  京寺町松原上ル町
   菱屋治兵衛板
(19-1) [第二十四話]
六月比山家より客来り
(とま)りけるが、蚊帳(かや)をつり
「おやすミなされ」といへバ「ぢいハねまはよ」と中さい暖
簾を見て蚊帳との間にねて、
夜一(よひと)蚊を追ふて
いる。亭主、気の毒がり明る晩にハ暖簾(のふれん)(あげ)
おきけれバ客心得て蚊帳を(あげ)「これハ暖簾、是ハ
蚊帳」と又そとへ出
て蚊にせがまれた。




裏表紙省略
(20)

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